第十二話 島を守りたい思いは
「やぁぁぁぁ!」
銀の刃が春秋目掛けて振り下ろされる。
仁が振り下ろした一撃を春秋はなんなく回避した。
相変わらずの冷たい瞳が仁を見下ろす。かといって反撃するわけでもなくただただ春秋は仁の次の一手を待つ。
「せいっ!」
折り曲げた上体を戻しながら反動で振り上げた一撃を再び回避する。
春秋は完全に動きを先読みしている。
仁は先読みされていることを理解している。何度も何度もフェイントを駆使し攻めても春秋には何一つ届かない。
二人の間に圧倒的な実力差がある。それがわかるからこそ、仁は歯がゆくて堪らない。
あの戦いを見たから。
春秋と炎帝イラの戦いを見たから。
本当ならば、自分が、クルセイダースが《侵略者》を迎え撃ち、勝利しなければならないのに。
届かない。
届かない、届かない、届かない。
圧倒的すぎる春秋の力が、仁には羨ましくも恨めしい。
「っ、はー、はー、はー……っ!」
十分以上。
自分の考えられる攻撃の全てを繰り出し、その全てが通じなかった。
上がった息を必死に整える。けれど何も通じなかったという無力感が平静を取り戻させてくれない。
「朝凪、いつまで手加減をしている」
「は?」
「カムイを使え。実戦形式にしなくてどうやって俺に一撃を届かせたいんだお前は」
「いや、だって怪我とかしたら」
「俺が、お前如きに、怪我を負うと?」
「あのなぁ、俺は少しでもリスクがあるなら避けようと思ってるんだ。ましてやお前は島を守る最高戦力だ。模擬戦で怪我をしました、結果《侵略者》に負けましたなんて光景、見たくないんだよ」
春秋の言い分を、仁は理解している。二人の実力差を考えれば、仁が春秋に傷を付けることなど万に一つもあり得ない。
それは仁自身が断言できるほどだ。炎帝イラとの戦いを見たからこそ、春秋と自分の実力差を痛感している。
それでも、リスクはリスクなのだ。
春秋はカムイを使えと言った。
つい先日ユリアから渡された仁の専用カムイは――その万に一つに届く可能性がある。
「断言してやるよ、朝凪。指一本だ。俺はこの右の人差し指しか使わない。それだけでお前のカムイもろとも完封できる」
人差し指を突きつけて、断言する。自信に溢れてる言葉――というよりは、春秋のほうが仁との実力差を完全に理解しているからこその言葉だ。
馬鹿にしているわけではない。いや、仁からすれば馬鹿にされていると感じても仕方がない。
だが春秋は自分と仁の実力差を端的に表すのにこれ以上の表現はないと判断している。
そして、仁の出方を伺っている。
コケにされて、感情を発露させるのかどうか。
「……そこまで言うなら、やってやるよ!」
感情を爆発させた仁がカムイを握る力を強くする。
体内からカムイへ魔力が移動していく。
機械の剣身に光が走る。魔力の光は属性を帯びて雷へと変化していった。
「カムイ・ラグナロク――起動ッ!」
仁の言葉に応え雷が拡散する。刀身を飲み込んだ雷が更なる刀身を形成し、身の丈をも越える刃と化した。
肌の表面が軽く痺れる。距離を取っているというのに、ラグナロクの雷が肌を焼こうと迫っている。
それでも春秋は表情を崩さない。想定の範囲内と言わんばかりに指を突き出したまま微動だにしない。
「ッ……行くぞ、春秋ぃ!」
仁が一歩を踏み出した。
思ったよりかは早い。――思ったよりか、は。それでも春秋にとっては特別驚くほどのものではない。
振り下ろされるラグナロクに合わせて指を突き出す。
宣言通りに、指一本。
二十三個前の世界で、もっと速い剣士と戦った。
三十一個前の世界で、もっと苛烈な魔法使いと戦った。
いくつ前かも覚えていない世界で――もっと激しい一撃を受け止めたこともある。
だから、この程度。
「――ほら、指一本で十分だろう?」
雷は霧散し、仁は春秋の薄皮すら傷付けることが出来ない。
ラグナロクにいくら力を込めても押し込めない。
指一本。たった指一本に完全に受け止められている。
「……っ」
「これが実戦だったら、この三秒も経たない間にお前は三回死んでいることを思い出せ」
「――――ガ……っ!」
仁の歯軋りを気にかけもせずに春秋はラグナロクを弾き飛ばす。
心臓、喉、脳天。
よろけた仁にそのまま刺突を放つ。もちろん死なないように怪我をしないように最大限の手加減をして。
