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BGMバンド-最新音楽プレイヤー事情-

作者: 春名功武

 1840年から続く音楽プレイヤーの歴史は目まぐるしい変化を遂げていた。1889年に発売されたエジソン蓄音機。戦後の1946年に出てきたジュークボックス。そして1979年には初期の携帯音楽プレイヤーが登場し、人々は音楽を外に持ち出せるようになった。そしてスマートフォンへと発展した。音楽ストリーミングサービス対応端末が登場し、音楽プレイヤー市場はさらに盛り上がりを見せている。


 そして現在、大手オーディオメーカーと大手芸能プロダクションとがタックを組み打ち出したのが《BGMバンド》。新世代の音楽プレイヤーとして、今注目を集めている。



 私は待ち合わせ場所に着くと、ショーウィンドウに自分の姿を映し出し、今日の為に買った花柄のワンピースに視線を向ける。「変じゃないかしら。ちょっと派手だったかなぁ」。そしてバックから携帯電話を取り出すと、鏡のアプリを立ち上げて、いつもより念入りにしたメイクが崩れてないかチェックする。昨日まつ毛エクステをしたから、いつもより目がパッチリしていた。「先輩気付くかなぁ」。最後に髪の毛を整えて、とびきりの笑顔を作る。


 今日はずっと憧れていた大学のテニスサークルの先輩とのデートなの。先輩はテニスがとても上手くて、それでいてハンサムで、皆の憧れの的。そんな先輩が私を選ぶなんて信じられないわ。ああ~、緊張するなぁ。


 横にいたBGMバンドが演奏を始めた。シンセサイザー奏者が軽快なメロディーを奏でると、それに合わせてギターボーカルが唄い始めた。続いてマーチングドラムを肩から下げたドラム奏者が太鼓を叩き、音に深みを付ける。♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪…

 ドキドキワクワクとした今の私にピッタリな曲だわ。


 街にはBGMバンドを引き連れた人たちをちらほらと見かける。BGMバンドは、本物志向の音楽好きにとって欠かせないツールとなりつつある、定額制生演奏サービス。従来の音楽プレイヤーと違って好きな時に好きな曲を聞けるというわけではなく、その場にあった適切な曲を生で演奏してくれるのだ。契約時に好きなアーティスト、聴きたい曲(リクエスト曲)、好みのジャンル、趣味趣向を登録しておくことで、満足いく快適な生音楽体験を楽しめるというわけだ。


 また契約者と彼らの間には人間と音楽以上の関係はなく、私的な感情を込めて演奏する事はおろか、話をする事も禁じられている。目撃した個人情報などの機密は完全に守られる規約になっているから、気軽にBGMバンドを雇う事ができ、何気ない生活空間に色をつけ、まるでドラマのワンシーンかのような演出を味わえるのだ。音楽プレイヤーは持ち運びやすいコンパクトな時代から、生バンドを引き連れて歩く時代へと移り変わろうとしていた。


 私の連れているBGMバンドは、男性3人組のスリーピースバンド。お父さんから借りたものだから、メンバーの年齢層は高く、衣装もお揃いの黒スーツといったお堅い感じだけど、個々の演奏スキルは超一流で、特に眼鏡を掛けたギターボーカルの特徴的な甘い歌声は心に沁みるわ。ラブソングなんて唄われたら、先輩との距離がいっきに縮まってしまうかも。


 契約者がお父さんだから、ジャズや映画音楽が中心に演奏してくれるの。そういえばお父さん、最近お腹が出て来て、自宅で運動をしているんだけど、その時に聞くのにちょうどいいとかで、往年のボクシング映画の曲やプロレスのテーマ曲を登録しているらしいのよね。そんなのがデート中に流れたら、ムードがぶち壊しになっちゃうな。でも彼らもプロのBGMバンドだから、余計な心配かな。私の好きなJポップやアニメの曲が演奏されないのは少し残念。ああ~、私も早く自分のBGMバンドを持てるようになりたいなぁ。


 待ち合わせ時間から10分程過ぎた頃、真っ赤なスポーツカーがロータリーに滑り込んできた。駅前の雑踏の中では完全に浮いていた。車は私の目の前で止まり、中から憧れの先輩が出てきたから、驚いちゃった。デニムにジャケットといったシンプルな装いだけど、全てハイブランドで凄くオシャレ。本当、何から何までカッコイイんだから。 

 先輩は長く伸ばしたサラサラの髪を掻き分けて、私に微笑むと、ゆっくりと近付いて来た。


 私はうっとりと見惚れることしか出来なかった。BGMバンドは、その場にあった、ゆったりとしたロマンチックな曲を演奏する。♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪…音楽があると、ただの待ち合わせが、ドラマのワンシーンのようだわ。何だか女優さんになった気分。


