第二十七話 風の帝王
「おらおらおらおらっ! 抵抗も出来ずに死んじまいなぁ!」
――――風帝アワリティアの覇王君臨。
風帝アワリティア自身が風となり、荒れ狂う風を凝縮させて鷹となる。
大空を駆け抜ける翼。
ありとあらゆるものを砕く鉤爪。
その身全てが暴風であるが故に、触れるモノ全て切り刻むカマイタチ。
そして最も厄介なのが、空を独占することだ。
暴風の中で自由に動けるのは風帝アワリティアのみ。それがわかっているからこそ、春秋も空で戦う選択をしなかった。
空を飛んでもダメ、地上で待ち受けても――空から一方的に攻撃してくる風帝アワリティアに対して防戦一方となってしまう。
戦いとは、基本的に上から攻める者が圧倒的優位を取る。
視界の問題。移動空間の確保。
下の者は攻撃が届かず、敵の攻撃を待つことしか出来ない。
時間が無い。
懐に忍ばせていたタイマーが刻一刻と時間の経過を知らせてくる。
すでに戦闘を始めて二分は経過している。
移動時間を考慮しても、残り三分で風帝アワリティアを倒さなければならない。
――唯一の誤算が、春秋の思考を狭めていく。
「……ったく、地帝の奴は馬鹿なのか。桜を喰らう前に島を滅ぼしてどうするんだ」
地帝アケディアの人となりは知っている。何事にも全力を尽くす、愚直で猪突猛進な男。
目的の為に覇王君臨をするはずがないと踏んでいたが――。
地帝アケディアの覇王君臨は、周囲の岩石や土を取り込み強大な体躯へと至る。
大地の肉体を変化させ、巨大な武器を振り回す――何よりも頑強で、崩れても崩れても再構成する極めて厄介な能力だ。
「――考えていても仕方が無い。予定を早めるだけだ」
春秋の言葉は暴風にかき消され、誰の耳にも届かない。
僅かな苛立ちを、春秋は自覚していなかった。
誤算だから?
否。
想定外だから?
否。
春秋は気付いていない。いや、今星華島にいる誰であっても、桜花であっても春秋の苛立ちに気付けはしない。
それは、春秋自身の心象が変化を始めていたから。
「ナラカ・アルマ。命を喰らえ、森羅万象全てを喰らい尽くし、愚かな帝王の命を奪え――」
黒炎が荒れ狂う。
春秋は黒炎で全身を覆い隠して、不利な戦場である空へと挑む。
「そのまま地面で死ぬのを待っていればよかったものを!」
風帝アワリティアは歓喜の声を上げる。地上で待ち受ける春秋を殺すには、さすがに時間が掛かるからだ。
いかに高所を取って有利でいようとも、春秋の炎はその逆境すらも喰らい尽くす可能性があるから。
だから、春秋をいたぶり、削る作戦でいた。
圧倒的優位を維持したまま一方的に損害を出さずに春秋を殺す方法だった。
地帝アケディアが覇王君臨を繰り出したのは、風帝アワリティアにとっても誤算であった。
それほど難敵がいたのか。いや、この島に春秋と並ぶほどの脅威はいない。
だからこそ理解できなかったし、先を越されてしまうことを確信した。
そこで、春秋との戦いで手を抜かなかった。
勝負を急いで雑な攻撃をしていたら、今頃風帝アワリティアは核を貫かれていた。
英断とも言える判断だった。
自らの実力を、春秋の実力を、そして地帝アケディアの実力を知っているからこそ出来た選択だ。
この島の魔力を喰らうことを諦めた訳では無い。
春秋との戦いに時間を掛けてでも、風帝アワリティアは地帝アケディアを出し抜ける算段があるからだ。
時間を掛けて、おおよそ十分で春秋を殺す。そして自身の最大速度であれば、島の中心で油断した地帝アケディアの不意を突くことが出来る。
そこまで見越しての判断だった。
結果として、風帝アワリティアのその判断こそが春秋を追い込んでいる。
痺れを切らした春秋が、空へと昇る。
それこそが風帝アワリティアの望んだ展開。
高所の優位を捨ててでも、春秋を確実に殺すための戦術。
「死ねや春秋ぃぃぃぃぃぃぃぃ」
迫る春秋へ向けて風の刃を放つ。鋼すら切り裂くカマイタチ。
上から、下から、左右から、全ての逃げ場を奪うように、全方位からカマイタチが春秋へと襲いかかる。
黒炎を広げて、春秋が姿を現した。背に広がる黒炎を爆発させて、カマイタチを強引に無視して風帝アワリティアへレギンレイヴを向ける。
「――――貫け、アルマ・レイヴッ!!!」
レギン・レイヴを黒炎が包み込む。魔力が満ち、炎が満ちたアルマ・レイヴが迫るカマイタチの悉くを破壊し尽くした。
「ばっかじゃねえのかお前!? 捨て身で来やがった!」
カマイタチは残っている。下から、左右から迫るカマイタチが春秋の全身を切り刻む。
激痛が走る。でも、腕も足も落ちていない。落ちない限界を見定めて、炎で全身を守っていた。
でも、捨て身には違いない。ダメージは尋常ではない。悲鳴を堪え、なおも春秋はアルマ・レイヴの突貫を止めない。
アルマ・レイヴが風帝アワリティアに激突する――――。
全身が暴風の鎧だ。風帝アワリティアは、全力を以てアルマ・レイヴを受け止める。
