繋累(けいるい)下
私が病院で目覚めた時、律は私の手を握ってくれていた。
「眞希!」
律はすぐにナースコールを押す。スピーカーから、どうしましたか、と聞く声に
「目覚めました今」
と上ずった声を出すのが面白くて、笑ったら全身が痛かった。
「いっ」
「動くな、眞希、動いたらダメだ」
すぐに医者と看護師が私にくっついた器具のあれこれを確認し、もう大丈夫ですね、あとは傷が治るまで様子見ですと言って帰っていった。
「律、私・・・」
何があったのと聞こうとして
「眞希のばか、当たりどころ悪かったら死んでたんだぞ」
と怒られた。そして思い出す。
「晶君、晶君はどうなったの?」
律はため息をついて私を見る。
「誰かさんが身を挺して庇ったからな。弾が1発腹部に命中したけど貫通しているから、重症だけど命に別状はないよ」
良かった、晶が無事で。
「今どこにいるの?会える?」
律が凄い顔で睨んでる。
「眞希はまだ安静にしてなきゃダメだ、丸2日も目覚めなかったんだからな」
「えっそんなに?」
「動脈かすってて出血が酷かったんだ、本当に・・・眞希が死ぬかと・・・」
律は零れた涙を拭う。
「ごめんなさい」
律の頬に手を伸ばす。律の温もりを感じて涙が零れた。
「律、愛してる」
律の顔が涙と笑顔でくしゃくしゃになる。
「もう少し眠りなさい」
律が私の手を握る。私は頷いて目を閉じた。
◇
次に目覚めたのはその日の夜。さっき目が覚めた時よりだいぶ頭もスッキリしている。律は居なかった。が代わりに知らない綺麗な女の人が心配そうに私を見ていた。
「あの・・・」
「あっ、目が覚めましたか?ごめんなさい、初めまして、あの私は・・・晶の・・・」
「ママ?」
「あっ、はい、河上 雪乃です。この度は晶が迷惑を、庇っていただいて、命を守っていただいて、怪我までさせてしまって本当に申し訳ありません。ありがとうございました」
頭をさげたまま、泣いている。
「顔をあげてください」
私は恐縮してしまう。
「晶君が助かって本当に良かったです。私の方は咄嗟に身体が動いてしまって、律に、兄にも叱られました」
子供みたいで恥ずかしい。
「律さんと付き合っていらっしゃるんでしょ?晶から聞いています。私には隠さなくても大丈夫ですよ」
優しい微笑みに私まで癒されそうだ。
「あの、雪乃さんとお呼びしても?」
雪乃が頷く。
「あの、思ったよりもずっとお若くて、あっごめんなさい、晶君がママって呼んでるのしか聞いた事無かったのでクラブのママさんって勝手にもっと年上の方だと・・・すみません」
ふふふっと雪乃が笑う。
「若いと言っても晶より一回りも上です。決して若くはないですよ」
「えっ見えないです、お綺麗ですし、私と変わらない位かと思ってました。雪乃さんは・・・晶君と付き合っているんですよね?」
雪乃は笑顔をしまって少し言葉を選びながら話す。
「男と女、としてなら付き合ってはいません」
「えっ」
「・・・6年前、晶に初めて会った時、私、離婚したばかりで、子供も相手方の家に取られて寂しさをどう紛らわせたらいいのか分からなくて・・・」
少し思い出すのがつらそうに見えたが話すのはやめなかった。
「もうだいぶ酔っていて、それでも1人の部屋に帰りたくなくて、ふらふらと歩いていたら晶に声をかけられたんです。お姉さん遊ばない?って」
少し頬が緩む。
「その時は年下だとは思ったけどまさか10代とは思わずにいっかなって、寂しさを紛らわすなら年下で、後腐れなくてって・・・。そしたらね、朝になって晶が、僕本当はまだ17才でこれは淫行に当たるって脅してきたの。今迄もそうやってお金を稼いで来たらしくって、寝ている間に私の裸や免許証の写真を撮ってたり、手馴れてた。ふふっ」
