第五十五話 狙われた少女
「おらぁぁぁっ!」
「――ふんっ!」
黄金と漆黒がぶつかり合う。余波だけで砂浜にクレーターが出来るほどの威力。
春秋と黒兎の一撃は互いに相殺する。
命の炎と、死を与える闇。
命と死、相反する力は打ち消し合う。
故に、両者の間に有効打が存在しない。
春秋も黒兎もどちらが強いかは結論が出ないと結論を出している。
互いが互いを殺す為に力を振るったとしても、どこで決着がつくか見通しがつかないからだ。
それほどまでに両者の実力は拮抗している。どちらが上でどちらが下かは興味が無い。
それで良かった。お互いが戦う機会などないし、どちらかが戦えれば星華島を守れるのだから。
けれど、それで満足してはならなくなった。
マテリアル・アルバート/篠茅昂。
新たな《侵略者》である彼に対して、春秋も黒兎も勝てなかった。
負けた訳ではない。けれど、勝てなかった。
春秋も黒兎も負けたと解釈しているほどに、彼の実力は本物だった。
ナノ・セリューヌを用いた、およそ人とは思えない動きを取り入れた戦闘。
命の炎ですら防ぐ強固な装甲。
終焉の闇すら翻弄する機械生命体。
茅見奏/マテリアル・ソウがいなければ押し切られていた。
大局的に考えれば、奏をリベリオンに参加させたことが功を奏した。
個人的に考えれば、自分が守ると決めていた者が守れなかった。
――情けない。
故に二人は、こうして模擬戦を繰り返している。
互いに決定打を欠いている状況で、どうすれば有効打を打ち込めるか。
勝てない相手に勝つ為の、壁を乗り越える為の一撃を求めて模索している。
島へ悪影響が出ない程度に力を抑え込み、そして決定的な一撃を与える為の力を。
現状では、まだ答えは見つかっていない。
早く見つけなければならない。次の戦いがいつ来るのか、まだわからないからこそ。
【予言】がないからこそ、【予言】に備えなければならない。
島を守る責務を背負った者だから。
「っ……。今日はこれくらいにしておくか」
「そうだな。これ以上暴れても景観を損なうだけだ」
小一時間の模擬戦を終えて、二人が一息つく。
額に流れる汗を拭いながら水を飲み干し、強い日差しの空を見上げる。
季節が移ろい、それなりに暑くなってきた。もう一月もすればすっかり夏に変わるだろう。
「炎宮春秋」
「どうした、黒兎」
「篠茅昂の目的について、何か思い当たることはあるか?」
「全然だ。どれもこれも嘘が混ざってて本心を見抜けないようにしてる。抜け目がないというか、何かしらの執念を感じさせるよ」
「そうだな。……俺も同じ見解だ。あそこまで本心を隠し、それでいて俺たちと敵対をする――だが、島を滅ぼすつもりでも、永遠桜を取り込む目的でも無さそうだ。何が狙いなのかわからなすぎる」
春秋と黒兎の見解は同じだ。黒兎が何の為に星華島を訪れ、敵対しているのか。
篠茅昂として話している分には、敵意は全く感じられなかった。むしろ仲間になりたいと言ってくる方が自然なほどの距離感だ。
だが違う。昂は自分から敵だと言っている。
目的をはぐらかしたまま、今もクルセイダース本部の地下に拘留されている。
「夜にもう一度、篠茅昂に会ってくる。何か聞き出せればいいが」
「喋らないだろうな」
「それでも、だ。今が平時なのだから、今のうちに出来ることを済ませておかなければ」
やれやれと肩を竦め、荷物を取ろうとした矢先に叫び声が聞こえてきた。
息を切らせて駆け込んできたのは仁だった。日課のランニングをしている筈だったが、焦った表情をしている。
「篠茅が、篠茅が脱走した! それに、それに……!」
「落ち着け朝凪。篠茅がいずれ脱走するのは予想は出来ていた。被害はどうなっている。落ちついて報告しろ」
春秋は努めて冷静に仁を諫める。慌てても状況は好転しない。
大事なのは、脱走した昂が何をしてくるか、だ。
そして脱走する際にクルセイダース本部がどのような被害を受けているか把握する必要もある。
けれどそれでも仁は落ち着かない。動揺したまま、必死の形相で叫んだ。
「シオンが、シオンが……シオンが、篠茅を脱走させた!」
にわかには信じられない言葉に、春秋も黒兎も言葉を失う。
時を同じくして、遠くから爆発する音が聞こえてきた。
それがクルセイダース本部からであると察するまで、間が開いてしまうほどの衝撃だった。
/
――――時刻は少し前に遡る。
クルセイダース本部地下。
篠茅昂を収容している牢屋は、クルセイダース隊員たちが持ち回りで監視についている。
今日はシオンが担当だ。
昂は何も喋らない。隊員から話しかけるのも御法度であり、会話のない静寂な時間となる。
