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空想のリベリオン  作者: Abel
第二章 英雄の真実 背負わされた役割
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第百四話 少年たちの選択

「あ、あ、あ」

「せいかじま。せいかじま、すくう」

「だからこれ、しんりゃくじゃない」


 おぼつかない足取りの兵士たちが星華島に攻め込んでいく。

 うわごとを呟いているのは寝言だろうか。感情も篭もっていない言葉は誰にも届かない。


 そんな彼らの遅すぎる動作に辟易しながら、夢幻神帝ファントメアは星華島に上陸した。


「行け、兵士たちよ。戦力の大半はもう機能していないのだから、簡単に蹂躙できるだろう」


 ファントメアの指示に答えて兵士たちが進軍していく。

 足取りは重いが堅実に歩を進めていく。抵抗もなにもないのだから、どれほど歩みが遅かろうと問題はない。


「退屈な戦いになりそうだ……いや、戦いですらないか。いかに炎宮春秋であろうと、千を越える国連軍を相手にしては物量差で押し切れる。夢に落ちた少年少女も私の手の内だ。どう足掻いても時間の問題だ」


 退屈そうに歩を進めていく。すでに星華島は四方から兵士たちが上陸している。

 ファントメアの術式によって意識を奪われた兵士たちはゾンビのようにゆらゆらと攻め込んでいく。

 眠らされて倒れ込んだ少年少女たちも倣うように立ち上がり、並んで歩き出す。

 夢遊の兵士が桜花を狙って星華島を蹂躙していく。


 ファントメアは桜花が何処にいるかまでは把握していない。

 けれどもしらみつぶしに探していけばいいだけのことだ。

 今の星華島に、兵士たちを止められる戦力は残されていないのだから。


「……む?」


 あまりにも退屈だと毒づくファントメアの耳に銃声が聞こえてきた。

 春秋を見つけたという反応はない。

 さらに、聞こえるくらいの距離で銃声が聞こえてきたと言うことは。


 視線を向ける。向かわせたはずの兵士たちが地に伏せていた。

 何も言わず、ピクリとも動かない。


 兵士たちは血を流して倒れていた。流れる血はいつしか血だまりとなり、呼吸すらしていなかった。

 そんな兵士たちを気にもせず、異色の瞳の少年がファントメアを睨め付けていた。


 黒髪の少年の名は、篠茅昂。

 隻腕のまま握った銃をファントメアに突きつけている。


「よお、久しぶりだな」

「……篠茅昂」


 相も変わらず右腕を失ったままだというのに、当たり前のように昂は立ち塞がるように立っていた。

 表情も、息づかいも、焦り一つ感じられない。

 明らかに力を欠いているというのに、平静でいられる昂が訝しい。


 二人には少しだけ交流がある。けれどお互いに興味のない関係だった為、希薄すぎる交流だった。

 それ故に、世間話をする必要も無い。最初からずっと、昂はファントメアを敵だと認識していた。

 ファントメアも同様だった。いつか昂は【物語の管理者】に牙を剥く存在だと確信していた。


「お前は命を奪うことに抵抗がないのか。彼らは自己の意識を失い、私に操られるがまま利用されていた被害者だが?」


 牽制程度に揺さぶりの言葉を投げる。

 だが昂はその程度では動じない。

 元より彼にとって命とは不平等だ。

 彼にとって優先される命は、この世界には一つだけだ。


「俺に取っちゃ春秋も、桜花も、ウサギちゃんだろうが誰が操られようが関係ねえ。お前をぶっ殺せば管理者の喉元に迫れるんだから、俺の狙いは最初からお前だよ」

「ふむ。そうか。なるほどな」


 ファントメアが空気を引き締める。その表情には何も感情が込められていない。

 昂がいようといまいと関係ないとばかりの表情だ。


 ファントメアにとって脅威は春秋と黒兎、そして万が一の可能性があったとしても奏くらいだ。

 この三人は【物語の管理者】が造り上げた、世界において絶対的に優先される能力を持たされている。

 そのどれもがファントメアの命に届く可能性があるほどの力だ。


 だが、黒兎と奏は夢の世界に落ちたことを確認している。

 春秋は抗っているが、数の暴力で押し切れる。

 そもそも春秋は桜花を守る為に動けないでいる。状況を打開する為にはファントメアを討たなければならないのだが、ファントメアは遠くから静観するつもりだ。


 この戦いは最初からファントメアの勝利が約束されている。

