望ましい政治に関する考察
自由と平等のバランスをどうとるか。望ましい政治に関する考察です。 4年前にフェイスブックに書いた文章のコピペです。
北方謙三氏の岳飛伝最終巻を読了したときの感想として書いた文章です。
2018-94 岳飛伝最終巻。北方謙三は、楊令伝と岳飛伝で、流通が核となり、国家というものが明確な姿をもたない社会の在り方を語ったのかと思う。
どのような国家、社会が人にとって最も望ましいのか、人類に突きつけられた尽きることのない課題である。
ひとにとっての至高の価値として語られる自由と平等。が、これは並び立つ概念ではなく、対立する概念である。自由を突き詰めれば平等ではありえないし、平等を突き詰めれば自由ではありえない。
マルクス・レーニン主義は、本来、この平等の概念を究極まで推し進めようとした思想であったかと思う。が社会主義、共産主義社会の実現を理想とした試みが、どれほどの非人間的で抑圧された社会を生んだのかは、今更言うまでもない。
では、自由を突き詰めれば、どうなるか。現代の世界がそうなのかもしれない。一口にそうとは言い切れない国家もあるが。
新たなる知識を獲得し、革新的な技術を生み出し続けなければ組織として生き残ってはいけない、大競争社会。格差の拡大、富の偏在。増大する社会的不安、治安の悪化。
才能と活力に溢れたごく一部の有能な人にとっては、とても面白くて、やりがいに溢れた社会なのかもしれない。だが、世の多くの人が、本当に望んでいる社会なのだろうか。
民主主義、平等な一票というのは、本来、世の中の最も多数の人々が望ましいと考える社会を作り上げることのできる制度のはずである。だが各種選挙における投票率の低さを思えば、選挙権をもつ多くの人にそのような自覚があるとは思えない。
また政党の側にしても枝葉末節の問題を羅列的に語るだけで、どのような社会を構築したいのか、その根本を語ってはいないように感じる。
政治とはつまるところ、この自由と平等をどの割合でバランスさせるかということなのであろう。
政治とは何か。
「人々が飢えることがないこと」
「日々の暮らしが安全であること」
「言論が自由であること」
この三つが叶えられていることが、政治の要諦であると思う。
さらに
「世の中の多くの人が幸福だと感じられること」
「社会的地位の上昇を志向する人にとって、その機会が均等、公正であること」
も付け加えたい。
この観点から、現在の議会制民主主義、産業資本主義は、最も望ましい制度、社会の在り方なのか、根本的に見直されるべき時なのかもしれない。そして、それは言うまでもなく、革命ではなく、斬新的改良的手法で成されなければならない。
AI 社会の進展。チャイナ・スタンダードという新たなる政治的概念が増大しようとする今、それが、社会に求められていることなのだろうと思う。
私は、残りの人生、家庭と個人の生活を大切にして、これまでがそうであったように、これからも、観察者として、世界の歴史がどのように展開していくのか、興味を持って見守っていきたい。
「俺がやらなきゃ、誰かがやる」
世の才能と活力に溢れた人々に期待しております。
思い付くままの走り書きで、論旨の飛躍があり、文章の不整合もあるかと思いますがお許し下さい。
(以下は2024年6月7日 記)
6年前、熱く語っちゃっています。でも言うだけ。
きちんと食べることができている社会であれば革命は起きないと言われますが、生活の安全、言論の自由を含めて世の中がだんだんと変わってきているようにも感じます。
今、富裕層、上流階級に対する憎悪を徹底的に煽り、社会を覆そうとする、そんな勢力が出現しないだろうかと懸念しています。政治が大きな関心を持って語られる世の中は幸せな社会ではないのだろうなとも思います。
我々より上の世代、大戦の記憶を明確に持っている世代には「二度とあんな世の中にしてはいけない」という社会的合意があったように思いますが、その世代もいなくなってしまう社会はどうなるのでしょうね。