つまるところ、暇なのだ。クジで当番を引いてしまったことを早くも後悔するシオンであった。
だが。
「お前、時守黒兎の妹だな?」
今日に限って、珍しく昂から話しかけてきた。
ある程度の会話に答えることは許されている。情報が引き出せるならそれに越したことはないからだ。
昂が口を開いたことに慌てつつも、シオンはすぐにボイスレコーダーのスイッチを押した。会話のどこから情報が拾えるかわからないからこそ、一言一句を聞き漏らさない為だ。
「そうですが。兄さんが何か失礼なことをしましたか?」
兄・黒兎の話題となればシオンも乗らざるを得ない。
春秋と黒兎の能力は島を守る上で秘匿にしなければならない。
だからこそ両名の話題に関しては慎重に対応しろと厳命されているほどだ。
まさかその話題を昂から出してくるとは思いもしなかったが、何かしら情報を引き出せる良い機会だとシオンは判断した。
「いや、天災って言ってる割にはどうしようもなかったよな」
「それは、どういう意味ですか」
「言葉通りの意味だよ。俺如きを殺せないなんてあまりにも情けなくてなぁ」
くくく、と昂の含み笑いが癪に障る。
シオンにとって、黒兎は越えるべき目標だ。憧れの目標が春秋であり、そんな二人と肩を並べて戦いたいと思っている。
普段はずっと自分を雑に扱ってくる兄だが、それでも血を分けた唯一の肉親だ。
そんな兄を小馬鹿にされて、黙っていられるシオンではない。
「初見殺しだけで兄さんに勝てたと思ってたら大間違いです」
戦いの一部始終はシオンも見ていた。黒兎が遅れを取ったことは驚きつつも、昂の戦い方はこれまでに見たことのないものであり、そればかりは天才である黒兎といえど対応出来なくても仕方ない――そう、シオンは考えていた。
次があれば絶対に勝てる。負けるはずがない。黒兎はそれだけの実力があり、相手を見極めることが得意である。
ましてや黒兎のことを全然わかっていない昂にそんなことを言われたくないくらいだ。
「そうか? 俺としては一番相手をしたくなかったのはお前だったんだけどなぁ」
「――え?」
予想外の言葉に、変な声が出た。
けれどすぐに思考を切り替える。今の自分がするべきことは、少しでも多くの情報を引き出すことだ。
「お世辞が上手いんですね」
「いやいや本心だって。――天賦の才を持った時守シオン。“あの”光帝ルクスリアに一歩も引かず、倒しきる偉業を成し遂げた次世代の英雄。相手の行動への対応、一撃を届かせる為の策略、それらをこなす地力。強者である要素を全て兼ね備えた星華島の新たなヒーロー。そんな話が別の世界に届いたくらいだからな」
「……過剰評価です。みんなが協力してくれたから出来たことです」
「周りが手伝ったくらいで倒せるほど帝王は弱くないが?」
「っ……」
それはそうだ。三度も相対してきたからこそ、誰よりもわかっている。
帝王の実力を。そして、そんな帝王に勝てたことがどれほど嬉しかったか。
協力してくれた仲間たちには何度感謝しても足りないくらいで、自分を鍛えてくれた黒兎には頭が上がらないくらいだ。
「でも、そんな時守シオンも正当な評価を得られていない」
「――――っ」
それは、シオンにとって禁句である。
「カムイを使わずとも帝王レベルと戦える者たちだけの部隊、リベリオン……だったか。戦ってみてわかったが、カムイがあってもなくても関係なかったなあ」
それは、戦いを見たからこそわかってしまう言い分だ。
春秋でも、黒兎でも、昂を倒すことが出来なかった。
「俺の能力は確かに初見殺しだが、それこそ固有の力だけに頼らないカムイのほうがよっぽど対応出来たと思わないか?」
それは、聞いてはならない言葉。
「何を言ってるんですか。兄さんやししょーは特別です。ボクたちがカムイを使っても敵いませんし、だからこそボクたちは信頼して任せてるんです」
「そうだな、あいつらは確かに強い。でも、それはカムイがないから強いのか? カムイを使ってても強ければ『特別扱い』されてもいいんじゃないか?」
「っ……!」
「朝凪仁。あいつだってまだまだ未熟じゃないか。それこそカムイを駆使した戦いであればお前の方が強いんじゃないか?」
「――――」
これは、毒だ。聞いてはいけない言葉で、耳を貸してはいけない。
だって、それは。
「たまたま炎宮から炎を与えられ、それを扱うことが出来た。それだけでリベリオンに参加出来て、羨ましかったんじゃないか? 帝王を倒した功績があるのに、他の隊員たちと同じ扱いで」
「だ、黙れっ! お前に何がわかる。先輩は必死に努力して、力を求めて、それでようやく力を手にしたんだっ。だから、リベリオンに参加出来たのも当然だ!」