咳き込んで片膝を突く。何の感情も湧かないまま、春秋は仁を見下ろす。
「万が一は起きない。胸に刻んでおけ。――奇跡ってのはな、結果にたどり着く力があるから起こるんだよ。お前には俺に一撃を届ける力は、ない」
模擬戦は終わりだと背中を向ける。仁は喉の奥から詰まりを取り除くように大きく咳き込むと、力の限りに叫ぶ。
「うる、せえ。うるせえうるせえうるせえ! 奇跡がなんだ、俺は、俺はいつか――お前に届いてやる、並んでやる! いつまでも負けっぱなしでいられるか、俺は、強く、なりたいんだよっ!!!」
圧倒的すぎる力の差を目の前にして、仁は突きつけられた現実に直視させられる。
それでも、叫ぶ。飢えを。渇きを。欲しているものを。
「この島は俺たちの島だ。俺たちが、父さんや母さんが好きだった島なんだ。俺たちが、守らなきゃいけないんだよ!」
春秋は仁の叫びを気にせず歩みを続ける。
当然だ。春秋は桜花との契約によってこの島を守っているだけである。
仁のことなど関係ない。気にする必要すらない。
迫る七の帝を退ければ、この島での生活も終わる。
ここもまた、旅の終わりではない。これまでに渡り歩いてきた世界の一つに過ぎない。
「お前は間違いなく凡才だ。そんなお前が強くなりたいのなら、才に恵まれた者よりも修練を積むしかない。血反吐を吐いて、がむしゃらに、冷静に、ヒトとしての限界を超えるしかない。――けれども凡才は、そこに至る前に心が折れる」
気付けば口から勝手に言葉が吐き出されていた。自分でも思わなかった吐露に春秋自身が驚いている。
脳裏に過ぎる、いつかの世界。
無力さに打ちひしがれ絶望する少年がいた。
けれど彼は立ち上がった。いくら劣っていたとしても、自分は自分にしかなれないのだからと自らを鼓舞した。
そして彼は、限界を超えた。
その世界で最強の一柱となり、後に他の世界にまで異名を轟かせるほどの存在になったのだ。
彼は、その唯一無二の絶対的な力をもってこう呼ばれた。
――――――――剣帝、と。
………
……
…
「おかえりなさい、春秋さん。朝凪くんとの模擬戦はどうでしたか?」
「模擬戦? 赤子の相手をすることがか?」
部屋に戻ると、昼食の準備をしていた桜花がキッチンから姿を現した。着慣れた制服の上にエプロンを着け、手にはお玉を握っている。
キッチンからふわりと焼いた魚の匂いが漂ってくる。とはいえ別に空腹を感じているわけではない。
桜花の相手をしながら春秋はテーブルの前に座り込む。ベッドを背もたれにして寄りかかり、放り投げてあった鞄の中から本を取り出す。
特に読みふけるわけではない。なんとなく手に取っただけだ。
「あはは……もう少し、朝凪くんに協力して貰えると嬉しいんですけどね」
「契約の範囲外だ」
ちょうど準備が終わったのだろう。桜花がいそいそとテーブルの上に食事を並べていく。
それでも春秋の対応はそっけない。だが無視を決め込むわけでもない。
相手をしなければ桜花がどんな行動をしてくるかわからない――出会って共に過ごして数日が過ぎたが、未だに桜花は先が読めず困惑するばかりだ。
桜花は桜花で春秋の行動の先回りをしてくるのだから扱いに困る。
だから自然とこんな会話ばかりする。桜花が話題を提供し、春秋がそっけなく応える。
微妙な距離感の二人だからこその会話だ。
もっとも、桜花はそれでも春秋との交流が好きなのか積極的に話を振ってくるが。
「わかっています。……でも、この島を守る身として、契約が終わった後のことも考えないといけませんので」
「カムイの技術協力はしてやっただろう。あとはお前らで頑張れ」
「……はい」
まるでこれ以上協力するつもりがないような物言い。
だが桜花はわかっている。こうは言っても、何かしらのメリットがあれば春秋はそれに見合うことを返してくれる。
口調も態度もそっけないが、義理堅いのだ。1に対してしっかり1以上を返してくる。
要するに。
「春秋さんって、ツンデレですよね」
「なんだそれは」
「なんでもありません」
桜花の言葉の意味こそわからないが、侮辱なわけではないことは理解した。
本を置き、箸を手に取る。
ひとまずは昼食を取ることにしよう。そう決めた春秋は黙々と食事を始めるのであった。




