第七十五話 死と雷を呑み込んで
「っ――――!」
「往生際が悪いっ!!!」
「簡単に命を捨てるほど浅はかではないからな!」
黒兎は追い詰められていた。
自らの終焉の闇の力は通じず、巨大質量となるオリオンの一撃ひとつひとつがまともに受ければ致命傷となる。
回避に徹し、受けきれる場面は防御し、攻勢の瞬間を伺っている。
けれどそれも時間の問題だ。
黒兎の体力は無尽蔵ではない。
これが春秋ならば命の炎によって半永久的に攻防を続けることが出来たかもしれないが、黒兎の力はあくまでも『敵を倒す』為の力でしかない。
終焉の闇の力は、命の炎やアルマ・セリューヌと異なり万能ではない。
奪うだけの力だ。命を喰らい、命を奪う死の力。
敵の排除の点においては終焉の闇以上の力はない。
けれど逆に、その力が通用しないのであれば。
黒兎の中で時間を稼ぎ、救援を待つという選択肢は最初から存在しない。
天獄の帝王オリオンの目的が自分であるのなら、他の脅威となる存在の足止めは徹底しているだろう。
故に、この場は自分一人で切り抜けなければならない。
そこについては心配していない。
どんな時も、救援を求めるような考えをしないのが時守黒兎だ。
四年前、大人たちがいなくなってから。
当時の最年長である先輩たちが命を捨てていって。
その時からずっと、ずっとずっとずっとずっと。
黒兎はずっと、全部一人で背負うと決めていた。
"神薙ユリアは生来の性質として、島を守る為に最善を尽くす"
"四ノ月桜花は生来の性質として、島を守る為に最悪を回避する"
二人の少女の導きによって、島は結束していく。
ならば、自分に出来ることは。
決まっている。
二人では出来ないことを、するべきだと。
それは何か。
二人は、優しすぎる。どこかで、選択を出来ない状況が来る。
その選択を、自分がするべきだ。
二人に背負わせない為に。
――――思考を切り替える。
最低限の回避で。
最低限の防御で。
自身を『死』なないようにして。
「この、一撃でぇぇぇぇぇっ!!!」
オリオンの刀が振り下ろされる。
直撃すればいとも容易く黒兎の身体は両断されるだろう。
双剣で受け流すことは出来る。
けれど、それでは状況は変わらない。時間をかければかけるほど島は天獄からの《侵略者》であふれかえる。
それは同時に出撃しているクルセイダースへの負担になる。
誰かが怪我をする。下手をしたら死ぬかもしれない。
だからこそ、ここで選択をする。
オリオンの一撃を、受ける。
左腕の感覚が失われる。
激痛が走る。けれども直視しない。
死なない。死なない。大丈夫。大丈夫。大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫だから。
オレは、こんなところで死ぬわけにはいかないから。
「――――ッ!!!」
「え――……なん、で」
祈が動揺した。
覚悟を決めた少女とは思えない、いつもの祈の表情で。
その瞬間を、黒兎は待っていた。
「捉えたぞ、水原祈ッ!!!」
「――――」
動揺し、一瞬でも動きを止めた祈へ向け右の剣を投擲した。
触れれば死ぬ力が込められた漆黒の雷を。
祈の父が殺された雷の力を。
掠るだけでも死に至る刃は、寸でのところでオリオンの左腕に弾かれた。
「あ――ぶないっ!」
「っ……」
失敗した。いや、失敗して当然だ。
今の一撃は、明らかに黒兎"らしくない"。
命を奪うと決めて。
死なないからと命を犠牲にして。
そんな狭まった選択をするのは、時守黒兎のすることではない。
「……焦っていた、か。……~~~っ」
いくら『死』なないといえど、痛みを失うわけではない。
失った左腕を身体が求め激痛を訴えてくる。
たまらず膝を突いてしまうほどの激痛だ。
「あなたが、そんな選択をするとは思いませんでした」
「そうだな。……俺も、そう思った」
「だからこそ意表を突かれましたが、オリオンの力は甘くありません」
祈が手を翳し、オリオンの腕が刀を振り上げる。
もう黒兎に次の一撃を受け止める手段はない。
これ以上は死なないにしても、一方的な戦いになるだけだ。
「首を落とせばさすがにあなたも黙るでしょう」
「そうかもしれないな。だが首だけでもお前の首筋をかみ切ることは出来るかもしれないぞ?」
「安心してください。死なないのだからオリオンの両腕で潰して天獄へ持っていきます」
切り札がないかと問われたら、あるにはある、と黒兎は答えられる。
けれどそれは一か八かの切り札で、今の状況では使えない。
絶体絶命、と言ったところか。
だからといって諦めるわけではない。両足に力を込めて、強い決意の眼差しで祈を睨め付ける。
「水原祈よ」
「なんですか?」
「俺をオリオンに捧げるのであれば、一つだけ約束しろ。――――島を、守れ」
「っ……。そんなことをあなたが言い出すから、誰もあなたを責めれないんですよ!!!」
「そうか。だがそれでもいい。俺はこの島の全てを背負うと決めた。彼らの命が散ったあの日に、神薙ユリアが出来ない選択肢を選ぶと決めた。それが俺だ。それが、時守黒兎の生き様だ」
