第百五話 混沌の申し子
「アライバル、だと」
「驚くなよ、当然だろう? この胸にあるのは奏の心臓で。この胸から溢れるのは奏のナノ・セリューヌで。俺は、俺たちは…………一つになってようやく結末に至れるのだから」
ファントメアが冷や汗を流す。展開していく白と黒のナノ・セリューヌが昂を覆っていく。
その出で立ちはマテリアルロイド・アルバート。しかしそれだけに止まらない。
白き装甲がアルバート/昂を守るように展開されていく。
白と黒、二色によって構成された新たなアライバル。
「俺たちの物語を再開するぞ、"エアトス"」
昂が呟くと、その手に握られるは身の丈ほどはある機工の大剣。
柄を握りしめ軽々とエアトスを振り回す。感情の篭もらぬ瞳がファントメアを捉え、小さく呟いた。
「アルバートはかつての世界で死んだ名だ。茅見奏の幸せを祈った篠茅昂も死んだも同然だ。だから、今の俺はこう名乗ろう。――――機構神帝アライバル・マテリア」
「神帝、だと? アライバル程度が、今の貴様が、私と同列だと言うのか!!!?」
ファントメアは感情を隠そうともしない。淡々と語る昂とは裏腹に、自身の誇りを汚されることが不満でしかない。
「不敬だ、不敬でしかない。神帝とは管理者様に使える帝王が与えられる名であり権能であり、あまねく全ての物語から脱却した、完全無欠な存在で――」
「じゃあ、その設定は意味が無くなるな。管理者を殺す俺が、今ここで、神帝を名乗るお前を殺すのだから」
「ふざけるな、ふざけるなふざけるなふざけるな! 四ノ月桜花の前に貴様を殺してくれる。夢に閉じ込め無限に苦しめ死を望むことすら叶わぬようにしてくれるわっ!!!」
大胆不敵な昂を前にファントメアは不快感を露わにする。
その両手に魔力を集わせ、触れれば必殺の力を纏わせた。
夢幻神帝ファントメア。本来彼は戦闘を好む帝王ではない。
そもそもの能力が対象を眠らせ、自身の領域に引きずり込む。
支配に置いてしまえば戦闘をする必要もない。殺したければ勝手に自死させることすら出来る。
夢幻神帝ファントメアは、己の世界においては最強不落。
それ故に、神帝となり強化された彼の能力は。
問答無用で全てを己の世界に引きずり込む、最凶最悪唯一無二。
「迷い込め、夢幻回廊」
それは、ファントメアを見ただけで成立する。それは、ファントメアを認識した時点で成立する。タイムラグも何も関係ない。
ファントメアが言葉を口にするだけで、彼の世界は全てを飲み込む。
気付けば昂は見知らぬ世界にいた。
天井の見えない高い高い回廊だ。
静かな足跡だけが響く冷たい空間。
『ここは私の世界、主様が、私が筆を執ることを認めている世界。ここは私であり、こここそ私の物語』
どこか遠くで、けれどもすぐ傍からファントメアの声が聞こえてくる。咄嗟に昂はエアトスを振るった。
けれどもエアトスは虚空を切る。声は聞こえるのに、そこには何もいない。
幻を相手にしているかのような、気持ちの悪い感覚。
『貴様は私の世界に組み込まれた。故に記そう――【篠茅昂は、その場で立ち尽くすことしか出来ない】と』
篠茅昂は、その場で立ち尽くすことしか出来ない。
『【抗うことも何もかもを放棄して、膝を屈して頭を垂れる】』
抗うことも何もかもを放棄して、膝を屈して頭を垂れる。
『【この世界に"死"は存在しない。両断されようとも失血しようとも死ぬことはない】』
この世界に【死】は存在しない。両断されようとも失血しようとも死ぬことはない。
「篠茅昂、お前はどれくらいで心が折れるかな?」
声が質量を伴った。頭を下げたままの昂の前にファントメアが姿を現す。
その手には鋭利な刃が握られている。人を殺めるには少々短い小刀だが、この世界において武器の種類は関係ない。
この世界ではファントメアが絶対であり、彼が望んだ全てが反映される。
今まさに、その絶対を用いて昂に狂乱の刃が振り下ろされ。
「……ばーか」
「な――――」
世界が歪む。
世界に罅が入る。
空間が綻び、回廊が崩れていく。
何が起きたか理解出来ないのはファントメアだ。
この世界は絶対不変。
この世界に限って言えば、自分は【物語の管理者】と同列の存在であるというのに。
「なにを、なにをした、篠茅昂っ!!!」
戸惑いと激情を言葉に乗せて、ファントメアが叫ぶ。
立ち上がった昂は、種明かしとばかりに底意地の悪い笑みを見せる。
それがファントメアの神経を逆撫でするとわかっていて、だ。
「いやー俺の嘘にここまで堂々と引っかかってくれて嬉しいやら悲しいやら。格下相手はこれがキマりすぎて逆に申し訳ないや」
