第二十六話 強襲、旋風たる風の王 頑強たる大地の王
波の音だけが聞こえてくる。
星華島西海岸――外交の入り口となる港が設けられているそこは、今は無人となっている。
平時であれば都市部の次に賑わっている港で、春秋は一人その刻を待っている。
レギンレイヴを地面に突き刺し、今か今かと空を睨め付ける。
「――――来たか」
警報が聞こえるよりも早く、空を見上げた。
『星華島西海岸、及び東海岸に《ゲート》の反応! 島民は安全を最優先し、避難してください。繰り返します。《侵略者》の来襲です。避難をしてください』
避難誘導のかけ声とサイレンが拡声スピーカーから木霊する。冷静を務めようとしつつも、声の主ですら動揺を隠せていない。
島内がざわつく。あらかじめユリアの指示によって避難は進んでいるものの、そう手際よく進むわけがない。
大人がいないこの島で、大人になるしかなかった少年たちだ。
彼らはまだ、大人ではないのだ。慌てて、動揺すれば、いくらでも動きは鈍る。
混乱も起きる。それでも暴動までいかないのは、ひとえに彼らの思いが一つだからだ。
空に罅が入る。空間が破裂する。
空の向こうに極彩色の世界が広がり、そこから小柄な影が風を纏って落下してくる。
「お、春秋じゃーん。外れ引いちゃったかー」
「……お前か。俺は当たりを引いた側だな」
緑髪の少年はあどけない顔立ちで、害の無い顔をしている。人なつっこい笑みを浮かべながら着地すると、ニコニコと笑顔を浮かべたまま春秋と対峙する。
「となると、向こうは地帝か」
「そうだよー。全く、くっそつまらん作戦だよ。外れを引いた方が囮になるとかさー」
「囮、そうだな。確かに囮だ。――まあ、囮にもならんがな」
「へー。さっすが次代の帝王候補者だった奴。自信満々じゃん?」
春秋は十分耐えろ、と仁とシオンに告げている。
五分で帝王を倒し、そちらの救援に駆けつけるとも。
だからこそ、無駄な問答をしている暇は無い。無いのだが――だからこそ、春秋は慌てずに言葉を続ける。
それは自信があるから、だけではない。
相手に時間稼ぎを徹底される展開だけを防ぐための、事前策だ。
「帝王の座などに興味ない。そんなもので俺は満たされない」
「あっそ? ふーん。もったいねー」
けらけらと笑う少年の笑顔が変わる。少年の笑顔から邪悪な哄笑へ。
「いいのか春秋。俺とこんなところで駄弁ってて」
「そうだな。不意打ちで一撃で殺せるタイミングを探してるところだよ」
「さっすが春秋。ま、わかってて警戒してるけど――――さ!」
春秋が意表を突くように突き刺していたレギンレイヴを蹴り飛ばす。少年はわかっていたかのようにレギンレイヴをかわし、大きな声でゲラゲラと笑う。
「最初っから武器捨ててんの! ばっかじゃねー――――!?」
「馬鹿はお前だよ」
少年の胸から、レギンレイヴが飛び出した。鮮血を撒き散らしながら、少年はそれでも歪んだ笑顔を崩さない。
春秋の黒炎は、春秋の思うがままに使うことが出来る。
触れるもの全てを喰らい尽くす炎といえど、所有者である春秋には逆らえない。
蹴飛ばされたレギンレイヴを、細い細いか細い炎が掴んでいた。
春秋は避けられたレギンレイヴを、炎で強引に引き寄せたのだ。
最初の不意打ちは綺麗に決まった。だがこれだけでは決定打にならない。
初見で帝王の核を見抜くことは難しい。
只でさえ自らの肉体をそれぞれの性質に変換し、回避する術式を持っている帝王だ。
今の一撃が通ったのは、完全に油断していたからだ。
次は無い。次が無いからこそ、ここからが本番だ。
「はー。でもそうだよな。焦ってるのは俺も同じか。あいつに先を越されるのは癪だし、お前を殺した上でこの島を喰らえば泊が付く。それじゃあ一丁――殺してやるか!」
「さあ来い、最も気まぐれで、後先考えない愚図帝王――“風帝アワリティア”」
少年――風帝アワリティアがどこからか仮面を取り出した。春秋はすぐにレギンレイヴを手元に引き寄せ身構える。
