第百三十三話 強襲
「あら、ヴィクったら勝手に私のことを話したの?」
星華学園の校庭では仁がヴィクトリーと模擬戦をしている。とはいえお互いに木刀を使っての組手だ。
シオンも身体を動かしたくてウズウズしているが、相手を出来そうなアギトは興味なさげに大きな欠伸をして横になっている。
そんな中いつの間にか戻って来ていたエリシアは重苦しい表情をしている昂に声を掛ける。先ほどまでと昂の表情が違うことを察し、事情を理解したのだろう。
「お前は……あの科学者のパラドクスなのか?」
「そうよ。ナノ・セリューヌを開発した一人の科学者。その可能性のひとつ。ナノ・セリューヌを巡る戦いで命を落とさず、《ゲート》を開発した者の行く末」
「可能性でしかない《ゲート》は……」
「管理者が転用したのよ。ほんと最悪。私の最高傑作を敵を用意する装置にするなんて」
昂は正確にはエリシアの存在を知っているわけではない。
全ては胸の中からこみ上げてきた記憶から得た情報だ。
今の昂の心臓は彼自身のモノではない。
夢幻神帝ファントメアに利用された奏を目覚めさせる為に、自らの心臓を潰させた。
意識を取り戻した奏が自らの心臓を昂に移植することによって、昂は一命を取り留めた――それが原因か、昂は時々奏の記憶を夢を介して見たことがある。
「お前は……何を望んでパラドクスになった」
「あら。それに答える必要があって?」
「ある。お前はルリアと同じようで違う。ルリアは必要に迫られてカムイを作り続けその果てに世界に拒絶された。お前は違う。お前が拒絶されるとしたら間違いなくナノ・セリューヌを生み出したことが原因になるはずだ。だって、その所為であの世界は――」
「そうねー。私は管理者にとって邪魔だから拒絶された、そう考えているわ」
エリシアは今でも鮮明に覚えている。
自身が開発した、世界を隔てる壁を突破する装置――《ゲート》が完成した日のことを。
これがあれば異なる世界との連携も容易になる。世界が繋がれば技術革新は激しさを増し、いつか世界の外にも届くだろうと。
エリシアの物語はそこで強制的に終了させられた。
他ならぬ物語の管理者の手によって。
しかし、エリシアはそこまで憤慨しなかった。絶望に沈みもしなかった。
何しろ拒絶された状態など自分にとって未知のものでしかなかったからだ。
それは《ゲート》の完成によって広がる世界のことよりももっと鮮烈な出来事だった。
「まあ調べたくても何も触れなかったのはキツかったわね。人体実験も全然出来ないし、面白そうな反応を観測しても記憶に留めるくらいしか出来なかったし」
「……お前は、世界に興味が無いのか?」
「そうね。私は美しいモノにしか拘らないわ」
エリシアはあっさりと答える。それはまるで、自分の命にすら無頓着なような言葉。
「アルマに憧れてナノ・セリューヌを完成させた。未来を夢見て《ゲート》を完成させた。それから先のことなんて別に考えてなかったわ。所詮研究者でしかなかった私にその果てを考える意味なんてなかったし」
そう言ってエリシアは指で四角形を作りあげ、周囲の風景を切り取るように見つめる。
慈しむように、その表情は慈愛に満ちあふれていた。
「悠久の時を経て、私は春秋に拾われたわ。好きに生きろと言われ、私は決めたわ。“美しいもの”を刻み込もうってね」
「美しいもの、か」
「ええ。愛に尽くすルリア。父への想いに満ちた秋桜。忠義に生きるヴィク。強さに拘るアギト。誰も彼もが願いの為に春秋に従う。素晴らしい関係だわ」
同時にそれは、春秋を裏切った三人を否定する言葉なのだろう。
しかしエリシアはそれを言葉にしない。裏切った相手とはいえ、負の感情を抱いてはいだいようだ。
「お前は」
「はい、じゃあこれで話はおしまいっ。私も身体を動かしてきますかー!」
昂の言葉を遮って、エリシアは肩を回しながらシオンの元へ駆けていく。
一方では仁とヴィクトリーが互角の剣舞を披露し合い、楽しそうに笑い合っている。
そんな中、昂ははぁ、とため息を吐いた。
別につまらないとか、退屈だとかそういうものではない。
ただ、自分の居場所がないことに辟易しているだけだ。
自分はこの物語において異物であり、春秋が世界のリセットをすると決めたのならもう戦う必要もない。
だからこそ余計にやる気が削げる。元より親友を失って余生を過ごすつもりもない。
自死を選ぶつもりはないが、窮屈で仕方がない。
「世界の終わりまで姿を消すのもありだなぁ」
そんなことをぼんやりと呟いて。
「ダメですよ、篠茅さん。あなたが歪めた物語でしょう?」
「――――」
いつかの日に聞いた声が聞こえて思わず振り向いた。
しかしそこには誰もいない。誰もいないのに、誰かがいたような気がして。
思い出したのは、黒兎を死の神フェベヌニクスへと覚醒させるために利用した少女。
ただならぬ気配を感じた昂が表情を引き攣らせて周囲を見渡す。
