第六十話 憧れたからこそ
「あ、え、はや、すぎ……!?」
ジンカムイを駆使し、シオンはかろうじて春秋の猛攻を受けていた。
けれど全て防げいているわけではない。アルマ・テラムを使用した春秋の高速戦闘にシオンはついて行けていない。
目で追えない。反射で追えない。ジンカムイがたまたまあったから受けれているだけで、春秋があえてジンカムイを狙っていることすら理解出来ないほどだ。
これが、炎宮春秋。
これが、島を守った異界よりの《来訪者》。
これが、師と仰ぎ慕った少年。
これが、彼が今出せる全力にして最大。
追えない。防げない。間に合わない。
なのに、なのに、なのに。
「あは……ししょーは、やっぱり凄いや……」
嬉しくて、たまらない。胸の奥から歓喜の感情が溢れてくる。
憧れて、いつか追いつきたいと思った背中。邪険に扱われつつも、それでも戦いに関してはしっかり面倒を見てくれる、優しい人。
そんな人が、自分に全力を向けてくれた。
それは自分を対等な相手と認めたからこそ出してくれた、切り札。
「ししょー、ししょー、ししょー! ボクは、ボクはあなたに追いつきたい!!!」
「そうか。だがお前ではまだまだ俺には敵わない」
「っ、う、ぐ……だと、してもぉ!」
ジンカムイを剣へと変えて、春秋がいるであろう場所へ振り下ろす。けれどそこにいる春秋はすでに残像。
空を切ったジンカムイを引き戻す前に、春秋の拳がシオンに届く。
「ぐ、あぁっ!」
縦横無尽。あらゆる方向から繰り出される春秋の攻撃を防ぐ手立てはない。
急所だけは突かれないように構えているからか、致命傷はない。けれど着実にシオンはダメージを重ねていく。
「アルマ・テラムによる高速戦闘は未だレギンレイヴすらも耐えられない。故に時間は掛かるが、今のお前に、これを破る術はない」
肩に激痛が走る。ただ殴られただけだというのに、尋常ではない速度を伴った一撃はそれだけで破格の威力だ。
脚がよろける。胸が痛い。腕が痛い。太ももが、脇腹が、額が、全身に次々に拳が打ち込まれていく。
「う、が、っく、ああああっ!」
敵わない。届かない。間に合わない。
自分の繰り出す攻撃が遅すぎて、自分の魔法では回復も間に合わない。
これが彼の戦う世界。憧れの世界。
だからこそ、篠茅昂との戦いを見て不平不満ばかりが募った。
「し、しょー。ししょー……!」
「終わりだシオン。悪い夢はここで終わらせる。俺が終わらせる、お前をこちら側に引き戻すっ!」
それは、自分を求めてくれる言葉。憧れて、抱いた不満を利用されている自分を救おうとしている。
嬉しくて、涙が出る。狂ってでも認めて欲しかった想いは、春秋に負けるからこそ納得出来る。
勝ちたかった気持ちは当然ある。けれど、けれど、けれど。
憧れた人が、自分なんかに負けて欲しくない。
全力で、自分を潰して欲しい。そこでようやく、自分の実力を認められる。
届かないことを、自覚したかった。
「――捉えた」
「ししょー……」
春秋の手が、シオンの首を掴んで持ち上げた。身体が浮き上がり、抵抗することもままらない。
熱を感じる。暖かな黄金の世界が見える。
「ししょー……ボクを、たすけて」
そこでシオンは、ようやく言葉を吐き出せた。その言葉を聞き届けた春秋が微笑みを向ける。
「『炎命・一』」
春秋の手のひらから命の炎が首輪を通してシオンへ流れ込む。
流れ込んだ命の炎が首輪を形成するナノ・セリューヌを破壊していく。
けっしてシオンは傷付けないように。けれど、シオンを狂わせた毒の全てを破壊する。
命を与える炎だからこそ出来ること。
首輪が砕け、粒子となって消えていく。倒れ込むシオンを、春秋がそっと抱き留めた。
「手間を掛けさせるな、馬鹿弟子」
「……えへへ。ししょーが、弟子って言ってくれた……」
朧気な意識のシオンがうわごとを呟きながら意識を手放す。
その寝顔を見ればシオンが大丈夫なことは一目瞭然だ。
