第十九話 普通の人間ならば
「……異常はありません」
「本当ですか!? だってこんなに顔色が悪いし、自覚症状も出てるんですよ!?」
本部の医務室に連行された春秋は、医師の問診を受けてベッドに寝かされた。
簡単な検査を済ませ、不調の要因を話し診断を受けたが――結果として、これといった重大な病症は見つからなかった。
次は精密検査をするべきだ、と桜花が詰め寄っているのを春秋は遠巻きに聞き流している。
そもそも体調が悪いくらいで何をおおげさに、というのが春秋の心境だが。
「風邪の症状でもないですし、ウイルス検査も異常は検出されませんでした。捻挫とか打撲の症状も出ていないので、次はレントゲンとCTをやるつもりではいますが……」
「じゃあやりましょうすぐやりましょう」
「……落ち着け四ノ月。異常がないならただの気のせいってことだ」
ふらつく身体に鞭打って春秋は立ち上がる。力が入らずによろけてしまうが、手すりに寄りかかって体勢を整える。
「春秋さん、ダメです! 寝てください!」
「大丈夫、だと、言っている……」
春秋が今にも倒れそうなのは誰の目にも明らかだ。むしろどうして立ち上がれたのかすら疑うほどに、今の春秋の状況は芳しくない。
どうしたものかと医師も頭を抱えている。何かないものかと春秋に書いてもらった問診票を改めて見直す。
「……炎宮さん、前日の睡眠時間はどれくらいですか?」
医師の質問に春秋は「なにをいまさら」とばかりに答える。
「十五分だが」
それは春秋にとっての『当たり前』だ。これまでも問題はなかったのだから、今更それが原因だとは思っていない。
確かに突然二時間も意識を失ったのだから、睡眠時間を気にするのもわからないでもないが。
「炎宮さん、とにかく寝ましょう。間違いなく睡眠不足です」
「そんなわけが、あるか。今まで、なにひとつ問題は、なかったんだ」
「……私は詳しくわかりませんが、あの炎――あれは、あなたの傷を治療する力を持ってますよね? だとすれば、今までは黒炎が身体の不調も治していた、と解釈できます。ですが炎宮さんは朝の戦いでかなり消耗しました。だからこそ治癒が間に合っていない、と私は思います」
医師の推測を聞いて、春秋もまた概ね間違っていない、と理解はした。
けれどだからといって納得出来たわけではない。
これまで何も問題なかったのもまた事実なのだ。今更ただただ単純に寝ろ、と言われても。
「四ノ月さんの話を聞く限り、何か変化があったのではないですか? 戦闘が終わってから二時間ほど眠ったと聞きましたが」
「確かにそうだが……原因は分からん」
何度も自問自答した。どうしていきなり睡眠時間が延びたのか、要因を調べても原因と なるものは見つからなかった。
いや、一つ。一つだけ試していない要因がある。
だがそれが要素になるとは考えもしなかった。
端的に言えば、"あり得ない"からだ。
しかしもうそれしか思い当たる節がない。
春秋は振り向くと、桜花が不安げな表情でこちらを見つめていた。
「四ノ月」
「は、はい! なんでしょうか!」
桜花は思わず身構えて春秋の言葉を待つ。
「俺と寝ろ」
「ぴゃああああああ!?」
+
「……さて」
部屋に戻ってきた春秋は早速思いついたことを試してみることにした。
あの時春秋は桜花に膝枕をされていた。その結果、二時間ほど眠った。
魔法などの要因を排除するのならば、桜花の膝枕が結果を招いたと――と仮定する、しかない。
たかが膝枕にそれほどの効果があるのか、また、膝枕だけなのか。
正直に言えば、今の春秋は正常な思考が出来ない。だからこんなこともしてしまう。
ふらつく頭。襲いかかる吐き気。とにもかくにも不快な気分に包まれている。
これが捨てられるのであれば、平気で悪魔に魂を売ってしまいそうなほどに。
「お、お待たせしました……」
両腕で身体を隠しながら桜花が着替えを終える。頬を赤らめもじもじとしている。
特筆すべきは身に纏っている衣装だ。普段の制服やら私服ではない。
猫の模様があしらわれた桜色のパジャマ。しかもフードには猫耳のような装飾まで取り付けられている。
美少女と相まって非常に愛らしい。島民が見たら大騒ぎになるほどだ。
そんな姿の桜花と二人っきりでいるというのに、春秋は平然としている。
「ようやく終わったか。早く寝るぞ」
「は、はい……」
二人で一つのベッドで寝る。それが何を意味しているのかわからない桜花ではない。
いや、桜花は深く考えすぎている。春秋はただただ"寝る"だけだ。
そこに過度な展開を考えているのは桜花だけだ。
春秋が先にベッドに入る。桜花は春秋の後を追って、躊躇いながらもベッドに潜る。
潜ってきた桜花を春秋は抱きしめた。
「ぴゃ!?」
「静かにしろ」
「ぴゃ、ぴゃい……~~~っ」
最初は膝枕を試そうとしたが、それで長時間の睡眠に入った場合桜花の負担が大きい、と結論が出た。
その結果が、桜花を抱き枕とすることだ。膝枕だけだと思っていた桜花からすればとんでもない提案だった。しかし受けた以上は拒否できなかった。
一枚の布団に覆われる形で、春秋と桜花が密着する。
早鐘を打つ心臓の音が気付かれないことを祈りながら、真っ赤な顔を隠すためにも春秋の胸に顔を埋める。
しかしそれは全くの逆効果だ。密着すればするほどお互いの体温と温もり、さらには匂いが感じ取れてしまう。
「…………」
春秋は何も言葉にしないまま、桜花を抱く力を強くする。ぴったりと胸に納まる桜花の抱き心地が良い。
あまりにも、あまりにも、だ。心地良すぎてすぐに意識が飛んでしまう。
抱きしめた桜花のことなど気にもならずに、春秋はすぐに意識を手放した。
すぅすぅと聞こえてきた春秋の寝息に、桜花は思考がショートしてしまいそうだ。
見上げて寝顔を見ることは出来ないが、春秋が眠れた――その一点だけが、桜花の心を軽くする。
(……春秋さん。春秋さん。春秋さん。ずっとずっと、あなたを待っていました)
こんな形で春秋と密着することになるとは考えもしなかったが、今のこの状況は桜花にとってとても心臓に悪いものだ。
悪い意味ではない。むしろ桜花は、春秋が望むのであれば身体だって差し出したいと思っているほどだ。
桜花はずっと、春秋を待っていた。
それは【予言】による救世主だからではない。
もっともっと、ずっとずっと、遠い過去から。
桜花はずっと、春秋を待ち、思い続けていた。
初めて島で出会い、共に過ごして、焦がれた思いは強さを増していく。
傷ついて欲しくない。桜花の本心は、島を守ることよりも――春秋の全てに向けられている。
(今度こそ。今度こそ……春秋さんに、幸せになって欲しい)
それはまるで、春秋の過去を、これまでを知っているかのような口ぶりだった。
しかし、だ。
桜花と春秋は、生まれてから一度も出会ったことはない。
そもそも異なる世界で生まれた二人だ。出会う訳がない。
星華島で初めて二人の運命が交差したばかりなのだ。
それならば。
桜花の想いは、どこから来ているのだろうか。




