05.何故か始まる同棲生活
「あー、ところでさ」
そう言えば大事なことを聞いてなかったと、慧人は今さらながら気が付いた。
「君の名前はなんていうの?」
「はい、MA‐IKO‐018です」
「いや、だからさ。それはなんちゃらコードであって“名前”じゃないでしょ?」
「でも、これが私の個体識別に必要なコードで」
「そういうのは名前って言わねえの。普段から常にその長ったらしいコードで呼ばれてる訳じゃないんでしょ?」
そこまで言われて、ようやく彼女は小首を傾げて考える素振りをする。
そうしてやや考えて、彼女は答えた。
「そうですねえ、マイマスターはいつも“マイコ”とお呼びでした」
「あー、“マイコ”ねえ」
MA‐IKO‐018、アルファベット表記の部分をそのまま読んだだけだ。なんの略号か分からないが確かにそう読めるし、そう呼ばれていたのなら彼女自身がコードを“名前”だと認識していてもおかしくない。
「分かった。じゃあ俺も“マイコ”って呼ぶわ」
「……………俺も?」
「いや、そう呼ばれてたんだろ?」
「“俺も”もなにも、呼んでたのはマイマスターですよ?」
「だから俺はソイツのこと知らんし!未来の自分とかほぼほぼ他人だろ!」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
慧人とマイコは、そのまま同じ部屋で暮らすことになった。
もちろんふたりが付き合うとかそういう話ではない。むしろ慧人としては未蕾との思い出の詰まったこの部屋に、一時的とはいえ他の女を住まわせるなど正直嫌で仕方がなかったが、なにぶんにも“未来から来た”というマイコの主張が正しければ彼女には帰る家もなく、頼る者もいないことになる。
というか慧人に会うために来たと語る彼女は、当然のように彼の傍を離れようとしなかった。抱きついてきたりベタベタするわけではなかったが、まるで隣にいられるだけで幸せだとでも言わんばかりにニコニコしていて、それで慧人も無碍にはできなくなったのだ。
あと、マイコは財布を持っていなかった。聞けば未来では電子決済が標準になっていて、硬貨や紙幣などはデザイン発表だけで実際にはほとんど発行されないし流通もしてないのだそうだ。だから彼女も実物のお金はほとんど見たこともないという。
そのため彼女はこの時代の紙幣や硬貨を持っておらず、ネカフェなどに寝泊まりさせることもできない。慧人だって大学に通うかたわらバイトもしていたが、それでも彼女の生活費まで面倒を見るほどの余裕があるわけではない。
「あー、普通なら行きたい時代の通貨を準備してから来るんですけどね〜あはは……」
などとマイコが言い訳していたが、要は必要な準備も何もせず突発的にやってきたということなのだろう。全くもって慧人には迷惑な話である。
ということで半ば必然的に、慧人は彼女を部屋に置いて面倒を見るしかなくなった。というより、自分は未来から来たO.a.c.hだ、などという戯れ言を口走るような女を野放しになんてできるわけがなかった。
まあ幸いというか、慧人の部屋にはロフトがある。慧人自身は昇り降りが面倒くさくて普段使っておらず、片付けだけしてたまに友人などが泊まりに来る時用の客間のようにしていたので、マイコはそこで寝起きすることになった。
「えっ、マイマスターと一緒のベッドで寝るんじゃないんですか?」
「いやなんでだよ!?」
「だってお元気だった頃は毎日そうだったじゃありませんか」
「いや知らんし!?」
60年後の俺、こんな若い子と同衾してたのかよ!?とんだエロジジイだなおい!
いやそういう機能はないとは言ってたけどさあ!
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
さて、慧人とマイコが出会ったのは金曜の夕暮れ時である。大学から帰ってきて、バイトもない週末の夜ということで、本来なら慧人は亡き未蕾のことを思い返してジメジメ泣いて過ごすはずだった。
それがなんでこうなったのか。いくら考えても慧人にはサッパリ分からない。まあ慧人が自身で何かしたわけではないのだから分からなくても当然である。
「マイマスター、ご飯できましたよ」
目の前のリビングテーブルの上には湯気の立ち上る白米の盛られた茶碗と、味噌汁の椀に主菜の皿。主菜は、買ったはいいが調理が面倒で冷凍庫に封印していた頭だけ落とした鰯が一尾、骨までくたくたに煮付けられて皿に盛られている。
慧人は自炊が苦手だ。というより炊飯器で飯さえ炊ければ、おかずはコンビニやスーパーで惣菜を買ってくればいいだけなので、わざわざ料理をする必要もないし覚えるつもりもなかったのだ。
だが、いざ料理を目の前に並べられるとそうも言えなくなる。作りたての料理ってこんなに美味しそうなのか。
「ていうかお前、料理できるんだ……」
「はい、基本的な調理法は一通り登録してありますから」
実際、彼女はマイマスターが元気だった頃には何度も手料理を振る舞っていたと言った。彼女の元いた未来では自宅のキッチンに備えられた給食機が自動調理するから、料理なんて仕事や趣味以外でやる人はいないらしいのだが。
「マイマスターはいつも美味しいと喜んで食べて下さってましたから、きっとお口に合うと思います(にっこり)」
うっ、バカやめろ。うっかり絆されそうになるじゃないか。
と平静を装いつつ内心ドギマギの慧人は、そろそろと箸を手に取り、まずご飯を一口含んでから鰯の身を一口分切り取って口に運ぶ。
「………っ、美味ぇ!?」
「良かったです!(ニコニコ)」
あまりの美味しさに慧人が目を見開いて、それを見てマイコも嬉しそうに満面の笑みだ。
まるで老舗の料亭で出される料理のように完璧な味付けだった。和食に使える調味料なんて塩と砂糖と醤油くらいしかなかったはずなのだが、この深い味わいはどうやって出したのか。
「しっかし何をどうやったらこんな美味ぇ飯作れんの?」
「レシピ通りに作れば誰でもできますよ♪まあ味醂と調理酒はなかったので作りましたけど」
「………………は?」
「和食限定ですけど材料は一通りストックしてあるので!」
いやいや、待て待て。
ストックて。
手荷物ひとつ持ってないくせに、どこにそんなの持ってたっていうんだよ!?
「いや今調味料作ったって言わなかったか!?」
「はい、ですから調味料から作れます♪」
「いやだから材料は!?」
「えっ、ここにありますよ?」
マイコは着ている謎の服の胸元にいきなり右手を差し込んだ。どこから突っ込んだのか全く分からないが、その手は確かに手首から消失して、次の瞬間にはお酢の小瓶を掴んで出てきたのである。
「…………………………マジ?」
「はい、他にもありますよ?」
そう言って次々と小瓶を取り出し、テーブルに並べ始めるマイコ。服のどこにもそんなものが入っていたと思しき膨らみはないのだが、ズラズラと並べられると何も言えなくなる。
唖然とする慧人。
ニコニコのマイコ。
その笑顔を見て、慧人は考えることをやめた。明らかに現代の常識が通じない。この分だと、コイツと噛み合うことはきっとないだろう、とげんなりする。
でもまあ、こんな美味い飯を食わせてもらえるのなら、しばらくは置いてやってもいいかな、うん。