第八十一話 この想いが、愛と言うのなら
半ば強引に桜花を連れて、春秋は家に戻ってきた。
桜花は桜花で頬を赤く染めつつも春秋に引かれる形で抵抗することなく付いてきた。
玄関を閉じると、春秋はもう我慢出来ないとばかりに桜花を抱きしめる。
「春秋さん、どうかしたんですか?」
「……俺は、あてのない旅を続けていた。終わりの見えない、終わりのわからない旅を続けてきた」
春秋が独白を始める。桜花を抱きしめているのは、抱きしめたい強い感情と、どんな表情をしているかを見られたくないから。
桜花はそっと春秋の背中に手を回して抱きしめ返す。密着した春秋は、淡々と過去を振り返る。
「いつから始まったのかわからない。始まりも終わりもわからない旅だった。目的もなく、終わらせる理由も無かった旅路。その果てで、俺はこの島に来た。導かれるように、《ゲート》を通って。だからこそ、お前の『願いが叶う』という言葉に惹かれた」
春秋は過去を覚えていない。覚えられないほど長い旅だった。
幾つもの世界を旅して、いくつかの世界を守って、いくつかの世界を滅ぼした。
帝王の世界を踏破して、ハルクと出会い、そして別れた。
記憶はいつも色褪せて、自分が何をしたいのかもわからないまま放浪していた。
誰にも自分のことを語ったことはない。だからこそ、桜花の『願いが叶う』という言葉に興味が涌いた。
「これまでのどんな旅よりも、長い滞在だった。朝凪や、シオン、神薙、そして桜花と過ごす内に……俺は、一つの場所に拘るのも良いと感じていた。星華島に来て、俺はようやく『仲間』というモノの大切さに触れた。いや、違う。違わないが、違うんだ。お前だ。お前が、俺に、一人じゃない暖かさを伝えてくれた」
「あ……っ」
抱きしめる力を強くする。壊れてしまわないように必死に力加減を考えて、それでも離したくないと桜花を必死に抱きしめる。
「水帝を倒し、疲れ切っていた俺をお前は癒してくれた。今までずっと、誰かに襲われるかもしれない可能性を考えて旅をしていたからか、眠れないようになっていたのに。お前といると、自然と眠れた。お前が、俺を傷付けないとわかっていたのかもしれない。それだけじゃない。お前が、桜花が、俺を受け入れようとしてくれていたから」
過度に眠れず、それでも活動出来る春秋だったがそれでも限界はあった。
常に緊張していた春秋を和らげたのは、他ならぬ桜花だ。彼女と寝食を共にするようになって、春秋は普通の人間らしい生活を送れるようになった。
「俺が傷を負うと、俺じゃないのに悲しんで。俺が島の誰かと仲良くすると、自分のように喜んで。雷帝との戦いを終えて眠っている間、ずっと考えていたんだ。桜花は、無感情な俺の分まで感動してくれていたんだと。誰かの為に想いを、言葉を繋げてくれるお前の存在が、どれほど俺を救ってくれたか」
抱きしめていた力をそっと弱くする。釣られるように桜花も力を弱め、少しだけ身体を離す。
至近距離で春秋と桜花は見つめ合う。頬を赤く染める桜花に、自然と吸い込まれる。
「帝王を倒し、篠茅との戦いが始まって、島の外のことも関係してきて……俺はいつの間にか、この島にいたいと考えていた。居心地の良いこの島――いや、お前の傍にいたいと。神薙との婚約について聞かされた時はなんとなくだったけど、ようやくわかったんだ。俺は、お前じゃなきゃダメなんだ。俺を世話するからとか、そういうのじゃなくて。俺は、四ノ月桜花が傍にいないとダメなんだ。これがどんな感情なのか、わからなかった。でも、今ならわかる」
「春秋さん……っ」
桜花の両手がそっと春秋の首に回される。
受け入れてくれている。桜花のそんな小さな仕草だけで春秋は桜花の全てを察する。
「好きだ、桜花。俺は、お前が欲しい。ずっとずっと、俺の傍にいて欲しい。お前の隣が、暖かい世界なんだ。――俺の願いは、お前と生涯を共に過ごしたい。俺は、お前と出会う為に旅を続けてきたんだ」
「っ……!」