「やぁ、待たせたね」

「ううん…」

「さぁ乗って。ドライブに行こう」


 先輩は車の助手席のドアを開けて私をエスコートしてくれた。そして後部座席に座っていた女性バイオリン奏者を帰し、代わりに私のBGMバンドを後部座席に乗せて、車は出発した。


 車内では私の着ているワンピースを「良く似合っているね」と誉めてくれて、好きなファッションや音楽などの趣味の話をしてくれた。先輩は芸術に興味があるみたいで、よく美術館に行ったり、詩を読んだり、写真を撮りに出掛けたりするらしい。お気に入りの詩を一つ聞かせてくれた。時々緊張をほぐしてくれる先輩のジョークにも上品に笑った。私はずっと目を輝かせながら、夢のようなひと時を味わった。その間、BGMバンドはドライブにあった曲を演奏した。ゆったりとした曲調の中に細いビートが刻まれ、耳に心地よいメロディーがドライブに彩りを加えた。スポーツカーの後部座席という狭いスペースで、器用に見事な演奏を奏でている。さすがプロだわ。♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪…


 車は海岸沿いを走り、眺めの良い場所で止まった。砂浜に降りて、しばらく歩くことに。季節は秋で、人はほとんど見当たらなかった。BGMバンドは、演奏しながら私たちの後をついてきている。♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪…


 海岸に打ち上げられた大きな流木があったので、先輩と私は並んで座った。こうやって二人で海を眺めていると、まるで恋人のようだわ。♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪…


 先輩が海の方を眺めながら、そっと私の手に触れた。ドキッと体に電流が走る。BGMバンドの演奏がムーディーなラブソングに変わった。♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪…

 先輩の温もりが手から伝わってきて、凄く身近に感じる。先輩の顔が私の方を向いた。私も先輩の方を見る。見詰め合う二人。まだ付き合ってないのに…どうしよう…。先輩が私の肩に手を回して、首を傾けて近付いてくる。ラブソングが背中を押したのか、気づいたら私は目を閉じていた。曲はそこでフェイドアウトして、ムードがより一層高められた。ここで曲を奏でるのは野暮だ。BGMバンドもプロ、よく分かっている。


 先輩がゆっくりと確実に迫ってきている。もうすぐ唇が重なり合う。きっとBGMバンドは、楽器を構えまがら、その瞬間を待っているんだわ。見られているのは恥ずかしいけど、キスした後にどんな曲を奏でてくれるか楽しみだわ。きっとその曲は一生忘れられない思い出の曲になるに違いないわ。それに、目撃した個人情報などの機密は完全に守られる規約になっているから、お父さんには言わないはず。しかし…


 ブーン、ブーン、ブーン。携帯電話のバイブ音がする。まさか、先輩の携帯電話に邪魔されるなんて。


 その時を待ち構えていたBGMバンドは、ジャン!ジャン!というコミカルな音を奏でながらずっこけた。


 先輩はバツの悪そうな顔をして私に目で謝ると、少し離れた場所で電話に出た。私は一人取り残されてしまった。先輩は少し焦っているような様子で電話の相手にひたすら謝っていた。そんな先輩を見たのは初めてだった。意外に気の弱い一面もあるんだ。


 しばらくして、私の所に戻ってくると、「行こうか」と言って車に向かった。キスはお預けとなった。車内ではしばらく気まずい空気が漂っていたが、BGMバンドが奏でる曲のおかげで、また良い雰囲気に戻っていった。本当音楽って素晴らしいわ。♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪…


 海岸沿いにある素敵なレストランに着いた。先輩が予約してくれていたみたい。ウェイターに窓際の席に案内してもらうと、窓の外には美しい夜景が広がっていた。「綺麗」私は目を潤ませる。「僕のお気に入りのお店なんだ。特別な人しか連れてこないんだよ」そう言うと、先輩は私に微笑んだ。私は嬉しくてモジモジしてしまう。BGMバンドはその素敵なレストランに合うクラシカルな曲を演奏した。♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪…


 先輩が慣れた様子で、料理をオーダーすると、私の生まれた年に作られたワインも頼んでくれた。ソムリエがワインを持ってきて、グラスに注ぎながら、ワインの解説をしてくれた。私の生まれた年はワインの当たり年「グレートヴィンテージ(Great Vintage)」と言われる完熟したブドウが収穫できた素晴らしい年なんだって。すると先輩が「この年は人間でも当たり年だったんだろうね。君が生まれたのだから」と冗談交じりに言った。私はまだ一滴も飲んでないのに、ポッと頬を赤く染めて酔いしれてしまう。そして二人はグラスを重ね、その特別なワインを飲んだ。


