交わらない感情
お待たせしました!
(誰も待ってない)
「うわあぁぁん。シェーミア聞いてよ。私、フラれたのよ!あんなに頑張ってきたのに……」
自室で私付きの侍女に泣きついた。私の後ろに控えてあの場にいた唯一の侍女だ。
「はいはい。エルロッテ様の良さをわからない男なんてほっときゃいいんですよ。もう忘れてください」
シェーミアはぽんぽんと私の頭をたたく。
「何でそんなにそっけないのよ!私がこんなに落ち込んでいるというのに!」
「……あの日から2週間毎日同じことを聞かされているこちらの身にもなってほしいですね」
シェーミアは幼い頃から私の傍にいてくれる数少ない使用人だ。何でもわかってくれる優秀な侍女だが、口が悪いのだけはいただけない。
「だって16年間ずっとマクアミリアン様の妻になることを信じてきたんだもん。急に解消って言われたって……。今まで何のために生きてきたのよ」
あの日のことは両家に速やかに伝えられ、数日前にはエルロッテ側が申し出た婚約破棄が正式に受諾された。マクアミリアン様の両親からは何度も思いとどまってくれないかと打診があったが、エルロッテはそれを断固拒否した。彼と今までのような関係を続けるのはお互いあまりにも辛すぎる。
「それに、あんなことを言われたら諦めるしかないじゃんね」
決して身を焦がすほどの熱愛をしていたわけではななかった。しかし彼と結婚するのだと思うとじわじわと喜びや温かみを感じた。共に過ごす年月を重ねる毎にそれは明確なものになり、将来彼の隣に堂々と並ぶために勉強も淑女教育もより一層頑張るようになった。特段意識したことはなかったが、それは最早恋と呼ぶべきにふさわしい感情だったのだろう。まるで初恋のように淡く、憧れを伴う感情を自分は確かにマクアミリアン様に向けていた。ふわりと笑うその笑顔が、時折見せてくれる気遣いが、どれほど嬉しかったことか。
『愛することはできない』
ズドンと心に落ちた言葉は今も私の思考の大半を占める。彼を恨むことができたらどんなにいいだろうか。彼が最後に非情な態度をとってくれたらそれができただろうに、残念ながらそうはいかなかった。私から婚約破棄をさせるだなんて常識的にはありえない話だ。
マクアミリアン様のことがまだ好きだ。だからこそ決して自分に好意を寄せてくれることの無い彼とこれからを過ごすことはできない。マクアミリアン様の両親がどんなに望んでも、私はあの家には嫁がない。いやもう嫁げない。彼が犠牲にした自身や公爵家のプライド、私が犠牲にしたこれまでの時間、感情はどうにもならない。
幸いこちらから婚約破棄を申し出るのだから爵位は保つことができるし、私の年齢的にもまだ結婚はできる。だけど……
「彼のためにしてきた勉強。彼のためにしてきた淑女教育。私は彼のためにあるべき姿を示してきたのに、これからはどうすればいいの?」
再びしくしく泣き出したエルロッテをシェーミアが抱きしめる。
「エルロッテ様のありのままの姿でいればいいんです」
「そんなの、もう忘れてしまったわ」
確か昔はお転婆でじっとしていない性格だった。よくお庭で服を泥んこにして駆け回っていたこと覚えている。けれど公爵家の婚約者として望まれてからは1度もそういったことをしていない。偽りの笑みを貼り付け、感情を表出せず、常に冷静であることを意識してきた。寝る間も惜しんで勉強していたのだから当然同じ年頃の人との遊び方も知らない。マクアミリアン様と最後に会ってからこの2週間、初めてゆっくりと過ごしたくらいだ。もうどんな姿が私であるかなんて忘れてしまった。何をしたいのかも、何をするべきなのかもわからない。
「ゆっくり思い出せばいいんですよ」
そう言ってシェーミアがマグカップを差し出した。エルロッテの部屋に入る前に厨房に頼んでおいたとっておきのハニーミルクだ。
「温かいうちにどうぞ」
「うん……ありがと」
シェーミアはエルロッテがマグカップに口をつけ、ゆっくりと飲み下したことを確認して微笑む。
「エルロッテ様は本当に素直で可愛いですね。彼を忘れるまでしょうがないから私が慰めてあげます。これからも私を頼って下さい」
「う……ん」
マグカップを持つ手をその上から握り、カクンと首を落とした主の耳元に囁く。
「あなたの全てを理解してくれる人と結婚しましょうね」
「……ん」
結婚破棄がエルロッテ側からだったという話は瞬く間に社交界に広まった。居心地の悪いパーティーで私は壁の華になっていたが、そこに先日まで私を羨望と憎悪の眼差しで睨みつけていたレディたちがこぞって詰め寄ってくる。
「ちょっと、あなたどういうこと?マクアミリアン様をお断りするなんて!」
