第三十話 お見舞いと追撃と
「――かくして、二体の帝王の脅威を退けた星華島はひとときの平和を取り戻すのであった」
さらさらとペンを走らせている金の少女――管理者と呼ばれている少女は、物語を語るかのように作文用紙に文字を書き込んでいく。
退屈そうにページをめくる春秋は管理者の言葉に耳を傾けない。お互いがお互いの領域を侵害しないように、見えない壁が構築されている。
「つれないねぇ春秋。せっかく私が今回の激闘を文章にしたためているんだぞ?」
「文章にしてどうするんだ」
「ユリアを始めとした関係各社への報告書に使われる」
「そうか」
春秋としては会話を続けるつもりはない。
問いかけられたら必要最低限だけ答える。それだけだ。
今はただ資料室に籠もっている桜花を待っているだけ。
「ふふ」
当たり前のように桜花を待っている春秋を見て、管理者が微笑む。
その声が聞こえているのかはわからないが、春秋は黙りを続けている。
「その物語は面白いだろう? 嘘つきの少年と過去からの来訪者――世界に復讐を誓った、狂気を仮面で隠す少年と、復讐が虚しいことを知る、滅ぼされた国からやってきた少年。主張の異なる二人のすれ違いと友情を描いた物語」
「そうだな。つまらなくはない」
素直じゃない春秋の感想を受け流しながら管理者は饒舌に語る。
「世界に愛された復讐者と世界に嫌われている異邦人の友情。復讐者は狂気と友情の狭間で揺れ動き、自らの答えを友に委ねる。――お前が友人であると答えてくれるなら、この復讐を捨てることも辞さないと。
けれど友は復讐者の正体に動揺して、答えを出せないでいる。答えを出せない友に復讐者は悲しく笑い、決裂してしまう」
「そこの流れは悪趣味だな」
「そうかい? 我ながら素晴らしい物が描けていると思うが」
「……。我ながら?」
言葉尻を捉えるわけではないが、管理者の言葉にふと違和感を覚えた。
「ああ、そうか」と気付いてなかったとばかりに管理者が口を開く。
「それは私が書いた物語だよ。それだけではない。お前に貸し出した物語の全ては私が紡いだ物語だ」
「……へぇ」
「お前と主観が近いとわかったからね。どうせなら自分の書いた物を呼んで貰いたいだろ?」
「そうだな。それなりだった」
「それでいい。その一言だけで物書きはいくらでも筆を走らせることが出来るのだよ」
普段とは違うニコニコと上機嫌な笑顔を見せてくる。話がちょうど切れたタイミングとばかりに資料室の扉が開き、桜花が姿を現した。
「あら、管理者さん凄い上機嫌ですね」
「そうかい? そうだろうね。ふふ。ひーみつ」
「むー。ずるいです」
焼き餅を焼く桜花だが、春秋は待っていたとばかりに席を立つ。
管理者はひらひらと手を振って二人を見送る。
自然と二人で歩き出す春秋と桜花を眺めながら、嬉しそうに愉快げに口角を釣り上げるのであった。
桜花と連れだって歩くのにも慣れてきた。柔らかな風が頬を撫で、ふと横目に桜花を見つめる。
桜の花びら舞う中で、四ノ月桜花という少女はひときわ輝いていた。
風情ある桜の光景の中であっても、桜花の美しさは一欠片も失われない。
むしろ花びらが桜花を引き立てていると言っても過言ではないほどだ。
年相応の可愛さよりも、美しさが勝る――それは、春秋ですら感じるほど。
しかし春秋はそれを口にはしない。なんだか負けた気になるからだ。
「どうかしましたか?」
春秋の視線に気付いた桜花がこちらへ視線を向けてくる。
凜々しい横顔から一変して、正面から見れば可愛らしく微笑んでいる。
その微笑みが春秋“だけ”に向けられた特別なものとは、さすがの春秋も気付いていない。
「いや、なんでもない」
「そうですか」
話を切り上げる春秋に、桜花は深く追求しない。
心地良い空気が二人を包み込んでいる。春秋は無意識に桜花と歩調を合わせ、自然と車道側を歩いていた。
桜花はそのことを知ってか知らずか、微笑みを絶やすことなく春秋の隣にいる。