晶がそんな事をしてたなんて。
「でも、私ね、少し法律を学んでた事があって、これは淫行には当たらないし、あなたのやっている事は立派な恐喝だって言ってやったの。そしたら晶ものすごく怒って私にひどい事言った。いい年して恥ずかしくないのかとか若い男に触られて嬉しそうだったなとかまあ思いつくひどい言葉を沢山。私は怖いとか傷付くとか自分の感情よりも先にひどい事を言えば言うほどつらそうな目になってくる晶に釘付けになってずっと見つめてた。そして気がついたら晶を抱きしめてたの。最初はやめろとか暴れてたけど、その内静かになった。そして僕をそんな目で見るな、憐れむなって怒って飛び出して行ってしまったの」
晶君がまだ大切な物を知らなかった頃だね。
「そのあと私は夜の銀座で働き始めた。子供を取られた私はなんだか身体が半分になった様で落ち着かなくて、特に夜が怖かったの。だから・・・。
夜のお仕事は初めてだったけど、水が合うっていうのか、楽しかったわ。お客様はみんな紳士で話題も知識も豊富で、会話について行けるように一生懸命勉強したのよ。晶と別れて半年位たった頃仕事が終わって朝方マンションに帰ったら玄関ドアに血だらけの晶が寄りかかって寝てたの。びっくりしたわ。とにかく部屋に連れて帰って病院にって晶に言ったけどダメだって、通報されるとやばいからって。どうやら関わったらいけない方の奥様に私と同じ事を仕掛けちゃったらしくて追われてたみたい」
私は只々晶の過去に驚くしかない。
「手当している間、晶はポツポツと自分の話をしてくれた。それを聞きながら私は、自分の子供の事を思ったわ。あの子も私に捨てられたって思うかしらとか・・・。そしたらもう晶が自分の子供とダブってしまって、勿論年齢も全然違うんだけど、そう思ったら。・・・その後は母親の様に世話を焼いてた。晶も嫌がらずに私の言う事を少しづつ聞いてくれるようになった。だけど、例の危険な方の奥様の件がまだ終わってなかったみたいで命か慰謝料かってところまで行ってしまってて・・・」
「それで・・・」
「大金だった、とても晶が、いえ私の貯金を足しても全然払えない額、で・・・その頃私ある人から面倒をみたいと言われていて・・・」
「それって」
「ええ、お妾さん」
「・・・」
「お引き受けしたの、晶を助けてもらう代わりに」
なんというめぐり逢わせなんだろうか。
「晶は怒ったわ、ものすごく怒って・・・でも生きていて欲しかったの何としても、晶に生きていて欲しかった。最後は納得してくれた。何度も何度も私に頭をさげて、これからは私の為に生きるって言って。それから五年間晶はものすごく努力してた。私への恩返しもあっただろうけど、律さんや眞希さんに胸を張って会いたかったんだと思う。何度かあなた達の様子を見に行ってたし。そして運命のように眞希さんがお店に現れた。ふふふっ、その日の晶の興奮を見せたかったわ」なんだか少し恥ずかしい、不思議な運命を感じる。
「だけど・・・」
雪乃の声が沈む。それからが今に繋がっている。
「雪乃さん、ごめんなさい、私が店に行かなければ・・・」
「それは違うわ眞希さん」
私の謝罪を強い口調で止める。
「それは違う、あなたにそんなに風に思われたって知ったら晶悲しむわ」
雪乃は、それでもと思う私を諭すような目で見つめてくる。
「あなた達の事を想うのと同じくらい母親の事も調べていたの。ある時ポツンと言ったのよ、僕と同じ人だって」
「どう言う事ですか?」
「晶と全く同じでは無かったけど、晶の母親も、親や回りからの愛情を知らずに育ってきたのよ」
それは、私も何となく感じていた事だった。