春秋の言葉を聞いて、桜花の瞳から大粒の涙が溢れた。
「私も、私も、好きです。大好きなんです。ずっとずっと、あなたのことが好きだった……っ!」
悲しむ顔も、喜ぶ顔も桜花は春秋に隠さず見せてきた。それでもなお、本音を曝け出すことはしなかった。
桜花はずっとずっとずっとずっと、春秋のことが好きだった。出会った時から、いや、それ以上昔から、ずっと。
四ノ月桜花は、炎宮春秋と結ばれる為に生まれた来た。そう本人が断言するほどに、桜花は春秋を慕っていた。
「実は、小さい頃から春秋さんを知っていたんです」
「そうなのか?」
「はい。十年以上前に、私は異世界に飛ばされてしまったことがあるんです。大きな荒野が見下ろせる世界で、猛獣たちと戦い続ける春秋さんをお見かけしたんです」
春秋はその頃の記憶は覚えていない。どんな世界だったのか、どんな相手だったのかも。
けれど桜花はハッキリと覚えている。それほどまでに印象的だったのだろう。
「春秋さんを見て、寂しそうな顔をしていました。何かを求める顔をしていました。その時からずっと、あなたを満たしてあげたいと思っていたんです」
「一目惚れって奴か?」
「はい。そういうことになります」
少し恥ずかしいことを言い出した桜花を誤魔化すようにからかってみたが、桜花は真っ直ぐ春秋に好意をぶつけてくる。くすぐったいようで、とてもとても心地良い。
「もしも、もしもあなたがこの世界に来たのなら、私は全部を差し出して、あなたを幸せにしたいと想っていました。島では大変なことが起き続けてましたが……きっといつか、あなたと出会えると信じて、私は今日まで生きてきました」
「凄い執念だな。そんなに俺は寂しい顔をしていたのか?」
「笑顔を見たいと、思うくらいです」
「そうか」
くすりと微笑み合い、少しの間二人は何も語らず見つめ合う。
そっと、桜花が春秋の首に回していた腕に力を込めた。
力を込めて春秋を抱き寄せ、瞳を閉じる。
意図を察した春秋が、ぐい、と桜花を抱き寄せる。
「桜花。愛してる。これからずっと、一緒にいよう。本当の夫婦になろう」
「はい。愛しています、春秋さん。私はあなたと、ハッピーエンドを迎えたい」
微笑み合い、そっと唇を重ねる。
形だけの夫婦であった二人が、本当の夫婦になる瞬間であった。
お互いを求め、強く抱きしめ合う。想いを通じた二人は、がむしゃらにお互いを求める。
春秋は、心の底から幸せを感じていた。
胸の奥から桜花への愛が溢れ続ける。くすぐったくてこそばゆくて、どんな言葉を吐いても形にしきれないむずがゆさを感じる。
でも、そんなむずがゆさがとてもとても心地良くて。
桜花と見つめ合って、微笑み合って、重なる感情が嬉しくて溜まらない。
だから、何度でも口にする。溢れた想いを言葉にする。それでも足りない時は、桜花を抱きしめてキスをする。
「桜花、愛してる」
「愛しています、春秋さん」
春秋は、己の居場所を見つけた。長い長い旅を終えて、自分が居たいと思える場所を手に入れた。
愛する人と暮らしていきたい願いを手に入れて、愛する人と過ごす幸せを手に入れて。
†
――――――――英雄は、旅の終着点に辿り着いた。
長い長い旅を終えて。
長い長い時を超えて。
願いに気付いた英雄は、望みを叶えて幸福を手に入れた。
――――――――――――――――否。
ここからが、始まりだ。
これまでが、序章だったのだ。
全てを手に入れた英雄だが、まだ、手に入れていないモノがある。
これは英雄がハッピーエンドへ至る物語。
そして断言しよう。
英雄は、まだハッピーエンドを迎えていない。迎えてはいけない。
なぜならそう、お前はまだ、私の願いを叶えていないから。
お前が英雄であるというのなら。
私の願いを叶えておくれ。
黄金の英雄よ。
お前はまだ、旅を終えてはならないのだ。
故に、物語を歪めよう。
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