第百二十三話 過去を取り戻した上で手に入れた命題
神薙財閥本邸の一室で、ユリアはため息を吐いた。
「……にわかには信じがたい話ね」
僅か数日島を空けただけで、状況は大きく変わってしまった。
春秋が島を去ったこと。
そして、もう一人の神薙ユリア――――ルリア・パラドクス。
信じられないというよりも、理解出来ない話だった。
もう一人の自分。可能性が形を得た姿。そして、ルリアが語った彼女の未来。
「可能性というのなら否定はしないわ。だからこそ私は島外でカムイが製造されないように徹底してきた。シャンハイズが持っているカムイですら、島で製造されたカムイに劣る程度のものだった。……もしもカムイが世界に広まれば、パワーバランスは大きく崩れ、私――ルリアの語った結末も有り得るでしょうね」
「お嬢様」
「大丈夫よ、イン。少しだけ考えさせて」
「はい……」
ユリアを心配したインを制する。
深く椅子に座り込んだユリアは、モニターを操作して星華島への緊急通信を起動させる。
一度目のコールで聞き覚えのある声のオペレーターが応答した。すぐにユリアは、別の人物に繋げてと指示を出した。
『もう深夜だぞ、ユリア嬢』
「起きていると思ったわ、仁」
深夜だというのに応対してくれた仁に感謝しながら、改めて事の顛末を説明してもらう。
何しろその場にいたのは仁だけだったのだ。書面で報告は受けたものの、やはり実際に見聞きした人間の生の声で説明して貰いたい。
「あなたから見て、春秋はどうだったの?」
『……俺に、どんな答えを期待しているんだ』
「なんでもいいの。今は少しでも情報が欲しい」
正直なところ、春秋が島を去ったこと自体に驚きはない。
春秋は島への思いを抱いてはいたけれど、それら全ては桜花が起因していた。
だから桜花を失った事で彼が島を去る可能性は十二分にあった。
島と敵対する――その不安だけでも解消したい。
『ハル……春秋は、島を攻撃する意志はないと言っていた。その上で、物語の管理者になって桜花を取り戻すと言っていた』
「なれると思うの? キツイ言葉になるけど、あれは世界のルールそのものよ。人知が及ばない次元に到達出来ると思うの?」
『あいつがなると決めたのだから、手段はあるんだろう。……俺にそういう知識はないが、そういうことが出来る可能性があることだけは、わかるから』
本当に仁はこの一ヶ月で異様に大人びたとユリアは感じている。それと同時に、ずっと一緒に戦ってきた仁が消えてしまったような寂しい気持ちになる。
だからこそユリアはぼやいてしまう。そうでなければ、自分自身が耐えられないと感じてしまったから。
「仁、あなたは『過去』を取り戻したの?」
『っ……。ああ』
仁の心苦しそうな表情を見て、彼の優しさを理解した。朝凪仁という少年がこれまでの仲間たち同様、『過去』を取り戻した。それならば『過去』の自分の目的に準じてもおかしくないのだ。
それなのに彼は星華島の守護者としての立場を貫いてくれている。
「優しいのね。……過去のあなたは、何を成そうとしたの?」
『俺は。……俺は、ハルと桜花に幸せになって欲しいだけなんだ。ずっとずっと憧れていたハルと、笑った馬鹿やって気楽に生きたい』
その言葉だけで、ルリアも春秋と仁の関係性を理解した。それと同時に、春秋に協力しないでくれたことに感謝しかない。
「朝凪仁部隊長、協力に感謝します」
『いえ、これも生まれ故郷を守る為ですから』
通過儀礼のように挨拶を交わし、お互いにため息を吐く。
もう何度目かも分からないため息だ。
「仁、私はクルセイダースを解散させようと思ってるわ。技術供与……というわけじゃないけど、星華島はもっと世界にオープンであるべきだと思うの」
『それがユリア嬢の考えなら俺は否定しない。星華島には子供しかいなかったから、大人の視野も必要だと思う。いつまでも子供だけでどうにか出来るほど人生は簡単じゃない』
「あなたが言うと重みが違うわね」
少しだけ笑い合って、心が軽くなる。
立ち上がって、画面の向こうの仁に背中を見せた。
『ユリア嬢。ハルが動いたら、俺は行かなきゃならない。あいつを止めることが、俺の使命だ』
「わかったわ。……いままでありがとう、仁」
声を聞くだけで彼の覚悟がわかる。声に乗せられた重い感情は、長い物語の中で培われてきた友情だ。
春秋と仁、二人にしかわからないものがある。それを指摘するのはさすがに野暮だ。
「ねえ仁。……春秋が動くまでは、星華島に協力して貰える?」
