第六十三話 神薙の真意
「「お帰りなさいませ、お嬢様!!!!」」
車を降りたユリアと奏を黒服たちの声が迎える。
誰も彼もが黒服にサングラスを付けており、遠目に見ればみんな同じように見える。
それぞれ背の高さや体格、髪型など違いがありしっかりとした別人だ。
けれど彼らの声は抑揚まで全て一致しており、まるで一人の人間だと勘違いしてしまうほどだった。
「お嬢、戻って来てくれたんすね! さすが俺の嫁っす!!!」
黒服たちの中で一際目立つ青年が二人いた。
一人はサングラスすらつけておらず、ボサボサの金髪を書き上げながら人なつっこい笑顔でユリアを迎えている。
「フー、ユリア様の前である。無礼は控えよ」
もう一人はどの黒服よりも体格の優れた青年だ。
サングラスで視線は隠され、毛髪は無い。とはいえ黒服の上からでもわかるほど筋骨隆々の身体付きをしている。
彼らが声を出すだけで他の黒服たちが身を引き締めた。
それだけ彼らが別格、ということだろう。
「フー、ティエン。大事は無いわね?」
「俺がいる限りトラブルなんて起きねえっすよ。"シャンハイズ"も健在、暇すぎて星華島の手伝いに行こうかと思ったくらいっす!」
「申し訳ありませんユリア様。フーをすぐに黙らせます」
犬のようにユリアに迫るフーをティエンが制すると、すぐさまフーがティエンに噛みつく。どうやら根本的にこの二人は仲が良くないようだ。
ユリアはそんな二人を眺めながら微笑んでいる。島では見たことがない表情に少しだけ奏は感心する。
「おーやるかティエン。299戦149勝1引き分けの俺に喧嘩売ったこと後悔させてやるが???」
「良いだろう。ならば今日ここで貴様に引導を渡してやろう」
「はいはい黙りなさい二人とも。私の用事を長引かせない!」
「「了解!!!」」
白熱し始めた二人の間にユリアが割って入る。すぐに二人は大人しく引き下がり、改めてユリアに向かって頭を下げた。
二人は奏の存在を意に介していない。気にして欲しいわけではないが、あからさまに無視を決め込まれては気分の良いものではない。
だが奏は静観を決め込む。ここは自分にとって未知の土地であり、頼りになるのはユリアしかいないからだ。
そのユリアにも昂との件で警戒をされているのだから、不用意は発言はしないに限る。
「お祖母様のところへ案内して」
「うぃっす。ババアは獅子王の間で待っていると言付けを預かっております」
「ここから先、我ら二人が護衛に付きます。よろしいですね?」
ティエンがユリアと奏の間に割って入る。それほどまでにユリアを優先したいのか、はたまた。
「あら。"シャンハイズ"のトップ二人が付いてくれるなんて頼もしいわね。でも心配は要らないわ。そこの奏はアナタたちより強いから。行くわよ、奏」
「は? ちょ、ちょっと神薙さんよぉ!」
ユリアがティエンを一蹴すると、フーとティエン二人の視線が奏に向けられる。
鋭い視線だ。殺気を隠そうともしない。あからさまに奏を敵視している。
何故そこまで初対面の奏を敵視しているのか奏にはわからない。
だがユリアが付いてこいと言っているのだから従うべきだ。恐る恐る二人の横を通り過ぎ、ユリアの後を追う。
「ッチ。選ばれた島のガキだからって調子に乗るんじゃねえぞ……」
「我らシャンハイズ、総帥様の命さえあれば馳せ参じるというのに……!」
通り抜ける様に、奏にだけ聞こえるように呟かれた言葉。
それは奏を敵視している理由であり、それはユリアを守りたいという意志から来るものだ。
奏はほんの少し、二人のことを好意的に感じた。島を守りたい思いではないけれど、二人にとってそれだけユリアが大事な存在であり、守るべき存在であるのだと。
守るべき存在がいるのなら、その人は良い人だ。
奏の持論であり、島を守る上で大切にしたいと思っている感情。
「奏、急ぎなさい」
「了解!」
フーとティエンは後からユリアと奏を追ってくる。会話も出来ないくらいの距離を開けているのはユリアに配慮しているのだろう。
勝手知ったる屋敷だからかユリアは当然のように迷わず廊下を進んでいく。木造の廊下は歩く度にギシギシと床が鳴る。
あまり慣れない感覚だが自然と心地の良い音だ。
壁は和風の装飾が施されており、時折現れる襖にはそれぞれ名前が記されている。
龍王、天王、虎王、蒼王、紅王。全てに"王"の名が共通している。
気になるのは、通りがかった七つの部屋。
どれもが名前を消されており、襖は固く閉ざされている。
目的の部屋が見えてきた頃合いで、重い空気に耐えられなくなった奏が口を開く。
「…………神薙さん、この先にいるのって」
「私のお祖母様――神薙財閥を立ち上げ、世界を裏から牛耳っている大怪物。女帝とも言われているわ。まあ無礼を働けばあなた一人くらい簡単に消すことが出来るわ」
「え……そんなやばいんですか…………」
「そもそも神薙財閥は世界ナンバーワンの財閥よ。経済にも、政治にも、世界のありとあらゆるものを支えていると言っても過言ではないわ。それら全てを掌握し、事実上世界の頂点にいる存在。それが私のお祖母様――神薙マリアよ」
説明が終わると丁度ユリアが控えている"獅子王の間"に到着する。
慌てた様子でティエンが襖を叩き、返答を待たずに開いた。
ユリアが一歩踏み出し、奏も続けて獅子王の間へ足を踏み入れる。