「後から思えば本当は自分が感じていないだけで情をかけてくださる人もいたと思うのよ。それに気付けなかっただけで。晶は私と出会って気づいたって言ってくれた。でも自分の母親にはそういう人がいなかったか、もしくは気付けなかったんだろうって」
確かに人の優しさや思いやりって後から気付く事も多い気がする。
「もしかしたらって、もし律さんのお父様との結婚の時に気付けてたら人生変わってたかもって、でもそしたら自分は産まれてないのかってちょっと笑ってた」
難しい、複雑な気持ちになる。そうだったら私達も家族になってない。もしかしたら律を愛する事も・・・。
「あなた達の家族にした事は本当に許せない事だけど、1番執着していたのも確かよ。それを愛情と気付けなくて憎悪だけを募らせてしまった結果・・・」
私は目をつぶって手元の布団を強く握る。
「ごめんなさい」
雪乃は私の反応を見て慌てる。
「いえ・・・私は被害者側ですから、憎んでも、そんな風には考えられませんでした」
「それは当然よ・・・晶は自分と重ね合わせて苦しんでいたわ。自分を虐待して捨てたり、あなた達の親を殺してひどくつらい思いをさせた事に対する怒りと、大切な物を受け取れなかった可哀想な母親。もしかしたら自分も母親のようになっていたかもしれない恐怖」
晶は1人でそんな気持ちを抱えていたのだな。でも、雪乃が傍にいたのに・・・。
「・・・今回の事、雪乃さんは晶君に相談されてましたよね。なぜ晶君がする事を止めなかったんですか」
雪乃は悲しそうに目を伏せる。
「本当にごめんなさい」
「いえ、責めているのではなくて、そこまで晶君の事分かっててなぜ止めなかったのかと・・・」
「晶の本当の気持ちに応える事が出来なかったから・・・」
「えっ」
「私と晶・・・男と女だったのは最初だけですが・・・晶は私を・・・」
「愛してるっていつも電話口で・・・」
「はい、女として私を・・・。ですが自分の命と引き換えに身売りさせてしまったと・・・。私は自分がそう選んだのだから晶のせいでは無いと何度も言ったのですが、自分を責めて、ジレンマに陥っていました。私はそれに気づかない振りをしてしまった。だって応える訳には行かなかったから・・・。そして、少しづつ晶との間に距離が出来ました」
ああ、この人もまた、晶を愛しているのだなと感じる。
「最初は母親に自首させたいと思ってたようですが、調べて行く内に重ねた罪の重さに驚いて、もう助けられないなって言うようになってました。その度に晶の手には負えないから警察に任せようと何度も言ったのですが・・・。眞希さんがお店に来てくださって、律さんと話した時にはもう心のどこかで殺そうと決めたのだと思います」
「じゃあやっぱり私が」
「いいえ、いいえ違います。心の持ちようが・・・。自分を捨てた事やあなた達をひどい目に合わせたという憎悪だけで殺そうと思った訳ではないんです。間違ってはいましたが、母親に対する慈悲だったんです」
「慈悲?」
「はい、晶なりの。だから母親と一緒に死のうと・・・私は必死で止めました。ですが、それなら僕を受け入れてくれと、男として愛して欲しいと・・・」
涙を堪えて窓の外を見ている姿がとても切なかった。
「私は返事が出来ませんでした。晶の命を救ってくださった人を裏切るような事は出来ない。それに、私は晶よりずっと年上です・・・。晶に、本当だったら6年前に無くなっていたかもしれないこの命を今回の為に使いたいと言われて、もう止める事は出来ませんでした」
ただ血の繋がったという事だけでは無い、人とはなんと複雑に絡み合った感情を持って生きているのか、いえ違う、生きているからこその千錯万綜に人は冷静ではいられなくなるのだ。もがいて苦しんで、つらくともそれが生きている証、死を持っても消せるものでは無い。だって複雑に絡み合った先にはまた別の人の生が繋がっているのだから。