 黒兎も奏も戦えない状態で、春秋一人では戦力が足りない。

 そんな状況に陥った時点で詰みなのだ。桜花の命は最早ファントメアの手のひらの上。


 だからこそ、昂が立ち塞がろうと何も困ることがない。

 それどころか少しだけ興味が湧いた。

 どういうわけか自らの能力が効いていない昂に対して、嫌がらせをすることにした。


「ここは我が主を見習うことにしよう」

「あ? ――――!?」


 ファントメアが手を翻した。途端、昂は背後から聞こえてきた音に思わずその場から跳び退いた。


「私は『夢』幻神帝ファントメア。愉快な夢を見させてやろう」

「てめぇ……っ!」


 昂が先ほどまでいた場所を破壊したのは、奏だった。

 瞳を閉じ、呼吸もしている。眠っている。ただ眠っているだけだ。


 眠っているはずの奏が、昂に向けて腕を振り下ろした。

 攻撃したのだ。

 そして今度は、ファントメアを守るように昂の正面に立つ。


「私は夢を見させることが出来る。そう、茅見奏に夢を見させてやろう。――我が主と戦うという、決意と覚悟の(ものがたり)を」


 ファントメアの能力は極めて厄介だ。

 ひとたび夢の世界に取り込まれてしまえば、あとはもうファントメアの思うがまま。


 黒兎も、仁も、シオンも同様だ。クルセイダースの少年少女たちも、兵士たちも誰もがファントメアの手中に落ちている。


 眠っている奏を昂にぶつけることくらい造作も無い。

 感情を見せた昂に、思わずファントメアはこみ上げてきた感情を抑えきれずに笑いを零した。


 昂が顔をしかめ、忌々しげにファントメアを睨んでいる。

 向けられる感情が愉しい。


 今すぐにでも飛びかかってきそうな昂だが、奏がそれをさせない。


「主の感情がわかります。ああ、これは愉快だ。雑兵を操り相手を苦しめる以上の快感がある!」

「うざってぇ。俺と奏を殺し合わせる気か? 俺が今更奏に加減なんかするとでも――」

「そんなことはどうでもいい。茅見奏と不本意に戦わされる貴様の歪んだ表情が愉快で仕方がないだけよ」

「てめぇ……!」


 昂が銃口をファントメアに向ける。だがファントメアを守るように奏が立ち塞がる。

 苛立ちを隠すことなく昂が表情を歪ませる。


 ファントメアは大声で嗤う。


「さあ殺し合え。親友を殺すか、親友の手で殺されるか選ぶがいい、篠茅昂ッ!」


 ――ファントメアに見せられている夢の中で、奏は【物語の管理者】と戦っている。


 現実の奏はその動きに同期する。してしまう。それこそがファントメアの能力。

 現実における戦いの相手は、他ならぬ昂で。


「っ……さっさと目を覚ませ、バカ奏ッ!!!」


 奏は躊躇うことなくナノ・セリューヌを行使する。

 鋼鉄の腕を伸ばし、幾つもの武器を生やして振り下ろす。どれも当たれば軽傷では済まないほど鋭利な武器だ。


 それらを昂は避けながら声を掛けていく。

 ファントメアに夢を見させられているのだから、目覚めさせることが出来れば戦いを回避出来るとわかっていたから。


 けれどその程度で目覚めるほどファントメアの能力は軟弱ではない。


 地面に何度ぶつかろうと、何度転んで起き上がろうとも、奏は目を覚まさないまま腕を振るう。


「っ……バカがっ!!!」


 反撃の為に昂も銃口を奏に向ける。引き金を引けば、放たれた銃弾が奏の足を貫くだろう。

 奏の動きは素早くはない。足を貫くことくらい誰にだって出来る。


「……っ」


 けれど、出来ない。

 奏を相手にして引き金を引くことが出来ない。


 奏と戦うことに抵抗があるわけではない。

 元より敵対を覚悟して星華島の敵になった。奏と戦い、敗北することだって考えている。


 でも、今の状況は違う。

 望まぬ戦いを強いられた挙げ句、お互いの信念もなにも賭けない戦いにどれほどの価値があろうか。

 価値などない。これは戦いですらない。

 ファントメアによって汚された、ファントメアにオモチャにされているだけだ。


「こんなことを、こんなことをするために俺はこの世界に来たわけじゃねえ……!」

「どうした篠茅昂、抵抗しなければお前が死ぬだけだぞ。ふは、ふははははは!!!」


 奏の攻撃を回避しながら昂は銃口をファントメアに向ける。だが引き金を引こうとした瞬間には奏が立ち塞がっている。


 そうなれば昂は引くことが出来ない。戦いですらない今の状況で、奏を傷付ける行動が出来ない。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……!」


