第百十八話 星命(ほし)が生まれた日
黒金のデュアルマ――――それは、【物語の管理者】が編み出したアルマの真域。
本来有り得ない二つのアルマを従える特異性。机上の設定で考えただけの能力。
もしも、もしもそれを春秋が手に入れられたら。
【物語の管理者】は待ち望んでいた。待ち焦がれていた。
"黒金のデュアルマ"が管理者が望む性能そのものであれば――。
「"舞踏" "宣告" "憐憫" "極点"」
ここにきて初めて【物語の管理者】が動く。一歩踏み出すと共に、【物語の管理者】は指で宙に文字を走らせた。
【物語の管理者】にとってこの世界は特殊で特異で、しかしここはそれでも執筆された文字の世界でしかない。
自分が存在している情報を、自分の座標を【書き換える】。
シャンハイズの内二本が【物語の管理者】に追従する。春秋の背後を取った管理者は、三分刻みと決めていたルールを破棄して言葉を紡いだ。
四つの単語に意味はない。詠唱というものは自身をトランス状態に高める為に必要な自己暗示。故に、紡ぐ言葉はなんでも良い。
それがこの世界、この物語における設定。言葉を紡ぎ、それをトリガーとして【物語の管理者】は不可避の刃を起動させた。
「"Aries" "Taurus"」
シャンハイズが光と共に駆け抜け、春秋を腰から両断した。もう一つの刃がさらに春秋の首を落とす。
しかし春秋は止まらなかった。引き裂かれた身体を繋ぎ止めるように黒金のデュアルマが広がり、瞬く間に傷を癒す。
そして何事もなかったかのように、接近していたシャンハイズの一本を掴んだ。
「アルマ・フレアッ!!!」
至近距離で放たれた黄金の必滅奥義がシャンハイズを焼失させる。躊躇うこと無く使用されたアルマ・フレア。
シオンと同様に、一度使ってしまえば五分はアルマが使えなくなる――筈なのに。
俄然春秋は黒金のデュアルマを広げていた。燃え尽きるどころかさらに勢いを増している。
「はは。ははは。はははははっ!!!」
腰を断ち、首を断ち、確実に死に至らしめたはずだった。けれど春秋はいとも容易く傷を癒した。
あれだけの出血と痛みを与えられれば意識は吹き飛び、意識を失えば治療もままならない。
それがアルマを持つ者を効率良く殺す手段である。どれだけ再生できようと、意志によってアルマを制御しているのならば意志を奪えばそれで良い。
しかし春秋はそうならなかった。痛みに耐え、瞬く間に修復した。
それだけではない。
アルマ・フレアを使用した筈なのにアルマは健在だ。
春秋は、オリジンの、過去の春秋の記憶を手に入れた。
それは【物語の管理者】に奪われ続けた物語。
桜花を失い、家族を失い、友を、仲間を、世界を奪われ続けた物語。
その積み重ねが春秋を突き動かす。
その感情は、痛み程度で抑えられない。
痛いと感じている暇なんて、無い。
それともう一つ。
これまでの物語で、春秋は本当に【不死】である物語が存在していた。
その頃に味わった痛みに比べれば、【物語の管理者】の一撃なんて痛みですらない。
「良い輝きじゃないか、春秋ぃ!」
「黙れ。今日だ。今日ここで、お前を殺す。これまでの全ての俺に、仲間たちに誓ってでもぉ!!!」
「怒りに身を委ねてどうするんだいっ!」
アルマ・フレアを使うとどうして五分のインターバルが必要なのか。それは本来残しているアルマまで全てを使用する必滅奥義だからだ。
しかし黒金のデュアルマは違う。今の春秋は二種類のアルマを宿している。
一つのアルマが燃え尽きても、もう一つのアルマで命を、力を供給できる。
そうなれば使い切ったアルマも瞬時に回復する。むしろエネルギーが余って仕方ないのだ。
過剰に膨れ上がったエネルギーは激情に身を委ねる春秋にとって都合が良い。
いくら傷を負っても溢れすぎたアルマが癒す。いくらアルマ・フレアを使っても際限なく戦うことが出来る。
限りなく無尽蔵に戦えるのがアルマの利点だった。
黒金のデュアルマは、その【限りなく】すらも否定する。
今の春秋は、無尽蔵にアルマを使える。
「アルマ・フレアッ!!!」