「私やっぱりあの店に行って良かった。こんな形になってしまったけど、晶君を助けられたんですよね?」
「はい。はいそうです、本当に本当に・・・」
雪乃は泣いていた。私は夢で何度も見た光景を思い出していた。撃たれて気を失う時も思った、夢の中では助けられなかった愛すべき物を今度こそ私は助ける事ができたんだと。しばらくして落ち着いた雪乃は何度も頭をさげて帰っていった。
晶はどんな罪になるのだろうか・・・あまり重くないと良いなと思った。
◇
夜遅くに律が病室に来てくれた。面会の時間はとっくに過ぎてたけど、病院側も事情を考慮して入れてくれたらしい。犯人を嘘で逃がしてしまった事は警察でこってり絞られたらしいが15年前はまだ未成年だったし罪には問われないらしい。
「大丈夫か?」
心配そうにベットの傍に座る。
「うん、律は?疲れたでしょ」
「何度も同じ事を細かく聞かれるからね。それでも、少しでも晶の罪が重くならないようにしっかり説明してる」
「律」
「ん?」
「ごめんね、本当に、私心配ばっかりかけてるね」
律はふうとわざとらしくため息をついて優しい目で私を見る。
「本当だよ。今こうやって話せてるけど一時は本当に大変だったんだぞ。弾が当たったところが頭に繋がっていく血管の側で一歩間違ったら死んでたか、植物状態になってたかもしれなかったんだ」
そう聞くと本当に生きてて良かったと思う。
「あの・・・私の仕事・・・」
「ああ、連絡して代わりの人を探して貰ったよ。ホテルの人も心配してくれてた。退院したら謝りに行こう」
「うん。晶君は?」
「まだ面会は出来ないけど、若いから回復も早いよ」
「どんな罪になるのかな?」
「重いと殺人未遂、殺意を少なからず持っていたと判断されたらね。ただ晶の生い立ちやあの女の今までの罪を考慮すれば傷害罪で収まるかもしれない。警察も掴んでいなかったあの女の犯罪行為を調べた書類も提出してるし、しょうがなかったとしても発砲して民間人を巻き込んだという警察側の負い目もあるからね」
「なら私、怪我をした甲斐があったね」
パシっと優しくおでこを叩かれる。
「そんな事言うな、そんな、眞希を犠牲にしてもいいなんて事は何もないんだ」
また怒られるがちょっと律の気持ちが嬉しくてニヤける。それを見て律が怒って立ち上がりドアに向かう。
「帰る」
「えっ待って、やだ、ごめんなさい、まだ帰らないで」
慌てて泣きそうになった私をチラッと見て戻ってくる。
「心配させた罰」
と言って額に唇を寄せる。
「早く治って、じゃないと抱きしめられない」
と言われて耳まで熱くなる。そのあとは眠るまで律が手を握っていてくれた。
◇
私は翌日には1人でトイレ位までは歩けるようになった。リハビリ開始、点滴のお供を付けてだけど。そのまた2日後、事件から6日が経ってようやく晶の安静が解けて警察の事情聴取も少しづつ始まった。その合間の時間に病室に向かう。
「晶君・・・」
警察官が前に立っているドアからのぞく。
「眞希姉!」
驚いて起きようとして痛みで呻く。
「あ~そのまま、動かないで」
点滴をガラガラいわせて中に入ってイスに座る。
「眞希姉、ごめん、僕」
言葉が涙で続かなくなって顔を背ける。
「晶君が生きてて良かった、これから一緒に生きてく家族が減らなくて良かった」
私も泣いてしまう。
「僕なんか・・・僕、眞希姉にこんな怪我をさせてしまって、本当にごめんなさい、兄さんに合わせる顔が無いよ」
「晶君、私は生きている。あなたも生きてる、もうそれでいいじゃない」