『当然だ。過去を取り戻しても、この島は俺の故郷だからな』
「ありがとう」
弱々しい声のユリアを誰が見捨てられようか。
正直なところ、仁はいつでも島を飛び出して春秋を探し回りたい気持ちに駆られている。
けれどそれをしないのは、この島を守る想いもまた自分自身のものだからだ。
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「……ぱい、先輩!」
「……どうした、シオン」
数日後、シオンはむすっとした顔で仁に詰め寄っていた。一方の仁は汗だくで、その瞳はシオンのほうを向いていない。
鋼を打つ音が響く。
その音は金槌から放たれ、その金槌は仁が握り締めていた。
「ししょーは、ししょーはどうしたんですか。早くししょーを見つけないといけないのに、どうして先輩は……!」
「ハルはすぐには動かない。いや、動けない」
シオンは柄にもなく焦っている。星華島から去った春秋を心配し、今にも島を飛び出しそうな勢いだ。
そんなシオンを軽く諫める。けれど仁が指摘するとシオンはより不満げな表情を見せた。
「"あの"戦艦はボクもデータを確認しました。……星華島を攻撃したら、ボクたちじゃ守れないくらいに。あんなのが突然現れて、ボクたちはどうやって島を守ればいいんですか! こんな時、こんな時だからこそししょーじゃないと……!」
「ハルは戻ってこない。あの戦艦こそがハルの拠点だし……それに、しばらくはあの戦艦も活動しない」
「何で言い切れるんですか!」
それは、あの場にいたのが仁だけだったから。
あの時、春秋が何をしたのか理解しているのは仁だけだから。
言葉を纏めるのは簡単だ。しかし簡素に纏めては誰も納得しないだろう。
だから仁は敢えて言葉にしなかった。ユリアやシオンに伝えたのは、春秋が桜花を取り戻すために物語の管理者を目指すことにした、ということだけ。
ルリアの存在はちゃんと伝えた。その脅威性も伝えた。
――仁には確信があった。あの戦艦が仮に星華島を攻撃するにしても、長い時間を必要とすることを。
春秋は世界にルールを追加した。その代償として命を捧げた。
ルリアに担がれた春秋の異様に消耗した顔が焼き付いている。
あれは、止めなきゃならない。春秋がこれ以上ルールを追加して消耗しては元も子もない。
もしくは、もしくは。
「この島は桜花の思いで守られている。桜花との思い出がある以上、ハルがこの島を攻撃する理由がない」
「それは……っ! そうですけど……」
シオンは春秋を信じたいのだ。春秋と戦いたいとは微塵も思ってない。
それはクルセイダースに所属している少年少女たち全員の思いだ。
春秋のこれまでの島への貢献を知っていて、桜花との仲もずっと見てきたからこそ。
春秋と戦いたくない――そんな思いでいっぱいだ。
「だからこそ、俺はハルと戦う。俺が戦わなきゃならないんだ」
金槌を振るい、鋼を打つ。いや、打っているのは鋼ではない。
これはミスリルだ。カムイの心臓部であるミスリルを、仁は自らの手で加工している。
それも、普通の炎ではない。アルマを燃やしてミスリルを鍛造しているのだ。
「ハルはしばらくは動かない。だからこそ、今のうちに準備を進めておくんだ。あいつに刃を届ける為に、俺の命を届ける為に」
長い物語を経てもなお、仁の中に鍛冶の物語など存在しない。
だから作り方は粗雑で乱雑。本物の鍛治氏が見たら卒倒するような打ち方をしているかもしれない。
けれど仁は躊躇わない。この刃は、仁自身の命を打ち込んでいるから。
春秋が見せたアルマ・レイヴのように。仁は己の命をカムイに刻む。
全ては春秋を止めるために。春秋に並ぶために。
「この刃は、切り札だ。ラグナロクも使うし、これも使う。使えるものは何でも使う。……だからこそ、俺はその名を刃に刻む。俺と共に春秋を止めてくれ」
仁はかつての物語を思い出す。この物語において存在すらしていない少女の存在を。
けれど彼女は確かに存在していた。長い歴史の中で、確かに春秋を支えてくれた。
彼女だけではない。今はもう語ることも出来ない多くの友が春秋の近くにいた。
彼ら全ての想いを込めて、仁は彼女の名を銘に打つ。
「命の炎によって生まれ変わった新たな刃。……お前の銘は、フェニックスだ」
ラグナロクと、フェニックス。二振りの刃をその手に握り、仁は春秋との戦いに備えることとなる。
そして、幾ばくかの時が過ぎた。
それはおおよそにして、1095日。
少年少女が、大人として花開く少しの月日。