漆黒のアルマ・フレアがもう一本のシャンハイズを焼失させた。計三本のシャンハイズを失っても、【物語の管理者】は顔色一つ変えない。
「シャンハイズを一撃で破壊できるアルマ・フレア。そしてそれを連続で扱える。いやはや、素晴らしい。素晴らしいぞ"黒金のデュアルマ"」
「貴様に認めて貰う必要は無い」
「冷たいな~。アルマの可能性を造ったのも私だぞ?」
「そうか。貴様は破滅願望があるんだな」
「馬鹿も休み休み言え。面白ければそれでいいんだよっ!」
もはや正攻法で春秋を倒し、無力化することは出来なくなった。いくら傷を与えても再生し、意識を奪うことも出来ない。
それでいて春秋の火力は容易に【物語の管理者】の手札を奪う。
シャンハイズを、そしてファントメアすら容易く消し去るだろう。
だからこそ【物語の管理者】は昂揚している。待ち望んだ光景は垂涎ものだ。
「でもね春秋、お前じゃまだまだ私には勝てないよ」
「寝言は死んでから言え」
「そういうとこだぞ」
【物語の管理者】は再び座標を書き換える。今度は春秋の上空を位置取り、シャンハイズ三本全てを春秋に向けた。
昂ぶっている【物語の管理者】に最早詠唱は必要ない。必要なのはシャンハイズの名を呼ぶだけ。
「"Vilgo"」
放つ刃が春秋を袈裟に両断する。黒金のデュアルマが広がり、すぐに治療を終えた矢先に。
「"Libra"」
第二の刃が再び春秋を両断する。しかし黒金のデュアルマはその程度で止まりはしない。
「"Aquarius"」
「っ!」
「"Vilgo" "Libra" "Aquarius"」
治癒、両断、治癒、両断、治癒、両断。
「"Vilgo" "Libra" "Aquarius"」
治癒、両断。治癒、両断。治癒、両断。
終わらぬ猛攻。
尽きぬデュアルマ。
攻勢を続ける【物語の管理者】と後手に回らざるを得ない春秋。
千日手だ。このままでは戦いが終わらない。心が折れた方が負けとなる状況にまで持ち込まれる。
【物語の管理者】の狙いは不明瞭だ。いくら自身が無尽蔵に春秋を抑え続けることが出来たとしても、その春秋が止まらなければ意味がない。
「"この状況を打破する方法などお互いに存在しない"とでも思っているのか春秋ぃ。わかっているだろう? 私が使っているシャンハイズが六本なことを。その名になんの意味があるのかを」
シャンハイズに刻まれた名は、黄道十二星座のものだ。
それらから察するに、シャンハイズは十二本で一つの術式であると推察出来る。
つまりあと六本、【物語の管理者】はシャンハイズを呼び出せると言っているのだ。
三本のシャンハイズの猛攻ですら黒金のデュアルマを抑え込んでいるというのに。
(……なぜ奴は残り六本のシャンハイズをすぐに使わない。いたぶって愉しんでいる可能性は当然ある。けれどもう一本を出して桜花の命をちらつかせればもっと状況を良く出来るだろうに)
治癒と両断を繰り返しながら春秋は思案する。怒りに身を委ねているが、治癒と両断を繰り返されている間は暇である。
(考える意味なんて、ない。奴が慢心しているのなら、そこを突けばいい。考えろ、今の状況を打破し、奴を殺す一撃を放つ方法を)
春秋が意識を手放さない限り、黒金のデュアルマは春秋を生かし続ける。だからこそ思案に耽ることが出来る。
考えて、考えて、考えて。
どうせ死なないのだから、試してみようと思い付く。
「――――アルマよ」
潰れた喉で、声を絞り出す。痛みはあっても感じない。
この程度の痛みなど、これまでに引き離され続けてきた愛に比べれば微々たるもの。
だからこそ、言葉を吐ける。無尽蔵に溢れる黒金のデュアルマを利用して、両の手を【物語の管理者】に向けた。
「無駄なことをするんじゃない」
春秋の抵抗に気付いた【物語の管理者】が腕を切り落とす。しかし腕は瞬く間に再生する。溢れたエネルギーが両断する速度を上回り始めていることに、春秋だけが気付いている。
故に、力任せに事を進める。
「右手に、栄光を。左手に、絶望を。流れ、見極め、至れ、極限」
黄金のアルマ・フレアが、右手に集う。
漆黒のアルマ・フレアが、左手に集う。
