第四十六話 黄金の英雄
泥が肥大化していく。
口が口が口が。
目が目が目が。
耳が耳が耳が。
腕が腕が腕が。
足が足が足が。
およそ人とは言えない異形。人の部位を大量に生やした怪物。
本来一つ二つしかない人の部位が集まれば、どうしてこんなにも気味が悪くなるのだろうか。
「……っ、ぅ」
泥の異形の背中で仁が膝を突いていた。
アルマ・テラムは本来命に回す分の力すら過剰に消費する大技だ。
その域に達したとはいえ、慣れてない仁ではアルマ・テラムを使ったあとのことまでは考えが足りてなかったのだろう。
「…………お前が求めた力ってのは、これだったのか?」
「ハル、アキ。オレは、最強、ニ、最キョウなんダ。オレは、オレハ、オレハハハハハッハハハハアアアアアア」
「力に飲み込まれて、人の姿すら捨てて――――俺が帝王の座を蹴った理由くらい考えろ。人はそんな簡単に力を手に入れられない。辛い思いをして、苦しい思いをして、切磋琢磨する仲間がいて――人は結局、一人では強くなれない」
春秋とハルクは過去に出会っている、だけではない。
彼らの世界で、春秋とハルクは友人と呼べるくらいの親しい仲だった。本人たちがどう思っていたかは別としても、その関係は紛れもなく友人のそれであった。
旅人の春秋と、春秋の強さに憧れ背中を追うハルク――奇しくも、星華島での春秋と仁のような関係。
いずれは世界を去るとしても、滞在している間くらいは鍛錬に付き合う。
弱く、幼く、才もないハルクが春秋に憧れるのは当然だった。
敵を圧倒する黒き炎を渇望するのに時間は掛からなかった。
春秋が炎を分け与えることで、彼と苦楽を共にする同志になれる可能性も知っていた。
ハルクは炎を求めた。
けれど春秋が帝王たちにしたように、炎を分け与え、炎に食い破られる敵を見た時……ハルクは炎を諦めざるを得なかった。
――――死にたくない。
――――だってオレは、春秋と共に旅をしたいから。
――――死ぬかもしれないリスクは負いたくない!
考えてみれば、そこで一歩退くことは出来たハルクは賢かったのかもしれない。
ハルクは力を求めた。春秋に師事し、剣の腕を魔法の腕を磨いた。
人よりはマシ程度に育つ頃に、春秋へ帝王の招待が来る。
『偉大なる旅人炎宮春秋よ。そなたの黒炎に敬意を表し、闇帝の地位と力を授けよう。共に世界を平定し、我らと共に次のステージへ挑もうではないか』
結論から言えば、春秋は誘いを断った。
『闇帝の地位に興味はない。この世界では俺の願いは叶わない。だからお前らで好き勝手にしていろ』
帝王たちは、去る春秋を追わなかった。
そしてハルクの前に、選択肢が現れた。
一つは春秋の旅に付き合うこと。
彼に師事を乞い、彼の弟子として世界を渡る。
英雄ハルクになることは、叶わない。平凡な彼のままでは、世界は彼を英雄とは認めない。
もう一つは――春秋の代わりに、闇帝の力を手に入れること。
ハルクは以前、死のリスクを恐れて炎を受け入れなかった。
けれど闇帝の力はリスクがないと、その《核》を取り込むだけで最強たる帝王の一席になれると。
帝王の使いと名乗った金の魔女が言っていた。
だからハルクはその選択を選んだ。
死のリスクもなく、平凡なる自分が春秋たち英傑に並べるほどの力を手に入れられるのだから。
闇帝の《核》を飲み込んで、彼は闇帝インウィディアとして覚醒した。
――――が。
その時にはもう、春秋は世界を去ってしまっていた。
取り残されたハルクは、それでもいつか追いついてみせると決意する。
力を手に入れて、強くなって、そしてあの背中に追いついてみせる。
真っ直ぐで、純心な彼の心は…………やがて闇帝の闇に飲まれていく。
強くなりたい。強くなりたい。強くなれるのであれば、手段なんて選んでいる暇はない。
追いつきたい。彼の背中に、手を伸ばして。闇帝の力は、魔力を喰らえば喰らうほど闇を濃くしていく。
喰らって喰らって喰らい続けて。新たな帝王を歓迎してくれた民すらも喰らって。
『強くなった。オレは強くなった。もう帝王の末席ではない。オレが最強の帝王で、オレは、春秋にだって追いついたっ!!!』
