第百八話 管理世界にて待つ者
「ここが……管理者の世界か」
目が眩むほどの光景だ。視界いっぱいに広がる本・本・本。
乱雑に積まれた本がある。本棚に綺麗に収納された本がある。大小様々な本がある。
図書館のような世界を春秋は歩き出す。床に散らばっている本を踏まないように神経を使いながら、何処かから敵が来るかもしれないと警戒しながら歩み続ける。
目的は自分にまつわる物語。それを手に入れれば、これまでの過去を――所謂『前世』を思い出すことが出来る筈だ。
しかしそれがどこにあるかまではわからない。
当てもなく彷徨っているわけではない。
「こっちか?」
なんとなく、だ。なんとなくだが春秋は方向を決めている。
まるで呼ばれているように。通り過ぎる本のタイトルを横目で流していると、頭の奥に痛みが走る。
小さな痛みは違和感程度のものだ。気にしなくてもいいくらいの痛み。
『変革のイデア』『コミュ障エルルの召喚魔法』『機帝のリベリオン』『欠片集めのストラテジー』『資料術士は笑わない』『時魔導師は甘えたい』『神様のサボタージュ』
「……これらも全部、俺たちと同じなんだよな? 管理者が書いた物語で、彼らには彼らの物語があって」
「半分正解、半分不正解と言ったところよ」
「っ!」
不意に聞こえてきた声に思わず飛び退いた。感じられなかった気配。
敵か否か。いや、そもそも管理者の世界に侵入してきた春秋を歓迎する存在などいるわけがない。
どのみちこの世界は管理者の世界。ならばそこにいるのは敵であって当たり前で。
「アルマ・レイブ――――」
春秋は即座に攻撃を選択した。創り出したレギンレイブに黄金の炎を纏わせる。
躊躇うことなくアルマ・レイブを投擲する。破壊の力を宿した槍は、着弾すればたちどころに周囲を焦土にするだろう。
「やめておいた方が良いわ。『その程度』の威力じゃこの世界は壊れない」
『彼女』が手を向けると、それだけでアルマ・レイブは力を失い音と立てて床に落ちた。
姿を見せたのは、栗色の髪の少女。身に着けているのは、星華学園の女子制服。
背には天使の如き純白の翼を生やし、寂しげな瞳が春秋を見つめている。
覚えのない少女。けれどなぜだか、ぽつりとその名がこぼれ落ちた。
「アヤ」
「やっぱりアンタは『春秋』なのね。全部失ってるくせに、なんだかんだ魂で全部覚えてる」
「お前は……俺の過去を知っているのか?」
「知ってるわ。でも全部じゃない。というより桜花以外誰もアンタの全部を理解してる存在なんていないわよ」
『アヤ』は慣れ親しんだように春秋に接する。
春秋もまた、昔から知っているような感覚が胸の奥からこみ上げてきている。
「アンタの物語を探してるんでしょ? こっちよ」
「大丈夫なのか?」
「罠があろうがなかろうが来るでしょ?」
「……まあ、そうだな」
不思議な感覚だ。知らない少女なのに、知っている。魂の奥底で繋がっていることがわかる。
呆れたような物言いも、素直になれない性格も、それでいてなんだかんだ世話焼きな彼女のことを知っている。
「ここよ。この本棚」
「本棚、って」
「それだけアンタは物語の管理者に振り回されてるのよ」
アヤに連れてこられ、やたら目立つ大きな本棚の前に立つ。
背表紙には様々なタイトルが刻まれている。
けれどもアヤは断言する。この全てが春秋の過去だと。
早速春秋は本の一つを取ろうとする。だがアヤがそれを手で阻む。
「春秋、アンタは過去を取り戻して何がしたいの?」
「何がしたい、って」
「答えて。それが桜花の想いに応えたいとか甘ったれたことだったら、私はそれを許さない。私が、私だけじゃないわ。黒兎も、昂も、仁…………はアンタのことを信じてるからどっちでもか」
アヤの言葉に春秋は逡巡した。桜花の想いに応える為に来たことこそが真実である為、春秋は言葉を濁すことしか出来ない。
