第二十話 小さな変化、大きな一歩
差し込む朝日に気が付いて、春秋は目を覚ました。
枕元に置かれていた時計に目を向けると、今が朝の六時半であることを教えてくれる。
――――時間にして約十八時間超。それだけの間、春秋は眠っていた、ということだ。
視線を下げる。胸の中にはまだ桜花がいた。すやすやと寝息をたてながら、安心しきった表情で眠っている。
認めたくないが、認めるしかない。これまで十五分の睡眠で十分だった春秋が、どうしてか長く眠れるようになった原因。
桜花が側にいることで、春秋は眠ることが出来る。
春秋は決して認めたくない。これまでずっと一人で過ごしてきた自分が、たかが少女一人が側にいるだけで眠れる――――安心できる、だなんて。
けれども。
確かにしっかり睡眠を取ることは大事だと改めて思い知らされる。
起こさないようにそっと桜花をベッドに寝かせ、立ち上がる。
身体が軽い。昨日まであった不快さは何もかも吹き飛んでいる。
こんな気分で目覚めたのは何時振りだろうか。身体を動かしたくてウズウズしている。
物は試しと入り口に立てかけているレギンレイヴを手に取って、音を立てないように部屋を出る。
どこで身体を動かそうか、と考えたが特にこれといった場所は思い当たらなかった。
仕方なくいつも通りに坂を上がり、学園の校庭へ。
適度に広く、人っ気も少ない。身体を動かすには十分だ。
「……っ!」
レギンレイヴを振り回す。想像以上に身体が春秋の意思に応える。
いつもよりも速く動ける。今までがパフォーマンス不足であったことを痛感する。
「なるほど。寝るのは大事なんだな」
よく今までのスペックで帝王を相手に勝ててきたものだ――と思うものの。
それでも倒せてきたのだから、まあ十分ではないか。
むしろこれからはもっと余裕を持って相手出来る、ということだ。
「――あれ、あなたは」
聞こえてきた声に振り向くと、青髪の少女がきょとんとした表情で春秋を見つめていた。
少女のことを春秋は覚えているが、名前は知らない。
いや、聞いたことはあるのだが興味がなかったので覚えていなかった。
時守シオン。先の水帝スペルビアとの戦いにおいて、【水帝の犠牲者】という【予言】の渦中にいた少女だ。
春秋はシオンを助けた。そして水帝スペルビアとの戦いにおいては邪魔になると判断し、下がらせた。
シオンは興味津々な瞳で春秋をじっ、と見つめている。仁と同じような瞳を向けられて春秋はすぐにシオンを「めんどくさい」と断定した。
「炎宮春秋さん、ですよね――ってどこにいくんですか!?」
もう少し身体を動かそうと思っていたが、止めることにする。
下手に絡まれたくないのだ。関わるのは桜花と仁、そしてユリアくらいでいいと春秋は考えている。
「部屋に戻るだけだ。身体能力の状態の確認も済んだからな」
「えーーーーー。ボクと模擬戦してくださいよー!」
「必要のないことだ」
「必要あーりーまーすー!」
いつの間にかシオンは春秋の腕にしがみついていた。意地でも逃がさないとばかりにぎゅ、と力を込めている。
春秋が本気で振り払えば簡単に引き剥がせる程度の力だ。――だが、春秋はシオンを強引に振り払おうとしない。
それは桜花との契約において、島民を傷つけないことが該当しているから。
春秋は律儀に条件を守っている。
「それならばメリットを提示しろ。俺の時間を割くに足る十分なメリットがあるのなら模擬戦だってなんだって受けてやる」
「本当ですか!?」
瞳を爛々と輝かせたシオンが動きを止める。するすると腕から離れると、こほんと咳払いをひとつ。
「ボクとの模擬戦に勝利したら、クルセイダース二番隊隊長の地位を差し上げます!」
「そうか」
「帰らないでくださーーーーーい!?」
シオンにとってそれは非常にメリットのあるものなのだろう。けれど、春秋にとって何の魅力もない。
待って待ってとすがりつくシオンに、春秋はもう一度だけだとため息を吐いて立ち止まる。
「えーっと、えっと……」
シオンは一生懸命春秋に提示できる何かを考えている。この時間すらも無駄だと感じている春秋にとっては苦痛以外の何でもないのだが。
時間にして、数分。長いようで短い時間を終えて、シオンがようやく口を開く。
「……ボクが強くなれば、あなたに頼る必要がなくなります。この島は、ボクが守りたいんです」
強い決意が込められた瞳だ。
シオンは今、「春秋に頼りたくないから自分を鍛えてくれ」と言ったようなものなのだ。
桜花の意図からは大きく外れた言葉。
シオンはわかっている。春秋の機嫌を損ねてはいけないことくらい。
でも、それでも飢えている。強さに。
奇しくもその言葉は――春秋が初めて星華島を訪れた日に、仁が叫んだ言葉と同じ感情が込められていた。
「お前たちは」
「……はい」
「お前たちは、どうしてこの島に拘る。自分たちで敵わない脅威が迫っているのなら、逃げることこそ大切だ。朝凪といいお前といい……この島に、なにがある」
春秋が感じた疑問。仁もそうだが、シオンもまたこの島を守ることに執着している。
そう、執着だ。この島を守るという使命ではなく、この島を自分で守らなきゃいけないという――狂気すら感じる執念だ。
「この島は、消えてしまった両親が、祖父が、生きてきた島です。ボクたちの歴史がこの島に刻まれているんです。この島に生きる一つの命として、この島を見捨てたくありません」
「なんだ? 死ぬ時は島と心中するとでも言いたげだな?」
「覚悟はしています」
「…………そうか」
正直にいって、ここまではっきり意見を言ってきたシオンのことは嫌いじゃない春秋だった。むしろ仁同様なかなか好感触だ。
だが、だからといって模擬戦をするほどではない。
現状として、帝王は春秋でなければ排除できない。それは冷静に、客観的に判断されている。
桜花やユリアが春秋に協力を惜しまないのはそれを理解しているからだ。
島の戦力では、帝王を撃退することも敵わない。それが島の代表である桜花とユリアの認識だ。
「だったら、一つテストをしてやろう。お前が今できる最大の一撃を俺に放て。俺から血を流せることが出来たら、少しは時間を割いてやろう」
挑発と共に口角を釣り上げる春秋に対して、シオンもまた不適な笑みを見せる。
――仁とは違う、少し異質なその感覚。
思わず期待してしまうほどに。