すやすやと眠るシオンを横たわらせると、春秋は昂を睨め付ける。
「――――篠茅昂」
「あらら、終わっちゃった?」
大剣を振るう昂がどんなことをしていたか、春秋は見ていない。
けれどどれだけ強大であったかは黒兎の惨状を見れば明らかだ。
全身に傷を負い、一番酷いのは肩から広がる袈裟状の傷だ。
黒兎も負けてはいない。けれど、勝ててもいない。
傷だらけの黒兎とまだまだ全開な昂を見ればそれはよくわかる。
「黒兎、代わるぞ」
「大丈夫だ。愚妹はもう大丈夫なんだろう?」
「ああ。――出来れば愚妹って呼ぶのはやめてやれ」
「阿呆か。こんなことをしでかして愚妹以外にどう呼べと。後始末をさせられている俺たちの身にもなれ」
「だがな……」
「いつまでも俺の背中を追っているから愚かなんだ。自分の実力を見極め、自らの適正にすら気付かない。リベリオンの理由も察しが付かない。――ああ、愚かで情けない。そんなシオンを気遣えない俺自身も情けない。子供過ぎる理由が情けない……!」
「その言葉、シオンに言ってやれよ」
「言えるか。愚妹はお前と同じくらい俺を神聖視しているんだぞ。そんな理由を話したら幻滅するだろうが」
「……素直になれない兄妹だな」
立ち上がった黒兎が感情をむき出しにしている。シオンに思うところがあったのだろう。
二人の関係はシンプルなのに、複雑に絡まってしまっていた。
島を守るという責務があったから。必要以上の会話をしようとしなかったから。
壁を作ったのはお互いだ。
わかろうとしてわからなかったシオンと、わかっていると思い込んでいた黒兎。
そんな溝もまた、シオンを苦しめていたのだ。
「ったく、俺を無視して喧嘩とか随分余裕じゃないか」
言い合う春秋と黒兎を眺めながら、昂は大剣を背負った。
まるで戦いは終わりだと言わんばかりに。昂からはすっかり敵意が消えている。
「逃がすと思うのか、シオンをここまで追い込んでおいて都合の良い……!」
「あ? 違うだろうが、そいつを追い詰めたのはお前たちだろ。俺は不満をちょ~~~っと引っ張り出して背中を押しただけだ。お前なら出来る、お前の強さを見せてやれ! って」
「だとしても、お前のしたことが認められるわけがないだろう」
「っは! 当たり前だ。俺がすることなすこと認められる必要があるか? 俺は敵だぞ。はき違えてんじゃねえ」
レギンレイブを昂へ突きつけ、春秋は今すぐにでも飛びかからんとする雰囲気だ。
しかし、だ。このまま昂と戦うのは得策ではない。
それは黒兎も春秋も理解している。
黒兎は治癒が間に合っておらず、春秋はアルマ・テラムを使用したからか消耗している。
今の状況で昂を倒せるほど、昂は弱い相手ではない。
だが、胸を占めるこのやるせない思いはどうしようもない。
「やめとけやめとけ。素直に俺が退くって言ってんだから大人しく寝てろって。――こんな状況でお前を潰しても俺はつまらないし、お前らだって納得しないだろ?」
そう言いながら昂が手のひらに黒きナノ・セリューヌを集わせる。
造り上げたのは、球状の物質。
それを無造作に放り投げた。地面にぶつかり、その衝撃で球体が割れる。
「――あばよ。またすぐに遊んでやるよ、炎宮春秋」
閃光が炸裂する。
目映い光を腕で防ぐも、その一瞬の隙に昂は姿を消し去る。
光が晴れると、そこにはもう誰もいない。破壊された本部入り口の有様が、今の今まで戦いが繰り広げられていたことを物語る。
「……逃げられたか」
「だが《ゲート》を使った感覚はなかった。島のどこかに潜むつもりだろう」
「捜索隊を出したいところだが……」
「愚妹の二の舞は防がなければならない。すべきことは隊員たちへの警告だ」
少しずつ本部前が喧噪さを取り戻していく。
安らかな寝顔を見せているシオンを抱きかかえ、春秋はくたびれた身体を引きずりながら成り行きを見守るのであった。




