第百二十九話 ユリアとルリア
仁は、腑に落ちないでいた。
けれどそれをこの場で言葉にすることに躊躇っていた。
だって、兄・黒兎と再会できると知ったシオンのはしゃぎようといったら。
祖母と、仲間を取り戻せると知ったユリアが表情にこそ出さないがどれほど喜んでいるか。
仁は、わかるから。だからそんな二人を不安にさせないように、言葉を呑み込んだ。
「それで春秋、あなたはクルセイダースに何を望むの?」
「永遠桜の防衛だ。出奔した三人はどれも強力なパラドクス・スキルを持っている。ヴィクやアギトにはそっちに集中して欲しいからな」
「わかったわ。……星華島が戦場になる可能性は?」
「あいつらが攻めて来ても、セフィロトを盾にしてでも侵略は防ぐ」
春秋が並び立つルリアに視線を向けると、ルリアも「ええ」と快諾する。
「仁とシオン、昂もいるなら護衛は万全だろう」
「そうね。先ほどの戦闘を見る限り、そちらの二人がいればマリオン・パラドクスも迂闊な手は取れないのでしょう?」
「もちろんです」
キッパリ断言するヴィクトリーの言葉は非常に力強い。
「あとは、パラドクス・ナイツとの顔合わせ、だが……っ」
「春秋っ!」
「おとーさんっ!」
「春秋様っ!」
話している途中で急に春秋は呻き声を漏らし崩れてしまった。
慌ててルリアと秋桜が駆け寄り、追ってヴィクトリーも詰め寄る。
「だい、丈夫だ。少し、時間が、早まった、だけで……っ」
あまりにも急な展開に仁たちは何が起こったかわかっていない。
だが説明もなく春秋は意識を失ってしまい、ヴィクトリーが春秋の肩を背負って立ち上がる。
「ルリア、ユリア様たちを送って欲しい」
「……なんで私が」
「私たちの在り方、そして春秋様の現状を話すのならばお前が適任だろう」
「…………はぁ、わかったわ。秋桜、春秋をよろしくね」
「みっ!」
秋桜が小さく敬礼し、ヴィクトリーは春秋を連れて奥の部屋に入っていく。
アギトも念のためにとヴィクトリーの後を追い、残ったルリアはため息を漏らしながら入り口に向かって歩いて行く。
「春秋の体調も優れないから今日はここまでにしましょう。後日、正式な書簡を送るわ」
暗に「帰れ」と言っているルリアの態度は、これまでのパラドクス・ナイツの誰よりも冷たい。
しかしこの場に残って良いと言われてない以上、残るわけにもいかない。
「星華島まで送るわ」
「ありがとう、ルリア……で、いいのよね?」
「ええ、良いわよ。私をユリアとでも言ったら殺すけど」
「……あなた、もしかして私のことが嫌い?」
「嫌いよ」
先を行くルリアに投げかけた言葉にルリアは躊躇うことなく返答する。
これから協力関係になるというのに、ルリアの態度は最低の物だ。
ルリアはユリアに視線を向けやしない。それでいて嫌悪の感情を隠そうともしない。
重たい空気に包まれながらセフィロトの中を歩く。
それでも事情を説明するために、ルリアが口を開いた。
「私が神薙ユリアのパラドクスであることは知っているわよね?」
「ええ、仁から聞いているわ」
「私は道を違えた神薙ユリア。その結果世界を滅ぼすことが確定したから、その芽を詰まれた存在」
ルリアは三年前に仁に話した自身のことをもう一度語る。
改めて自分の口からユリアに語ることでその重みを伝えたいのだろう。
「私は星華島を守りたかった。春秋も、桜花も、黒兎も誰もいない世界で、私一人で島を守らなければならなかった世界。私は、自分の選択を間違えてはいない」
それはルリアが過ごす世界という可能性の世界。
しかし、確かにここにルリアはいる。
ルリアが此処にいることこそ、ルリアがいた世界が存在する証明。
誰にも頼れず、自分一人が矢面に立たねばならなかった世界。
考えるだけでユリアも心が重くなる。
同じような状況になったら、自分もルリアと同じ選択をするだろうから。
「カムイの性能に拘り、カムイの出力に拘り、敵を討つためだけの兵器として改良を続けていく。それは異界からの魔獣だけではなく、カムイの性能を知った世界中からもカムイを守る為に戦ったわ。私自身がカムイを手に取って戦ったこともあるわ。そして、私の世界でシャンハイズは――」
「……もういいわ。ごめんなさい、辛いことを喋らせて」
「その気遣いが気に食わないのよ。平和な世界で甘んじて暮らしてきて私を哀れむ余裕があることが。……春秋が停戦協定なんて言い出さなければ、私は真っ先にお前を殺しに行っていたわ」
ルリアの憎しみはユリアにずっと向けられている。
ルリアから見ればユリアは幸福な存在そのものだ。家族に恵まれ仲間に恵まれ背負う覚悟の重さが違う。
「世界から拒絶されて一人孤独の世界を彷徨わされて、私はお前の存在を知った。家族に、友に、仲間に恵まれたお前が――どんなに憎らしかったか」
“どうして”だ。
拒絶されたルリアは世界から存在を許されない。けれど世界の観測が出来る不可思議な存在となっていた。
そこで知った。知ってしまった自分ではない神薙ユリアの人生。
自分一人で全てを背負った訳ではない、仲間たちと過ごす世界。