そう、私達は生きている。過去がどうでも、これからの未来で、まだまだもがいて苦しんで生きている事を噛みしめなくてはならない。その中で関わった人皆に私が今までに受け取った大切な物を差し出そう、受け取って貰えるならば。そして私も享受したい。私は生きて行くのにまだまだ未熟者だから。
「晶君、私は、私と律はあなたを待っているからね、私達に関わることを怖がらないで、今度はちゃんとあなたを見ているから」
晶はかすかに頷く。
「色んな人に迷惑をかけてしまって・・・」
「そんなの、怪我が治ったら、謝りに行けばいい。すぐに行けなかったら、行けるようになったら行けばいい。1人で行きにくいなら私が一緒に行くから」
「さすがに1人で行けるよ」
泣いていた晶が思わず笑うが傷が痛むのか顔をしかめる。
「ありがとう、眞希姉。だけど1番謝りたいのは眞希姉と兄さんだよ」晶はそう言ったけど私は首を振る。
「1番謝らなきゃいけないのは雪乃さんじゃない?自分をかけてあなたに大切な物を分けてくれた人」
晶の表情が変わる。
「ママに会ったの?」
「うん、病室に来てくれた」
「そう」
「素敵な人ね」
「うん」
「まだ会ってないの?」
「もう、会えないと思う」
「なぜ?」
「今度の事でママの・・・相手の人も僕との付き合いをやめさせるよ、今までもいい顔はしなかったんだから」
「その人の事は雪乃さんから聞いてる」
晶は腕で目元を隠す。
「僕のせいでママにまた肩身の狭い思いをさせてしまう。僕は本当に考えが浅かった。僕が死ねば全部終わらせられると思ってた・・・」
「そうね、でも何事も死んでおしまいにはならないよ・・・思い詰めたからとはいえ、雪乃さんが分けてくれた大切な物を晶君は自分の命と共に捨てようとしたのよ。確かに晶君の命だけど、晶君だけの命じゃないんだから。・・・でも晶君、雪乃さんの事本当に好きなのね」
晶は答えない。
「前、私に、自分を買ってくれる人は絶対に消えない焦燥感を1晩だけでも忘れたい人達って言ったけど、晶君もそうだったんだね。だから受け入れてた。お互いの隙間を埋めようとしてたのね」
「ママに・・・雪乃さんにどこまで聞いてるか分からないけど、僕、雪乃さんに出会うまで、そういう人達を食い物にしてたんだ。ひどいよね、傷付いて温もりを求めた人達を更に傷付けて、引っかかってくる人をバカにしてた。最低な人間だった、違うな、ケダモノだった。そんな僕を雪乃さんは救ってくれた。ケダモノを人間にしてくれたんだ、自分を犠牲にして・・・。そして同時に手の届かない人になってしまった。僕はその時初めて傷付けて来た人達の痛みを知ったんだ。どこにも行き場の無い、出口の見え無い、でも捨てられない、手に負えない持て余した感情を、心の傷を、一時でも誰かに癒してもらいたいという人間の弱さを・・・だけど、そんな人間を愛おしいと思う気持ちも・・・」
「隙間は埋まった?」
「いや、埋まらなかった。もっと寂しくなったよ。だけど、求めに応じ続けたのは、過去の人達への罪滅ぼしのつもりだった・・・でも、本当はこんな僕でも求めてくれる人がいるって安心したかっただけなのかもね・・・」
「晶君・・・」
眞希はもうなんと声をかけたらいいのか分からなかった。只々切なかった。そんな時入口に立っていた警察官にそろそろ時間ですと声をかけられて席をたった。
「また来るね」
晶は黙ったまま小さく頷いていた。
◇
夕方の面会時間に律が来てくれた。
「今日は早いんだね」
私は嬉しさを隠せない。
「ああ、だって今日は仕事納めだったから」
「あっ・・・日にちの感覚がない、そっか、もう仕事納めだったんだ!あ~あ~」
「何、どうした?」
「今年のクリスマス終わっちゃったなぁと思って」
つまらなそうな顔の私に
「毎年あんまり気にして無かったでしょ?」
不思議そうに律が言うのをちょっと睨みながら
「一緒に楽しむ人が居なかっただけ」