 美味しいワイン、美しい夜景、BGMバンドが奏でる素敵な音楽。このあと運ばれてくる料理もきっと素晴らしいに違いないわ。期待に胸を膨らませて待っていると…


 やってきたのは料理ではなかった。鬼の形相でドカドカとこちらに向かってくる、恰幅の良い女が見えた。その後ろに腰巾着のようについて来ている女には見覚えがあった。今朝、先輩が帰した女性バイオリン奏者。私は嫌な予感がした。


 BGMバンドのメンバーたちも女たちの存在に気が付き、ゆったりしたロマンチックな曲を演奏しながら、目配せをしていた。


 気が付いてないのは先輩だけで、呑気にもこのお店がいかに予約の取りづらい人気店なのかを得意げに話していた。女と女性バイオリン奏者が先輩の背後に立った。先輩の肩をトントンと叩く。ん!?と振り返った先輩は、女を見ると椅子から転げ落ちそうな程ビックリした。


「な、何でお前がここに…」

 と焦ったように言った先輩は、女の後ろでしれっと立っている女性バイオリン奏者に気が付くと「お前、規約違反だぞ」と怒鳴った。どうやら女性バイオリン奏者が、ぞんざいに扱われた事に腹を立て告げ口したようだ。悪びれる様子もなく、フン!と仕返ししてやったと満足げな顔を浮かべている。


「あんたのBGMバンドじゃないんだから、規約違反もくそもないでしょう。車もバンドも勝手に持ち出して、こんなところで何してるのよ」

 女のドスの効いた声が、先輩を凍り付かせる。そして女は先輩のいい訳も待たずに胸倉を掴み、ビンタを3発あびせた。


 私は余りの迫力に圧倒され、目を見開いたまま固まってしまった。BGMバンドの演奏する曲がゆったりしたロマンチックな曲から、重低音で迫力のある曲に変わった。女の後ろにいた女性バイオリン奏者もそれに加わり演奏を始めた。♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪…まさに今のこの悲惨な状況を表現していた。先輩にお金持ちのフィアンセがいるっていう噂はあったけど、もう別れたんだと思っていた。


 BGMバンドが奏でる迫力のある曲が、女の怒りをますますヒートアップさせ、テーブルの上のグラスを持ち上げると、先輩の顔にワインをぶちまけた。当たり年のワインを。さらに女はグラスを床に叩きつけて割ると、先輩は「ヒィ~」っという情けない声をあげた。完全に萎縮している。そして女は、今度はグーパンチを先輩の顔面に2発食らわせる。


 それでもまだ怒りが収まらないのか、女は先輩から少し距離を取り出した。何をする気なのだろう。そこでBGMバンドは、お父さんが運動するために登録したリクエスト曲、プロレスのテーマ曲を演奏した。♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪…


 女は曲に釣られたのか、片腕を横に突き出して、勢いよく走り出すと、先輩の喉仏を目掛けて腕を叩きつけた。ラリアットというプロレス技だ。その衝撃で先輩は椅子からひっくり返る。床に倒れ立ち上がることが出来ずノックアウト。


 これで終わってくれれば良かったのだが、女はキッと鋭い目つきで私を睨みつけくる。私は危険を感じ、椅子から立ち上がり、慌ててその場から逃げる。女はテーブルに置いてあったナイフを掴むと、奇声を上げながら追いかけてくる。「待て~」「いや~、殺される~」


 私は必死に逃げた。女はナイフを掲げて追いかけてくる。BGMバンドも追いかけながら、その場にあった曲を必死に奏でる。♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪…

「演奏なんかいいから…助けてよ~」


 BGMバンドの役目はあくまでその場に適切な音楽を演奏することであって、契約者と彼らの間には人間と音楽以上の関係はない。そうしてBGMバンドの奏でる音楽により人々は女優や俳優になったような気分を味わえるのだ。


 夜景の見える素敵なレストランに恐怖を煽るホラー映画の曲が流れていた。♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪…


 私はひとりで海岸沿いをトボトボと歩いている。等間隔に並んだ外灯の下を通るたびに、私のボコボコに腫れた顔が照らされる。お父さんのリクエスト曲にあった往年のボクシング映画の曲が女を熱くし、私の顔面をこんなざまにしたのだ。

 背後を歩くBGMバンドが、私の為に失恋ソングを熱唱していた。♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪…

「うるさい!」

音楽が止まった。


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