第四十三話 『主人公<ヒーロー>』
血に塗れる腕を振り払い、光帝ルクスリアが居住まいを正す。
眼前に立つは小柄な少女、時守シオン。
「……ワタシの覇王君臨を止めたこの力、貴様のモノではない。これは時守黒兎の力だろう? 時守。そうか、貴様は」
「ええ。姓は時守、名はシオン。兄さんに代わり、アナタを倒しますっ!」
「成る程。成る程……。兄妹が力を合わせてワタシを討とうとする。その心意気や、よし。だがワタシは知っている。この島に、ワタシに迫るほどの存在は炎宮春秋と時守黒兎の二人だけど。先ほどの少年は意外だったが……そんな意外が、二つとあるわけがない!」
砕けた仮面を放り投げ、光帝ルクスリアが構える。光帝ルクスリアの分析は正しいもので、奏というイレギュラーはあったものの結果として退けている。
この島には、帝王を止める戦力はもう存在しない。
シオンから溢れる才は感じても、帝王を止めるほどの力がないのも先の戦いで知っている。
「だったら、試してみますか?」
試すとばかりにシオンが傍らのカムイを引き抜いた。
剣のカムイが光帝ルクスリアを睨む。光帝ルクスリアは、大胆不敵に口角を釣り上げた。
「大人しく逃げていれば良かったと、後悔させてくれようか!」
そして、光帝ルクスリアが大地を蹴る。
――――速い。速い、速い、速いッ!
常人には捉えきれないスピードで。
まるで光のようなスピードで。
瞬く間にシオンの眼前に迫り、光の刃を振り下ろす。
けれど、光の刃は空を切った。
何が起こったかは、光帝ルクスリアにはわからなかった。
「な――――に……?」
その胸に突き刺さるは剣のカムイ。そしてシオンは、光帝ルクスリアの背後を取っていた。
ごふ、と光帝ルクスリアが血を吐き出した。物理的な攻撃など容易く無効化する術式が、乱されている。
「これは。ははは、そうか、そうか、そうか! 光を司るワタシに対して、幻術を使うか!」
種明かしはひどく簡単なものだ。
シオンは最初からずっと、魔法で作り出した虚像だった。
光帝ルクスリアがどこから攻め込んできても大丈夫なように、敷地全体を包み込むように魔法で幻覚を作り上げていた。
声の向き、呼吸の流れ、実像であると誤認するほどの精巧な虚像――それらは全て、他ならぬシオン自身が発動した魔法によるものだ。
――――時守シオンは、星華島で初めて帝王への一撃を与える術式を開発した少女だ。
思いつきと、発想と、実行力。その全てを兼ね備えている。
優れた兄の影に隠れてしまっていたが、それでも彼女は才に恵まれている『天才』だ。
「流石です。……初見で見抜かれるとは思っていませんでしたが、でも、決定打を与えることは出来ました」
「痛い。痛い。ああ、痛い! 久しい痛み、死が迫る痛み! 時守黒兎の死の力!」
光帝ルクスリアを貫いたカムイには、特別な仕掛けが施されている。
それは、黒兎が持つ『死』の力を宿していること。
刀身に仕込まれた黒兎の力は、触れたモノを死に至らしめるほどの劇毒だ。
「まさか、まさか、まさか。これら全てが!」
「そうですよ。ここに用意した百を超える全てのカムイ、これこそアナタを討つために、兄さんが用意してくれた『死』のカムイ。此処が、アナタを終わらせる戦場だッ!!!」
「ははは、ははは、ははははは! 面白い面白い面白い。まさか、こんなところで、死を秤に掛けられるとは思いもしなかった! ――だが、だからこそ、ワタシは愉しい。これがお前たちの希望であるならば、ワタシはその希望全てを喰らい尽くす帝王だ!!!」
――――シオンは嘘を吐いている。
この場に用意された百を超えるカムイだが、黒兎の力を宿したカムイは『全て』ではない。
万全でない黒兎が、『シオンが触れても影響がなく』『光帝ルクスリアを殺すための』準備をするには時間が足りなかった。
もしも黒兎が万全であったのなら、それこそ全てのカムイを同条件にすることが出来ただろう。
