1. このまま、どこか遠くに行けたらいいのに
王都の、とある貴族の館。
新進気鋭のピアニストを招いたサロンコンサートが終わり、ひっきりなしに馬車が車寄せに止まっては、主を乗せて出てゆく。
その流れがあらかた途絶えた頃、ピンクブロンドの髪をハーフアップにした令嬢が一人で出てきた。
「バートの言う通り、やっぱりダメみたい。
結局、わたしは遊び相手ってことなのかな」
男爵令嬢ジュリエットは、2人乗りの馬車に乗り込むと、座席の後ろの御者台に立つ御者のバートにそう告げた。
涙声ではないものの、疲れ果てたような声だ。
「さいですか……」
髭面の御者、バートは巨体を縮めるようにして返すと、馬車をゆっくり出した。
「あー、もう本当にやだッ
おうちに帰りたくないよ……
このまま、どこか遠くに行けたらいいのに」
よほど悔しいのか、ジュリエットは脚をジタバタさせている。
「どこかいうて、どこ行きます?」
「どこでもいいわよ、そんなの」
ジュリエットは捨て鉢に言う。
「ままま、そないにおっしゃらんと。
ちいと、遠回りして帰りますけ」
まっすぐ男爵家に向かうなら、馬車で20分ほどだ。
だがこのまま帰って、ジュリエットが継母や腹違いの弟妹と顔を合わせると、ろくでもないことになりそうな予感しかしない。
バートは時間を稼ごうと、王宮の方向へ向かう脇道へそれた。
一応は男爵令嬢であるジュリエットと御者のバートがこんなに親しく口をきいているのには理由がある。
ジュリエットは男爵家の最初の子だが、母親は産後の肥立ちが悪く、あっという間に亡くなってしまった。
男爵はやがて後妻を娶ったのだが、利かん気で暴れん坊のジュリエットに手を焼いて、結局田舎に引っ込んでいた先代男爵夫妻が預かることになった。
何年かして夫人は亡くなったが、先代男爵はジュリエットを手元に置いてかわいがった。
ただそのかわいがり方が、自分の趣味を一緒に楽しむという方向だったので、気がついたらジュリエットは乗馬と釣りと狩り、あとは魔獣討伐が得意な、いかんともしがたく野育ちな令嬢に育ってしまった。
そんなジュリエットもお年頃になり、王都の男爵家に出てくることになる。
亡き母が遺した年金が少しはあるが、貴族女性として自立した暮らしを出来るほどの額ではない。
結婚しなければ、一生、自分のことを胡乱な眼で見てくる弟の世話にならなければならないのだ。
だが、継母はジュリエットに関わりたがらず、申し訳程度に社交の場に連れて行った後は、縁談を探してくれる気配もない。
本来、貴族の女性は一人で出かけたりしないのだが、ジュリエットのために男爵が雇った付添も継母が自分の用事に使ってしまう。
やむなく、ジュリエットは一人で出かけるようになった。
だが、3台ある馬車のうち、一番よいものは男爵が、二番目によいものは夫人や弟妹が使って、本来は執事や家政婦長が使うものしかジュリエットは使えない。
その3台目の御者が、馬丁を兼任しているバートなのだ。
馬丁として男爵家に仕えているバートは、三十歳を越えたところ。
腕は確かだが、見かけがゴツい上に、田舎育ちで訛りが抜けない。
男爵や男爵夫人は、整った顔立ちの若い御者を使いたがるので、残っているのはいつもバートだ。
それで、ジュリエットはバートと話すようになったのだ。
仲良くなってからは、馬房にもちょいちょい遊びに行っている。
「嬢様、お気を落とさずに。
クズな男に深入りせんで良かったやないですか」
「…………それは、そうだけれど」
拗ねたような声が返ってきた。
