106話 声が聞こえる女性
「やっぱり私じゃ駄目なのかしら」
ポツリとそんなことを呟きトボトボと一人歩く女性。肩まで切りそろえられた藍色の髪から垣間見る儚げな表情を浮かべたその女性の顔はどこか幻想的で美しい。
女性の眼差しの先にあるのは一枚の紙きれである。紙の中央にはでかでかと冒険者ギルドから発行された証拠である印が捺されている。
実は女性が眺めていた一枚の紙きれとは冒険者ギルドから発行された依頼書であった。そこに書かれているのは『宝石亀討伐補助』。
低ランク冒険者からでも受注が可能な依頼ではあるが、それもDランク以上が適正であろうその任務を彼女はFランクという最も低いランクで挑もうとしていたのである。
これでまだパーティを組んでいるのだとすれば良かったものを、彼女、マザリオ・ヒヒュルゲンは単身で冒険者家業を行っていた。その理由は彼女自身にあった。
「魔力を使えない冒険者なんて誰も要らないもの……はあ、どうしてこうなってしまったのでしょう」
日々溜まった鬱憤を吐き出すかのようにそう呟くと、マザリオは宿屋へと向かっていた足をピタリと止める。財布の中には依頼の報奨金が入るまでの間のご飯代を考えれば既に今日宿屋に泊まれる金などもう残っていなかったことを思い出したのである。
「……野宿、しかないかな」
低ランク冒険者の収入は乏しい。おまけにFランク冒険者が受注できる依頼など数少ない。
ではなぜマザリオが他の職に就かずにいつまでも冒険者を続けているのか。それは自身の体を蝕む呪いのような力を消し去るためであった。
どこかで聞いた嘘のような本当の話、それを実現するのに最も手早い攻略法が冒険者になる事であったのだ。
しかしその呪いの力が故に魔力を使う事すら許されていない彼女にとって、冒険者という道もまた茨の道であったのだ。
「うっ、また……」
その場に立ち尽くしていた彼女を突如として凄まじい量の“声”が襲う。頭に響き渡る無数の声。比喩などではなくその声は本当に直接彼女の脳を貫き、揺らすのである。
これこそが彼女の呪いの力の正体である『伝達属性魔法』の効果。至る所に居る生物からの思念を読み取ってしまうという能力である。
ただ、マザリオの場合はそれがあまりにも強力すぎてこうして意思に関係なく種族問わず周囲に居るすべての生物の思念を感じ取ってしまうのである。
今もこうして町中から絶え間なく流れてくる声を処理しきれない脳はそのまま限界を迎える。
プツリと途切れた意識。そのままマザリオは冷たい地面の上へと倒れる。
そんなマザリオの近くにヒタリと一人、白髪の少年が歩み寄る。
「普通に話しかけようと思ってたのに……この場合どうすればいいんだ?」
気絶してしまっているマザリオの顔を見て白髪の少年、オリベルは思案する。
体を揺らし、声を掛けても起きる気配が微塵も感じられない。かといって近くにはオリベルしかいないためこのまま放っておくわけにもいかない。
「治癒師の所に連れていくのも僕じゃ無理だしな」
治癒師とは文字通り治癒属性の魔法を使う者の事である。ただ、その魔法を使える者は数が限られており、ウォーロット王国ではその多くが町の役人達、つまりウォーロット王国の軍部が管理した場所に行かなければならない。
そうなると追われている身であるオリベルにとって不都合なのだ。
「どうしようか」
♢
「ん……んん」
次の日、マザリオが目を覚ますとそこは少し薄暗い部屋の中であった。見たことの無い景色である。こんな所で寝たものかと疑問に思い、体を起こす。
「ソファだったんだ。というか絶対この場所知らないわ。一体だれが」
「あら、起きたのですね」
ソファに座って辺りを見渡しているマザリオのもとへ女性の声がかかる。声の方を振り向いたマザリオはその女性の顔を見るなりあまりの美しさに思わず息を呑む。
「……あなたは?」
「オルカと申します。町中で倒れていたようでしたのでそちらで寝ている同居人があなたをこの空き家へと運んできたようです」
そう言って地べたで毛布にくるまり、寝ている少年を一瞥してオルカが告げる。
「あっ、そういえば私、またやっちゃったんだった」
オルカに言われて少年の方を見たマザリオはそこまで言われてようやく昨日のことを思い出す。
抑えていたはずの魔力が暴発してしまったことで一気に“声”が頭の中を駆け巡り、その勢いに耐え切れずその場で倒れてしまったのであった。
それはマザリオにとってはいつもの事であった。
「……ありがとうございます。その、私、泊まるところもなかったので」
「もう一度言いますがあなたを運んできたのは私じゃなくて私の同居人です。私は何もやっていませんよ……ところでお腹空いてます? よろしければ朝ご飯でも作ろうかと思っていたのですが」
「え、そんな、助けていただいたのにまさかご飯までお世話になるわけには……」
そう言って断ろうとするマザリオ。しかし身体は正直なもので、部屋の中をぐうっという腹の音が響き渡る。
「わわ、これは、その、えっと」
「ふふふ、承知しました。では作らせていただきますね」
そう微笑むとオルカはソファの上で恥ずかしそうに顔を俯いているマザリオを一瞥し、料理場の方へと歩いていくのであった。
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