第百二十四話 代償<あくむ>
「春秋さん」
夢を見ていた。夢ではない夢を。
これは過去の記憶。物語の思い出。
「桜花、桜花……!」
手を伸ばして、最愛の人を捕まえる。
掴んだ手はびっくりするほど冷たくて、それでも春秋は桜花を抱き寄せた。
「桜花。やっとだ、もう離さない。ずっとずっと一緒にいよう!」
「無理ですよ、春秋さん」
「無理なものか、俺は、お前の為なら――――!?」
抱き寄せた桜花の表情には何の色も宿っていない。そればかりか、一言言葉を喋る度に美しく整っていた顔が溶けて崩れていく。
春秋は美醜に拘らない。例え顔が焼けただれていたとしても愛する。
しかし、しかし、しかし。
「だってあなたは、わたしをころしたじゃないですか」
「ああああああああああああああああああ!?」
崩れていく桜花から宣告される呪いの言葉。
わかっている、桜花はそんなことを言わないと。
わかっていても、耐えられない。
愛しい愛しい桜花に事実を宣告されることこそ、春秋にとって最も辛い罰となる。
叫べば叫ぶほど自身が切り刻まれる感覚に襲われる。
お前が桜花を殺したんだと自分自身に突きつけられる。
ずっとずっとずっとずっと、桜花を失った日からまともに眠れていない。
眠れば悪夢を見るから。桜花に自分を否定される夢を見るから。
だから眠りたくない。ただでさえ、一日の活動時間が短いのだから余計にだ。
「――き、春秋。春秋、起きて」
「っ、ぁ、るり、あ……?」
「大丈夫? うなされていたわ」
「っ……だい、丈夫、だ」
「でも……」
身体を揺さぶられて、強引に意識が覚醒した。
目の前に不安げな表情で見つめてくる瑠璃色の少女――ルリアを優しく宥める。
「どれくらい寝ていた?」
「……五分よ。ねえ春秋、もう少しちゃんと寝た方が――」
「寝たら寝たで悪夢にうなされるだけだ。まともに動けないんだから、寝ないで方針を考えた方がいい」
今の春秋は、一日に八時間しか活動出来ない。
それ以外の時間は、意識を失っている。眠っている訳ではない。生命活動はしているのに、春秋は意識もなにもかもを失って昏倒してしまう。
それは空想上塗によって追加された世界のルール。
命を使った事による代償だ。
命とは、生命活動だ。命を捧げた春秋は、生きて行動することを制限されている。
別に不満は無い。むしろそれだけの代償で済んでいることに感謝しているくらいだ。
一日に八時間"も"動ける"のだと解釈することにしている。
「他のみんなは?」
「ヴィクとアギトは訓練をしているわ。エリシアは引き籠もり。招集を掛ければすぐに集まると思うけど」
「そうだな、二時間後に集めてくれ。それまでに方針を決めておく」
椅子から立ち上がった春秋はおもむろに窓に歩み寄る。春秋の全身よりも大きな窓ガラスから覗ける景色は、星華島では見られなかった光景だ。
満天の星空が広がっている。
それと同時に下に目を向ければ、青と緑の世界が広がっていた。
ここは巨大戦艦のブリッジ。ルリアが喚び出した巨大戦艦インフェリアカムイ。
名をセフィロトという。
春秋は島を去ってからの大半をセフィロトで過ごしている。
「三年か」
「三年ね」
「集めた情報から推測するに、もうすぐ"あれ"が動き出す」
「わかっているわ。狙われるのは星華島なのよね?」
「ああ。……星華島は、どんな時でも物語の中心になる。何かが起きる時は、必ず星華島だ」
遠く遠く高い高い成層圏に、セフィロトは鎮座している。
異なる世界線で生まれたセフィロトはあらゆる計測機器の監視の目をかいくぐり、遙かな空の上で時を過ごしていた。
見下ろした先に星華島は存在している。
世界の灯りを眺めながら、春秋は光を失った瞳で世界を見つめる。
「……俺はこれから、この世界を」
言葉にすればするほど空虚になる。自分自身を嫌悪しながら、それでもと世界を睨み付けた。
ブリッジへの扉が開く音がした。
春秋とルリアの視線はそちらに向けられる。
六歳にも満たないくらいの、小さな女の子。
真紅の髪と青い瞳が特徴的な愛らしい少女だ。
そんな少女が、怯えた表情をしていた。
春秋の表情が柔らかくなる。微笑みを向けて、優しく手招きする。
とてとてと小さな身体で必死に歩み寄ってきた少女を抱き上げる。
「みぃ……」
「怖い夢でも見たのか?」
「……うん。黒い泥に、みんなが沈んじゃうの」
「そっか。じゃあそうならないように頑張らないとな」
今にも泣き出しそうな少女はぐりぐりと春秋の胸に頭を押しつける。
そんな少女をルリアが優しく撫でる。春秋は安心させるように身体を揺する。
「大丈夫だよ。お前の夢は否定する。俺が、俺たちが必ず」
「みぃ。……大丈夫だよね?」
「大丈夫だよ。俺に任せろって」
これまでの雰囲気とは一転して春秋は優しい笑みで少女をあやす。
「秋桜、他に何か嫌なものは見えたか?」
「んーん。……それだけ」
少し歯切れが悪いものの、嘘を吐いてはいないようだ。
春秋も優しい手つきで秋桜の頭を撫でることにした。
きちんと手入れのされた真紅の髪はさらさらで心地良い手触りだ。
「ん~……。えへへ」
春秋に撫でられて秋桜も不安が消えたのか、愛くるしい笑顔を浮かべてくれた。
秋桜を抱きかかえたまま、春秋はもう一度世界に目を向ける。
春秋も秋桜も、ルリアも何も言葉にしない。
まるで親子のように三人並んで、世界を見つめる。
ぐしぐしと秋桜が眠たそうに目を擦る。嫌なものを見て起きてしまったのだから、睡魔が戻ってくるのも当然だろう。
「みぃ……。おとーさん」
「眠いのか?」
「みぃ……」
秋桜はいつの間にか春秋の腕の中ですやすやと寝息を立ててしまった。
"父"と呼ばれるのはまだくすぐったい。それでも腕の中の愛しい温もりは、今の春秋にとって掛け替えのない大切なものだ。
春秋はそんな秋桜をルリアに託す。
「秋桜を寝かせてきてくれ」
「わかったわ」
ルリアも慣れた手つきで秋桜を抱きかかえた。
まだまだ小さな秋桜を抱き締めながら、ルリアは慈愛の眼差しで見つめる。
ルリアがブリッジを後にする。寝室で秋桜を寝かせたら戻ってくるだろう。
誰もいないブリッジで、春秋の表情から感情の色が消えた。
誰もいないからこそ、春秋は吐露する。
「俺は止まらない。俺の理想のために。桜花を取り戻すために。その為に俺は……世界だって利用してみせる」
春秋の真意は、誰にも悟られていない。
この三年間ずっと春秋の傍にいたルリアでさえも、春秋が成そうとしていることを知らない。
春秋は桜花を取り戻す為に動いている。
そしてそれは、ルリアたちパラドクスの為にもなることだ。
だから。
「さあ、【物語を再開しよう】」
どこかで静かに、泥が蠢いた。




