第十四話 覇 王 君 臨
――事態は想像を超えていた。
《ゲート》の反応が三十。それはつまり、三十を超える《侵略者》が迫ってきているということだ。
《侵略者》は異界の帝王一体のみのはず。ならばなぜ――。
考えている余裕はない。敵が迫ってきているのなら、その全てを討ち果たせばいい。
それだけだ。
シオンは両の足に力を込め、一番近くに開く《ゲート》を目指す。
先手必勝。虚を突く一撃こそ最善だと判断した。
「唸れフェンリル、研ぎ澄ませ牙をっ」
言の葉を紡ぎながら大地を蹴った。
眼前の空間がひび割れる。
《ゲート》が開く。
割れた空間の先から鎧甲冑を着込んだ青年が姿を現した。
冷たい青い瞳がシオンを捉える。さして興味も抱かずに、その瞳は島の中央を見つめていた。
「疾風牙連――」
シオンが飛びかかって双牙を振るう。
けれども《侵略者》は視線を向けない。避けるに値しないと判断したのだろう。
計算通り、と口角を釣り上げる。
――――時守シオンは、神薙ユリアが「天才」と呼ぶ人物の一人だ。
桜花や春秋といった存在に並べるほどの逸材。いずれ仁を置き去りにすると断言出来るほどの存在。
情報は全て仕入れていた。
炎宮春秋と炎帝イラの戦いと、計測されていたデータ。
どれほどの威力を持ってすれば、『帝王』が使うであろう“魔法の防御”を貫けるか。
炎宮春秋は、『力』を喰らう黒炎を用いて全炎変換術式『カグツチ』を攻略していた。
物理的要素で貫くことは炎宮春秋ですら叶わなかった。
炎宮春秋は、『魔力』を喰らったとシオンは解釈した。
つまり、魔力による干渉であればその術式を攻略できると推測する。
シオンのカムイ・フェンリル――そこに仕込まれた術式は。
自らの魔力をぶつけて、対象の魔力構成を乱す。
炎帝イラのカグツチに並ぶ、帝王の術式を貫く一撃だとシオンは確信している。
結果として。
その推測と結論は間違っていなかった。
フェンリルの一撃は確かに帝王の術式を無効化出来る。
届く。この一撃は確実に帝王にダメージを与えられる。
シオンは確信していた。自分の結論が間違っていなかったことを、自分なら、この島を守れると。
――しかし。
しかし、だ。
それだけだ。
変換術式があるから帝王なのではない。
異界の帝王は、それぞれが一つの大陸を滅ぼした猛者だ。
炎宮春秋が『黒炎』を使わなければ勝てない存在なのだ。
故に。
シオンの才覚は、敵わない。
『天才』では、帝王は崩せない。
「――――ほう。なかなかに早い。先手を打つことは素晴らしい。その爪に施された魔法も素晴らしい。けれど、それだけだ。君の一撃など、余所見をしていても防げるぞ?」
「な……え……そ、んな……」
帝王は依然として島の中央を見つめたまま、シオンの腕を掴んでいた。爪先がわずかに肌を裂いた。だが、それだけだ。
「名乗られたからには私も名乗ろう。――――我は水。世界の大半を埋め尽くす水。それら全てを支配する帝王。私は、水帝スペルビア。以後、よろしく」
水帝スペルビアがシオンを放り投げる。軽々と投げ飛ばされたシオンは空中でなんとか姿勢を整えるが――そこに、水帝スペルビアの拳が飛んでくる。
フェンリルでの防御には成功した。が、シオンの体は再び空へ飛ばされる。
当たり前のことだが、シオンは空を飛んだことがない。
「惜しい。ああ、惜しい。君はいずれ私、いや全ての帝すら凌駕する存在に成長できたかもしれない。でもここで私に挑んでしまった。ああ、ああ、ああ虚しい。才ある者が己の傲慢さ故に潰れてしまうのが。でも安心するといい。ここで死ぬのは君だけではない。この島の全てを殺し尽くし、この島の全てを喰らい尽くし、私は次のステージに至るのだから。私の糧になれることを誇るといい!」
水帝スペルビアが右手を掲げる。下品な笑顔をシオンに向ける。
音を立ててマンホールの蓋が外れ、水が間欠泉のように噴き出した。その全てが水帝スペルビアの真上に集まり、十メートルはあろう巨大な拳となる。
「君を握り潰す水の拳。これだけの質量をぶつければ前線にいる者も一網打尽。ああ、とても効率的で素晴らしい! それではお嬢さん、さようなら」
手のひらが開かれる。シンクロした水の拳が手のひらを開き、シオンに向けて突進する。
避けられない。先の一撃を受けて体勢が崩れたまま、シオンは迫る拳を睨むことしか出来ない。
想像以上の、圧倒的すぎる水帝スペルビアの力を前に。
時守シオンは――――悔しさに歯がみした。
「どうしてボクは、兄さんのようになれなかったのかな」
死を覚悟した。最期にシオンが思ったのは、天才と呼ばれた自分よりも優れていた兄の存在。
何をするにも比べられ、どんな努力をしても追いつけない。
それなのに、肝心なときに島にいない兄が。
シオンは、兄のことが嫌いで。
憧れて、そして好きだった。
