第二十九話 どうせ、死ぬのなら
「何故だ。何故貴様が此処にいる、炎宮春秋――――」
地帝アケディアの疑問に春秋は答えない。
時間がないのはわかっていた。そして己の現況を顧みて、選択肢は一つしかない。
「――よう、アケディア。じゃあな、死ね」
レギンレイヴは地帝アケディアの肩に突き刺さり、頑強なる岩の体躯に穴を空けた。
躊躇うこと無く穴に拳をたたき込み、地帝アケディアの内部に黒き炎を走らせる。
ただ壊すための炎では無い。
風帝アワリティアにやったように、春秋は地帝アケディアに黒炎を“分け与える”。
「ぐっ……き、さま……!」
春秋は、この黒き炎の性質を全て理解している訳では無い。
何かを喰らい、力に変える。空気を燃焼する炎を連想したからこそ、炎と呼んでいるに過ぎない不可思議な能力。
変えた力は、あらゆることに利用できる。
戦う力。魔力としても、物理的にも、純粋なエネルギーとしても扱うことが出来る。
生命力にすることも出来る。体内を巡る炎によって、春秋は限りなく不死に近い存在となっている。
命を喰らい、命へと変える――無限なる循環。
無限燃焼機関・命の炎。
そしてこの炎の特徴の一つとして、他者へ、炎を分け与えることが出来る。
命の炎は無限の力。
命を燃やし、森羅万象を喰らい尽くして命を循環させる。
それ故か、使い手を選ぶ。
誰が選ばれるのか、そればかりは春秋にもわからない。
だが、炎が選ばない基準は理解している。
炎は、他の力との共存を好まない。
それが炎にとって悪影響となるのなら、尚更。
「や、めろ。やめ、やめやめやめ――――」
地帝アケディアの身体中に罅が入る。砕け、零れ、崩壊していく。
強引に取り込まされた黒き炎が、地帝アケディアを拒絶しているのだ。
帝王は炎に選ばれない理由。それは、帝王たちの力の《核》を炎が拒むからだ。
地帝アケディアの体内を黒炎が駆け巡る。
相応しくない主を拒み、その全てを喰らい尽くしていく。
崩壊する身体。身体を震わせながら地帝アケディアは悶え苦しむ。
「うおおおお、おおおお、春秋、貴様は、貴様は――なぜ、ここにいるぅ……!」
「風帝だよ。あいつが馬鹿なことをした。馬鹿をしたお前を咎めるために、な」
風帝アワリティアの最期の瞬間。春秋は、暴風に襲われて吹き飛んだ。
だが吹き飛ばされた方角こそ、星華島東海岸部――地帝アケディアが上陸した場所。
ミスではない。わざわざ嫌がらせと明言していて、吹き飛ばす方角を間違えるほど馬鹿な風帝アワリティアではない。
では、嫌がらせとは誰へ向けてのものなのか。
決まっている。地帝アケディア、だ。
真意は不明だ。考えるつもりも無い。
だが結果的に、風帝アワリティアの行動が救援を間に合わせた。
もしも、を考えていても仕方がない。春秋は結果を鑑みて、現状で最適解を選択した。
砕けていく。零れていく。体中から制御出来ない黒炎があふれ出し、地帝アケディアが苦悶の悲鳴を上げていく。
片膝を突き、抵抗もままならぬまま巨躯が大地に倒れ込む。
瞳から転がり落ちる宝玉は、地帝アケディアの命《核》。
最後とばかりに黒炎が腹を突き破って飛び出してくる。大蛇のように大口を開け、そこにももう一つ宝玉が。
ごとん、と春秋が大蛇のような炎を切り落とし宝玉を回収する。
転がってきた命の《核》を踏み砕き、風化していく地帝アケディアを見上げる。
「……終わった、か」
春秋にしては珍しく気が緩んだ。ふらついた身体を支えもせず、尻餅をついて崩壊していく巨躯を眺める。
強引にだが回収出来た風帝アワリティアの核と合わせて、二つの核をポケットに仕舞う。
「……炎の出力が上がらない。ったく、何が起こったんだか」
春秋の身に起きた異常。
黒炎の出力が上がらず、火力も回復力も足りていない。
それでも死ぬほどではないのだが、継戦能力は確実に落ちている。
傷が塞がりにくい。身体が重い。弱音を吐くまではいかないが、自身が弱っている現状を認める必要がある。
「先輩、先輩! 起きてください!!!」
膝に力を入れて立ち上がったところに、シオンの悲痛な叫び声が聞こえてきた。声の元へ歩み寄ると、シオンが必死に仁へ声をかけている。
有り体にいって、声をかけるだけ無駄である――と、春秋は判断してしまった。
すでに呼吸をしていない。かろうじて心臓くらいは動いているだろうが、生きているとは断言出来ない状況だ。
治療を施せば間に合うかもしれない。その治療が間に合えば、だが。
「派手に動かすな。朝凪はもう」
「死んでません! だって、だって心臓は動いてます! ちょっと息してないくらいですから、人口呼吸をするなりなんなり――」
「心臓も今にでも止まる。諦めろ」
「諦めません! だって、だって先輩は、先輩は島を守るって、ずっと、ずっとそのために頑張ってきたのに!」
今にも泣き出しそうなシオンの表情。そこまでの思い入れがあったのかと――いや、あったのだろう。