最近、ジュリエットは、とある貴族のサロンで知り合った貴公子と仲良くなったのだが、バート情報で彼には上位貴族の令嬢との婚約話が進んでいるとわかった。
ジュリエットに問い詰められた貴公子はしどろもどろになって逃げてしまったのだ。
御者は、主の訪問先の御者溜まりで待機することも多く、そういう時は他家の御者と喋って時間を潰す。
当然、話題は貴族達の噂話が多い。
最近ではバートも心がけて、ジュリエットの役に立ちそうな話を集め、こそっとご注進に及んでいるのだ。
本来なら、こういう情報収集は母親を中心に一族総出でやって良縁を探すものなのだが、継母だけでなく父親にも面倒がられているジュリエットの婚活は難航している。
深入りする前に危ない相手だと気がついただけ、マシであるのは確かだが。
「どっかにええ人がおりますよ。
嬢様は、立派なご令嬢なんやから」
「……そんなこと言ってくれるの、お祖父様とバートだけだよ」
ジュリエットの声が湿っぽくなる。
このパターン、実は三度目なのだ。
人懐こくて愛らしいジュリエットは、普通の令嬢よりも近づきやすいところがある。
若い男性貴族には、結構人気だ。
好奇心旺盛そうな蒼い大きな瞳は表情豊かで、さくらんぼのような唇は愛らしい。
素直な性格で、知らないことや凄いと思ったことは、「さすがです!」「知らなかったです!」「すごーい!」などとストレートに褒める。
王都の令嬢達から見れば、あざといように見えるかもしれないが、御者のバートに対してさえ、凄いと思ったら本気で褒めてくるような娘なのだ。
だが、その人気は縁談に結びついていない。
持参金をろくにもたせてもらえないことがバレているし、良くて「愛らしい女友達」、悪くすると「ワンチャン遊べる相手」としか見られていないのだ。
バートとしても、なんとか良き伴侶を見つけてほしいと日夜願っているのだが──
しばらく、バートは黙ったまま、馬車をゆくあてもなく走らせた。
夕焼けが宵闇に変わる頃、貴族の館が立ち並ぶエリアを抜け、王宮の外周を一回りする道に入る。
「ぬ?」
夕刻以降はさほど馬車の行き来がない道だから選んだのに、すぐ後ろに馬車がぴたりとついてきた。
こちらは一頭立てだが、ジュリエットの愛馬である巨大な黒馬「黒王号」に引かせているので、それなりにスピードは出ている。
ジュリエットも気配に気づいて振り返り、あ!という顔になった。
黒塗りの、家紋のない2頭立ての馬車に乗っているのは、御者を入れて男5人。
御者がマントの下に革鎧を着ているのが一瞬見えた。
もしかして、これは襲ってくるつもりなのではないか?
道の幅は大型の馬車がすれ違える程度。
両側ともに、2mを越える高さの石壁だ。
広場はだいぶ先で、逃げ場はない。
「バート、こっちへ来て!」
慌ててジュリエットが幌を畳む。
「あい!」
バートは手綱と鞭を持ったまま、畳まれた幌を器用に越えて、座席に移った。
御者台に立ったままでは攻撃を避けられないし、自分が斃されればジュリエットが危ない。
鞭を当てる前に、賢い黒王号は主人の危機を悟ったのか、スピードを上げた。
追走する馬車が負けじとスピードを上げて、追い抜きにかかってくる。
その後ろには似たような馬車がもう一台。
完全に襲撃体制だ。
ジュリエットに意中の貴公子を盗られると思った、どこかの令嬢の手の者だろうか。
「伏せててね!」
ジュリエットは座席の上で膝立ちになると、斜め後ろの馬車に向かって手のひらを突き出すように腕を伸ばし、呪文を詠唱しはじめた。
手のひらの前に、まばゆく輝く魔法陣が現れ、ぶおっと膨れ上がる。
「光の鉄槌!」
慌てて向こうも詠唱を始めるが、ジュリエットの方が早い。