「嘘、だと。何が嘘だ、今の貴様は、茅見奏から受け継いだナノ・セリューヌによってアライバル・マテリアとして――」
「うっそでーす。いやまあアライバル・マテリアって名前は気に入ってるしアライバルの力もまあある程度は使えるが、俺が奏の力を使える訳ないだろ。ナノ・セリューヌはあいつの力だ。俺の力じゃない」
「な――――」
「奏が命を流し込んで、俺がアライバルって名乗れば誰だって俺の力は奏と同等に思うだろ? 思い込むだろ? だからお前は考える間もなく、俺の力を気にすることなく自分の世界に閉じ込めた。俺の本当の力を理解していないのに」
「本当の、力だと。有り得ない、貴様は、主様から力を借り受けただけの存在だ。そもそも篠茅昂という存在はナノ・セリューヌすら使えずに、嘘と真実清濁混ぜ込んで全てを誤魔化すだけの少年で――」
ファントメアの言葉は的確だ。昂の物語に目を通している彼はかつての世界で持ち合わせていた能力を知り尽くしている。
そして昂の言葉同様、この状況下でアライバルとして覚醒し、反旗を翻した。
誰もがそう思う。誰もがそれが一番だと考える。
だからこそ、それが昂の狙いであり、篠茅昂という少年を理解していない証明だ。
そもそも、だ。そもそも不可解な事例から誰もが目を逸らしていた。
「カオス・ヘリアル。それが俺の本当の力だよ」
「なんだ、それは。知らない、私が知らない力を隠し持っていると言うのか!?」
「隠してませーん。俺はこの島に来てからもこの力を使ってまーす」
「…………少年少女を狂わせていた力か!?」
「ビンゴ!!!」
時守シオンを狂わせた。水原祈を狂わせた。
ギアと読んでいた不可思議な黒いリング。
口角を釣り上げながら得意げに昂は語る。
「俺の力は物理概念事象全てを問わずに【歪ませる】。わかる? お前にもわかるように説明してあげましょうか~~~?」
「馬鹿にするな、馬鹿にするな、馬鹿にするなっ!!! 私を虚仮にして無事で済むと思うなよ!!!!?」
「あーあだからお前は馬鹿なんだよ。俺の能力を理解しようともしない。自分より格上の能力を相手にして思考を放棄する。――――だから管理者は、お前を神帝の中で一番最初に連れてきたんだろうが、噛ませ犬」
「あ゛?」
それが一番ファントメアの琴線に触れた。自らの世界を崩されたといっても、ファントメアからすればもう一度能力を展開すればいいだけのこと。
魔力も十分にあるし、何より彼は【物語の管理者】によって能力を認められている。
それは何よりも優先されるこの世界のルールだ。
「夢幻回ろ――――」
「【歪め】」
ファントメアが手を下す前に。ファントメアが言葉を言い切る前に。
夢幻回廊に引きずり込む条件を満たす前に。
篠茅昂の、カオス・ヘリアルの、発動条件が満たされた。
「びゃ……っ!?」
もはや言葉を口にすることも出来ない。
何が起きたかを理解する前に、ファントメアは膝を突いた。
視界が【歪】んだことによって立ち眩む。
膝が【歪】んで力が入らない。
吐いた言葉が【歪】んで望んだ言葉が出てこない。
何故、と考えようとした思考が【歪む】。
何故何故何故何故と、思考がそれ以上先に進まない。
物理的に歪んだ膝が折れ、姿勢を維持できない。
精神的に歪んだ思考が理解を遅らせる。
「歪みっつーのはさ、解釈は人それぞれだよ。ある程度思考を歪ませれば本来はしない思考に誘導出来るし、『眠っている』って状態を歪ませれば寝てる状態から強引に目覚めさせることも出来る。わかるか? あーもーわからないかぁ~~~」
ケラケラと嗤いながら昂は膝を突いたファントメアの顎を蹴り砕く。
例えアライバルとしての力が十全でなくても、普通の人間を超越した力に変わりは無い。
最早どちらが悪役かもわからない。ファントメアの能力に対して、昂のカオス・ヘリアルはあまりにも相性が良すぎる。
だからこそ、昂は結論を出している。
一番最初に出てきた神帝が夢幻神帝ファントメアということは。
――――【物語の管理者】は、最初から篠茅昂を引きずり出す腹づもりだったと。
「気にくわねえ。気にくわねえ。ああ気にくわねえ! 斜に構えて、暗躍して、それが全部あいつの手のひらの上だったことが洒落臭ぇ!!! 俺がもう少しちゃんと考えてれば奏は死ななかったかもしれないし、もっと上手く立ち回ることも出来ただろうがっ!!!」
「が、あ、ぐぅ……!」
もうこれは戦いではない。昂のただの八つ当たりだ。
能力を封じられたファントメアは戦うことすら出来ない。
如何なる抵抗をしようが、昂によって【歪】められたら手も足も出ない。
「きさ、ま。きさま、きさま、きさまきさまきさまきさまきさまあああああああああああ!!!!!!!!」