島を守る同志として。共に戦ってきた仲間として。先輩後輩以上の気持ちがあるのだろう。
「……朝凪、俺は言ったよな? 死んだら契約不履行になる、と。そうなったら俺が殺す、とな」
「ししょー……?」
「だから、もう一度殺してやる。その上で、生き延びて見せろ」
いくら声をかけても仁は返事をしない。そんな仁を、春秋は冷めた目で見下ろしている。
呼吸はしていない。心臓ももう数分も経たぬ内に鼓動を止める。
春秋が手を翳し、指先に小さな球体を創り上げる。黒き炎の球体だ。
指先から落とされた小さな小さな黒炎が、仁の身体に吸い込まれていく。
まるで水面に飛び込んだ水滴のように、音も無く仁の身体に溶け込んでいく。
ドクン、と。
心の臓器が、脈を打つ。「先輩!?」シオンが驚き声を上げる。
「がっ、げほ……が、あ、ぁ……っ!」
「先輩!? 呼吸が、戻って!?」
脈打つ心臓に応えるように、仁が咳き込んだ。血を吐き出し、口の周りをべっとりと深紅に染めながら、瞳に光を灯した。
「さすが凡才。何もないからこそ、炎を受け入れたか」
――とはいえ、賭けであることに違いはなかった。
元より死ぬのを待つ身だった。炎を分け与え、命に変わるのが間に合うかもわからなかった。
春秋にしては、珍しい気まぐれである。他人の生死を気にしない彼が、自らの炎を分け与えてようとするとは。
「ぐぁ、あ、い、で、ぇ……」
「ほれ、応急処置は済んだ。さっさと医療機関に運び込め」
「え、あ、えと、はい! ユリアさん、ユリアさん応答してください、先輩を大至急――――」
「…………ったく」
慌てふためきつつも連絡を入れるシオンを置いて、春秋は部屋に帰るために歩き出す。
ぽたりぽたりと滴り落ちる血をものともせず――いや、強引に、無視して。
「……っ」
身体中を走る激痛に、思わず表情を歪める。島内にサイレンとアナウンスが流れ始める。
帝王の脅威を退けたのだ。島が日常を取り戻していく。
春秋が考えたのは、早く部屋に戻りたい――という単純なものではなかった。
早く部屋に戻らないと、面倒になると予想しているから。
面倒とは何か。決まっている。
桜花――だけではない。島に生きる人たちに、今の姿を晒すわけにはいかない。
理由はわからない。だが、とても面倒なことになると想像するに容易い。
「……げほっ」
咳き込み、喀血する。口元を拭いながら、バクバクと強く脈を打つ心臓に苛立ちを隠せない。
「命が、足りねえ」
命の炎は、無限に循環する。命を喰らい、森羅万象を喰らい尽くし、命へと還ってくる。
本来であれば完全に自給自足できるのだが、今日だけは状況が違った。
風帝アワリティアへ一撃を与えるために、必要以上の傷を負った。
風帝アワリティアと決着を着けるため、命に還る筈の炎を余計に消費してしまった。
地帝アケディアを滅ぼすために、さらに炎を消費したこと。
仁を助けるために、消費したこと。
そして、原因不明の出力減少――本来であれば間に合うはずの治癒も間に合っていない。
死にはしない。それは経験談でわかっている。
だからこそ、「命が足りない」と言葉にしたのだ。
時間をかければ回復出来る――だが、どれくらいの時間が必要かわからない。
一日もあれば、取り繕うくらいまでは回復出来るのだが。
「……四ノ月には知られたくねえな」
浮かぶのは不安に押しつぶされそうな表情をする桜花だ。
回復に専念するのであれば、食事と睡眠を疎かには出来ない。
そしてその両方とも、桜花が深く関わってくる。
春秋は、とにかく現況を桜花に知られたくなかった。
何故かは春秋自身もわからない。島民にバレることは最悪承知出来るが、桜花だけは不味い。
「……出力が落ちていても、少しは賄えるだろ……!」
脈打つ心臓を抑えるように、五指で胸を強く掴む。
肌に爪が引っかかり血が流れるも、春秋は気にもせず虚空へ言葉を投げかける。。
左手を空へ翳す。残された僅かな魔力で風を呼び起こし、そこら中に散らばる桜の花びらを手元に集める。
「喰らえ、ナラカ・アルマ……」
桜は、なるべくだが使いたくなかった。
島を守る契約をしている以上、島の財産である桜を使うことは、自分も帝王たちと同じ《侵略者》になってしまうからだ。
第一、島を十全の状態で守ることこそが春秋と桜花の契約だ。
島を守るために、島を消耗させるのは契約不履行に当たる。
桜花たちならば許すかもしれない。認めるかもしれない。
だが春秋がそれを許さない。許したくない。
契約を結んだ以上、それをねじ曲げるわけにはいかない――……。
「っ、っ、っ……ぅ、ぁ」
最小限、動けるようになるまで。本当に極少数の花びらを取り込んで、春秋は立ち上がる。
遠くからサイレンが聞こえてくる。おそらくは、仁を運ぶための救急車の音。
ならば人の目は向こうに集まっているはずだ。
気配を消し、逃げるように春秋は自分の部屋へ戻る。
その後ろ姿は、いつもの春秋とは思えないほどに小さなものだった――――。