「そうよそうよ。伯爵家のあんたがおこがましいっ」
マクアミリアン様と私は釣り合わないから別れろと言っていた人たちだ。婚約破棄をしても責められるという理不尽。これだから社交界は嫌いだ。
「で、どうして破棄なんてしたの?」
「言ってみなさいよ、マクアミリアン様の何がダメなのよっ!」
こういう人たちは少し喋らせればすぐに本音が出る。つまるところ私から婚約破棄をするに至った決定的な理由を知りたいというわけだ。至極当然な疑問ではあるが、それについて私が言うべきことは何もない。
マクアミリアン様が同性愛者であることも、すでに結婚を前提としてお付き合いしている男性がいることも、私を信用して彼が話してくれたことだ。むやみに人に言いふらすことではない。それに純粋に彼の最後の告白を大事に守りたいと思った。
「私からお話できることは何もありません」
にっこりと隙のない社交界用のスマイルで私は返事をした。その場を後にしようとして、令嬢たちに行く手を阻まれる。
「でも今さら何であなた側から…。私たちがいくら言っても婚約破棄しなかったくせに」
「ありえないわ!」
「マクアミリアン様の隣にいるのが怖くなったのでは?」
おそらく自分たちがこれからどうやって彼に取り入るかを考えるのに必死なのだろう。しつこい。
「両家の取り決めですの。これ以上のご質問はどうぞヴィボルグ公爵子息に」
令嬢たちがはっと息を飲むのを見て私は今度こそその場を立ち去った。
婚約破棄を決めてからは彼の呼び方も婚約前のそれに変えた。つまり苗字アンド敬称呼びだ。自分の中で彼との関係が変化したことを意識する必要があったし、何より周囲の認知も変えなければならなかった。16年という歳月は大きい。私と彼は最早他人だということを早く自他共に認めなければならないのだと焦っているのかもしれない。幸い呼び方の変化は今の令嬢たちにもとても効果的だったようだ。
「ご令嬢、ご令嬢」
今度は何だと振り向くと、後ろに1人の男性が立っていた。
「…はい。何でしょう?」
見たことのない人だが、とても豪商であることが伺えた。艶のある本革の靴に、ごつい腕時計。そしてもちろん全身もブランドのブラックスーツで覆っている。おそらくスーツだけで100万はくだらないだろう。しかもそれが嫌味になるわけではなく、様になっている。
「私はカルハイン・シュバルクと申します。ヘルブレム家のご令嬢、エルロッテ様ですよね?疲れているように見受けられますので、一緒にバルコニーに出ませんか?」
「お気遣いありがとうございますシュバルク卿。ぜひ」
なるほど、彼がカルハイン・シュバルクか。名前は聞いたことがある。経営者であり、最近急に力を持ち始めた新参貴族だ。人望があり利益もわんかさ出す万能な人物なのだとか。その手腕は誰もが知るところで、素晴らしいの一言に尽きる。ちなみにマクアミリアン様は彼のことを独特で面白いと言っていた。私腹を肥やすことを目的とする古参の会社は彼を失脚させようとあの手この手を使っているそうだし、大手の会社は敵に回すより味方にしようとして引き抜きを考えるほどだそうだ。したがって彼と話をしたい人が大勢いる………のだけれど。
「さぁ。どうぞこちらのお席へ」
こんな所で私のエスコートをしていて大丈夫なのだろうか。
「カルハイン様は私といてもよいのですか?貴方と話をしたい方は大勢いらっしゃるようですが……」
彼の後方部でそわそわしている人たちに目をやる。
経営者にとって此度の社交界は人脈を作る最高の機会に他ならない。特に新参貴族にとっては顔を広めるのにはもってこいの舞台だ。これほど大規模な社交界は久しぶりで、王家から男爵まで様々な貴族が揃っている。彼ほどの経営者なら近くで様子を伺っている貴族の誰に話しかけても得になるだろう。
「困りましたね。私はヘルブレム伯爵令嬢と話したい大勢のうちの1人なのですよ」
サラサラな髪が夜風に靡いている。どこかで見たことがあるようなその整った顔。目尻を下げてがっかりとしているがその表情からは意図が読み取れない。
「まあ、お上手ですね。確かに現在私は注目を浴びるような立場にいますけれど、何もお話できることはありませんのよ?」
今の私はただの伯爵令嬢であり、婚約を破棄したため何の決定権も立場も持たない。そしてマクアミリアン様とのことを話すつもりはない。暗に私との対話は一銭の利益にもならないことを伝えてみる。
「失礼。私はそういう意味で言ったのではありません。令嬢の今の立場や状況抜きにして純粋に話がしたかったのです。そして結論から言いますと、私は貴方が好きです。エルロッテ、愛しています。」
「っ!??」
え、ちょっ、はあ?