133話 緊急事態
「たった今、ゴウル闘技士の命の鼓動が止まりました。これを受け、続行することは不可能であるとし、本日は一時中断させていただき、残りの試合は延期とさせていただきます。またスルト選手は失格とさせていただきます。悲しい事ではありますが、皆さま。最後まで闘志を絶やさず戦い抜いたゴウル闘技士の栄誉を称え、黙祷をお願いいたします」
昼頃までは騒がしかった闘技大会会場内では考えられないほどの静寂が訪れる。
誰もがゴウルの死を悼み、黙祷を捧げていたのである。
「……ありがとうございます。また、スルト選手もとい罪人スルトは未だ捕まっておりません。お帰りになる際はどうぞお気を付けください」
そのアナウンスの後、ぞろぞろと皆が帰宅していく。
そしてそれはオリベルとアーリも同様であった。
「大丈夫かい?」
「……大丈夫です」
先程まで泣いていたのであろう、瞼辺りがまだ赤く腫れあがっているアーリを気にかける。
そしてスルトという男について考え始める。
「あいつは一体何がしたかったんだ?」
殺しを好む数奇な者という訳でもなく、ただ淡々と一つの単なる行動として殺害を行ったスルトにオリベルはただ恐怖を覚えていた。
これほど底知れぬ恐怖は幼少期に抱いていた死期が見えるという能力に対する深い恐怖と類するものがあった。
まるで延々と続く落とし穴の中を落ち続けているような感覚。一時も胸のざわめきが収まらないその感覚がオリベルを無の感情へと誘った。
「……僕がもうちょっと早く死期を見れていれば助けられたんだ」
最後の最後、ゴウルの身の危険を感じ取った時に初めてオリベルは目を凝らして死期を見た。
そして後悔した時には既にスルトの力がゴウルを襲っていたのである。
死期を見る力、これを他人を助けるため最大限に利用するのだと決めたあの日から初めての挫折。
その無力感がオリベルの胸に空洞をぽっかりと空けていた。
『……さん、オリベルさん』
そんな時であった。オリベルの頭の中に直接そんな声が響き渡る。
そしてマザリオが伝達属性魔法によって連絡を取ることが出来るのだと思い出す。
『どうしたんだマザリオ?』
『大変です! 私のせいでオルカさんが!』
『すぐ向かう。その間情報だけ伝えておいて』
マザリオの声色、そしてオルカが大変。この二つだけで状況を察知したオリベルはアーリを抱きかかえると、駆け出す。
「うわっ、急にどうしたんですか!?」
「キャッツで何か問題が起きたらしいんだ。急ぐからこのままちょっと耐えててね」
そうしてすさまじい速さでオリベルはマザリオとオルカが居るキャッツへと向かうのであった。
♢
「てめえ。これは一体どういうつもりだ?」
地下にある薄暗い部屋。その中でシュテンは拘束されていた。
そしてシュテンの目の前に居るのはクラーク獣王国の獣王アイゼンフォーグ・ドン・クラーク。
国を統べる獣王だというのに護衛となる騎士を一人も連れないでいる。
「……君は知らないだろうが、この国には王族に代々言い伝えられている伝承があってね。『鬼神伝説』と呼ばれているのだが、そこではこう伝わっているのだ。『獣人の中では数百年に一度鬼が生まれる。そして鬼が鬼神となった時、ただちに国が亡ぶであろう』と」
「いきなり何を語りだしたかと思えばそんな下らねえ伝承かよ。じゃあ何だ? 俺がその鬼だって言いたいのか?」
「そうだ」
シュテンの揶揄うような言葉にアイゼンフォーグは真面目に頷き、肯定する。
「そんなバカげた話を鵜呑みにして、と思っているかも知らぬが我が王家には代々信じざるを得ない遺物があってね。それがこれだ」
そう言ってアイゼンフォーグがスッと片手を上げると地下室の壁の一面が上がっていき新たなる部屋が露になる。
そしてその中に置かれている巨大な像を見てアイゼンフォーグは続ける。
「これはかつて獣人を全体の9割滅ぼしたとされる鬼神の亡骸だ」
