第九十二話 【物語の管理者】
「桜花が魔女、とはどういうことでしょうか」
ユリアは必死に言葉を絞り出す。予想していなかった展開に動揺しているが、必死にそれを悟られまいと平静を装う。
画面越しのマリアは感情の篭もっていない冷たい瞳で桜花を見つめている。最早ユリアのことなど眼中にないほどに。
『星華島を先導して防衛に努めたのは、他ならぬ神薙の者・ユリアである。しかしユリアは神薙の総意に逆らっている。それはつまり、第三者の手によってユリアが洗脳されているということだ』
「お祖母様、私はけっして洗脳なんてされていません。それはここにいる全ての少年少女たちが証人です!」
『自分が洗脳されている自覚があるわけがないだろうに』
「私は、断言します。桜花は決して、私欲の為に他者を操ることなどしません!」
ユリアの言葉は届かない。マリアの言葉に諸国代表たちも迎合するだけだ。
『成る程、それならば神薙のユリア様が渋る理由にもなる』
『洗脳、か。信じがたいが、マリア殿がおっしゃるのなら事実なのだろう』
『なんと恐ろしい。魔法とはそのようなことまで可能なのか』
「あなたたちは――!」
ユリアが感情を爆発させようとしたその時、もういいとばかりに黒兎がユリアを隠すように躍り出た。
「自覚の有無、か。成る程つまり、俺たちは洗脳されていないという証明が出来ない。故にお前たちは『洗脳されている少年少女を救う為に星華島を侵略する』という大義名分を作り上げたわけだな?」
黒兎の言葉に諸国代表たちは言葉を詰まらせる。事実なのだから当然だが、それで怯むマリアではない。
『時守黒兎。お前の存在も四ノ月桜花と同様危険な存在だ』
「そうだろうな。それで、俺も排除するか?」
『代表方々、この態度を見ているか。星華島の進退についての会談で、ここまであからさまな敵意を見せてくる少年がいるものか?』
マリアはなおも挑発するかのような言動だ。黒兎もそれをわかっているからこそ、マリアから言葉を引き出す為に言葉を模索している。
相手がどれほどの脅威かわかっているからこそ、舌戦で勝るべきなのだ。
あくまでも、正義は星華島にあると結論を運ぶ為に。
「……黒兎、ちょっと待って。一つだけ、確認したいことがあるわ」
黒兎の背中に隠されていたユリアが改めて前に出てくる。冷静さを取り戻したのか、その瞳には決意が込められており、その視線はモニターではなく春秋と桜花に向けられた。
「私たちが洗脳されている、という疑いは晴らしようがない。でも一つだけ、この場で明確にしなければならないことがあるわ。春秋。あなたの【炎】は、如何なる状態も正常に戻す力と聞いているわ。そして、その情報は当然神薙の本家にも共有されている。それなら――春秋が洗脳されていないという証明にはなるわね?」
「当然だ。俺は俺自身の意志を最優先として炎が調整する。俺の心の奥底から芽生える気持ちを炎は肯定する」
春秋自身、そこまで深く考えて炎を使ったことはない。けれど星華島で過ごすようになり、平穏な生活を送ることによって炎と向き合う時間が増えた。
帝王たちとの戦いを繰り返す中でも、出力が落ちようが炎は春秋を生かす為に燃え続けていた。
ファントメアに夢に引き釣り込まれても、春秋は己を取り戻した。
桜花と月日を共にしている間、何かしらの影響を受けていれば春秋は気付く。
たとえ桜花に心を砕いていても、自身の変化に気付き認めることは可能である。
「俺は、この島に来てずっと桜花と過ごしてきた。そして桜花の島への思いを、未来への思いを感じてきた。だからこそ俺は島に残り、島の助けになると決めた。それを桜花からの洗脳と決めつけたいのなら、好きにすればいい。だが、これだけは言わせて貰う。――――俺は、桜花を愛している。俺が島を守る最大の理由は桜花がいるからだ。もしも貴様らが桜花を傷付けると言うのなら、俺は貴様の敵となろう」
「いやあなたもう少し言葉を選びなさいよ。せっかくあなたを中心に洗脳されていない事実関係を明らかにしようとしたのに……!」
「何を言っているユリア。そもそもが違う。黒兎も気付いているようだが、この展開は明らかに向こうの失策だ」
「え……っ!」
春秋に言われてユリアも理解した。成る程、と頷き、すぐに表情を引き締めた。
「そうね。うっかりしていたわ。私としたことが、前提があった所為で視野が狭まっていたわ」
反撃だ、とばかりにユリアが黒兎と春秋に並ぶ。意を決したユリアを前に、マリアは不敵に笑う。
「先に断言しておくわ。――あなたはお祖母様ではない。あなたは、お祖母様を殺し、神薙を乗っ取った簒奪者よ」
『はぁ、魔女に操られているとはいえ、孫娘にそこまで言われてしまうとは……』