「お前は炎も貰えないのにな」
「っ!!!!!」
「帝王を倒した時守シオン。一命を取り留める為だけに炎を手に入れた朝凪仁。両者の違いはなんだ? 功績を見れば炎を手に入れるのはお前のほうじゃなかったのか? 炎宮はどうしてお前には炎を分けないのかな?」
「黙れ。黙れ、黙れ……っ」
耳を塞いで、目を閉じてしゃがみ込んでしまう。
これ以上話をしたくないと必死のシオンを余所に。
――昂はこの状況を待っていた。この状況こそが、目的の一つである。
「応えろ、ナノ・セリューヌ」
昂の呟きはシオンに届かない。耳を塞ぎ、目を閉じてしまっているから。
身体から溢れたナノ・セリューヌが手錠を分解した。
立ち上がった昂は牢屋に手を向け、牢屋すらも分解していく。
ナノ・セリューヌ同士による干渉。分解、そして吸収。
奏しか出来ない。それは奏の思い込みであり、慢心である。
昂は確かに奏と比べればナノ・セリューヌの扱いに長けてない。
長けてないだけで、出来ない訳ではない。
敢えて奏/マテリアル・ソウとの戦いで見せなかった甲斐があった。
見せなかったから、出来ないと思い込んだのだろう。
動揺していて、そこまで気が回らなかったのだろう。
だからこそ、この状況だ。
ナノ・セリューヌの操作を難解にする手錠。その発想は昂にはなかった。
けれど時間をかければ解析できる。幸いにもするだけの時間はいくらでもあった。
手錠を分解し、牢屋を分解し、昂は悠然と牢屋から脱出した。
顔を上げないシオンに歩み寄る。
その手に集う黒き粒子が機械の首輪を形成していく。
「時守シオン、悔しいだろう。
自分を越えていった朝凪仁が。
自分を認めてくれない炎宮春秋が。
自分を置いていく時守黒兎が。
自分を評価してくれない周囲が。
――――お前はどうして、そんな周りの為に戦っているんだ?」
耳を塞いでいるはずなのに、昂の言葉がシオンの奥底に溶け込んでいく。
いけないと、ダメだと、必死に首を振って否定する。
「素直になろうぜ、時守シオン。――お前は誰よりも努力をして、認められるべきだ。お前の力を認めさせてやろう。朝凪仁に、炎宮春秋に、時守黒兎に。お前なら出来る。帝王を倒した自分を信じろ」
「ボク、は――――!?」
昂の言葉を否定したくて、顔を上げて睨もうとする。
だが、それよりも早く、昂の右手がシオンの首元に届く。
その手に握られていた黒い首輪を、装着させられてしまう。
「ぁ、ぁ、ぁ――――!?」
思考がかき乱されていく。
ダメだと、これはダメだと、何をされたかわからなくても、今の自分が最低なことを考えていることがわかっている。
だって、だって、だって。
昂の言葉は本当で。シオンが心の底で思っていたことで。感じていた劣等感で。
帝王を倒したのに。先輩に置いていかれて。ししょーは炎をくれやしない。
黒兎だって、リベリオンへの参加を認めてくれない。
どうしてどうしてどうしてどうして。
――――ボクだって、強いのに。
「さあ、リベリオンの奴らに見せつけてやろう。お前がどれだけ強いかを。お前の選択を、『私が』認めよう!」
「証明……する? ボクが、強いって。先輩に……兄さんに……ししょーに……!」
シオンがゆらゆらと立ち上がる。首輪が怪しく光り、その光りが明滅していくと共にシオンの目に狂気が宿っていく。
カメラはその一部始終を捉えていた。ボイスレコーダーはその全てを録音していた。
シオンがカメラに振り向き、魔法でカメラを打ち落とした。
置いていたボイスレコーダーを踏み潰した。
シオンはもう、考えることをやめていた。
胸の奥からこみ上げてくる感情が、シオンを叫ばせる。
「――ああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
どこかすっきりした表情で、シオンは立てかけていた剣のカムイを手に取った。
口元を歪ませている昂は、そんなシオンへ拍手を贈る。
狂気に染まった瞳のシオンは問いかける。
「篠茅さん、どうすればボクは認めて貰えますか?」
「そんなの真っ向勝負で炎宮春秋を倒せばいいだけだ。大丈夫だ、お前なら出来る。お前はもっと、自分の実力を信じれば良い」
「そうですね。そう、ですよね……! ししょーを倒せば、ししょーだって兄さんだって、ボクを認めてくれる!」
「ああ、邪魔する奴は俺が食い止めてやる。まずは一緒に外に出ようぜ、時守シオン」
「はいっ!!!」
そして少女は、誤った選択をさせられる。
守るべき島で、守るべき場所で、――――反逆を。