「眼をつぶって!」
慌ててバートが眼を強く閉じると、パシパシパシッと聞いたことがない乾いた音がいくつも響いた。
眼を閉じていても、視界の隅に強い閃光が感じられる。
馬のいななきと悲鳴が交錯し、ドーンときてガシャーンとなにかが壊れる音も聞こえた。
「よし! 大丈夫だよ!」
顔を上げて振り返ると、追走してきた馬車は塀にぶつかって半壊、もう一台の馬車はその後ろで横倒しになっている。
後ろの馬車は追突を避けようとして、曲がりきれなかったようだ。
「目が、目がぁ〜!」
馬車から人が転がり出て来るが、皆、強烈な閃光で目をやられているようだ。
とりあえず、しばらく追撃はないだろう。
バートは手綱を口で咥えると、座席の下から救難信号用の花火を取り出した。
紐を引くと、ひゅるひゅるっと打ち上がった花火がパンと弾けて、宵空に輝きを曳きながら落ちて来る。
場所が場所だし、これですぐに近衛騎士が飛んでくるはずだ。
「社交界ちゅうところは恐ろしか。
こげなことまでやるとは」
「ほんとだよー……
私だったから良かったけど、普通の令嬢だったら普通にやられちゃうじゃん。
ていうか、バート、大丈夫?
怪我とかしなかった?」
「こっちは全然ですだ。
嬢様は? 大丈夫け?」
「私も全然。
……って、まだいた!!!」
後ろを気にしながら曲がり角を曲がった瞬間、数十メートルほど向こうに三十人ばかりの兵がわらっといるのが目に入って、ジュリエットは叫んだ。
四、五騎ほど騎士もいる。
家紋も階級章もつけていないから、正規兵ではない。
さっきの馬車の仲間が待ち伏せていたのか!とバートもぶったまげた。
来た道には戻れない。
前に逃げる他ない。
「突っ切るど!」
バートは叫ぶと、手綱を握りしめた。
興奮しまくっていたところに進路を邪魔されて怒り狂った黒王号は、逃げ惑う兵たちを追い散らすように駆け抜ける。
馬車はめちゃくちゃに揺れたが、どうにかこうにかジュリエットもバートも持ちこたえた。
駆け抜けた後は、ジュリエットが光の鉄槌を乱射。
追いすがろうとした騎士たちは、もんどり打って馬から転がり落ちた。
必死に塀に挟まれた道を駆ける。
今度は前方の広場に騎士たちが集まっているのが見えた。
「あれは……味方?」
「近衛師団の制服ば着ちょるけん、味方でがしょ?
……たぶん」
「だだだだ大丈夫だよね??」
本当に大丈夫なのか、逃げるのだったらどっちの方向がいいだろうとおろおろしているうちに、黒王号は騎士たちに止められた。
「信号弾を上げたのは、君たちか?」
金髪碧眼の超絶美形貴公子が進み出て来た。
大陸中の令嬢達の憧れの的、王太子アルフォンス殿下だ。
あわあわとバートは馬車から降りようとしたが、傍にいる近衛騎士がそのままで答えよと手振りで示した。
「ああああああ、あい!
その、こちらは、フォルトレス男爵家のご令嬢、ジュリエット様でがす。
嬢様の気晴らしにと馬車を走らせておりましたら、急に賊に襲われまして……」
「四人乗りの馬車が二台、あと歩兵が三十人と騎士が五人くらいいました!
今行けば、だいたい転がっていると思います!」
「だいたい転がっている……」
思わず口元で笑んで王太子は繰り返すと、近衛騎士達にただちに向かうよう指示した。
「さて。
君たちは念の為、保護させてもらおうか。
一通り捜査が終わるまで、王宮で過ごしてほしい。
大丈夫、男爵家にはこちらから使いを出す」
にこやかに王太子は言う。
「「えッ!?」」
なんで自分たちが王宮にお泊りすることになるのだろう。
ジュリエットとバートは顔を見合わせた。