第四十話 独白 - 四ノ月桜花
帝王襲来まで、あと一日。
桜花は一人、大きな本を抱きしめながら永遠桜を訪れていた。
視界を埋め尽さんと荒ぶる桜吹雪の中、月明かりに照らされる永遠桜を見つめている。
「……この桜がなければ、この戦いは起きなかったんでしょうね」
世界中の竜脈の終着点。
世界を巡る魔力が集う場所。
無限に等しい魔力を得ている桜は枯れることすら忘れてしまった。
溢れる魔力、満ちる魔力が桜の正体。
桜を取り込めば取り込んだだけ、膨大な魔力を手に入れることが出来る。
しかもそれが一ヶ所にあるのだから、これほど効率のいい場所はないだろう。
だからこそ、星華島は《侵略者》に狙われる。
近海に異世界を繋ぐ《ゲート》があったからこそ、《侵略者》の脅威を事前に察知できるようになったが――それでも厳しい戦いを続けている。
「春秋さん……っ」
本を抱きしめ、今もなお意識を取り戻さない春秋を想い涙を零す。
春秋の生死は【予言】ではわからない。帝王が島を滅ぼしに来るのであれば、それは間接的に『春秋の死』が【星華島の滅亡】に繋がるからこそ予測できた。
だが今は、クルセイダースはカムイを手に入れた。
春秋がいなくとも戦う力を手に入れた。
もう少し時間を掛ければ、島は春秋を必要としなくても十二分に帝王と渡り合えただろう。
それ故に、春秋を狙う雷帝の思惑は【予言】へと至らなかった。
【予言】の細かい条件までは桜花も知り得ない。
ただ島が滅ぶ未来を、その光景が解るだけ。
あまりにも曖昧な力。それでも【予言】がなかったら、星華島はとうの昔に滅んでいた。
捨ててしまいたい。けれど、捨てられない忌々しいものだ。
「私が、もっと【予言】をコントロール出来ていれば……」
それが無理なことであるのは解っている。
【予言】は人の身を越えた力だ。黒兎の『死を司る神殺し』に通じるものがあるほどに。
こと【予言】を駆使しての島の防衛作戦において、桜花はユリアや黒兎以上に必要不可欠な存在だ。
「春秋さん。春秋さん……!」
春秋が傍にいないだけで深い深い闇の中にとらわれた感覚に陥る。ここまで自分が制御出来なくなるとは思ってもいなかった。
胸を締め付けるのは春秋の寝顔だ。
愛おしくて、狂おしくて、――冷たい言葉の裏側に感じられた暖かさに、彼がどんな旅を送ってきたか想像してしまう。
「春秋さん。好きです。大好きです。愛しています。許していただけるのなら、この島であなたと生涯を供にしたい……」
彼の心を守りたい。彼の心を支えたい。たまに見せてくれた微笑みが愛おしい。
幸せになって欲しい。幸せにしたい。自分の全てを彼に捧げたい。
こみ上げてくる全ての想いが春秋に向けられている。
「この想いをユリアさんに話したら、怒られちゃいそうですね」
『色恋沙汰にうつつを抜かしてないで作戦を考えなさい!』と容易に想像出来てしまう。
桜花は今、島が滅ぶこと以上に春秋を失うことに恐怖を抱いている。
全てを投げ出して、春秋と供に異世界に逃げてもいいと思うほどに。
でもそれは許されない。
自分が背負った運命を全うするためにも――――。
夜風が和らぎ、桜吹雪が少しだけ勢いを弱めた。
夜空に鎮座する満月を見上げる。
月はいつも、そこに在る。変わらずに、そこに。
「……明日、『もしも』シオンさんが止められなかったら」
その『もしも』は絶対に避けなければならない。
島の滅びは、島に住む全てが死ぬことを意味する。
水帝が、地帝が、なりふり構わず島が滅ぶ前提で暴れたことからも容易に想像出来る。
周囲を見渡した桜花は、抱きしめていた本に視線を落とす。
名も刻まれていない無銘の本。桜花にしては珍しく、忌々しげにその本を見つめた。
「未来が見えていることを、諦める理由にはしません。いつだって私たちは、奇跡を信じて抗い続けます」
永遠桜に背を向けて歩き出す。本を胸に抱え、ゆっくりとした速度で坂道を降りていく。
誰もいない夜道を歩く。桜花はぽつりと、誰にも聞こえないほどの声で呟いた。
「……《主人公》に成るシオンさん。絶望に抗う奏さん。奮い立つ黒兎さん。そして……」
寂しげで、不安げな瞳を揺らして一度立ち止まる。
栄華に咲き誇る永遠桜へ振り返り、桜花は無銘の本の名を読んだ。
「『アルマトゥルース』――黄金と白銀の物語。黄金の英雄と、白銀の剣帝。物語のように、ハッピーエンドが約束されていたらとても嬉しいのに」
+ + + +
――――時が来る。
蒼が立つ。白が駆ける。黒が歩む。
銀が目覚める。金が思い出す。
覚醒の刻は近い。
さあ、物語を始めよう。
英雄の物語を。
勇者の物語を。
神の物語を。
凡人の物語を。
奇跡の物語を。
さあ、戦いの幕をあけよう。
もし君が歩みを止めるなら。
僕がその手を取って連れて行こう。
もし君が歩みを止めるなら。
君が歩み出すまで隣で待とう。
もし君が歩みを止めるなら。
先にて待つ。お前ならばここに至れる。
もし君が歩みを止めるなら。
君が歩けるように、俺が道を切り開く。
もし君が歩みを止めるなら。
――――歩みを止める世界なんて要らない。
さあ、さあ、さあ。
滅びの予言は、明日。




