第二十五話 夜桜を見上げて
気付けば日が沈み、星華島を闇が包み込む。
二体の帝王との戦いを前に、春秋は夜道を散歩していた。
傍らには桜花。もうすっかり二人で出歩くことも慣れてきた、穏やかで静かな時間。
春秋は少なからず、この時間に心地よさを感じていた。
勿論言葉にするわけではない。だが桜花も感じているのか、言葉にせずとも歩調を合わせて夜桜を眺める。
「四ノ月」
「はい」
どことなく、空気が重くなる。
夜桜を見上げていた春秋がそっと視線を落とす。
伏せていた目を見開いて、桜花を見つめる。
けれどその視線は情熱的なものでも、冷ややかで冷淡なものでもなかった。
「帝王たちがこの島を狙う理由を教えろ」
それは最初から提示するべき情報で、今の今まで春秋が気に掛けていなかったものだ。
興味が出たから――というよりも。
春秋の中で、微細でも心境に変化があったから。
勿論、春秋は変化を自覚していない。
只、思いついたから言葉にしただけだ。
待っていたとばかりに、桜花はゆっくりと唇を動かす。
「彼らの狙いは、この島の中心に存在する永遠桜です。この世界のありとあらゆる全ての竜脈が集う場所――それが、この島で、永遠桜なんです」
竜脈――それは、世界を走る魔力のライン。
魔力が駆け巡り、そこから少しずつ漏れた魔力は世界を満たし、魔法を成り立たせている。
その、全てが集う場所――それが星華島であり、島の中心に立つ永遠桜。
故に、この島を喰らう――永遠桜を喰らうこととは、この世界全ての魔力を喰らうも同義。
「なるほどな。そりゃ帝王たちもなんだかんだ必死になるわけだ」
納得がいった春秋は舞い散る桜の花びらを手に取り、翳して見つめる。
なるほど、確かに目をこらせば花びら一枚一枚に魔力を感じる――とても極小で、でも、大気に満ちる魔力よりももっと高純度の魔力が。
「この問題はこの島だけで済まないだろうに。よく世界が納得しているな?」
「……世界は、静観しています。それはクルセイダースを信じているわけではなく、いつでも最悪のカードを切るために」
「成る程。島が落ちる時はこの島ごと焼き払う算段か」
桜花は『最悪』を言葉にはしなかった。春秋でさえ容易に想像が付く。
この島は、世界のありとあらゆる希望を背負っている。
魔法文明の根底であると同時に、世界を滅ぼす切っ掛けでもある。
うかつに手を出せないのはわかる。だが、誰もこの島を守ろうとしないのはあまりにも理解しがたい。
「全ては四年前、この島を守る立場であった人たちが消失してしまったことが原因です。雷雨の日に、調査船イザナミが消えてしまったこと。翌朝に、島内全ての『大人』が姿を消したこと。世界はそれを、《侵略者》の敵性行動と判断し、島を切り捨てる方向にシフトしました」
夜桜を見上げる春秋とは対照的に、桜花は俯いて当時を語る。
「すぐにでも島民を避難させて、永遠桜を放棄する作戦も発案されました。……でも、誰だって、好き好んで故郷を捨てたい訳ではありません。世界もまた、永遠桜を限界まで利用する方針を貫きました」
利害の一致、とは違う。
島に残りたい者。島で暮らしたい者。残された者たちの思いを、外の奴らが利用した。
「反吐が出るな。俺だったら世界に喧嘩を売っている」
「ユリアさんがいましたから。ユリアさんが、神薙財閥から独立して、神薙コーポレーションを作り――この島で、残された人たちだけでやっていける組織を作ってくださいましたから。だからみんな、この島を守ることを、ユリアさんの思いに応える道を選べたんです」
「無謀だな」
「無謀です。……無謀だからこそ、私は【予言】の力に触れることが出来ました」
桜花の語る過去――四年前の惨劇。大人たちのいない事情。
それら全てを知って尚、春秋の心は動かない。
「島を指揮するユリアさんと、最悪を回避するための【予言】。この二つで、星華島は今日まで生き延びることが出来ました」
だが、結果として異界の帝王が襲来するまでに至ってしまった。
春秋が来訪し、桜花と契約を結べたからこそ、星華島はかろうじて滅びの未来を回避できている。
桜花たちが危うげな位置にずっと止まっていることは理解できた。
だが、それでも解せないことが一つ。
「四ノ月、《ゲート》はどうにかして制御出来ないのか?」
「こちらから開くことは可能です。ですが逆に、向こう側からも強引に開くことが出来ます。……あれは、古代の産物で、現状では完全な制御は難しいです」
「それならば島の研究方向を《ゲート》の制御に集中させろ。戦力を優先したところで、帝王たちには敵わない」
春秋の告げる事実を、桜花は敢えて黙り込む。わかっていることだ。いくら星華島が魔法文化を、戦う力を伸ばそうとしても――異界の帝王には届かないことくらい。
だからこそ春秋は、帝王たち、ひいては《侵略者》が星華島へ来れないようにするべきだと提言している。
《侵略者》の相手をしていては、常に後手に回るだけ。
いつまでも戦いは終わらない。危険と隣り合わせの日常を送ることとなる。
「春秋さんが」
「なんだ」
「春秋さんが、ずっと、この島を――――……いえ、なんでもありません」
「そうか」
桜花が慌てて言葉を噤んだ。その意味がわからない春秋ではない。
春秋は、桜花との契約に基づいて島を守る側に着いている。
本来であれば、彼もまた《侵略者》であったかもしれないのに。
桜花との契約は、来る七の帝王を撃退すること。
それ以降の脅威に対して、春秋は関与しない。するつもりがない。
その時が来る前に、旅を再開するから。
「……私はっ」
意を決したように、桜花が顔を上げる。夜桜を背に春秋を見つめ、ハッキリと己が意志を示す。
「私は、四ノ月桜花。星華島の――永遠桜の管理者で、四ノ月家第十五代当主です。私はどんな手段を以てしても、私の願いを叶えます」
それは狂気じみた決意で――仁やシオンに感じた執念に近いものを感じさせる。
「いいじゃないか。それだよ。お前のそういう本心が聞きたかった」
「……あまり、見せたくはありませんけど」
「いいんだよ。その方がよっぽど人間らしい。出会ってばかりで人の行動を先読みする不気味な頃よりよっぽど好ましい」
春秋の言葉に桜花が思わず頬を染める。勿論春秋の言葉に言葉以上の意味はないのだが、それでもほんのりと紅潮するのを止めることは出来ない。
「どちらにせよ帝どもの全ては俺に任せろ。あいつら全てを滅ぼして、俺は俺の願いを叶えるだけだ」