「今のアンタは桜花の愛情に負けてるだけよ。桜花を好きだと、愛してると自覚しているからこそ、アンタを想い続けている桜花の想いに対して不安を抱いている」
「それは、否定しない。桜花からの愛に、俺は」
「だったらアンタの過去なんて関係ないわよ。むしろ今のアンタが過去を取り戻しても情報量が多すぎて過去に縛られるだけ。忘れてないでしょうね? アンタは、『今の』アンタが桜花を好きになったの。桜花も今のアンタを愛してる。そこから更に過去の想いを乗せているだけ。愛情の重さや大きさに過去も歴史も何も関係ないわ」
アヤの言葉に自覚させられる。その言葉の意味はよくわかるし理解出来る。
だからこそ、何をすべきか。どうするべきか。
「アンタが手に入れるべきは過去じゃない。桜花への愛情よ。
『愛は世界を侵す感情だ』――それが、アンタの持論なんだから」
アヤの言葉は的確で、ストンと腑に落ちるものだった。
確かに春秋に過去は必要だ。でもそれは今じゃない。
今するべきは、自分を愛してくれる最愛の彼女を守ること。
「ありがとう、アヤ。スッキリした」
「それにこんな世界に来なくたってアンタだったら勝手に過去を思い出すわよ」
「そうだと嬉しいが……」
「もっと時間のある時に来なさい。ここでは時間の流れが不規則だけど、私はここにずっといるから。その時に、また話しましょ。アンタが全部を思い出したら、昔話に花を咲かせましょう」
「ああ!」と春秋は踵を返して走り出した。自分の想いに、桜花からの愛への不安を抱いていた彼はもういない。
晴れやかな表情の春秋を見送って、チクリと胸に痛みが走る。
春秋の後ろ姿が見えなくなって、アヤは小さくため息を吐いた。
「頑張れ、春秋。私はアンタの近くにもいられなかったけど……桜花を、絶対に――――」
言葉はそこで途切れた。無限に広がる図書の世界に鮮血が飛び散る。
今にでも意識を失いそうなアヤは、決死の力を振り絞って振り返った。
そこにいたのは、春秋であり、春秋ではない青年。
「あら、ようやく来たの?」
「……………………ああ、侵入者がいたみたいだからな」
「残念。もう逃がしたわ」
「…………まったく、勝手に顕現化して好き放題してくれる」
冷たい瞳の『春秋』は、春秋が走り去っていった方角に視線を向ける。
そうはさせないとばかりにアヤが立ち塞がる。白き翼を広げ、光の弓矢を番えた。
「やめておけ、アヤ。死んだところで物語に戻るとはいえ、俺はお前を殺したくはない」
「よく言えるわね。アンタが。今の『アンタ』が」
「仕方ないだろ。これが一番最短の方法だ。オレを殺し、オレを喰らい、その力を取り込む――――物語の管理者を殺す為のショートカットとしてな」
鬱陶しく前髪を掻き上げた『春秋』はアヤの態度に苛立ちを隠さない。
「させないわよ。だからこそ私はここにいる。大好きなだったアンタのハッピーエンドを見る為にっ!」
「そうか。じゃあ『春秋』としてお前を手に掛けるのは躊躇うから……」
『春秋』の身体から炎があふれ出す。その炎は黄金ではなく、漆黒の炎。
漆黒の炎が『春秋』を包み込み、闇紫の鎧となる。
そして自らを否定するかのように、顔の無い仮面を装着した。
「『神帝』として処理をしよう」
雰囲気が変わる。冷たさすら消失し、相対しているはずなのに『春秋』を認識しずらくなる。
「『夢幻』と『無尽』に連なる『模双』神帝オリジンとして、お前に【終わり】を宣告する」
「神帝、ね。ほんと、今のアンタを桜花が見たらどう思うかわかってるの?」
「言葉は要らない。お前の言葉は届かない。だからアヤ、役目を終えて静かに眠れ」
『春秋』いや、模双神帝オリジンが漆黒の片手剣を握り締め。
容赦なくアヤへ殺意の刃を振り下ろした。