両手を、重ねる。指を絡め合い、手のひらの中で反発し膨れ上がるアルマ・フレアを強引に押し留める。
手の中が熱い。火傷では済まない痛みが走る。お互いを喰らい、過剰に増幅を繰り返す二つのアルマ・フレア。
それらを全て一つに落とし込み、春秋は世界を断つ力を手に入れる。
「――――アルマ・ノヴァ」
世界から音が消えた。一瞬の輝き。刹那の瞬き。
極小の球状となったアルマ・フレア――アルマ・ノヴァが【物語の管理者】へと放たれ。
目映い光と共に、世界を、犯す。
「シャンハイズ、ファントメア――――――――――」
【物語の管理者】が六本のシャンハイズを喚び出し、九本のシャンハイズで身を守る。
展開している夢幻障壁の中に閉じこもり、威力を最小限に抑えようとする。
しかしその程度でアルマ・ノヴァは止まらない。
急速に光が萎んだかと思えば、一斉に爆発する。
それはまるで星が生まれる日のように。
【物語の管理者】すらも飲み込んで、管理者の世界が崩壊する。
壁は砕け、地面は割れ、崩れた空から大量の本が落ちてくる。
眼下に広がるのは不可思議な極彩色な空間だった。
一つわかるのは、そこに飲み込まれては戻れないという恐怖だけ。
崩れゆく世界の中で、春秋だけが健在だった。
黒金のデュアルマを広げ、守るように仲間たちを包み込む。
世界が変わる。いや、元に戻る。
気付けば彼らは星華島に戻っていた。咲き誇る永遠桜が彼らの帰還を祝福する。
安堵のため息が零れる中で、春秋だけが虚空を睨み付けていた。
「はは、ははは、ははははは……」
そこに、【物語の管理者】はいた。
九本のシャンハイズ全てを失い、夢幻障壁ファントメアは消失した。
後に残ったのは、半身を失った小柄な少女。
【物語の管理者】の最期が近い。
残された身体はガラス細工のように罅が入り、命の終わりを告げている。
しかしそこで手を止める春秋ではない。記憶にこびりつく、永遠に続いた苦しみの記憶が彼を突き動かす。
「終わりだ、管理者」
「終わりか。ははは、さあ、お前は何を選択する……」
「お前の、終わりだよ」
春秋が手を水平に伸ばすと、空から一振りの剣が落ちてきた。模双神帝オリジンが所有していた漆黒の剣。
それは春秋が奏との戦いの中で掴みかけた過去の切り札と同じもの。
長く繰り返されてきた物語の中で、唯一管理者から奪うことの出来た管理者の権能。
「そうか、それがお前の選択か」
【物語の管理者】は春秋が手に取った剣の権能を知っている。
知っているからこそ、落胆めいた表情を浮かべた。
躊躇いはしない。春秋は黒き剣を手に取って、【物語の管理者】に振り下ろす。
「なあ桜花。――――残念だよ。これで全部が台無しだ」
負け惜しみのように呟きながら、【物語の管理者】は黒き刃をその身で受け止めた。
流血はない。この剣は、物質を断つ剣では無いから。
この剣は、【存在】を否定する。
オリジンがアルマ・フレアを両断したように、この刃が触れたモノは存在を許されない。 強制的に、どんな役割があろうと【終わる】。
【物語の管理者】の身体が、黒い光となって崩れていく。
管理者は冷めた瞳で春秋を見つめている。虚無の瞳に見つめられようと、春秋の敵意は変わらない。
「これが終わりか
これが死か
ああ、これが恐怖か
私が消える
私が終わる
だがな、春秋」
崩れていく身体のまま、【物語の管理者】が桜花を睨んだ。
「お前は選択を誤った。
怒りに身を任せ、憎しみに身を委ね、【物語の管理者】を否定した。
その罰は、受けてもらう」
「馬鹿も休み休み言え。お前はもう終わりだ。これでようやく、俺たちはハッピーエンドを迎えられる」
「ハッピーエンド……はは、ははは、ははははははははははははははははははははは」
もう物語の管理者の身体は七割以上消え去っている。それでも顔と上半身の一部だけが残っており、愉快げに口を動かした。
「春秋」
最期とばかりに、ありったけの邪悪な笑顔を見せつけて。
「ばいばい」
そして、物語の管理者は消滅した。
そして、そして、そして。
誰かが倒れる音がして、春秋は咄嗟に振り向いた。




