第四話 《侵略者》
朝の六時を半分ほど過ぎたところで、春秋の部屋を訪ねてくる人物がいた。
コンコン、とノックを二回。春秋が「入れ」と言うと、明るい声で「失礼します」と返ってくる。
聞き覚えのある声、というより思い浮かぶ人物は一人しかいない。
「おはようございます、春秋さん」
「ああ、おはよう」
最低限の言葉を交わすと、桜花は鼻歌交じりに扉近くに用意されているキッチンに入っていった。両手に四つほどの袋を持っていて、何やらガチャガチャ音が聞こえてくる。
「……何を始める気だ?」
春秋は敵意に敏感だ。脅威であると判断すればすぐに攻勢に出るほどに、春秋は他者を信頼していない。それは桜花も同様で、春秋一人のために用意された部屋に入ってくるなり知らない行動を取れば警戒するのも当然だ。
けれど桜花に敵意がないのは感じられる。だから春秋も警戒するだけで行動には移らない。
「少し待っててください。すぐに朝ご飯作りますから」
トントントンと軽やかに聞こえてくるのは包丁の音だろうか。しばらくするといい匂いが漂ってくる。
「お待たせしました」
にっこりと笑顔を見せながら桜花がキッチンから姿を見せる。色とりどりの料理をテーブルに並べていき、暖かい料理がテーブルを隙間なく埋め尽くす。
「さ、どうぞっ」
「……ああ、食事なのか」
並べられて、ようやく桜花が自分のために料理をしていたのだと理解した。
艶めき立つ白米、出しの香る味噌汁、鮮やかな魚の干物といったオーソドックスな和食。
桜花と向かい合う形で床に座り、箸を手に取る。
「あ、お箸大丈夫ですか? 使いにくければフォークやスプーンを――」
「問題ない。似たようなモノなら使ったことがある」
長い旅の中で様々な食事をしてきた。とはいえ作法を気にするよりもただの栄養摂取が目的だったために、腰を落ち着けて食事をするのはいつぶりだろうか。
いや、記憶にある中では初めてだ。
向かい合う桜花は春秋をずっと見つめている。自分の手元にある箸も持たずに、春秋の言葉を待ち続けている。
「……」
白米を一口放り込み、味噌汁を流し込む。干物をついばみ、咀嚼していく。
懸念していたのは毒を盛られているかだった。だが盛られていたとしてもそれなりに耐性はあるので問題ないと判断した。
「……」
味がしないのはいつものことだった。元より味を気にしたことなどない。必要最低限の栄養を摂取できればそれで問題ないのだから。
とはいえ、だ。
目の前の桜花が食事を見ては一喜一憂しているのを見ると、さすがの春秋も若干の気まずさを覚える。
「……うまいぞ」
そのくらいの世辞なら春秋にも言える。味はわからないが、刺激や苦みが一切ないのだから総合的に判断しても『美味い』のは確かだ。
「むぅ」
だがその答えが気にくわなかったのか、桜花は頬を膨らませた。春秋は気にすることなく食事を進める。
桜花も箸を手に取ると、綺麗な動作で食事を始める。小さな口に少しずつ食事を運び、しっかり噛んで飲み込む。
「春秋さんは……その、薄い味の方が好きですか?」
「濃い味の方が好みではある」
濃ければ濃いほどなんとか味を認識できるから、だが。
「わかりました。次からはもうちょっと濃くしてみます」
「いや、そこまでしなくても――」
「私が、したいので」
「あ、ああ」
鬼気迫る表情を見せられては頷くほかなかった。食事を終えると桜花が片付けを始める。手持ち無沙汰になった春秋は、ぼうっと天井を眺めていた。
「案内したい場所があるので、準備をして貰えますか?」
「いつでも出れる」
「ありがとうございます」
着替えも何もないのだ。着の身着のまま過ごしてきたから、特に用意するものもない。
桜花はエプロンを解くと、鞄を持って春秋を待っていた。昨夜の私服とは違った、桜色の制服だ。
「何処に向かうんだ?」
「昨夜お話した通り、《侵略者》が来ます。その対応をする本部へ」
「《ゲート》が開く場所を教えろ。そこに俺が向かえばいいだけだろう」
「いえ、知って貰いたいんです」
「……時間は大丈夫なんだろうな」
「はい、間に合いますので」
寮を出て道を真っ直ぐ進む。すぐに一際高いマンションが見えてくる。
エントランスを抜けてエレベーターに乗り込むと、桜花は迷うことなく最上階を選択する。音を立てて重力が身体にのし掛かる。
「……ほう」
「ここが、星華島防衛組織――《クルセイダース》の本部です」
扉の先は怒号が飛び交っていた。ヘッドセットを付けたオペレーターたちが矢継ぎ早に連絡を繰り返し、大量に並べられたモニターはどれもこれもが異常を知らせるアラートを鳴らしている。
外観からは想像できないほど広い部屋だった。恐らくだが、最上階の部屋全てを繋げて一部屋にしたのだろう。
気になったのは、誰も彼もが子供だった。大人と子供の境目くらい――けれど、まだ誰も二十歳にもなっていないと予測される。
「四ノ月さん! 【予言】通り《ゲート》が異常を訴えています!」
「ユリアさんは?」
「現場に向かいました!」
「……ここのトップが率先して現場にいくのはどうかと思いますが」
「四ノ月さん、魔力反応増大中です!」
「計測魔力はどれくらいですか?」
「C、B、A……まだ上がっています! オーバーSと予想されます!」
「わかりました。《ゲート》が開く時刻は?」
「あと十分もありません!」
「わかりました」
「って四ノ月さんどうしてそんな冷静なんですか!?」
オペレーターたちの悲鳴と訴えを聞きながら桜花は淡々と指示をしていく。一人だけ明らかに場慣れしており、その横顔は凜々しく勇ましい。
桜花が振り返り、微笑みを向ける。春秋は「わかった」とだけ返す。
「出現場所は何処だ」
「え、誰ですか――ええい、ポイントA-3、星華学園上空です!」
「ほぼ真上か」
「恐らくですが、学園校庭に着地すると思われます! 永遠桜まで近すぎる……!」
オペレーターが視線を戻し、春秋は悠然と歩を進める。
その表情には不安も恐怖も何もない。そんな春秋の表情を見て、桜花もまた不安の色を見せることなく微笑んだ。
「春秋さん。お願いします」
「了解した」
そして桜花を残して、春秋はエレベーターに乗り込み屋上に向かう。
屋上は本部と打って変わって静寂に満ちていた。人っ子ひとりいない屋上で、春秋は全身に風を浴びる。
不穏な気配を感じた。気配のする方向を、空を睨み付ける。
《ゲート》が、開く。
空が捻れ、ひび割れる。空の向こうの極彩色の世界から、《侵略者》が姿を見せた。
《侵略者》の全容を認識したその時――――春秋は口角を吊り上げた。
愉快げに笑い、背負っていた剣を抜く。
空を穿つ。切っ先は天を突き、降下してくる《侵略者》を射殺さんと殺意を向ける。
「まさか、"また"お前たちと相まみえるとは思わなかったよ」
春秋は全身に力を込め、魔力を流し込む。漲る力の赴くままに、床を蹴ってマンションの屋上から飛び降りた。