第十話 大図書館の小さな管理者
「読み物はないか。暇を潰すものが欲しい」
一昼夜明けて、次の朝。
桜花が用意した朝食を流し込み、島の全体図を眺めていた。
そういえば暇を潰すものが欲しかったな、と思い出して言葉にする。
「それじゃあ図書館に案内します。気に入る本があればいいのですが」
「なんでもいい」
「でも、せっかくなら好みの物語を読みたいとかありませんか?」
「こだわりはない」
相変わらずそっけない態度にはもう慣れたのか、片付けを終えた桜花はせっせと支度を始める。
出掛ける上でレギンレイヴを持ち出すか考えたが、《侵略者》が来る【予言】はまだ来ていない。ならば必要ないと判断し、部屋に置いておくことにする。
万が一億が一何かしらの脅威が来たとしても、レギンレイヴの有無で勝敗が決まるとは考えていない。
身支度を整えて二人で寮を出る。左に曲がって、しばらく進むと十字路が見えてくる。
十字路を右に曲がり、次の交差点を直進する。
すると見覚えのある道に出た。この世界に来たばかりの頃に歩いた桜並木だ。
緩やかな坂道となっていて、花びらに埋め尽くされているような錯覚を覚えるほどの桜が咲き乱れている。
「来た時もそうだったが、凄まじい光景だな」
「この桜並木は星華島の名所の一つですから」
桜花が先導する形で坂道を登る。視界を埋め尽くそうとする桜を手で払う。五分も掛かれば坂道が終わり、炎帝イラとの戦いを繰り広げた広場が見えてきた。
戦いで少し壊れた建物の周囲には立ち入り禁止のテープが貼られている。
瓦礫を片付ける作業服姿の少年たちが額の汗を拭っていた。
そんな彼らを見守りながら桜花は奥の建物へ向かう。
声をかけるのかと思った春秋は少し拍子抜けだ。桜花の表情を覗き込むと、苦笑いをしている。
恐らくだが昨日話した春秋の言葉が堪えているのだろう。
困っている桜花を見るのは少しばかし面白い。春秋もまた黙り込んで桜花と共に奥の建物を目指すのであった。
「……ここは、星華学園。この島で唯一の中高一貫の学び舎です」
「教育施設だったのか。……だいぶ広いな」
「はい。中等部と高等部合わせて六つの校舎がありますので」
正面から見れば一つの校舎に見えたが、それは大きな校舎が一つ立ち塞がっているからだ。
大きな校舎が横向きに、その奥に六つの校舎が垂直に並んでいる。
その奥にはさらに一際大きな建造物――体育館が建てられている。
「みんな、日々ここで授業を受けています。島外からリモートで授業を受けることによって、教職員も必要最低限で済んでいます」
「ふーん」
春秋の態度はそっけない。というより興味が無いのだ。
確かにこの島を守るという契約をしているが、だからといって島の暮らしを知る必要は無い。
「図書館はこの教職棟にあります」
大きな校舎に入ってから桜花が案内図の前で説明を始める。
学園の入り口にもなっているこの教職棟は四階建てで、三階以上のフロアが全て『図書館』と記載されている。
思わず春秋も「……全部か?」と訪ねてしまう。「はい」と答えが返ってくると、二人して階段を登る。
静かな校舎は二人の足音だけが反響していく。まるで世界に二人だけが取り残されたかのような錯覚に陥るほどに。
ほどなくして階段を登りきる。
『図書館』とプレートが貼られた扉を開けると、本の大海が広がっていた。
見渡す限りの本・本・本。
本を読む空間ではなく本を収めるだけの空間だ。
『図書館』というより『倉庫』と言った方がしっくりするほど、この空間は本に満ちている。
「おや、今日は授業は免除されたはずだが?」
聞き覚えのある声が聞こえた。けれどその声を何処で聞いたかは覚えていなかった。
振り向いた先にあったのはカウンターだ。受付の席に腰掛けている金色の少女が声の主のようだ。
