功労者の苦悩
番外編です!
ある日突如として開催された公爵家主催の大規模なお茶会。他の令嬢はその目的が次代公爵の伴侶探しであることをきちんと理解し、一時でもマクアミリアン様の隣で話をしようと必死だった。これでもかと着飾り、甘い香水をプンプン匂わせて、必要以上に擦り寄って。……そう、見苦しいほどに。
一方我が主はというと、
「……エルロッテ様、何をなさっておいでですか?」
「あのねぇ、隠れ鬼!だからちょっと話しかけないでよねっ!」
ドレスの裾を持ち上げ猛ダッシュしていった。公爵家の使用人の子供たちだろうか。10歳のお嬢様よりひと回り小さい数名の子供たちと一緒に走り回っている。
「はぁ…」
旦那様はお嬢様に今回の目的、すなわちこれが公爵家嫡男の伴侶探しのためのお茶会であるということをお伝えしていない。そもそも旦那様の目的ははなから違う。エルロッテ様が大勢の淑女見習いとも呼べる人たちがいる中で過ごして、少しはレディとして成長することができるようにというのが旦那様の目論見だった。
(旦那様も苦労なさいますね)
奥様が身罷られてはや8年。令嬢の何たるかを教える絶対的存在がいないとはいえ、ここまでお転婆娘になるとは誰が思っただろうか。「異端児」「伯爵家の恥さらし」そう呼ぶ愚鈍な輩は定期的に始末しているとはいえ消えることはない。裁縫を得意とした深窓の令嬢であった奥様も天で嘆いておられるだろう。
何がともあれこんなお茶会で手柄は何も無かったと肩を落として帰ってきた旦那様はその2日後、驚くべき手紙を受け取るのだった。
「エ、エルロッテをマクアミリアン様の婚約者にだって!?ありえんっ!おい、この手紙何かの間違いだろ。いやそうに違いない。誰だ、こんな不敬なイタズラをしやがったやつは!!」
旦那様がそう言ったのも無理はない。何しろマクアミリアン様はお嬢様と顔を合わせてすらいないのだ。一体全体どうしてこんなことになるのか。お嬢様付きの私としてはお嬢様を婚約者とするメリットを高位貴族の方が見つけてくださって嬉しい限りだが、疑問は尽きない。
それでもマクアミリアン様がお嬢様を婚約者に望んでいたのは何の手違いでもなかったようで、そこからお嬢様の生活は一変したのだった。
「シェーミア、今日は笑っちゃダメって怒られたわ。易々と歯を見せるなですって。それに走ってもダメって。」
お嬢様がマクアミリアン様と正式に婚約関係になったその日から我が家に公爵家から先生が遣わされた。いわゆる淑女教育の監修役だ。
お嬢様は決して勉強が苦手ではない。むしろ学ぶことを楽しみにしており、知識量も豊富だった。ただ、お勉強が終われば遊ぶことも忘れず、それはそれは熱心に身体を動かしていた。時には木に登り、時には池に飛び込み、時には馬車を勝手に動かして。
しかしそんなお嬢様が淑女教育の先生に気に入られるはずもなく。お嬢様は毎日毎日「感情を殺せ」だの「歯を見せるな」だの「走るな」だの、とにかく怒られ続けた。日がとっぷりと暮れるまで。そうして夜になると私に泣きつくのだ。
役得だ、と初めは思った。お嬢様はお転婆だが交友関係は狭く、甘えられる人が少ない。私にしか見せない弱みも多々あり、それをダシにしてからかうのも、適当に慰めてあげるのも私だけの特権だった。しかし徐々に教育の成果を上げていくお嬢様を見て辛く感じるようになった。お嬢様自身は何も変わっていないのに、分厚い皮を被り、だんだんと模範的な令嬢に矯正されていく。私に泣きつく回数も減っていき、何でも1人で堪えるようになってしまった。
寂しく、悔しい思いはあったが、お嬢様が淑女教育を頑張るのには理由があった。それはマクアミリアン様に恋心を抱いていたからだ。ある日突然婚約を迫られ、淑女教育という名の拘束的な生活を強制されても、お嬢様は彼のためならと努力を怠らなかった。「彼の笑顔や優しさは本物で、彼は次期公爵にふさわしい」のだとか。そして「私も彼に釣り合うようになりたい」らしい。はっきりと好きとは言っていないけれどあれは間違いなくお嬢様の初恋だった。もう変えられないこの生活を乗り切るために理由が必要なのであればそう思えばいいと思った。
……恋というものは人の目にフィルターをかける。相手の弱みさえ可愛く見え、相手の一挙一動に意味を見出し、相手の普通の笑顔がさも極上のキラキラスマイルのように見えてしまうあれだ。恋フィルター。普通はしばらくすればフィルターは消えてしまうものだがお嬢様は例外だった。いや、あの嫡男が上手だったとも言える。だからこそ私がその縁を切ったのだ。あのままではお嬢様は確実に不幸になる。男色家のボンボン野郎はお嬢様と恋はできない。そもそも求めるものが釣り合わないから。だったら、私が。お嬢様を1番よく知っている私がお嬢様を慰め、守り慈しむ立場をいただこうではないか。お嬢様の理解者である自負があった私はそう決めていたのにーー。
ゴーン、ゴーン……。
低いベルの音が鳴って私の愛おしいお嬢様が豪奢な階段上の扉から登場する。誘拐犯野郎と腕を組んで。
「ちっ」
旦那様の後ろにいる私の苛立ちは最高潮に達した。
――間に合わなかった。
今日この時までに何度も結婚を阻止しようとしたが、誘拐犯野郎は私と同じ思考回路を持っているらしく(それも気に入らないが)1回も成功しなかった。しかもお嬢様は誘拐犯野郎と会うことをそれはそれは嬉しそうにしており私のことはお構い無しに惚気けまくる。恋フィルターかかるの早くない?チョロいぞお嬢様!と思わなくもなかったが、今度は拘束的な生活ではなくのびのびと楽しそうにしているお嬢様を見てなんとも言えなくなった。旦那様からは「エルロッテに着いて行ってくれるとありがたい。きちんとシュバルク卿の配下に入れるなら行ってくれ」と釘をさされたこともあり、容易に動けなくなったことも要因である。
つまるところお嬢様はお嬢様だけを愛してくれる新しい旦那を見つけて幸せいっぱいで、私の出る幕はないというわけだ。しかもボンボン野郎は何でも屋と順調に愛を育んでいるらしく、先日は何でも屋からお礼まで言われた。あの野郎共め。
あーあ、こんなに仕えてきた私には何もないのか。
「おめでとうございます!」
多くの祝福に囲まれたお嬢様はとても幸せそうだ。
お嬢様のあの笑顔を見られることが私の生きがいだ。だからあの笑顔が消えないようにこれからも野郎共を監視していくし、お嬢様の愚痴の吐き場になってやる。