春秋は消耗している。いくら黒炎による治癒があろうとも、受けたダメージはすぐに回復しきれるものではない。
だから風帝アワリティアは耐えるだけで良い。春秋の限界が訪れるまで、耐えれば良い。
「……ぐ、っぁ……!」
春秋の身体がふらつく。ダメージを誤魔化しきれていない。
あと少し、あと少し、あと少し。
アルマ・レイヴの先端が暴風を僅かに貫き始めている。
あと少し、あと少し、あと少しで――――――――“助けに行ける”。
「――――ッ!?」
春秋は、自覚していなかった。
自分が、何に苛ついて、焦っていたのか。
焦っていたとしても、春秋の判断は間違っていなかった。
炎の治癒力を活かして、捨て身で風帝アワリティアを撃破する。
その為のアルマ・レイヴ。黒炎の全てを載せて、確実に貫けるはず、だった。
……黒炎が消失した。
突然の消失に、春秋も、そして風帝アワリティアすらも驚いている。
暴風がアルマ・レイヴ……いや、レギンレイヴを押し退けた。
炎を失った春秋を、空に止める術はない。
全身に激痛が走る。治癒が間に合っていない。
どうして、どうして、どうして、どうして。
考えるよりも先に春秋は地上へ落下していく。
風帝アワリティアもまた、理解が追いついていなかった。
だが今こそが絶好の好機であると判断した。
黒炎の使えない春秋は、手強いが殺せない相手ではない。さらに相手は手負いであり、空を飛ぶ術すらない。
殺せる。今こそ、炎宮春秋を殺せる。
帝王の地位を蹴り、自由奔放に世界を渡る旅人を殺せる。
「あひゃ、あひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!!! 死ね、死ね死ね死ね死ね死ね死ね春秋っ!!!!!!!!!!」
全速力で、風帝アワリティアはクチバシを伸ばす。
届く、もう届く。コンマ数秒で春秋の肉体を貫き、その命を奪える。
勝利を目前にして、春秋を殺せる瞬間を垣間見て、そこで初めて風帝アワリティアは選択を間違えた。
「――喰らえ、喰らい尽くせナラカ・アルマ。命でも、桜でも、此処に力はいくらでもあるだろうがッ!!!」
春秋の両手が、風帝アワリティアのクチバシを受け止めた。
全身から黒炎が溢れ出す。動転する風帝アワリティアの視界に映ったのは、春秋の身体へ溶け込んでいく――――――――。
――――桜の花びら。
桜花との会話で、春秋は桜を利用できないか考えていた。
桜の花びらは、たとえ僅かであっても魔力の結晶体だ。
エネルギーの塊であるのなら、黒炎が喰らうことは当然出来る。
元より自分の命を削って使う黒炎だが、限界はある。春秋の命以上の出力は出せないのだから、回復と戦闘同時にしていては限界が訪れてしまうかもしれない。
春秋は、その“かも”を懸念していた。
普段は余裕ぶっていても、それだけ帝王、とりわけ覇王君臨は強大な相手なのだ。
元より魔法を作るのは得意だった。この島で使われている術式については、レギンレイヴを始めとしたカムイの製造過程を知っている。
魔導回路の開発、制御に成功したのは春秋が協力したからだ。
つまり春秋は、この島で使われている術式についてすでに理解している。
理解しているのなら、使えるわけだ。
桜の花びらを取り込む魔法――吸い込む魔法と言うべきか。
構造自体は単純で、ほんの少しの魔力で使える簡単過ぎる魔法。
魔法について少しでも学べば、小さな子供でも起こせる風の魔法。
奇しくも、風を司る帝の前で使うとは思わなかったが――。
「捕まえ、たぁ……!」
それはもはや執念だった。
春秋自身、ここまで自分が躍起になっていることに内心驚きながらも、目の前の風帝アワリティアを倒すべく最後の手段を選択する。
「離せ、離せ離せ春秋! そうだ、契約しよう。俺の風で、お前を向こうに運んでやる! 俺たちで地帝をぶっ殺して、そこから決着を付けようじゃないか。なあ、なあ、なあ!?」
風帝アワリティアは理解っている。この距離は春秋の距離で、自分に死が迫っていることを。
春秋の両手に、魔力が集う。
集った魔力の全てが黒炎に変わり、風帝アワリティアの体内へと潜り込んでいく。
荒れ狂う黒炎が、風帝アワリティアの体内に流れていく。
「ガ、ガ、ガ――――」
「炎は、使い手を選ぶ。お前たちは、炎に選ばれなかった者たちだ」
「ハ、ルアキ――――――」
黒炎が風帝アワリティアを食い尽くす。風を、風を、全ての風を飲み込んでいく。
砕けるように、暴風が弾けた。落下する少年の身体は炎に塗れ、その形を失っていく。
春秋は手を伸ばし、崩れていく身体から力の《核》を奪い取った。
至近距離で、春秋は少年――風帝アワリティアとにらみ合う。
「いや、がらせ、を、して、やる」
「――!?」
風帝アワリティアが口角を釣り上げる。
命の核は砕けて、力の核も失ったというのに。
「アバよ、ハルアキ」
最後の抵抗とばかりに、風帝アワリティアが暴風を放ち――――春秋を飲み込んだ。