決死の力を振り絞ってファントメアが立ち上がる。折れた膝を無視して、歪んだ思考をかなぐり捨てる。
「思考など、要らぬ。足など、要らぬ。肉体すらも不要。私は、私は主様に勝利を、勝利を捧げられればそれでいいのだ!!! 今一度、全てを夢の世界に落とし込んでくれる……開け、開け開け開け開け、夢幻回廊ううううううっ!!!」
その選択は、正しいものであった。
カオス・ヘリアル。
混沌を広げる者。
分類は【帝王】、名を付けるのであれば、混沌帝ヘリアル。
物理、精神、概念全て問答無用で正常ではない状態へと【歪ませる】凶悪な能力。
当然、この能力にはデメリットがある。
昂がこの力を表に出さなかった理由であり、【物語の管理者】すらも秘匿していた理由である。
それは能力を生み出すに当たって【制約】を課されたこと。
歪みはいつか正される。
正されるからこそ、歪ませることが出来る。
相反する理屈を以てして、昂は世界を望むがままに歪ませる。
けれど、世界には歪まないものもある。
いや、正確には歪められないものがある。
春秋が抱く桜花への愛のように。
桜花が抱く春秋への愛のように。
黒兎が抱く管理者への復讐心のように。
最早歪んでいると断言出来そうなほどの強く重い感情を前にして無力となる。
歪んでいるモノは歪められない。
昂はそれを、執念と呼んでいる。
「良い目だよファントメア。お前はようやく本気になった。管理者に忠義を尽くすために俺を排除しようとするその目が、カオス・ヘリアルの歪みから強引に脱却する――――」
「殺す、殺す殺す殺す殺す絶対に殺す。私は神帝として、あの御方が望む世界を守る為に、あの方が綴る物語を守る為に、私はぁ!!!」
「だからこそ、お前をぶっ殺すことが管理者への宣戦布告になるんだよ、"エアトス"!!!」
昂の叫びにエアトスに罅が入り、刀身が砕けた。
いや、それは砕けたように見えただけだ。
大剣エアトスは、見せかけだった。その中から純白の美しい刀身が姿を現す。
カオス・ヘリアルを名乗る昂が持つには不釣り合いすぎる純白の剣。
そして、鞘であり偽りの刀身であったパーツが昂の左手に集っていく。
「カオス・ヘリアルとアライバル。俺と奏は今日、ここでぇぇぇぇぇっ!!!」
ナノ・セリューヌによって集ったパーツが変化していく。
姿形を変化させ、鋼鉄の鉤爪を形成する。
立ち上がり、直接昂を己の世界に取り込まんとファントメアが手を伸ばす。
「夢に堕ちろ、篠茅昂ううううううっ!!!」
「てめぇ一人で寝落ちしていろ、ファントメアああああああっ!!!」
右手に握ったエアトスで、ファントメアの腕を切り落とした。
けれどもファントメアは止まらない。目から血涙を溢れさせながら、昂の喉元に噛みつこうと大口を開けて。
――――左の鉤爪が、ファントメアを貫いた。
「が――――」
「【歪め】――――」
カオス・ヘリアルが発動する。
貫いた箇所を対象に、ファントメアの肉体を【歪ませる】。
「【歪め】【歪め】【歪め】【歪め】――――」
「あ、あ、あ、あ、あ―――――――――」
捻れ捻れ捻れ捻れ捻れ捻れ捻れ捻れ。
物理的な肉体を前にしては執念など関係ない。精神的に優位に立てなくても、直接肉体を歪ませてしまえばそれで済む。
それだけではない。
カオス・ヘリアルによって【歪んだ】ものは、いずれ正しい形に戻る。戻される。
その際に、歪みを強引に戻すために過剰なまでの力が発生する。
昂はそれすら利用する。歪ませて、正して、歪ませて、正して。
ファントメアの身体から鉤爪を引き抜いて、手のひらを広げる。
手のひらに集うのは歪み、正されたことによって発生したエネルギーだ。
昂はそのエネルギーすらも【歪ませる】。
歪もうとする力と、元に戻ろうとする力を繰り返させる。
膨れ上がっていくエネルギーの全てを、ファントメアへ向けて。
「カオス・ブラスト」
「――――」
小さくその名を呟いて、臨界を超えたエネルギーがファントメアを蒸発させる。
叫ぶことすら認められない。役目を終えて文字として消えることすら許さない。
その肉体の完全消失を見届けて、カオス・ヘリアル/篠茅昂の戦いは終わる。
「……終わったよ、奏」
夢幻神帝ファントメアは此処に倒された。
けれど失ったモノはあまりにも大きく、心にぽっかりと穴が空いて。
「待っていろ。全部終わらせて、お前を取り戻す。お前が、俺が、俺たちが、笑って馬鹿をやれる物語に戻る為に――――俺は戦うよ」
誰もいない。誰の耳にも届かない。誰の胸にも響かない。小さな小さな決意の言葉。
篠茅昂の本格的な覚醒と参戦を経て、桜花を巡る戦いは最終局面を迎える。
――――残り、三日。