昂の異変を感じ取ったのか、仁やシオン、さらにはパラドクス・ナイツの面々も警戒の色を見せた。
『敵襲よ』
セフィロトにいる面々に向けて、ルリアから無線が入る。
と、同時に――空に罅が走る。
その光景を、仁は知っている。
その光景に、シオンは顔をしかめる。
その光景に、昂の胸中に不安が過ぎる。
「《ゲート》の反応ね。まったく、管理者の権能を奪ったからって私の前で《ゲート》を使うなんて図々しいわねえ」
エリシアが呆れ、ヴィクトリーは表情を引き締めた。
アギトは余裕を見せながら立ち上がり、空を見上げる。
空が割れる。空から降りてくるは三人のパラドクス。
銀の髪、銀の瞳を持つ人形師――――マリオン。
黒髪の青年。黒き瞳に刀を携えた、和装に身を包んだ青年。――――ベリエルゼ。
白の少年。まるでベリエルゼと対を成すかのような、髪も瞳も肌も衣服も全て白――シャングリラ。
三人はセフィロトの甲板に着地した。そこが戦うステージであることを理解しているかのように、仁たちの前に立ち塞がる。
「久しいな、ヴィク殿。春秋殿はご健在か?」
「よくもヌケヌケとそのような言葉が吐けるな、裏切り者」
「裏切り者、か。どちらが」
ヴィクトリーとベリエルゼがにらみ合う。お互いがもはや目の前の相手しか見えていないほどだ。
「やっほー。エリシアのお姉ちゃん」
「あら、私の相手をするつもりかしら」
「うん? する気はないよ。する気はないけど、しなきゃいけない?」
「そうね、あなたが春秋に再び尽くすっていうのなら、戦わなくて良いんだけど」
「うーん、むり!」
「そうよねぇ」
エリシアが構え、シャングリラは少しばかし複雑そうな表情で相対する。
二人とも、明らかに身が入っていない。それはお互いが短くても家族として過ごしてきたからだ。
かつて仲間だった。今は敵同士。
けれど二人は、戦うことを望んでいるわけではないようだ。
「んで、俺の相手はお前かよ。はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」
心の底から嫌悪の表情をアギトが見せた。そんなアギトを見て不愉快な表情をするマリオン。
「いつもいつもそうやって余裕を見せて。ワタクシを虚仮にするつもりですか?」
「虚仮になんかしてねえよ。お前じゃ俺を満たせない、それだけだ」
「いいでしょう。あなたを殺し、人形にして遊んであげましょうかっ!!!」
マリオンが叫び、五指を開いて糸を伸ばす。伸びた糸が手繰り寄せるは割れた空の向こう側。
『ソレ』がゆっくりと降りてくる。
『ソレ』は鋼鉄の身体を持つ騎士だ。
普通の騎士と違うのは、その体躯。
四本の脚、四本の腕。
その手全てに握られた、剣槍弓銃――人を殺すための武器を大量に携えた、鋼鉄の人形。
「バルバロッサ、行きなさい。アギトを殺し、春秋様への謁見を果たすっ!!!」
最初に動いたのはマリオンが操る鋼鉄人形バルバロッサ。
人間よりも数倍大きい巨大な体躯が甲板を蹴り、あっという間にアギトに詰め寄った。
「ふーん」
しかしアギトは動じない。油断も隙も何もない。ただただ迫るバルバロッサ――――ではなく、それを操るマリオンを見ていた。
「つまらねえ」
迫る。迫る。
バルバロッサの一撃は致死のモノだ。受ければ当然タダでは済まない。
それなのにアギトはバルバロッサを見ようとしない。
死が、迫る。
鋼鉄の巨体が振るう武器は、人の身体で受ければ無事で済むわけがない。
鋼鉄の巨躯がその身をぶつけてくれば、人の身体が無事で済むわけがない。
アルマを駆使し、受けず、いなし、操作しているマリオンを直接攻撃せねばならない状況で。
アギトは退屈そうに欠伸を零す。
そして、たった一言呟いた。
「払え、『カラミティ』」
バルバロッサが崩れ落ちた。
苦々しい表情を浮かべたマリオンが、次の一手を躱すために大きく後ろへ跳躍した。
そうしなければ死んでいたと、知っていたから。
「だからてめぇはつまんねえんだよ、マリオン。外からオモチャ操って、命のやり取りすらしない。安全圏でオモチャこねくり回して満足か? つまらねえ。つまらねえ。ああ、つまらねぇ。だからよぉ」
アギトが担いでいたのは巨大な戦斧だった。鋼鉄の、黒と金の彩色と装飾を施されたインフェリア・カムイ。
アギトが望み、ルリアによって生み出された彼専用のカムイ。
異様さはその全長。
三メートルはある巨大すぎる戦斧をアギトは軽々と持ち上げている。
重さなど微塵も感じさせず、アギトは戦斧カラミティを振り上げた。
「少しは俺を楽しませろよ、マリオン」
アギト・パラドクス。
パラドクス・ナイツ“最強”の男。
ナイツの中で、彼に肩を並べられる存在などいやしない。
そんな彼の人生は、得てして妙なモノだった。
特異ではなく、けれど特別で。
そして彼は、平穏を自らの意志で捨て去った。