「黙りなさい。そこよ。そもそも今の状況で、春秋の能力を知っていて、『桜花が魔女』だなんて言葉にするわけがないのよ。お祖母様は春秋が脅威にならないか警戒していた。私と婚約させ、身内にすることで裏切らないようにしようとしていた。それだけ春秋の力を脅威と考えていた。だから、桜花を敵に回せば春秋も敵に回ることくらいわかることなのに――それをしなかった。その時点であなたはお祖母様の思考をはき違えている。お祖母様は星華島の未来を誰よりも祈っていた、そんな人が、最も脅威として考えていた春秋を敵に回す発言をするわけがない!」
ユリアがモニターを指さす。当然そこにいるのはマリアだ。マリアは表情を変えない。
静寂。しかしその静寂を破ったのは他ならぬマリアであった。
空気が変わる。一変する。画面越しだと言うのに、一気に空気が冷え込んだ。
正面以外のモニター映像が乱れる。何事だ、とノイズ越しに諸国代表の声が聞こえてくるが、最早その言葉は誰にも届かない。
『あぁ済まない。確かにそうだった。そういう前提だったか。いやー申し訳ない。所詮はユリアの祖母という枠でしか造らなかったからね、【演じる】やり込みが足らなかった。あっはっはっは情けない情けない。感情も沸かないモブを演じるのは無駄だしやめておこう』
マリアが顔を歪ませる。邪悪に嗤う。ユリアの知っている祖母の表情ではない。
マリアはもう、隠すつもりがない。被っていたマスクを剥がすように、自らの顔面を引き剥がす。
テクスチャが剥がれていく。老齢の女性の下に、金の少女が潜んでいた。
春秋はその少女を知っている。
桜花はその少女を知っている。
――少なくとも友好的に接していた、図書館の管理人。
黒兎はその少女を知っている。
奏はその少女を知っている。
昂はその少女を知っている。
――奴がどれほど残虐で、傲慢で、最低最悪な存在かを。
【黄金の魔女】は愉快に嗤いながら金の髪を掻き上げる。
金の瞳がユリアに向けられる。ユリアだけではない。
春秋に、桜花に、黒兎に、奏に、昂に。
【黄金の魔女】を知っている者を、縛り上げるように見つめ回す。
『久しいね、春秋、桜花。久しいね、黒兎、奏、昂』
敢えて言葉を重ねたのは、出会った時代が違うからか。
春秋と桜花は、【黄金の魔女】の全貌を詳しく知らない。
相対して、異質さだけはわかっている。
けれど、彼女がどのような存在かまでは理解していない。
「いよいよ表舞台に現れたか、【物語の管理者】」
『私が名乗る前に言うんじゃないよ。……まあ、いいか』
「あなたが、お祖母様を……! 私たちを、どうするつもりなのよ!!!」
「ユリア嬢すとーっぷ。こいつとまともな会話が出来ると思うな。どうせ気まぐれ。誰かを苦しませたいからやってんだよ、こいつは」
声を荒げたユリアを昂が制する。黒兎も昂も、そして奏も【物語の管理者】の脅威を身に染みているからこそ警戒を解かない。
『いやいや、目的はあるよ? そろそろ桜花を殺す時期だな~って』
「何だよ、それは。何だよ、殺す時期って」
春秋は困惑はしているが、【物語の管理者】が敵であることは理解した。
だからこそ、桜花を殺すと宣言している相手に敵意を返す。
けれども【物語の管理者】は春秋からの敵意など何処吹く風だ。
何事もなかったかのようにどこからか取り出した本を開き、ぺらぺらとページを捲っていく。
『【四ノ月桜花は、春秋を愛する少女であり、彼女の死を切っ掛けに物語は動き出す。故に彼女の死は物語において絶対に避けられないイベントである】』
【物語の管理者】は読み上げながら言葉を続ける。
それは【設定】。つらつらと、淡々と、感情も込めずに読み上げていく。
『【時守黒兎は、神に至る者。自らの才覚を理解しているからこそ言葉足らずで周囲を困惑させる英雄の一人。物語の管理者を討つ為に奔走する、可愛い可愛い私こども】』
『【篠茅昂は、復讐者。何を犠牲にしてでも己の目的を優先する。しかしその根底には家族を強く求める願いがあり、自らの命すら容易く捨てる。私に奪われる未来を回避する為に、家族すらも裏切る覚悟を持つ少年。かわいげの無い子ほど愛おしい】』
『【茅見奏は、英雄を背負わされた者。遠い過去に縛られ、自らの在り方に思い悩む。答えへ歩み続ける者。何度屈しても必ず立ち上がる、鋼の身体と不屈の精神。ああ、愛おしい】』
『【朝凪仁は、愚直な英傑。自身の誓いを果たす為に未来すら捧げる平凡と非凡の最中にある者。未来へ邁進する一騎当千の覇者の卵。眺める分には見ていて飽きぬ】』
その場にいる少年たちについて読み上げると、本を閉じる。
『この世界は、どう生み出されたと思う。宇宙創造のビッグバン? 創造神による混沌創世? どちらも違う。この世界は――――【物語の管理者】によって書き記された、文字で紡がれる物語だ』