とむくれてみせる。
「じゃあこれからはずっと一緒に楽しめるね」
律がそう言ってくれるから私はすぐに機嫌が良くなる。
「晶に会ってきたよ」
律が静かに言った。
「私も昼間行ってきた」
「急に弟って言われてもピンと来なかったけど、今回の事で、ものすごく繋がりを感じたんだ。20年以上も交わる事のない人生だったのに一瞬で分かり合えるって不思議だよね」
「うん」
「晶の処分が今後どうなるかまだ分からないけど、出来る限りサポートして行きたいと思ってる」
「勿論よ」
「眞希、本当にありがとう。それと・・・あの女の事だけど、晶が調べていた余罪を警察の方も裏取りしてほぼ間違いないらしい。多分死刑は免れないだろうって」
複雑な気持ちなのが分かる。
「大丈夫?」
「ああ、罪は勿論償うべきだ。俺達の両親だけじゃなく何人もの命をお金の為に奪ってたらしい。同情の余地はないよ。だけど、あの女が捕まって、死刑になっても、優しかった両親が帰ってくるわけじゃない。あの女が俺の母親だって、血の繋がった俺を産んだ人だっていうのも変わらない、育ててもらった記憶もないのに。それがなんともまだ自分の中で消化できずにいる」
正直に自分の気持ちを私に話してくれる律が堪らなく愛しい。
「きっと父さんと母さんは今の律を見て安心してると思うよ。15年も1人で重たい物を背負ってきたんだもん。消化できない気持ちもいつか時間が解決してくれるし、1人で手に負えなかったら私に話して。一緒に分かち合いましょ」
律が私の頬に触れる。その手に自分の手を重ね目を閉じる。私の唇に優しく唇が重なる。愛しい人、共に生きて行ける人。律と私は両親から大切な物を沢山受け取った。つらい経験も大切な物の一部だ。全てが私と言う人間を作る基になるために必要な物。無駄にしないで未来への糧にしよう。
「律、明日誕生日」
「うん、そうだけど別に誕生日なんて」
「え~っ、お祝いできないよ」
せっかくプレゼントも用意したのにと思いながらも、自分のせいなので仕方ない。
「退院したらお誕生日のお祝いしようね」
と言う私に
「それより退院祝いだろ」
律が笑う。
「じゃあ両方祝ね」
「そうだね。あ~新年は家で迎えられるのかな?ちょっと聞いてくる」
と部屋を出ていった。
◇
結局お正月迄に退院出来ず新年は病院で迎えた。私は毎日晶の部屋に顔を出し、くだらない話で笑わせて傷に障ると看護師に叱られた。でも笑えるようになった晶を見られて嬉しかった。雪乃は晶に会いには来なかった。時々晶はつらそうに窓の外に目をやったりしていたけれど、自分のしてしまった事への罰として受け入れてもいるようだった。
2人には幸せになって貰いたいのになぁと、どうにかできないものかと考えていた。
年が明けて6日、ようやく退院出来る事になった。晶に挨拶をしてすぐにお見舞いに来ると伝える。お世話になった病院の方々にお礼とお別れを言って外に出た。ほとんどの荷物は前日に律が持って帰ってくれたので身軽だった。律は迎えに来たがったけど、仕事始めと重なってしまって休む訳に行かなかった。
タクシーで帰ってきなさいと言われていたけど、病院が銀座近くだったので、帰り道ホテルに寄って仕事が出来なくて迷惑をかけてしまった事のお詫びをしてきた。そして・・・あの場所、私達が撃たれた場所が見たかった。あの日の事を思い出しながら店に向かうとシャッターが開いていて色々な備品が外に出されている。私は慌てて階段を上がる。店のドアは開け放たれていて、雪乃が中で片付けをしていた。
「雪乃さん」
「眞希さん?」
驚いて私の傍に来る。
「いつ退院を?」
「今日です。たった今」
雪乃は驚いた顔になる。
「退院おめでとうございます。このたびは本当に」