両親がいなくなってからずっと、何だかんだ理由をつけては面倒を見てくれた兄が。
「――――何を諦めている」
誰かの声が聞こえた。振り向く余裕もないまま、シオンは何者かに抱きかかえられた。
え、と思わず呆けた声が出てしまった。
シオンを抱きかかえた『何者』は、空中で身をひねり右足を蹴り上げる。
その足に、黒い炎が宿っていた。
シオンはその炎を見たことがある。
何度も何度も、かぶりつくように見続けた。
『何者』――炎宮春秋は、当たり前のように黒炎で水拳を打ち砕く。
多量の水が雨となって降り注ぐ中、シオンを抱きかかえたまま春秋はそっと大地に足を下ろした。
「あ、あの……っ」
「死にたくなかったら下がってろ」
「は、はい」
有無を言わせぬとはこのことか。
シオンを気にかけることなく、こちらに漫然と歩み寄る水帝スペルビアを睨む。
「久しいな、炎宮」
「さあな、どれほどの時が経ったかも忘れたよ」
「百の時は超えている。健在で何よりよ」
「っは。百か。百も過ごして今更余所の世界を侵略するとは暇でも持て余したか?」
「然様。退屈は己を鈍らせるだけ。故に私たちはここを喰らい、力を手に入れる遊びを思いついた」
「遊び。遊び――――か」
その言葉に激しい感情を見せたのはシオンだ。うなり声を上げ水帝スペルビアを睨むものの、両者ともにシオンの存在など完全に無視して言葉を交わす。
「まあ、退屈が思考を殺すのは理解できる。だからこそ俺も旅をしているのだから」
「ならば炎宮、お前もこちら側につけばいい。炎帝の席をお前が開けたのだ。戴冠し、その力で共に世界を蹂躙しよう」
「くっだらねぇ。俺は世界に興味ない」
水帝スペルビアの提案を一蹴する。シオンを下ろし、左手に握るレギンレイヴを向ける。
やれやれだ、と挙げた両手を揺らしてため息が零れる。
「交渉決裂とは悲しいぞ、炎宮」
「最初っからわかってることだろうが」
「そうだな。ああ、そうだ。イラを貴様が殺してからわかっていた。貴様は今回も、私たちの邪魔をする。――だから、貴様を殺すために全力を尽くさねばならない」
「お前たちの邪魔? 勘違いするな。俺はこの島を守るだけだ。それが契約だ。お前たちが攻めてこなければ殺さないでやるぞ?」
「ははは。面白い。お前は本当に面白い。卓越した実力者でありながら野心の一つもない。なのにいつでも私たちの邪魔をする。それがたまらなく気に入らないのだよっ!」
水帝スペルビアが、叫ぶ。敵意を向ける。殺意を向ける。
春秋が口角を釣り上げる。その横顔を、シオンはずっと見ていた。
愉しんでいる。炎宮春秋は、水帝スペルビアとの戦いを待ち望んでいた?
シオンは必死に首を横に振ってその思考を振り払う。
春秋は、味方だ。敬愛する桜花との契約によって、この島を守ってくれる同志だ。
けれど、けれど、けれど――どうしても、不安になる。
今の今まで誰の前にも見せたことのない、敵意を全開にした笑顔を見てしまっては。
この人は本当に、島を守ってくれる英雄なのか。
ああ、ああ、ああ。
シオンは心の中で毒づいた。
無力な自分に。そして、こんな事態でも帰ってこない愚兄に。
「貴様相手に出し惜しみはしない。私は炎帝とは違うのだからな?」
「まあそうだな。あいつは火力だけなら帝随一だからな。切り札を切るタイミングが雑すぎる」
「そうとも。そして私はそれをしない。最初から全力で、貴様を殺しにいくとしよう」
「来いよ水帝。見せてみろ、お前たちの切り札を」
水帝スペルビアが仮面を手に取る。目元だけを覆い隠すシンプルな作りの仮面だ。
しかしそれがどれほどの魔力を有しているかは距離を取っていても肌で感じるほど。
水帝スペルビアが仮面を装着する。そして。
「『覇王――――君臨」
爆発。そう爆発だ。水帝スペルビアの魔力が膨れ上がって爆発した。
島に点在する計測機器の全てが異常をきたす。クルセイダースの本部にアラートが鳴り響く。
計器の針が振り切れる。計測できない異常数値をたたき出す。
炎帝イラの時でも計測ギリギリのSランクオーバー。それ以上の存在が、春秋の前に立ち塞がる。
集う、集う、集う。水帝スペルビアに水が集う。集まる水の全てを取り込んで、水帝スペルビアが本性をさらけ出す。
纏っていた青き鎧は水となり、スペルビアの体躯を変化させていく。
人の上半身は保ったまま、下半身が変化する。
竜だ。
上半身は水帝スペルビアのまま。だが下半身は蛇のように長く伸び、竜を思わせる翼と足を生やしている。
異形、異形と呼ぶに相応しい。
巨大な水竜の上半身で、水帝スペルビアが高らかに叫ぶ。
「私は水の帝にして至高たる存在。この世全てを大海に飲み込む者。さあ、殺し合おうぞ炎宮春秋!!!!!」
迫る水竜を前に、春秋は口元をゆがめたまま黒炎を全身から溢れさせた――――。




