第三十二話 闇からの警報
世界が黒く染まる頃、春秋は星華島西岸部――調査船イザナミを訪れていた。
完全に復旧していない港は街灯も全然修繕されておらず、視界の大半が闇に埋め尽くされている。
暗視の魔法を唱える。クリアになった視界で、調査船イザナミを見上げる。
特に目立った破損は見受けられない。むしろ何もなかったかのように綺麗な装甲だ。
「……おかしい。四年だ。『救出』が必要だった筈なのに、どうして船に傷の一つも入っていない」
春秋は、島の人間ではない。大人たちの帰還という事態であっても、唯一冷静に外から状況を観察できる立場だ。
だからこそ、違和感でしかない。
調査船イザナミは『救出』された。それは逆に言えば『浚われていた』ということだ。
誰が、どうして、何のために。
答えは簡単に導き出せる。
《侵略者》が、星華島を襲うため、だ。
だとしても、四年もの間、調査船イザナミのメンテナンスをする必要はない。
大人たちを生かしていたことに何かしらの意味はあるのかもしれない。
意味。そう、意味だ。
意味がない。
島を襲い、桜を手にし過剰なる力を手に入れたいのなら。
メンテナンスも、大人たちの命も必要がない。
いや、大人たちを人質にするのであれば意味があるのかもしれない。
それならば子供たちを浚った方がよっぽど賢い。
どちらにせよ星華島の問題は星華島だけに収まらない。
残された者たちが、そして世界中が星華島を守ろうとする。
結果として今の星華島は世界に見捨てられているようなものだが……そんなことは、人質を浚ってからでないとわからないことだ。
「……人の気配はしない。が、かすかに船内から物音がする」
タラップは外されており、乗艦が出来ないようにされている。
それは黒兎が大人たちを気遣ってのことだろう。降りてきたばかりの物言いからして、大人たちを守ろうとしている。
「まあ、別に梯子なんて関係ないか」
痛む身体に鞭を打ち、地面を蹴る。綺麗な装甲の隙間や、足を引っかけられる所を利用して船腹を駆け上がる。
あっという間に甲板に躍り出る。出来る限り物音を立てないように神経を使いながら、軽やかに着地する。
「……静かだ。休んでいるだろうからわかるが……それにしても、静かすぎる」
春秋は、敢えて言葉にしなかった。
人の営みの痕跡がない。船が自動で動くわけがない。操作された後も、誰かが何かを使った後も残されていない。
綺麗に片付きすぎている。まるで、見た目だけは綺麗に整えている感じだ。
疑念が深まる。
――魔力を感じない。
あらゆる世界を旅してきたからこそ、魔力がない人間がいることくらいは春秋も知っている。
だから、魔力を感じないことが決定的な要因にはならない。
四年も離れていれば、環境の変化で魔力が消えてしまった――そういうことがあったのかもしれない。
だがそれらは全て、春秋の希望的観測でしかない。
桜花も、仁も、シオンも、ユリアですらも、この島の子供たちは全員魔力があった。
おそらくは、この世界では大半の人間は魔力を持っている。
「……船室は、向こうか」
慎重に、慎重に。足音を消し、出来る限り魔力を絞り、気取られないようにする。
誰に? 誰かに、だ。
船室と甲板を隔てている扉が待ち構えている。ドアノブを回そうとして、ビリ、と春秋の身体に電気が走った。
「――っ」
静電気のような小さな痛み。けれど明らかに時期としておかしい。
まだ秋にもなっていない。それなのに、痛みを伴うほどの静電気が起こるものなのか。
いや――。
「……自分を誤魔化すのはよくないな。俺らしくない。どうして俺はここに来た。確かめるためだ。何を? 決まっている」
ドアノブを回そうとする。鍵が閉まっている。力任せにドラノブを壊し、扉を強引に開く。
「……クソが」
船室に足を踏み込んだ時点で、春秋が毒づいた。電灯のついていない室内は真っ暗闇で、暗視の魔法がなければ見えなかった。
見えてしまった。地面に転がる骨を。
カタカタカタ、と骸骨が震えていた。誰の骸骨かまではわからない。
作業服を着た骸骨がいた。白衣を着た骸骨がいた。寝間着を着た骸骨がいた。
それは船室だけではない。船の奥の奥まで骸骨が並べられている。
もはや何か言葉を絞り出すことも出来ず、淡々と並べられている骸骨たちを観察していく。
誰もが首からタグをぶら下げており、そこには名前が刻まれていた。