「朝凪君、大丈夫でしょうか?」
「問題ない。炎を受け入れた以上、あいつは並の人間よりしぶとくなっている」
「高熱が続いていると聞いてますが……」
「炎を制御しきれていないだけだ。死にはしない」
二人の目的地は、星華島に唯一ある総合病院だ。
本部の医務室でも十分設備は整っているが、入院施設が潤沢なのはやはり病院だ。
そこには今、仁が入院している。
地帝アケディアとの一戦で重傷を負った仁は、今もなお療養中である。
「春秋さんは、大丈夫なんですか?」
「大丈夫だ。お前が気にする必要性はない」
心配げに見てくる桜花をあしらう。
地帝アケディアとの戦いから、まだ三日も経っていない。
一番重傷だったのは仁だったが、春秋もそれに劣らないほどの傷を負った。
大丈夫だ、と答えはしたものの。春秋の肉体は回復しきれていない。
あの日、桜の花びらを喰らいかろうじて命を繋いだ。
傷はまだ塞がっておらず、激しく動けば開いてしまうだろう。
だが春秋はそれを口にはしない。
強がっているのではなく、口にしたところで帝王の襲撃が治まる訳ではないからだ。
次の【予言】次第ではあるが、今春秋は使えるリソースの全てを回復に費やしている。
それでも全回復するには時間がまだまだ必要で、一週間から二週間は掛かるだろう。
……次の戦いまでに回復が間に合わない。春秋はそう考えている。
だからこそ春秋は回復に専念しつつも、間に合わない場合を想定して戦略を構築している。
「あ、見えてきました」
桜並木の向こう側。この星華島で最も純白の建物が見えてくる。
星華島総合病院。
相も変わらず大人のいない星華島だが、島外から持ち込まれた最新の医療施設が揃っている。
医療スタッフも訓練が施されたメンバーが選出されており、下手な病院より治療も運営もしっかりされている。
「四ノ月さん、朝凪さんのお見舞いですか?」
「はい。305号室ですよね?」
「そうですね。時守さんもいらっしゃってます」
受付で軽い挨拶を交わすと、受付の少女は春秋を見て慌ててぺこりと頭を下げてくる。
ほんのりと頬を赤く染めていたようだが、興味のない春秋が気付くわけもなく。
気付いた桜花は少しだけ不満そうな表情をしていた。
受付の少女が顔を上げる頃にはいつもの表情に戻っていたが――。
階段を上がり、真正面の病室の前でノックをする。「どうぞー」と軽い少女の声が返って来て、二人連なって入室する。
「あ、ししょーと桜花さん。いらっしゃいませー」
ベッド横のパイプ椅子に腰掛けていたシオンがぱっ、と明るい笑顔で二人を出迎える。
「春秋が……お見舞いに来た……だと……!?」
「そうか。じゃあ先に部屋に戻っているぞ」
「ああ違う違う嬉しいですありがとうございます嬉しいなあ春秋が来てくれて!!!!」
「何だお前は面倒くさい」
ベッドの上で上半身を起こしている仁がいつもよりも馴れ馴れしい。
顔は赤く、よほど熱いのか入院服の胸元を少し開けている。
冷房は強めに効いており、桜花が思わず身震いしているほどだ。
「いやなんか目が覚めてからやけにテンション高くてな! あれか。生き延びれて嬉しー!!!って奴か?」
「ししょー。先輩が壊れたんですけど殴れば直りますよね?」
「直るか! 俺は平常だ!」
どこからどう見ても平常ではない。いつもの仁とは明らかに違う。
身体に傷は残っているが、傷の影響とは思えない。
「炎を制御しきれてなくて無駄にエネルギーが余ってるだけだ」
「炎?」
「なんだ時守。説明していなかったのか?」
「だってボクも初めて見ることですよ。推測は出来ますが説明までは出来ません」
どうぞどうぞと身振り手振りでシオンが説明を求めてくる。
はぁ、とため息を一つ。
人差し指を仁に向け、指先に小さな黒炎を浮かび上がらせる。
「この炎は、ありとあらゆる全てを喰らい、力に変える命の炎。あのままでは死ぬだけだったお前に、俺の炎を分け与えた――結果として、お前は炎に選ばれた。命を底上げし、かろうじて生き延びた」
