第六十一話 有りはしたが無かったこと
「……あー、しんど」
逃げおおせた昂は商店街の路地裏に身を潜めた。
星華島は四年前に大勢の大人が消えた名残が今も残っている。この路地裏を形成する建物群もかつては大人が使っていた建物の合間に存在している。
だからこそ人通りはほとんどなく、潜むには格好の場所だ。
とはいえ、そこまで広くないこの星華島に隠れ潜める場所などたかが知れている。
ここを拠点にするとしても、一時的なものにしかならないだろう。
炎宮春秋、そして時守黒兎の二人がここを見逃さないわけがない。
けれども今は捜索にまで手が出せない、と昂は踏んでいる。
二人にとって共通の大切な仲間――時守シオンの看病がある限りは。
怪我の功名だが、我ながら人選が素晴らしかったと自画自賛する。
「は~。黒兎の相手は荷が重いんだよ」
ナノ・セリューヌを解除しながら冷たいコンクリートの上に寝転がる。
見上げた左手には黒い罅が走っている。意識を集中させ、体内を巡るナノ・セリューヌを左手に集めていく。
罅が見る見るうちに塞がっていき、元通りの手となる。
「あれだけ対策をしたって僅かな接触でこんだけ機能が止まるんだ。ったく、チートすぎるだろ……」
黒い罅は、黒兎の力の残り香だ。死に直結するほどのものではないが、左手の感覚はほとんど失っていた。
どこで触れたかもわからないが、黒兎の力は着実に昂を削っていた。だからこそ必要以上に黒兎を煽り、少しでも冷静さを奪わなければならなかった。
「次はどうすっかなぁ」
身体を起こし、空を見上げる。するべきことは決まっているが、何事にも順序立てが必要だ。
目的の為にも、間違えてはならない。
「やっぱり、ここを拠点としますよね」
「……っ!」
声が聞こえたと思って振り返れば、路地裏の入り口を塞ぐように赤い髪の少女が立っていた。
四ノ月桜花。リベリオンに籍を置く非戦闘員。
春秋の世話役、という情報までは知っている。そして、彼女の【予言】が幾度となく島を災厄から守ってきたことも。
「よ、四ノ月桜花。一人でわざわざなんの用だ?」
桜花は誰も連れていなかった。
戦えない少女ひとりが、島の敵の前にむざむざ姿を現す理由がわからない。
「確認、です。先ほどの戦闘は全て中継で見させて頂きました。その上で、貴方に聞きたいことがあります」
「ほう。俺が返事をすると思って?」
「答えてくれると考えています。貴方は私に興味がないですし、私を傷付けることは、貴方の目的にそぐわないので」
桜花の言葉は真実を告げていた。
昂の目的の中で、極めて『してはならないこと』。それは正しく桜花へ危害を加えないことだ。それを要因とした結果は想像に容易く、それをしてしまったら、昂の目的は達成できない。
「……俺の目的を見抜いている? まさか。言葉にしてないし、要素も出していない。だから――」
「ええ、でも、貴方が使った『巻き戻し』によって、ある程度の推察はできました」
「まじ? 知覚したのか。ウサギちゃんでもできなかったのに」
「私はこの中では異質なので。……えぇ、そうです。貴方と同じ」
桜花の口が動く。何かを示す言葉をあえて言葉にせず、口の動きだけで表現する。
それで昂もまた察した。目の前の少女が、自らと同じ罪を背負っていることに。
「そうか。それがお前の【予言】か、四ノ月桜花……!」
「そうです。―――“管理者”から与えられた権能です。とはいえ、私の【予言】は精度も低く期待値程度ですが」
その言葉を聞いた昂はこれ以上の会話は避けるべきだと判断した。
本来であれば言葉にできない言葉を形にした桜花。
それを踏まえた上であれほど言葉にできなかった単語を口にしている。
危険だ。
自分が、ではない。
桜花が、ではない。
――――全てが、危うくなる。
「四ノ月桜花。お前のことは理解した。そして俺の目的を察した経緯も理解した。その上で、俺から頼みがある」
「はい」
「俺はお前の目的を語らない。墓まで持っていこう。だから俺の目的も伏せておいて欲しい。可能な限りでお前の望みを聞き入れる。そこまでの条件を出させてもらう」
昂からすれば有り得ないほどの譲渡。だがそれでも、伏せなければならない事実もある。
昂の言葉に、桜花は素直に頷いた。
「私はリベリオンの者として、【篠茅昂が路地裏に逃げ込んだのを見た】と報告します」
それは、会話をした、という事実をもみ消す意味だ。
リベリオンへの明確な裏切りとも言える行為だ。
けれど、桜花からすれば裏切りでも何でも無い。
桜花の【予言】は島を滅びから守る為のものであり、昂を相手にして【予言】は発動していない。
それはつまり、島の脅威を取り逃がした、という結論に至らない。
ましてや桜花は非戦闘員だ。そんな彼女に昂を取り押さえろと言っても無理な話である。
故に、桜花は個人としての交渉が可能となる。
「交渉成立だ」
「特に追加でのお願いはありません。……ああ、けど、一つだけ」
会話の主導権はあくまでも桜花だ。手を出せない昂は一方的に桜花の言葉を待つことしかできない。
その間に次に逃げ込む場所を想定しておく。いつ如何なる時も次を仮定して行動する――それは、育ての親から教わったことだ。
「春秋さんを傷付けることは、許しません。あの人は、私が幸せにします」
「ははは。俺の目的を理解していてその言葉を選ぶか。――わかったよ。“善処”する」
こればかりは確約ができない。濁すことしか出来ない。
なぜならば、昂の目的には春秋が含まれているから。
話は終わりだとばかりに桜花が背中を向けた。
無防備な背中。
今すぐにでも武器を放り投げれば容易にその命を奪えるだろう。
命を奪わなくても、シオンを洗脳したように首輪を装着させることも出来るだろう。
けれどしない。それは昂の目的に掠りもしないから。
「感謝の礼として、独り言を呟かせてもらおう。――俺は“外”も“異界”も巻き込むからな」
桜花は答えない。確実に届いているが、答えない。
桜花と昂はここで出会っていないし、会話もしていないから。
お互いがお互いの目的の為に定めたことだ。
桜花の姿が見えなくなったところで、昂はもう一度空を見上げた。
「……やりづら! ありゃこの島で一番厄介だわ。一つでも選択を間違えたらウサギちゃんより脅威になる」
炎宮春秋と会話をした。
時守黒兎と会話をした。
朝凪仁と会話をした。
時守シオンと会話をした。
茅見奏と会話をした。
その上で。
誰よりも、手強いと感じた。誰よりも、敵に回してはならないと理解した。
この島を本当の意味で守っている【予言】の少女、四ノ月桜花。
――――彼女の【執念】を見抜いたのは、敵となった昂が最初であった。