大きく逞しい体。そして建物くらい太い腕がだらりと垂れ下がり、頭にはシュテンと同じような二本の巨大な角が生えている。
「俺がこんなバケモンになるってか? 馬鹿らしい。今までそんな兆し、一度も無かったぜ?」
「それは君の両親あるいは近辺の者が君を隠していたからだろう。口伝ではあるが、何も王族だけがこの事を知らぬとも限らんしな」
そう言われてシュテンは自分の今までを振り返る。
物心がついた時には既に母親はおらず、父親が一人で育ててくれていた。
だがある日の朝、その父親は町へ買い出しに行ったきり帰ってこなくなってしまった。
何か月も何年も待ち続けたシュテンはとうとう痺れを切らし、父親を探すためにそれまで禁じられていた町への散策に向かう事にしたのであった。
そして父親がいつも自慢げに聞かせてくれていた闘技大会に出場し、情報を集めようとしていたのである。
あわよくば父親が闘技大会を見てくれていることを期待して。
「この鬼神の亡骸から魔力を抽出し、私の先祖は鬼に対する魔獣の部分を中和する特効薬を作ったのだ。だからそう警戒しないでくれ。君から鬼神となる魔獣の要素を中和すればすぐに解放する。その代わりここであったことは内密にしてもらうが」
「ケッ、だったら別に俺の意識が無い時にやりゃ良かっただろうが」
「生憎、意識が無い時にそれをしてしまうと君の命が危ないからね。仕方ないのだよ」
無理やり押さえつけてきた奴がよく言うぜ、と悪態をつくシュテンに対してアイゼンフォーグは穏やかな笑みを浮かべる。
確かにアイゼンフォーグでなく先代までの獣王であればそんなことお構いなしに特効薬を注入していたであろう。
だが、幼少期から鬼神伝説を聞かされてきたアイゼンフォーグは鬼の事を可哀そうであると慈悲を抱き続けていたのだ。
「さてと、そろそろ君の意識も鮮明になってきたところでそろそろ始めさせてもらおうか」
「ふむ、それは少し困るな」
アイゼンフォーグが準備に取り掛かろうとしたその時、アイゼンフォーグでもないシュテンでもない第三者の声が地下室内部に響き渡る。
「ほう、どこへ行ったかと思えばこんなところにあったか。我が配下である鬼神よ」
大きな鬼神の亡骸を眺めてそう呟く人物。その人物にシュテンとアイゼンフォーグは確かに見覚えがあった。
「確かスルトと言ったか。我が騎士団が見張りをしていた筈だが」
「うん? ああ、殺しておいた」
何の躊躇いもなくそう言い放つスルトにアイゼンフォーグは驚愕する。
「まさか。我が国が誇る獣王騎士団騎士団長も居たのだぞっ!?」
「全員等しく弱かったからあまり覚えておらんな。あと、そんなことはどうでも良い。興味があるのはそこの鬼だけだ」
いつの間にかアイゼンフォーグの横を通り過ぎ、拘束されているシュテンの目の前まで来たスルトはとんとシュテンの額に指をつける。
「何だてめえは?」
「直に思い出すさ。己が主君の名を」
その瞬間、シュテンの全身が焔に包まれる。
最初は大して反応を見せなかったスルトだが、自身の指をも浸食してきているのを見てサッとシュテンの傍から離れる。
「まさか我が体に傷を付けるとは。覚醒前からこれならば我が破壊の使徒として十分に期待できるな」
「くそっ! おいジジイ、さっさとこれを解きやがれ! 俺がこいつと戦う!」
「わ、分かった」
呆けた顔でそれを見守っていたアイゼンフォーグはシュテンに急かされ、すぐさま拘束を解除するボタンを押す。
既にシュテンが放った焔によって少し溶け始めている拘束器具は速やかに解除されていき、無事解放されたシュテンはスルトを睨みつける。
「誰が俺の主君だって?」
「直に分かるだろう」
不敵な笑みを浮かべるスルトに対してシュテンはなおも睨み続ける。
こうして破壊の神と称する者と鬼の子の戦いが始まるのであった。
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