もちろんこの世界のユリアが辛い思いをしてこなかったわけではない。
けれど、そんなもの全てルリアからすれば小さなものだ。
だって、頼れる人がいるから。
桜花が、黒兎が、――――春秋が。
ルリアは敢えて語ることをやめる。
夢幻神帝ファントメア――かつて春秋が囚われた彼の世界で、ルリアは世界の敵として選ばれたことを。
それは管理者の気まぐれか何かの因果か。
管理者の気まぐれ――いや、嫌がらせだろう。
幸福に暮らす神薙ユリアという役割を、真っ正面から殺す機会を与えてきたのだ。
相変わらず心底性格の悪いやり口で。
けれどルリアはその世界に招かれたことだけは管理者に感謝している。
だって、春秋と言葉を交わせたから。
春秋のことをずっと見てきたから。
時間も空間も関係ないルリアだからこそ、春秋の物語をずっと読むことが出来たから。
桜花に向けられる笑顔が、羨ましかった。
彼ならきっと、自分にだって手を伸ばしてくれる。伸ばして欲しい。
私を助けて――――でも、言葉も何も届かないとわかっているから。
春秋と桜花の二人を眺められるだけで良かった。
春秋の笑顔を、幸福な桜花の笑顔を見られるだけで満足だった/満足するしかなかった。
全て諦めて、諦めたからこそ春秋への想いはずっと募り続けて。
ああ、あの笑顔を私にも向けて欲しいと。
「春秋がパラドクスを招く時、何を犠牲にしているかは知っているわよね?」
「ああ。ハル自身の命を分け与えた……って、ハルが言ってた」
思考を止めてルリアは説明を再開する。共に戦うのであれば、今の春秋を知ってもらわなければ支障が出る。
「春秋は私たちに命を分け与えた。その結果、春秋の命は限りなく減ってしまった。上限がない命の炎だからこそ、一日の活動時間に制限が出来てしまった。一日の中でおおよそ十七時間、生命活動が強制的に停止させられる。眠るわけではない。生命活動そのものが停止する。時間が来れば自然と目が覚めるけど、正直に言って生きた心地がしないわ」
先ほどの急に意識を失った春秋を思い浮かべる。明らかに不自然な昏倒だった。
それでいて寝息を立てている訳でもなかった。
「春秋の一日はおおよそ七時間。その間に食事も睡眠も取らなければまともに生きれるわけがない。でも、春秋にはアルマがある。アルマのおかげで不眠不休で活動できている」
「でも、ハルのやつれようは……!」
「わかっているわ。いくら活動に支障がないからといっても、睡眠も食事も生きるために絶対に必要なことよ。……でも、春秋はどうしても食べてくれない。眠ってくれない」
春秋は元からそういう生活をしてきたと言っていた。
けれど不眠によるコンディションの劣化は帝王たちとの戦いの中で春秋自身が理解しているはずだ。
良質な睡眠と食事がどれだけ自分を満たしていたか、春秋はきちんと理解している。
「私じゃ、桜花の代わりにはなれない。春秋は桜花の食事なら食べていた。桜花と一緒になら眠っていた。……私でも、秋桜でもダメだった」
ルリアの声が重くなる。
言わなくていいことまで零してしまったのは、ひとえに春秋を想っているからだろう。
ユリアも仁も言葉を失っている。
「そりゃそうですよ。ししょーは桜花さんが大好きですから」
けれど、空気を読まないでシオンが断言する。分かっている事実を突きつけられれば嫌でもルリアの視線はシオンに向けられる。
分かっているから口を挟むなとばかりに睨み付けた。
しかしシオンは何を当たり前のことをとばかりにルリアに詰め寄る。
「ししょーのことが好きだって言うのなら、桜花さんの代わりって意識はやめたほうがいいです。だってあなたはルリアさんで、桜花さんは桜花さんなんだから。あなたの想いをししょーに届けないと」
「…………そうね。あなたの言う通りだわ」
少しだけ意表を突かれたような表情をして、ルリアは背を向けてしまった。シオンの言葉が彼女の何かに引っかかったのかもしれない。
それからは誰も言葉を口にするでもなく、大型ボートまで戻って来た。
ボートにシオンから乗り込み、最後にユリアが乗り込んだところでルリアが口を開く。
「神薙ユリア。私個人としてはあなたに協力なんて死んでもごめんよ。でも春秋が守りたいと言うからあなたに協力する。それを忘れないで」
「わかったわ」
それ以上の言葉をユリアは出さない。何を言葉にしてもルリアの神経を逆撫でするからだ。
「ルリア・パラドクス。あなたの協力に感謝します。あなたたちのおかげで、私たちは希望を手にすることが出来ました。感謝と、敬意を」
「……夜も遅いわ、もう行きなさい」
そして大型ボートは夜の海を銀炎を吐きながら進み、星華島へと戻っていく。
セフィロトから彼女たちを見送るルリアは、はぁ、と小さくため息を吐いた。
「春秋は桜花を求めているのよ。そんな彼に“私は桜花じゃないけど愛してるわ”なんて言えるわけないでしょ」
それでも、少しでも春秋が食事を摂ってくれるなら――かすかな希望でも、縋ってみようとルリアは思うのであった。