 次第に、昂に傷が増えていく。

 避けるだけでも精一杯なのに、ファントメアはこれ見よがしに奏を操り攻撃の速度を上げていくのだ。

 攻めることの出来ない昂ではジリ貧になるだけだ。

 どうにかして、どうにかして奏を目覚めさせなければ。


 忌々しい。

 ああ、忌々しい。


 ファントメアの表情が、あまりにも忌々しい【物語の管理者】にそっくりで。

 同じ状況だったら自分でも同じ行動をするから余計に忌々しい。

 当たり前だ。精神的に攻めて相手を崩すのが一番効率が良い。


 真正面からぶつかる必要は無いのだ。相手を崩して、崩れた相手ならば容易に倒すことが出来る。


 だからこそ、この状況に解決の糸口が一つしか無いことも理解している。


 昂は、自分が【登場人物】の中で最も【物語の管理者】に似通っていることを自覚している。


 奴ならばどうするか。奴が好む展開とは何か。

 わかっている。だから、あとは最後の覚悟を決めるだけ。

 元からその選択をするつもりではあった。


 足りなかったのは、覚悟だけ。

 親友に、全てを背負わせる覚悟だけ。


(……どのみち、このまま削られるだけでもジリ貧だ。俺の最終的な目的に辿り着く為には)