黒兎が用意出来たのは、全部で三つ。
――――光帝ルクスリアの右手を貫いた弾丸。
――――胸を貫いた剣。
そして、残りは一つ。
効果的な嘘とは、真実の中に嘘を紛れ込ませること。
弾丸と剣を立て続けにぶつけたことで、光帝ルクスリアは全てのカムイを警戒しなければならない。
この場所に、自らを死に至らしめるカムイはあと一つしかないというのに。
それが、時守黒兎が提案した『勝算』だ。
奏の尽力と黒兎の作戦により、光帝ルクスリアは覇王君臨を失い、自らが死ぬステージまで引きずり込まれた。
後は、シオンに掛かっている。
己の全てを駆使し、最後の一撃を叩き込む。
「決戦だ、光帝っ! お前は今日、此処で、クルセイダースに討たれるっ!!!」
「ぬかせ小娘。ワタシは光帝ルクスリア、死を前にして臆すると思うなッ!!!」
斧のカムイを引き抜いて、シオンは大きく跳躍した。瞬間、シオンの姿が四つになる。
光帝ルクスリアは慌てて飛び退き振り下ろされた斧を回避する。
――回避した。
光帝が、初めて攻撃を回避した。
それはシオンの攻撃全てを警戒している証明であり、黒兎の『死』を恐れているということだ。
「次ぃ!」
「な――――」
シオンがそのまま斧でなぎ払う。光の刃で受け止めようとする光帝ルクスリアだが――シオンはすぐに、カムイを投げ捨てた。
軽やかに鮮やかに。シオンがすぐさま手に取ったのは、弓のカムイ。
投げ捨てられた斧へ意識を取られていた光帝ルクスリアの反応が一瞬遅れ、シオンはその隙を見逃さない。
三度、シオンが幻覚を生み出す。八つの姿を見せたシオンは、光帝ルクスリアを囲むように矢を放つ。
「この、程度で!」
大きく上空へ跳躍し、矢を躱す。本当の矢は一つしかないというのに、精巧すぎる虚像が全てを曖昧にする。
「洒落臭いわッ!」
光帝ルクスリアが刃を振るう。上空より降り注ぐ光の斬撃が八つのシオンを貫いた。
――だが、どれも虚像。
「な――」
「本体は、こっちですっ!」
「おのれぇ!!!」
シオンはすでに死角に回り込んでいた。その手に握られているのは槍のカムイ。
その切っ先が光帝ルクスリアを狙っている。その刹那、光帝ルクスリアの脳裏に過ぎる光景。
(あれは、不味い。あれは不味い。槍は、あいつの、炎宮の――――!)
光帝ルクスリアが最も警戒していた相手――春秋の姿が思い浮かぶ。
シオンは『炎宮春秋が一番弟子』と名乗っていた。師弟関係であるというのなら、何よりも槍の扱いに精通しているに違いない。
斧も弓も、最初の銃も剣もただの人間としては十分過ぎる技量だった。不意を突いているとはいえ、光帝ルクスリアを確かに追い込むくらいにはシオンは武器を正しく武器として扱っていた。
だからこそ。
それ故に。
その槍こそが、本命であると光帝ルクスリアは悟った。
「く、そがぁっ!」
初めて、光帝ルクスリアの表情から余裕が消えた。中空で強引に姿勢を変えて、光の刃で自らの首を切り裂いた。
「っ!!!」
鮮血が飛び散り、それに合わせて光帝ルクスリアは手から目映い光を放つ。ただの目眩ましだが、それだけでいい。
身を低くしながら着地すると共に剣を投げ、シオンが持つ槍を弾き落とす。
(次はどれで来る。周囲の武器はまだあるが、奴の立ち位置から考えて――――)
光帝ルクスリアは知らない。『死』の力を宿したカムイがあと一つしかないことを。
光帝ルクスリアは知らない。いくらシオンが才に溢れていても、帝王と長期戦が出来るほどの実力者ではないことを。
光帝ルクスリアは知らない。――――シオンがこの瞬間を待ち侘びていたことを。
シオンが目の前に迫っていた。空手には何も握られておらず。一歩を踏み込み、身体を捻り、低い姿勢から光帝ルクスリアの胸目掛けて蹴りを放とうとしている。
武器を持っていない。
ならば、《カゲロウ》で躱すことが出来る。
――本当に?