そして、何の気なく視線を投げた一つの骸骨――そこには。
水原茂、と書かれていた。
「……趣味が悪い」
なんて最悪な趣味だろうか。とうに命は奪われているというのに、どういうわけか綺麗に並べられて、劣化しないように処理をされて、こうして並べられている。
まるでコレクション。質が悪すぎる、人骨コレクションだ。
骸骨たちが静かに震えている。かすかな魔力を感じる。何故そうしているかはわからないが、意図的に、魔法によって、骸骨たちは音を鳴らされている。
「……四ノ月、聞こえるか?」
たまらず春秋は持っていた端末で桜花に通話を投げた。
【予言】には調査船イザナミのことは出てこなかった。
だからこそ、誰もが楽観していた。いや、大人たちの帰還に喜んでいた。
なんと言っても【予言】でないのなら、島は滅びないということだから。
だが。
だが――――。
『春秋さん、どうかしましたか?』
聞こえてくるのは、いつもと変わりのない桜花の声。
嗚呼、きっと――きっと、これを伝えてしまうと。
頭を過ぎったのは、黒兎に詰め寄って父の安否を気にしていた水原祈の泣き顔だ。
「……お前との契約は、『この島と、この島に生きる者たちの命を守る』ことだな」
『そうですけど……どうか、しましたか?』
「時守黒兎を問いただせ。イザナミを調査しろ。神薙と時守シオンへ連れ出せ、いいか、絶対に、お前たちが調べ終わるまで、誰もイザナミに連れて行くな――――!?」
背後に感じた気配に、春秋はすぐに通話を切って端末を床に投げ捨て、足で粉砕した。
暗闇の世界で、誰かが船室の扉を開けた。
端末を壊した音は聞こえただろう。その人物は自身の存在を隠しもせず、ズカズカと船室に入り込んできた。
バ、と室内に光が満ちる。突然電灯が発光し、春秋ともう一人の姿を明るみに引きずり出した。
「おや、見回りに来たらどうやらネズミが入り込んでいたか」
「――――時守黒兎」
渦中の人物が、そこにいた。
時守黒兎。自らを『天才』と名乗る少年にして、星華島の守護者――であるはずだ。
だからこそ。だからこそ、理解が追いつかない。
どうして、彼が、こんなことを当然とばかりに隠していたのか。
いずれ明るみに出ることなのに、何もしていないのか。
言葉にしない。したくない。どうして自分がこんな感情を抱いているのかもわからない。
春秋はそう、混乱しているのだ。
けれど、春秋は言葉を絞り出す。
「お前は、誰だ」
「時守黒兎だよ。超越者にして、この島を守る存在だ」
「……俺は、俺は一つだけ知っている事実がある。『こんな悪趣味』が好きな奴を、俺は知っているということだ」
春秋がこれまでの旅路の中で出会ってきたあまたの人物。そのほとんどは覚えていない。
けれど、ここまでの『悪趣味』な存在はさすがに記憶に残している。
一人は、今も図書室にいるであろう少女――管理者。
そして、もう一人は――。
「けれど、お前の姿形はどこからどう見ても俺の知っているそいつではない。時守シオンが違えていない以上、お前は間違いなく時守黒兎なのだろう。――――だからこそ、問う」
春秋の推測が正しければ、それは間違いなく【予言】に引っかかる事態である、はずだ。
ならば違うのか。人違いであり、目の前にいる時守黒兎は本物で――。
「貴様は、次世代の『雷帝』か?」
「――――」
返事はない。
けれど、けれど。
吊り上がった口角が、明確に答えを告げていた。
「『滅雷』」
黒兎が手を振り上げると同時に、三日月状に電撃が放たれる。
黒く、黒く、何処までも黒い雷――触れては不味い、と直感的に判断した。
咄嗟に身を翻し、回避する。雷は天井を引き裂き、夜の星空を覗かせる。
「85点と言ったところだ。炎宮春秋。俺は時守黒兎で――」
黒兎が懐から仮面を取り出した。見覚えのある、無表情の仮面。
「何も変わらぬ、お前のよく知る『雷帝』ぞ」
黒兎の素顔を仮面が隠す。纏う様に紫電が走り、雷光と共に駆け抜ける。
速い。春秋がよく知る雷帝よりも、ずっと、速い――――!
「『雷装顕現』」
迫る。迫る。迫る迫る迫る。
そこに、『死』が迫る。
黒き雷で造られた剣。
それを見た春秋は、咄嗟にレギンレイヴで受け止めて。
抵抗も何もなく――――レギンレイヴが両断される。
刃は止まらない。黒き雷の刃が、春秋を袈裟に切り裂いた。