口元まで覆い隠す無表情の仮面が、風帝アワリティアの顔を隠した。
「覇王君臨」
――――――――暴風が巻き起こる。
身構えていなければ吹き飛ばされてしまいそうなほどの風。嵐すらも生ぬるい、狂乱の風だ。
嵐の壁を引き裂いて、風帝アワリティアが真の姿を曝け出す。
竜人であった水帝スペルビアとは違う、完全な獣の出で立ち。
荒れ狂う風を圧縮して出来た鷹。
巨大な翼を羽ばたかせ、鋼すら砕く鉤爪が大地を蹴った。
+
「先輩、逃げてもいいんですよ? ボクがなんとかしてあげますから!」
「……嘘吐くな。足、震えてるぞ」
「む、むむむむ武者震いですが!?」
一方その頃。
クルセイダース三番隊隊長・朝凪仁、二番隊隊長・時守シオンは東海岸で帝王を待ち構えていた。
軽口を交わしつつも、さすがに緊張は隠せない。
シオンは先の戦いで、帝王の実力を嫌というほど思い知った。
春秋との模擬戦で、力の差を見せつけられた。
だからこそ、わかってしまう。
悠然と歩いてくる帝王にとって、自分たちが道場らの石ころ以下であることが。
噛みつかなければ、むしろ素通りしてしまいそうなほどに、帝王は仁とシオンを敵として見ていない。
事実、帝王はこのまま素通りするつもりだった。
春秋を風帝アワリティアが引きつけている以上、自分はのんびりと島の中央に向かうだけだから。
この地に春秋に並ぶ存在はいない。脅威となる者がいないことを理解しているから。
だからこそ、帝王――地帝アケディアは口を開く。
「子供たちよ。手を出さないのであれば見逃そう。帝王の名の下に、お前たちに庇護を与えることも可能である」
提案するのは、降伏勧告。
「断る。ここは俺たちの島だ。いつか帰ってくる皆のために、今を生きる俺たちが、守るべき場所だ」
「断ります。ここはボクたちの島です。ボクたちの未来は、ボクたちのものだから――あなたの庇護は、いりません」
「そうか」
――――予想外のことが起きる。
――――想定外のことが起きる。
それは誰もが考えていなかった最悪の事態で。
「どうして」と本部で待機していた桜花の口から言葉が漏れるほどだった。
指示を聞くために装着していたイヤホン越しに、「予言と違う」と声が聞こえてくる。
それを聞いて不安を抱く――暇が無い。
「覇王君臨」
無表情の仮面が地帝アケディアに装着される。
――春秋は、帝王二体が同時に『覇王君臨』を使わないと言っていた。
強大すぎる力が故に、目的であるこの島すら潰してしまう可能性があるからだ。
先の水帝スペルビアとの戦いで、大津波によって島を滅ぼそうとしたのは明らかに水帝スペルビアの独断であり、目的を達成できないからこその選択肢だった。
だからこそ、仁とシオンで足止めをする手筈となっていた。
春秋が来るまでの、十分間。通常形態の帝王でさえ今の二人にとって死闘であるというのに。
「――獅子は兎を狩るにも全力を尽くすのだろう? 故に、我もこの島全てを喰らうために全力を尽くそう。その結果島が滅ぶとしても、残骸から拾えばどうにでもなるだろう。――――風帝の小僧よりも早く、この島を喰らい尽くす」
隆起した大地が地帝アケディアを飲み込んで、その全てがアケディアの身体へ飲み込まれていく。
竜人である水帝とも、獣である風帝とも違う。
およそ三メートルは超えているであろうその巨躯を、仁たちは見上げることしか出来ない。
人馬一体――四足と人の上半身を併せ持つ、伝説上のケンタウルスを連想させる出で立ちの。
地帝アケディアの、覇王君臨が牙を剥く。
「一瞬でケリをつけてやろう。幼き子供に対して、我が出来る最大限の配慮である。――――さらばだ子供たち、死ぬがよい」
地帝アケディアの左腕が膨れ上がる。大地と岩によって作られた身体から、巨大な剣が引き抜かれる。
「シオン、ひとまず逃げ――――」
仁の声すらのかき消して、巨大な剣が振り下ろされた。