 昂は、覚悟を決めた。一歩を踏み込み、奏を追い越してファントメアへ向かって地面を蹴る。


 頭を過ぎったのは、語らった桜花の執念だ。

 見習うべきだ。

 あの少女は、必要とあらば自分の命すら天秤に載せることを躊躇わない。

 あの少女は、ずっとずっと昔から、自分と同じように――大切な人のために全てを捧げるつもりなのだから。


「特攻か? 馬鹿げたことを――さあ茅見奏、お前の手で親友を殺すがいい!!!」


 ファントメアの言葉に応じるように奏の腕が殺意を露わにする。

 鋭利な武器群全てを集約し、ただただ命を奪う為だけに刃となる。


 腕が伸びる。迫る腕を回避して、転換し再び迫ってくる腕から逃げながらファントメアとの距離を詰めていく。


 一歩。一歩。もう一歩。


 あと数歩。

 あともう少し。

 あと、一歩。


 最後の一歩を、踏み込んで。


「……あーあ」


 けれども、そこが限界だ。

 背中から迫っていた奏の腕が、昂の身体を貫いた。

 それも、左胸を。心臓のある場所を。

 確実に、命を奪う為に。


 あまりの激痛に意識が飛びかける。

 ファントメアの笑い声だけが聞こえてくる。

 あまりにも不愉快で耳障りな笑い声。


 だからこそ、昂はこの瞬間を待っていた。

 ファントメアの意識が少しでも逸れる瞬間を。


 何しろ相手は神の領域に至った帝王。

 この力を使うには、ファントメアが僅かでも気を抜かねば通用しない。


 身体を貫いている奏の腕を掴む。

 そして、精一杯に。


「……『歪め』」


 呪いの言葉を、呟いた。


「――――――――え、こ、昂……?」


 ぐらり、と奏がよろめいた。慌てて奏は身体に力を込めて体勢を整えた。

 意識を取り戻す。何が起こったかを把握しようとして、自分の腕が親友を貫いている光景を見てしまった。


 その瞬間、奏は理解した。今の今まで行っていた筈の戦いが、夢であったことを。

 現実として、昂と戦わされていたことを。

 自分が、昂を、殺す一撃を放ってしまったことを。




   ■■■




 独白      篠茅昂




 ――――なあ、奏。

 俺はずっと、お前だけでもハッピーエンドを迎えて欲しかった。


 復讐を考えていた俺の心を救ってくれた親友よ。

 世界を守ることを背負わされた英雄よ。


 なんでもかんでも背負わせちゃいけないってのはわかっていたけど、でも、ダメだった。

 だって、俺を止められるのはお前くらいだったから。


 ナノ・セリューヌと互角の力を持っていた俺を止められるのは、ナノ・セリューヌを十全に扱えるお前しかいなかったから。


 だから、今更だけどここで謝らせて欲しい。

 すまない。本当に、ごめん。


 謝ったから許して欲しい、親友よ。

 お前はずっと俺の最高の親友で、最高の家族で。


 そんなお前が、俺を殺すことで世界を救って――少しでも世界から祝福されれば、満足だったのに。

 お前だったら、それでもハッピーエンドだって割り切れたはずなのに。


 【物語の管理者】によって折られてしまった。

 利用される形でこの世界に連れてこられてしまった。


 お前は、幸せにならないといけないのに。

 お前は、ハッピーエンドで終わらなければならないのに。


 俺を殺してしまった罪悪感を少しでも薄れさせる為に、幸せになって欲しかったのに。


 だから俺は、戦うことを選んだ。

 奏からハッピーエンドを奪った【物語の管理者】を討つ為に。


 暗躍するのは慣れてるし、得意だし、俺が敵に回った方が最終的な決着が短くなるのは容易に想像出来た。


 俺の命を使うことで目的が達成出来るのなら安いからな。

 一度捨てた命で、特殊で特異で特別な俺だから出来ること。


 自らを脅威として、星華島を――いや、炎宮春秋を強くすること。

 結局のところ、あいつじゃなければ【物語の管理者】を討つことは出来ない。

 どういうわけか、【物語の管理者】も春秋を強くすることを望んでいたから。


 だから『春秋を強くする』という目的が合致したからこそ、俺は星華島の敵になって。


 けっこう楽しかったぜ? 春秋やウサギちゃんとのバトルも、お前との喧嘩も。

 一度死んだからか、もう全部が新鮮で。

 ましてやお前ともう一度語り合える時間が来るとは思えなかったし。


 ああ――――――だからこそ。


 なあ、奏。

 これは俺からの最後のプレゼント。


 俺の中に存在するナノ・セリューヌを取り込めば、お前のアライバルはもう少しだけ強力になる。

 俺の中に存在する■■■・■■■■を取り込むことが出来れば、お前は春秋に並ぶくらい強くなれるから。


 だから、後は任せて良いか?

 俺の役割は、ここで終わりだから。

 あの日お前を裏切った、最初で最後の償いだ。


 親友よ、英雄よ。

 幸せになってくれ。




 ■■■




「……え?」


 声を漏らしたのは、昂だった。

 のし掛かる重さと、痛みを全く感じない身体。

 身体を起こして、ことりと身体の上に乗っていたものが転がって。


「……奏?」


 意識を失った奏が眠っていて。いや、身体が冷たすぎる。眠っているとは思えない。

 だって、だって、だって呼吸をしていなくて。


「え、あ……? なん、で」


 奏の腕は、昂の左胸に置かれていた。暖かい何かが心臓の場所に収まっている。


「何をした。何を選んだ、茅見奏」


 ファントメアも驚愕に目を見開いている。彼の想定を越えた何かが起こったということしかわからない。

 トクントクンと、失ったはずの鼓動が胸の中から聞こえてくる。

 けれどその音には違和感がある。慣れ親しんだ心の鼓動ではない。


 もっと、機械的な音で。

 それが、ナノ・セリューヌによって造られたモノだと察するのに時間は掛からなかった。

 そこに、何が込められているのか察するのに時間は掛からなかった。


「なんで、だよ。なんで俺が生きてて、お前が死んでるんだよ。お前は、お前は、……あ、あああ、あああああああ!!!!!!?」


 雄叫びを上げて奏に掴み掛かる。何をしても何も返してくれない親友を前に、激情をぶつけることしか出来ない。


 わかるのは、死んだ自分を助ける為に親友が命を賭けたこと。

 この胸に埋め込まれた何かが、奏のモノでなければならないモノで。


 茅見奏の心臓が、ナノ・セリューヌが、篠茅昂を生かすために動いている。


「なん、で、なんで、なんでこんなことをした!!! 俺は、俺はお前が生きて幸せになってくれればそれでいいのに、お前をハッピーエンドに向かわせる為にあらゆる手段を選んだのに、どうしてっ!!!」


