第十五話 ナラカ・アルマの一端
竜がうなり声を上げる。空を穿つように掲げられた左の腕に従うように、集った水が槍と化す。
その数、優に百を超える。
「“ダイダロス”ッ!!!」
水帝スペルビアが腕を振り下ろす。水の槍の全てが、春秋目掛けて突撃する――!
「数だけは立派に揃えたじゃないか」
迫る槍を前に春秋は微塵も動揺せず、レギンレイヴに魔力を流し込む。
魔導回路に命が巡る。銀の槍はその先端に魔力の刃を形成していく。
レギンレイヴは春秋の身の丈ほどの魔力刃を創り上げる。
黒炎が走る。レギンレイヴの全身を駆け巡り、全体を黒炎が覆い尽くす。
水の槍に対して、黒炎の槍を創り上げた。
槍が、迫る。春秋はその全てをレギンレイヴを回転させることによって弾いていく。
弾くだけではない。水帝スペルビアの魔力で練られた水の槍。その全てを黒炎が喰らう。
「どうした水帝。覇王君臨しておいてその程度か!」
「その程度であるわけがない。望み通り死をくれてやろう!!!」
竜が尻尾を振るう。迫る巨躯を前に春秋はレギンレイヴを地面に突き刺して高く跳ぶ。
「――跳んだなぁ、炎宮ぁ!」
「――っ」
春秋は水帝スペルビアの手を読んでいた。読んだ上で誘いに乗って跳躍した。
再び大量に創られる水の槍。迫る大量の水の槍。
春秋もまた再びレギンレイヴを回して防御する。だが先ほどとは状況が違う。
春秋は長く空中に留まれない。七十の槍を喰らったところで身体が落下を始めた。
槍はなおも迫る。自由を奪われた春秋の身体をいくつかの槍が貫いた――。
「ちっ――」
舌打ちを一つ。落下していく中で春秋はちらりと眼下のシオンを一瞥した。
シオンはその視線に気付いた。けれど、春秋の真意を悟ることは出来なかった。
左肩と右脇腹を貫かれながらも、春秋は体勢を崩すことなく着地する。
痛みは感じても、致命傷ではない。
黒炎が猛る。噴出していた血が乾き、傷が塞がっていく。
軽傷であろうと、重傷であろうと、黒炎がある限り春秋を殺すことは出来ない。
春秋はそれを加味して“あえて”攻撃を喰らったのだ。
防げなかったのではない。
シオンは気付かなかったが、春秋が跳躍することで、水帝スペルビアの攻撃は全て空に向けて放たれた。
春秋は知っている。
水帝スペルビアが、春秋の気をそらす為にシオンに矛先を向ける――そんな無粋なことはしないと。
けれど、さすがに手数が多すぎれば巻き込んでしまう。百程度であれば裁ききれる。だが春秋を削るために槍の数を増やすかもしれない。
そうなれば、シオンを守り切ることが出来ない。
春秋はそこまで考えてあえて空での防御を選んだ。
結果としてシオンは無傷。春秋自身は傷を負ったが、致命傷ではない。
「……炎宮、甘ったれたか?」
「なにがだ?」
水帝スペルビアの指摘を誤魔化す。
桜花との契約。この島を守る。この島で暮らしている全てを守る。
春秋はそれを履行しただけだ。甘ったれたつもりも、油断したつもりもない。
「まあいい。貴様の想定通り、私は貴様を殺すまで無粋なことはしない。――どのみち、貴様を殺せばこの島の全ては滅ぶのだからな!」
「言いたいことはそれだけか? ――それじゃあ、さっさと攻めに回らせてもらうぞ」
竜が全身を使って春秋に襲いかかる。空からいくつも春秋目掛けて突撃してくる槍のことごとくを弾きながら、春秋は軽やかに水帝スペルビアとの距離を詰めていく。
「喰らえ、ナラカ・アルマ――――!」
レギンレイヴの一撃が、水帝スペルビアの肩を貫く。防御の術式の全てを無効化して、確実に水帝スペルビアにダメージを与える。
――だが。
「そうだよ。貴様が回復するのなら、私も同様よ! わかっているか? 私は、水の帝。水を司り、水と一つとなった帝王である!」
傷が塞がっていく。水が集まり傷など最初からなかったかのように。
「私の“アメノミクマリ”を無効化したとこで無駄よ。私もまた、この世に水があれば治るのだからな!!!」
「……知ってはいたが、想像以上に回復が早いな。……ったく、炎帝は解放させなくて正解だった」
春秋は一旦距離を取った。仕切り直しと見て水帝スペルビアも一旦攻撃の手を止めた。
示し合わせたかのように膠着状態に陥る。
春秋も、水帝スペルビアも、どちらも決定打に欠けている。いくらダメージを重ねても、黒炎/水が身体を治していく。
このままではお互い決着をつけることが出来ない。
もしかしたら、もしかすれば――どちらかが消耗し、力尽きるかもしれない。
だが当てのない消耗戦を続けたところで不毛なのだ。
相手が望むのであれば、いくらでも消耗戦で構わない。
それは両者共に考えていることだ。だからこそ、どちらも消耗戦を始めることはしない。
けれど、状況を変えるための鍵は確かにある。
水帝スペルビアがしないこと。炎宮春秋が守るモノ。
それは、星華島。
根本的に戦いとは、守る側が不利であると春秋は考えている。
もちろん城塞都市のように圧倒的な防御力で籠城するならば耐えることが出来る。だが基本的に耐える側こそ消耗戦に陥るのだ。
攻める側の兵站が尽きれば勝ちとも言える。だが今の状況は籠城とも兵站とも関係ない、海に囲まれた島を守る戦いだ。
水帝スペルビアの一撃は、炎帝イラほど重くはない。だから押されることはない。
だが押し返すことが出来ていないのも事実だ。
「……あー、めんどくせえ」
膠着状態に陥って困るのは春秋だった。それは使用している黒炎に起因している。
春秋は黒炎――ナラカ・アルマとは長い付き合いだ。
どれほどの時を過ごしてきたかは覚えていないが、この炎がずっとずっと昔から使えることだけは覚えている。
けれど頻発して使うことはしなかった。それこそ、強大な相手を倒すことにしか使わなかった。
――――そも、それだけの力、対価として何を差し出しているのか。
春秋は黒炎を操りながら魔法を行使することが出来る。
感覚で分かる。
黒炎は魔力を使っているわけではない。魔力を喰らって力を増すことは出来るが、それにも限度はある。
では、何を使っているのか。
感覚で分かる。
――――命を、使っている。
ナラカ・アルマは黒い炎。命喰らいて暴れ狂う暴虐の炎。
全てを喰らって、全てを飲み込んで、その全てを破壊のために使う。
圧倒的すぎる破壊の力。命を削って世界を犯す。
だから春秋は、滅多なことでは黒炎の出力を押さえ込んでいる。
使えば疲れるから、だけではない。
使えば使うほど命が減る。旅の終わりにたどり着けないから。
「全部壊してやるよ。お前の誇りもなにもかも。ナラカ・アルマで喰らい尽くす……!」
春秋は、考えることをやめた。
膠着状態を打開するために、自らに課していた制限を解く。
「喰らえ、ナラカ・アルマ――――我が命喰らいて猛り尽くせッ!!!」
春秋は防御を捨てる。治りかけていた脇腹の傷が開き血を噴き出す。
血が止まらない。そんなものは関係ないとばかりに、春秋は荒れ狂う黒炎を爆発させる――――。