「?????」
「ししょー。先輩ぜんぜんわかってません。先輩馬鹿だからもっと細かく教えてあげないと理解しませんよ?」
「……お前の命は俺が助けた。その副作用で今のお前は無駄に発熱してる」
「なるほど!!!! ありがとう!!!!!!」
うわうぜえこいつ、と思ったが言葉にはしなかった。
もう一つため息を吐いて、桜花が用意した椅子に腰掛ける。桜花も椅子に腰掛け、二人並んでハイテンションの仁と向き合う。
「そうだ四ノ月、次の【予言】はいつなんだ!?」
「は、先輩馬鹿ですか? まだ退院も出来ないんだから大人しくしてやがれください」
「何でだよああもう身体動かしたくてしょうがないんだぞ!?」
「絶 対 安 静 で す」
ぎゃあぎゃあと騒ぐ仁とシオンを尻目に、春秋が重い口を開く。
まるで吐きたくない言葉を絞り出すように。
「朝凪、時守」
「はいっ」
「なんだ?」
「よくやった」
「「は?」」
キョトンとしているのは二人だけではない。隣に座る桜花もまた、驚いた表情で春秋を見つめている。
三人の反応を無視し、目を伏せたまま春秋は言葉を続ける。
「地帝アケディアが覇王君臨を使うのは想定外だった。お前たちは確実に殺され、島は滅ぶとも思っていたが――よく、生き延びた。俺が間に合うまで保たせた。少しだけ、お前たちへの認識を改めた」
「春秋が……」
「ししょーが……褒めた……」
仁もシオンも固まっている。だから言いたくなかったとばかりに、春秋は三回目のため息を吐く。
らしくない、とは自分でも思っている。これではまるで、仁とシオンに期待していると言われても反論出来ない。
驚いて硬直している桜花。
素直に喜んで良いのかわからない仁とシオン。
言わなきゃよかったと後悔を始める春秋。
重苦しいような、居心地の悪そうな、でもそれほど気まずいわけではない空気。
最初に笑い出したのは桜花だ。理由はわからなくても、素直じゃない春秋と二人に自然と笑みが零れてしまった。
釣られてシオンが、続けて仁が笑い出す。笑い声が響く病室の中で、春秋だけは悟られまいとそっぽを向く。
自らの口角が僅かに上がっていることに、春秋は気付かなかったが――。
『桜花、春秋、聞こえてる!?』
穏やかな空気が唐突に引き裂かれる。
声は桜花のポケットから――桜花のスマートフォンから聞こえてきた。
応答を承認してもいないのに勝手に起動したのは、クルセイダース隊員への緊急連絡だからだ。
すぐに何かが起きたのだと察した桜花は、部屋にいる全員に聞こえるようにスピーカーを起動する。
「ユリアさん、どうしました? 春秋さん、朝凪さん、時守さんが同席しています」
『焦らないで。ええ、焦らないで聞いてちょうだい』
「ユリアさん、まずはユリアさんが落ちついてください」
『それもそうね。ああもう、何がどうなってるのよ!』
ユリアの声は明らかに動揺している。仁やシオンが驚いた表情をしていることから、ユリアのこんな声を聞くのは初めてなのだろう。
春秋は口を挟むことなく耳を傾ける。異常事態であろうとなかろうと、自分がするべきことは決まっているのだから。
何回かの深呼吸の後に、ユリアが重い口を開く。
『星華島沖合に、突如として艦船の反応が現れたわ。認識コード、イザナミ――』
聞き覚えのない単語に首を傾げる春秋と、正反対の表情を見せる三人。
そこでふと、以前の会話を思い出した。
雷雨の日に消えた大人たちの話を。
確か、その時に乗っていたとされる調査船の名が、イザナミ。
通話越しのユリアの声にノイズが混ざる。
まるでそれ以上の言葉を許さないかのように。ノイズの中に、かすかに人の声が混ざってきた。
『――……答せよ。応答せよ。星華島防衛部隊、応答せよ。こちら調査船イザナミ、四年の旅より帰還した。繰り返す。調査船イザナミは帰還した。応答せよ、こちらは、時守黒兎』
がたん、と椅子を蹴り飛ばす勢いでシオンが立ち上がった。