 けれど奏は答えない。失われたモノはもう、取り戻せないから。


「ふざけんな、ふざけるな。目を開けてくれよ、バカみたいな口げんかをさせてくれよ……」


 昂の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちる。ぽたりぽたりと滴が奏の顔を濡らしていく。

 ばらり、と奏の身体が崩れていく。


「っ! 待て、待て、なんでだよ。なんで奏が役目を終えてるんだよ!?」


 崩れていく。崩れていく。黒い煤のように崩れていく。

 奏の身体が、文字となって崩れていく。


 地帝アケディアの時と同じ現象。

 【役目】を終えたモノが迎える最期。

 その現象が、茅見奏に起こっている。


 腕が、腕腕腕腕腕腕腕腕腕腕腕腕腕腕足が足が足足足足足足足足足足足足身体身体身体身体身体身体身体身体身体身体身体身体身体身体身体身体身体身体――――。


「待てよ、待てよ管理者ッ!!! お前はこれを狙っていたのか。狙っていて俺を自由にさせていたのか。お前はどこまでも、奏を犠牲にして俺を生かすつもりなのか!? ふざけるな、ふざけるなふざけるなふざけるな! だったら、だったらあの世界で俺を殺させるな、奏に背負わせるな、何の為に奏を造った。奏は、幸せにならなきゃいけないのに……っ!」


 昂では崩壊を止めることが出来ない。

 それは世界のルールであり、黒兎の権能ですら防ぎようがない消失の定義。


 【役目を終えたモノは、文字となって回帰する】


 魂も、肉体も、何も残さない。

 ただの情報として心に残るだけで、彼らが生きた歩みすら物語に残らない。


 天獄の世界に行くのとは違う。

 完全消失。人知の力では【絶対】に取り戻すことが出来なくなる。


「返せよ、返せよ……俺の、俺の友達を、家族を……!」


 崩れていく奏の身体を抱き締めたまま昂はうなだれてしまう。

 ここまで昂が感情を表に出したことはなかった。


 それほどまでに、彼にとって茅見奏という友達はかけがえのない存在だった。


 家族を失った自分に出来た家族で。

 友達のいなかった自分に出来た親友で。


 世界と引き換えにしても笑顔でいて欲しかった、大切な存在で。

 それを失った今、彼はもう。


「下らないな」


 昂の慟哭をファントメアは一蹴した。奏が何をしたかまではわからなくても、今の結果は少しばかし不満であった。


 昂を殺した奏か、奏を殺した昂の激しい感情を見たかった。

 友を手に掛けた大罪人として苦しんで欲しかった。

 その為にわざわざ奏を操作したというのに。


「まあいい。茅見奏を排除できた上に篠茅昂を無力化出来たのならお釣りが来る。後は四ノ月桜花を殺すだけよ」


 興味を失ったファントメアは昂にトドメを刺すこともせずに歩き出す。

 最早昂から戦意は感じられなかった。失意のままうなだれる少年を足蹴にしてもよかったのだが、それをしている暇があるなら本来の目的を遂行するべきだ。


 散開している兵士たちに指示を飛ばし、桜花を包囲させる。

 兵士たちの感覚が消えていく場所があれば、そこが桜花がいる場所だ。


「島のほぼ中央か。なるほどな、春秋は懸命に仲間を遠ざけながら抵抗しているではないか。……ふむ、さっさと決着を付けさせるか」


 ぶつぶつと独り言を呟きながら当たり前のように昂の隣を通り過ぎる。

 茅見奏の肉体はもう存在していなかった。崩れた文字も全て消え、茅見奏の痕跡はどこにも残っていない。


「……なあ、ファントメアよ」

「なんだ、篠茅昂」


 不意に、昂が声を零した。通り過ぎたばかりのファントメアは退屈げに振り返る。

 彼にとって昂は敵ですらない。故に、何も警戒する必要が無い。


 昂は、立ち上がった。力も何も感じられない幽霊のように。

 その瞳は濁っている。決意も覚悟も感じられない。


 けれど、違和感。

 少しだけの、違和感。

 思わず足を止めるほどの、違和感。


「……なんだ? 何をするつもりだ、篠茅昂」

「あー……………………。あー……………………。あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!!!!!!!!!」


 叫んだ。大声で、腹の底から、世界を呪うかのように、喉が壊れることも気にせずに、濁った感情全部を吐き捨てるように、叫んだ。

 瞳から一滴の涙を零して、小さな音で呟いた。


「――――――――アライバル・コンバート」


 黒の少年は、白き少年の言葉を紡ぐ。


 意志を継ぐ為に?

 否。

 篠茅昂という少年は、どこまでも独善的で我が儘な少年だ。


 だからこれは、弔いでも仇討ちでもない。

 昂はただ、初心に帰っただけだ。


 自分では出来ないからと諦め切り捨てていた感情を、取り戻す。


 それは真っ白で汚れのない、真っ直ぐすぎる、殺意。


「ぜってぇ許さねえ。俺から大切なもの全部奪ったことを後悔させてやる。全部引っくるめてぶっ壊してやるよ――管理者ぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」


 そして彼は、到達する。

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