「だまれ、だまれ、だまれ、だまれぇぇぇぇぇぇぇっ!」
オリオンの刀が振り下ろされる。生み出した双剣で受け止めようとするが、今度は受け流すことも出来ないだろう。
死は、怖くない。
この島には、後を託せる者たちがいるから。
「諦めてるんじゃねえぞ、黒兎ぉっ!」
「――四ノ月春秋?」
予想外の救援が駆けつけた。この島に残された戦力の中で、最も頼りになる少年が。
黄金の炎を纏った春秋は、振り下ろされたオリオンの刀から黒兎を救出する。
「四ノ月春秋、間に合ったのか」
「ああ、篠茅がいきなり逃げ出したからな」
「そうか。お前が来たのなら……」
春秋はすぐにでも黒兎の治療を開始しようと炎の変換を始めて、そして黒兎がそれを止めた。
その口元は笑っている。まるで待ち望んでいた最後のピースが揃ったとばかりに、痛む身体に鞭を打って立ち上がる。
「四ノ月春秋」
「いいから黙ってろ。さっさと治療しないと治りが悪くなる」
「ここでむざむざ治癒の時間をくれるほど、水原祈は甘くない」
「だが……」
春秋からすれば、黒兎の治療と祈の救出であれば前者を優先する。
それほどまでに春秋は黒兎を仲間と考えているし、同時に水原祈の救出は後回しにしても問題無いと判断している。
昂の《ギア》による汚染は春秋の炎で打ち消せる。
それはシオンの時で明らかになっていることであり、だからこそ春秋は今の今まで足止めされていた。
「それよりも、だ。俺はこれからある選択をする。それを見届けた上で、お前にしてもらいたいことがある?」
残された右腕に、力を集める。
出来上がるのは、無表情の仮面。
それを見た春秋が驚愕の表情を見せる。
「俺が壊れたら、お前が俺を殺せ。今のお前なら、出来る」
「黒兎、お前は――――」
「任せたぞ、春秋」
珍しく、下の名前だけで友の名を呼んで。
春秋の参戦に次の選択を考えていた祈の前に立つ。
そして、無表情の仮面を被る。
――全身に電流が走るような感覚。そして、同時に聞こえないはずの声が聞こえてくる。
"ああ、この声はあまりにも不快だ"
"奇遇だな。俺も不愉快だよ時守黒兎"
"それでも、だ。今の状況全てを考慮して、俺がするべきことだと判断した"
"いいぜ。いいぜ。いいぜ。全部が終わって俺の理想通りならもう一度春秋と殺し合える。ならば俺が力を貸さない理由がない。さあ、さあ、さあ殺しに行こうぜ時守黒兎、俺が、俺たちがぁっ! 新時代の、『雷帝』よぉっ!!!"
「「――――覇王君臨」」
それは、神すら殺す神殺しを越えた者。
超越者と、超越者に並ぶ帝王が真に一つとなる。
「雷帝の、力――――!?」
「往くぞ、水原祈。お前の父を殺した力で、お前を止めるっ!!!」
「忌々しいことをぉおおおおおおおお!!!」
失った左腕が雷によって再生する。黒兎の肉体の原型は止めたままに、半身を覆うように甲殻が覆っていく。
覇王君臨は、溢れ出る力を生物の姿に押し込むことで強引に制御する帝王の切り札だ。
水帝は半人半竜に。地帝は半人半獣に。風帝は空を支配する猛獣へ。
その姿形は歴代の帝王毎に異なるもので、今の姿もまた、黒兎と雷帝が混ざり合ったからこそ新たな姿となっている。
恐らく、雷帝の《核》がもう少しでも残っていればマシな姿形をしていたのかもしれない。
結局のところ、今の黒兎に残っていた雷帝の力は欠片の中の一部分くらいでしかなくて。
だから、こんな半端な覇王君臨。
半人半獣を名乗るのも烏滸がましい。
人間に生物が混ざった、キメラのような歪な姿。
人の身で、甲殻を身に纏う。溢れる雷と死の力を制御する気も起きない。
取り戻した左の腕はとても人のモノではない。
爪だ。
黒兎の肩の切断面から、蟹の爪が直接生えている。
とても人の腕としての可動も機能も期待出来ない左腕。
でも、これで十分なのだ。
身体の奥底から溢れる力に従って、時守黒兎は地面を蹴る。
その左腕に、祈りと呪いの力を込めて。
「後始末を託せるのだから、思いっきり戦っても問題無いなっ!!!」
「だまれ、だまれだまれだまれだまれ。お父さんを殺した力で、私に迫るなぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああ!!!」
祈は泣きじゃくりながらオリオンの刀を振り上げる。
左の爪と刀が激突し、衝撃が世界へ伝播して。
あっという間に、左爪が砕けた。
黒兎が笑う。声を上げた時には左爪が再生する。
死を否定し、溢れる力の制御を止めて。
脳が焼き切れそうなほどの苦痛を味わいながら、黒兎は何度でも左の爪を振るい続ける。
――――気が狂いそうになるほどの痛みの中で、黒兎の脳裏に過ぎる光景。
それは、かつての、あの日の出来事。
そもそも、だ。
前提が違うことを、黒兎自身すら気付いていない。覚えていない。
時守黒兎は、《ゲート》の使い方を知らない。
では何故。
時守黒兎は、《ゲート》を経てイザナミの存在する異界にたどり着けたのか。
嗤う。嗤う。嗚呼、嗤う。
■■■が嗤う。
おめでとう、黒き兎。お前もようやく、辿り着いた。