「こんな時間にこんな場所に来るなんて、よほどの変人か物好きと相場は決まっているが……なんだ、桜花と新しい《来訪者》じゃないか」
少女の見た目からは想像も出来ない大人びた声つき。
椅子の足先まで伸びている金色の髪。
見る者全てを値踏みするかの如き鋭い瞳もまた、金の色。
少女と言うより幼女とでも言った方が当てはまるほど小柄な少女。
春秋は咄嗟に一歩退いた。逃げたくない、逃げてたまるか。二つの思いが混ざり合っての一歩後退だ。
「こんにちは、管理者さん」
「こんにちは桜花。まだ日も頂点を過ぎていないというのにどうしたんだい」
「こちらの春秋さんが、読書をしたいそうなので」
「…………」
管理者と呼ばれた少女と桜花が挨拶を交わしていく。管理者の目が向けられると、春秋はもう一歩後退する。
「こんにちは、炎宮春秋。先日は島を守ってくれてありがとう。ここでずっと君の戦いを見学させて貰っていたよ」
「……そうか。つまらないものを見せたな」
「いやいや、十分面白かったよ。何しろあれほどのスケールの戦いなんてそうそう見られないからね。お前を引き抜いた桜花の判断は間違っていなかったよ」
口ぶりから、管理者もまた桜花の【予言】を知っている素振りだった。
「改めまして、炎宮春秋。この図書館の管理・運営を任されている。……まあ、気楽に管理者とでも呼んでくれたまえ」
「そうか」
「それでどんな物語をご所望かな? 古今東西とまではいかないが、ここの蔵書量はどこの図書館よりも豊かだと自負している。お前が望む物語も必ずあると断言できるほどに、ね」
「望みはない。暇を潰せればいい」
「それはそれは勿体ない。読書とは豊かさの象徴だ。未知に触れ新たな知見を手に入れられるのはこれ以上無い至福だろう?」
「そこまで大層なモノを考えたことはない。所詮はただの空想物だ」
「空想。ほう、空想! ではわかった。桜花、しばらく席を離して貰えるかな?」
「はい? じゃあ私は資料室のほうにいますね」
「すまないね」と管理者に言われ桜花がカウンターの隣にある部屋に入っていく。
資料室の扉が閉められると管理者がカウンターから立ち上がり奥を指差す。
指差した方には、本棚二つ分ほどの開けたスペースがあった。小さなテーブルと二つの椅子が並べられ、管理者はそこへ春秋を招く。
管理者と対峙するように向かい合って座る。明るい日差しなどお構いなしとばかりに蝋燭を灯し、どこからか取り出した三冊の本をテーブルに重ねて置いた。
「それじゃあ春秋、お前に二、三ほど質問をする。そこからお前に合う物語を見繕うではないか」
「なんでも良いと言っているだろう」
「それでは物語を好きになれないだろう?」
「はぁ……。さっさと済ませろ」
これ以上粘ってもしつこく食い下がられるだけだと判断した春秋は、さっさと管理者の質問を待つことにした。
深く考えて答えるつもりは毛頭無い。興味の無いものにどう真剣に向き合うというのか。
「それでは第一の問い。『孤独』とは?」
「一人なことだ」
「それは物理的にかい? 心理的なものかい?」
「物理的なものだ。近くに誰かいるのであれば、人と人は自然と交流をする」
「ふむ」
顎に指を当てて思案に耽る。重ねていた本の上に手を当てると、目を閉じて「ふむふむ」と深く考え始める。
「第二の問い。『家族』とは?」
「血の繋がった間柄、もしくは共に生きることを誓い合った者同士が形成するグループだ」
「では親が死別した時、親とはもう家族ではなくなるのかい?」
「どうだかな。親もいないし誓った者もいないからわからん」
管理者は再び思案に耽る。しかし第一の問いの時ほど時間はかけずに第三の問いを口にする。
「では第三の問いだ。お前は『死』についてどう定義している?」
その質問は、少しばかり春秋の思考を淀ませた。