謝ろうとするのを慌てて止める。
「もう謝らないでください雪乃さんのせいでは無いし、晶君は私の身内です」
雪乃がフッと笑顔になる。
「ありがとう、晶を身内と言ってくれるんですね」
「当たり前です。律の弟ですもん、私にとっても弟です」
「良かった、やっと晶にも帰る所が出来る」
私は複雑な思いで雪乃を見た。
「雪乃さん、なぜ晶君に会いに行かないのですか?晶君は何も言いませんがあなたが来てくれるのを待っていると思いますよ」
「眞希さん・・・私はもう晶には会いません」
「なぜですか?雪乃さんの・・・旦那様に迷惑がかかるからですか?」
雪乃はつらそうに目を伏せる。
「いいえ、あの人とは終わりました」
「えっ」
「私が至らないので愛想つかされました」
誤魔化すように片付けを始めるが、理由は明らかだ。
「今回の事で、ですよね」
雪乃は動かしていた手を止める。
「眞希さんに誤魔化しても意味ないわね。そう、さすがに警察が動いた事件に関わっていたとなるとまずいって銀座のお店も勿論この店もお返しするのでバタバタしていたの。それでも晶のために用立ててくれたお金は手切れ金と言う事で返さなくても良いって言ってくれたわ」
「そんな・・・」
その人の雪乃に対する愛情ってそんなものなのだろうか、なんだか虚しい。
「いいの、私の方が晶の事であの人を利用したようなものだったから。反ってスッキリしたわ。一から出直しよ」
「なら!それなら誰にも遠慮する事なく晶君と」
「それは違うわ眞希さん」
雪乃はすっと顔をあげてしっかりと私を見る。でもすぐに自信のない目に変わる。
「本当は、本当は今すぐにでも晶の元に飛んでいきたい。でもね、この事を知ったら晶もっと責任を感じてしまうでしょ。そしたら今度は責任感で私と一緒に」
「いいじゃないですか!」
「・・・」
「責任取ってもらえばいいじゃないですか!」
「眞希さん」
「これだけの事を仕出かしたんだから、責任取ってもらえば良いんです!」
「でも・・・」
「なんでそんな風に思うんですか?お互いに好きなんでしょ?愛し合ってるんでしょ!」
「私、もうお金も無いし、今は晶に何もしてあげられない。それに・・・」
「2人で1から始めればいいじゃないですか。まぁ晶君はこれから罪を償う事になるかもしれないけど、雪乃さんが待っててくれるって分かったらものすごい力になると思うんです。それにアレですよね。雪乃さん・・・年齢の事気にしてますよね」
雪乃は俯いて顔を背ける。
「晶君が全然気にしてないのに、年齢差ってなんですか?言わなきゃ誰にも分からないし、雪乃さん綺麗だし、そんな事気になるなら、それならもう、私の戸籍と取り替えても良いから、だから晶君と・・・」
もう、私何言ってんだろうと思いながら涙が出てくる。晶と雪乃に幸せになってもらいたかった。じゃなかったら、今回の事件の意味がない気がした。
「もう!もう!雪乃さん、私に申し訳ないって謝りましたよね。なら責任取って晶君と付き合ってください!お願いします!」
もう!私バカ。律以外の人の前でも子供みたいに声をあげて泣いてしまう。私は15年間泣けなかった分を今になってまとめて泣いてるみたいだった。
「眞希さん」
雪乃が私の背中に手を回して母のようにさすってくれる。
「ありがとう、本当にありがとう」
そう言って雪乃も泣いていた。そのあとも悩んでいる雪乃に自分で言わないなら私が今すぐバラしに行くと言って脅したら
「困った人」
と言って笑いながら私を睨み、片付けをやめて病院に向かった。お節介だったろうかと少し反省したけれど、2人のしあわせの役に立てたなら良いなと思いながら家路に着いた。マンションの前でタクシーを降りると律がジリジリして待っていた。