春秋の戦いを見てきたから。
春秋の癖を見ていたから。
ずっと傍にいたから。
だから彼は、歪んでしまった。何のリスクもなく手に入れた闇の力に酔いしれて。
春秋が何を願ったのかも、何を思ったのかも、春秋の何もかも理解することを放棄して。
闇帝インウィディアは、正しく帝王として覚醒した。
その時にはもう、闇帝インウィディアの国は滅んでいたが。
金の魔女が言った。
アナタは多元世界最強の帝王となりました。
故に彼のことなど忘れ、次のステージを目指しましょう。
帝王たち共通の願い。
力を喰らい、蓄え、増して増して増して。
そして世界を越えて。
世界すらも越えた究極へ至ろうと。
闇帝インウィディアもまた、その願いに共感した。
強くなりたい根底すらも見失った果てで、永遠桜を知って。
――――そこを、春秋が守っていることを知って。
『なあ、春秋。オレは強くなったよ。でも、どうしてお前は変わってないんだ? お前は誰よりも強くて、苛烈で、黒炎を操る最強の戦士だったのに』
『――ああ、そこか。その島か。何があったかはわからない。でも黒炎が弱くなっている。わからない。わからないけど原因はその島だ』
『だからオレはその島を喰らい尽くそう。お前を弱くした世界を滅ぼすよ』
『なんで! なんでお前が雷帝如きで死にかけている!? お前ならば負けるはずがない! お前はこっちの世界で全ての帝王に勝って見せただろう! なんでなんでなんで! ――――ああ、そうか。あの時の春秋はもういないのか。オレが力を得ている間に、お前は旅を止めてしまったのか。それじゃあもう、旅を続けられない。続けられないなら……お前はもう、オレが憧れた春秋じゃない』
そしてハルクは、星華島を滅ぼすことに決めた。
「ハ、ハハハハハハルアキ! オマ、エ、殺ス。オレが、最キョウで、オレ、オレ、オレレレレレレレレレレレ」
「眠っている間に、気付いたんだ」
異形と向かい合う春秋は、その手に黒炎を浮かび上がらせた。
けれどその炎はすぐに勢いを失い消えていく。
「黒き炎は、孤独の象徴。一人で生き抜く力を与えてくれる、辛くて苦しい寂しい力。……だから、これまでの戦いで黒炎の出力が弱くなっていったんだ」
ちらりと一瞥するのは仁の背中。視線を向けるはクルセイダース本部がある場所。
「居心地の良さを知ってしまった。奴らと時を過ごしている内に、旅をやめるのも悪くないと思ってしまった。俺はいつの間にか、一人でいることをやめていた。――この島を、俺自身の意志で守りたくなっていた」
黒炎が完全に消失する。構わないとばかりに春秋は腕を振り、異形ハルクを見上げた。
「雷帝との戦いで、俺は命を削ってまでアルマ・テラムを使った。――命を削ってでも、この島を守ろうと思っていたんだ。それだけ俺は、この島に情を抱いている」
春秋の独白は止まらない。
そして異形ハルクへ手を伸ばして。
「俺は、この島を守る。仲間たちを守る為に。仲間たちと共に生きていくために。俺の心を、この島は守ってくれる。――――――――だから、俺は行くよ」
春秋の身体から炎が溢れる。それは黒炎ではなかった。
暗き闇の世界は、銀の炎によって割かれた。
けれど闇はまだ深い。銀の炎すら飲み込まんと空を覆い尽くそうとする。
まるで夜明けのように、空が白んでいく。
まるで昇る太陽のように、炎が輝きを放っていく。
「――――炎に告げよう。
俺はもう一人ではない。
一人には戻りたくない。
大切だと思える仲間たちの為に、俺は斬魔の剣を執るっ!」
――――幻想の中で、桜吹雪に手を伸ばす。
掴め、と心が叫ぶんだ。
この場所にいる者のみが許される。
この場所に立つ者のみが与えられる。
この場所に認められた者だけが――!
幾百幾千幾万の、桜が君を祝福する。
さあ、可能性を手にしよう。
君の炎は、何を求めて染め上がる。
「輝け、我が黄金の炎――――アルマトゥルースッ!!!」
全ての闇を切り裂いて、世界に光を取り戻す。
黄金の炎が、世界を照らす。
目が眩むほどの黄金を従えて、炎宮春秋が覚醒する――――!