「――――!」
途端、奏の全身を悪寒が駆け巡った。ここにいてはならないと本能が訴えてくる。
慌てて廊下に飛び退いたほどだ。その身のこなしにフーが驚いている。
「客人、無礼を働くな。神薙総帥の前であるぞ」
「っ……!」
言葉が出ない。口を開くことさえ忘れてしまうほどの威圧感。
奏はこのプレッシャーを知っている。よく似た相手を知っている。
それは、自分の心を折った■■■の――――――。
「ユリア。戻ったわね」
「戻りました。とはいえ要件を済ませたらすぐに島へ帰ります」
「そう。ならば手短にしましょう。そこの茅見くんも、ひとまず落ちついて座りなさい」
冷や汗が止まらない。けれどその声には不思議と従わざるをえない。
深呼吸をして、改めて獅子王の間へ踏み込む。
畳が敷き詰められた獅子王の間。
上座には衝立が置かれており、声はその奥から聞こえてくる。
衝立に向かい合うように、ユリアと並んで畳に座った。
フーとティエンの二人は入り口で待機しており、どちらも奏の行動に警戒しているようだ。
「ユリア、カムイの開発は順調かしら」
「はい。生産体制も整い、運用も問題ありません」
「ならいいわ。本題に入りましょう」
声だけで身体が震えるほどのプレッシャーだ。だというのにユリアは平然とマリアの言葉に答えている。
慣れているのか、それとも自分が萎縮しすぎているのか今の奏には判断が付かない。
しかしながら、ユリアの次の言葉にはさすがに耳を疑った。
いや、冷静に考えればその考えに至るのは当然なのかもしれない。
それほどまでに自分たちは追い詰められていた、と改めて奏は思い知る。
「炎宮春秋の処分、または追放はまだなのかしら」
「彼とは新しい契約を結びました。島への滞在を対価に、恒久的に島を守ることを約定しました」
「異界の少年がそのような安い契約で従うと思っているのかしら?」
「彼は信用に足る人物です。事実、彼が命を賭けてくれたからこそ永遠桜は守られました」
マリアの言葉にユリアは一歩も退かない。
考えてみれば当然だ。元から島に住んでいた少年少女であれば島への執着がある。どれほど強力な力を手にしても、島への思いがあるからこそ裏切らない。島を守ることに尽力する。
けれど春秋は違う。島を守る理由がない。それを【契約】――しかも、島に滞在することを認めるだけで戦う理由にするには安すぎる。
ユリアは春秋を信用しているからこそそれで十分と判断している。
けれどマリアはそうはいかない。世界を裏から支配している存在として、少しでも可能性は排除しなければならない。
「彼が島を裏切り、永遠桜を手に入れようとする可能性がないと何故言い切れるの?」
「彼は永遠桜を手に入れなくとも七の帝王を退かせる力があるから、です」
「ではそんな彼が何故島への滞在を希望した? よもや島で暮らしたい、なんて戯言を真正面から信用しているの?」
「信用しています。それほどまでに、彼は真っ直ぐ、裏のない人物です」
ユリアは春秋に全幅の信頼を置いている。それは奏も同じだ。
帝王たちとの戦いは、春秋がいなければ絶対に勝てなかった。
黒兎ですら利用された。シオンですらギリギリ一人を倒せただけ。
今の平和が春秋のおかげで成り立っていることは痛感している。
「ユリア。仮にあなたの言葉を信用するとしましょう。――けれど、それは私があなたという『家族』を信用しているからです。私の言いたいことがわかるでしょう?」
「……はい」
一歩も退かないでいたユリアが、たじろいだ。マリアの言葉はそれだけ重いものなのだ。
「私が納得しようと、世界は納得しません。ユリア。すぐにでも炎宮春秋が島にいる理由を用意しなさい。出来ないのであれば、彼は世界の脅威として排除しなければなりません」
「っ、それは――――」
「単身で帝王を撃退する力は素晴らしいわ。でもよく考えなさい。それが私たちに向けられない理由はあるの? 私は爆弾を星華島に置く判断は認めないわ」
世界から、島の外から見た炎宮春秋という人物像。
少年の見た目をしていて、なのに誰よりも圧倒的に強い存在。
もし彼が世界に牙を剥いたら? 世界を滅ぼせる帝王たちすら倒した存在が、敵に回ったら?
「……そもそも、彼は異界の出身です。私たちの常識で縛ろうとしても無駄だと思いますが」
「それで世界を納得させられるのなら、あなたがしなさい」
「っ……」
ユリアの言葉は的を射ている。
結局の所、島の外は『安全』かどうかを知りたいのだ。
それが『島で暮らす』などという理由などではなく、もっとちゃんとした形で欲しいと。
「ユリア。あなたはまだ処女だったわね?」
「……はい」
突然の言葉に面食らう奏だが、ユリアは躊躇いつつも言葉を返す。
気丈に振る舞っているものの、その後ろ姿は少し震えている。
恐らく、ユリアにとっても神薙マリアという人物は巨大すぎるのだ。
「炎宮春秋に告げなさい。神薙財閥総帥からの"命令"として。――神薙の婿に入りなさい。島を守る存在になりたいのであれば、ユリアの夫となり、神薙の一員として尽くせと。それならば、少しは世界を説得できるでしょう」
マリアからの提案は、言葉にするのならば政略結婚だ。
春秋の自由を奪う為に。春秋の牙をもぐ為に。
そして、神薙財閥がより強い力を手に入れる為に。