「病院出てからどこに行ってたんだ!まだ治ってないのに!何度も電話したんだぞ、病院にも電話したし、携帯を見ろよ!」
「あっ」
しまった、仕事始めで帰りが早かったのか。
「ごめんなさい、本当にごめんなさい」
ひたすら謝る。律は私の目が赤くて泣いた形跡を見ると急に怒りを引っ込めて
「どうした?何があった?痛むのか?病院に行くか?」
と慌てて聞く。
「律、愛してる」
私は片手で律に抱きつく。
「お、おい眞希、外だぞここ」
顔を赤くして慌てる律が愛おしい。
律に背中を押されてそそくさと部屋に向かいながら、帰りにホテルに寄って謝ってきた事を話す。またなにかあったら仕事を回してくれると言ってもらったのを自分の事みたいに良かったと言ってくれる。玄関を開けて家の中に入った瞬間に律に優しく抱きしめられる。
「さっきのつづき、おかえり、眞希」
そっと唇を合わせる。
「本当に大変な思いをしたね」私の右腕のギプスに優しくさわる。
「しばらくは不自由だと思うけど、片手生活は俺先輩だから大変なの分かるし、なんでも手伝うからね」
「あんまり甘やかすと何もしなくなっちゃうよ」
「治るまでだよ、治ったらビシバシこき使うからな、俺を心配させた罰も受けてもらう」
真面目な顔で私に言う。
「えぇ!何それ、やだ、ごめんなさい、もう心配かけないから」
律が笑いを堪えられずにうしろを向いて肩を震わせる。
「ひどいよ!いいもん、せっかくいい話もしようと思ったのに教えてあげない」
わざとらしく自分の部屋に行こうとする私をうしろから抱きしめる。
「ごめん、何、いい話って?」
私は嬉しさを隠せずに晶と雪乃の事を話した。律はお節介だなまったくと言ったけど晶が幸せになればいいなと笑った。
◇
夕飯はデリバリーでピザをたのんだ。退院祝いとお誕生日はちゃんと治ったら改めてと、とりあえずノンアルコールビールで乾杯する。 久しぶりに律のベットで一緒に寝たいとゴネてみたけど、シングルベットだし腕が治るまではダメと言われて私は不貞腐れて自分のベットに入る。そんな私を見て、律が少し顔を赤らめながら真面目な顔をする。
「あのさ、眞希」
「何」
「いや、この家の事だけどさ」
「家?」
「ここ借りる時、俺達未成年だったろ」
「うん」
「叔父さんの名義で借りてたんだけど、ずっとそのままになってて」
「そうだっけ?」
「ああ、まぁ家賃はこっちで払ってたし、叔父さんも何も言って来ないからそのままにしてたんだけどさ」
「うん」
「もう住んで15年になるし、その・・・」
なんだかモジモジしてる律が面白い。
「うん?」
「こ、これから手狭になるかもしれないし」
「なんで?2人なら充分だよ」
律が何か言いかけてガックリと肩を落とす。
「眞希は鈍いな・・・」
「な、何よ、律がハッキリ言わないからでしょ!」
俯いてた律が怒ったような顔をして姿勢を正す。
「べ、ベットだって大きいのにすれば一緒に寝られるし、もしも家族が、家族が増えるなら広い方がいいだろう」
私はポカンと口を開けたまま律を見る。それってもしかして
「俺達、籍をちゃんと入れないか?眞希と夫婦になりたい」
私は何も言葉に出来なくて涙がボロボロと零れた。うんうんと何度も頷いて律の傍に座り直す。
「あの、末永くよろしくお願いします」
ペコッとお辞儀をして顔をあげると嬉しそうな律と目が合う。
25年前に家族になった私達は長い年月の葛藤を経て今また新たな家族となって一歩を踏み出す。
きっとこれからも色んな事があると思う。そのたびにもがき苦しんで、もうダメだと思う時もあるかもしれない。けれどもそれは生きる痛み。生きてる証。こじれて縺れた繋累を大事に抱えて生きていこう、律となら、きっとそれが出来るはずだから。
終