ここまで用意周到に幻覚と『死』のカムイで自らを追い込んできた少女が、本当に無作為に蹴りを放つと?
警戒するのであれば、すぐに逃げた方がいい。
ブラフだと思うのならば、防御術式で受け流してしまえば良い。
どちらだ。
一瞬の迷い。どちらでも大丈夫と見極め、光帝ルクスリアは胸の前に光の障壁を呼び出した。
ただの蹴りならば受け止められる。
ただの蹴りでなくとも、障壁が破られる寸前で《カゲロウ》による回避が間に合う。
シオンの実力を見極め、戦術を認めた上で出した答えに最適解を導き出した。
――これ以上のイレギュラーがなかったなら。
「――――ッ」
光帝ルクスリアの視界に飛び込んできた、銀の弾丸。しかしそれは命中するものではなかった。
だが、意識が削がれた。誰が、どこで、どこから。
最後の攻防を邪魔した存在は。
星華学園の屋上から、ライフルを構えていた赤毛の少女が一人。
オリフィナ・奏。その何の意味もない狙撃は、今の状況だからこそ意味を持つ。
『お前は今日、此処で、クルセイダースに討たれるっ!!!』
それは、奏と黒兎とシオンという意味ではない。
最初の砲撃による着陸遅延。
イレギュラー・奏の介入。
参戦不可能と判断していた、黒兎の力。
そして、予想外の奮闘をしてみせたシオンの才。
その全てがこの瞬間に繋がっている。だからこそシオンは、此処で最後のカムイを起動する。
「と、ど、けえええええええええええええええっ!!!!」
「――――ッ!?」
シオンの蹴りが障壁に激突し――その靴底に、刃が仕込まれていた。
小さくて見えづらい極小の刃。だがその刀身は、歪なほどに『黒』い。
黒兎の力を宿した、最後のカムイ。
シオンはそれを、靴裏に仕込んでいた。
最初から、この形で決着を付けるために。
一瞬でも削がれた意識では反応が間に合わない。
死を宿した刃が障壁をいとも容易く打ち破り――光帝ルクスリアの左胸を貫いた。
予想外の一撃は《命の核》の移動すら間に合わせない。
手応えを感じた。足先に、宝玉の砕ける感触が。
「――――は、ハハハ。ハハハ、ハハハ、ハハハハハハハ――――――――少女よ、見事」
蹴り飛ばされた光帝ルクスリアは、最後の意地とばかりに二つの足で踏ん張って見せた。
だがその身体にはもう力は入らない。《命の核》を砕かれた以上、絶命は確実だからだ。
称賛の言葉を最後に吐いて、光帝ルクスリアは命を失った。
『光帝、沈黙――魔力反応、消失。わ、我々の、勝利です……!』
聞こえてきたオペレーターの声に、シオンも実感を得ていく。
倒した。今までずっと、倒せないと思っていた帝王を。
春秋と黒兎を欠いた状態で、クルセイダースの力で。
「や、った。やった、やったっ! 兄さん、兄さん見ててくれましたか!? ボク、ボク――――」
――――。
歓声が、ピタリと止んだ。
通話越しに動揺した声が聞こえてきて、そこでシオンは。
――――世界が昏く染まっていることに気が付いた。
通話音声が乱れていく。
ノイズ混じりの音はもう声も聞き取れなくなって。
「「覇王君臨」」
抑揚のない声が、重なって。
――――――――――――――――世界が闇に包まれる。




