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第2話「待ち合わせをしましょう、天気さん」3


 規則正しいテンポの掛け声と共に聞こえる軍隊めいた足音。どこからか飛んでくる運動部顧問の怒鳴り声に、思い出したような金属バットの音が重なった。窓の外に広がる青春の景色を他人事のように眺めながら、すれ違いざまに美術室をちらりと覗き込んでみると、そこには何やらぶつぶつと独り言を言いながらキャンバスと向き合う生徒の背中がある。


 本来、これがあるべき青春の姿なのだろう。様々な事情で中学、高校と帰宅部を貫く僕からすると、何か一つのことに打ち込める学生生活というのは少し羨ましいような気もするが、今さら部活に入る気にもなれず、やはり放課後のそんな光景は他人事でしかなかった。


 下駄箱で上履きを脱ぎ、外履に履き替える。


 連れ立って歩く友達もなく、一人でとぼとぼと下校する自分が虚しくなって思わず青春に想いを馳せもしたが、何も青春というのは部活だけに限った話ではない。霧斗のように趣味に明け暮れるのも一つの青春の形なのだから、一人ぼっちで帰宅したのち一人ぼっちで夕飯を作り一人ぼっちで食べるというのもきっと──。


 そこまで考えたあたりで耐えられなくなり思考を閉じた。そんな寂しい日常すらも青春の一ページに加えられるほど僕は図太くない。花の高校生だというのに、やっていることはまるで冴えないサラリーマンのようではないか。これ以上失敗という名の青春のスパイスを加えようものなら、僕の青春は甘酸っぱいを通り越して激辛になってしまう。もう既に少ししょっぱい。考えるだけ虚しくなるのでやめよう。


 それよりも気にするべきは今日の夕飯の献立である。今日の夕飯は霧斗に言った通り天津飯の予定なので、家に帰る前に卵と醤油を買っていかなくてはならないのだが、確か朝に慌てて鞄に突っ込んだスーパーのチラシには、卵の特売日は明日とあった気がする。特売日が明日だとすれば、今日は違う献立にする必要があるが──。


「君、誰か待ってるの? 呼んできてあげようか」


 校門近くに差し掛かったときに聞こえた声に顔を上げると、何やら上級生と思しき女子生徒二人が校門のところで誰かに話しかけている。他校の生徒でも遊びに来ているのだろうか。学校が離れても変わらず続く関係というのも羨ましい。小学生のときには家の事情で何度か転校を繰り返したが、幼かったせいか当時の友達とはすっかり疎遠になっている。僕の転校はもれなく他県への引っ越しもセットだったので尚更だ。友達作りが苦手な理由はそこにもあるのだろうか。


「ねぇ、顔見せてよ〜。君絶対イケメンでしょ」


 またネガティブな方向に突き進みかけた思考を引き摺り戻すのは、何やら親切心だけで言っているとは思えないような言葉。雲行きが怪しくなってきたと思いつつ様子を伺うように近づいていくと、どうやら女子生徒に絡まれている他校の生徒と思しき人物は、帽子を目深に被ることでこの場を切り抜けようとしているらしかった。


「ほら、友達いるなら案内してあげるからさぁ」


「ちょっとだけ顔見せてよ、いいでしょ?」


 女子生徒は帽子の彼より背が低いのをいいことに、彼が嫌がるのも構わず、帽子に隠された彼の顔を覗き込もうと試みる。


 さすがにここまで見ていたなら見過ごすことはできないと、比較的大きめな声で「すみません」と叫んだ。突然の第三者の乱入に、彼をからかっていた二人はやや驚いたように僕を見る。


「お待たせしました。週番の仕事が長引いてしまいまして……」


 まるでたった今、友達を見つけて駆け寄ってきたかのように装いつつ彼と二人の間に割って入ると、上級生と思しき女子生徒は繁々と僕を見つめた。咄嗟の行動とはいえ、さすがに割って入るのは不自然すぎただろうか。


「……君、この子のお友達?」


「は、はい、まぁ……そんなところ、です」


 肯定しておきながらどこまでも歯切れの悪い解答は、見ず知らずの人間を友達と偽ることへの罪悪感から来るものだ。尋ねられたことには何でも素直に答える性格は僕としても美点だと思っているが、今だけはその限りではない。


 案の定、女子二人は突然現れた自称彼の友人というよく分からない存在を訝しんでいる様子だ。嘘も方便。素直だけが取り柄の僕ではあるが、ここは嘘をついてでも切り抜けなければ。


「……ぼ、僕たちはそのあの、小学校からの付き合い……でっ⁉︎」


 しかし、冷や汗をかきながら捻り出した嘘は突然僕の腕を引いた帽子の彼によって打ち切られてしまった。そのまま走り出した彼に引きずられる形でその場から逃走する中、何が起きたのか分からないというように先ほどの二人がこちらを見ているのが見えたが、状況が掴めないのは僕も同じである。


「ちょ、ちょっと!」


 一体どういうわけなのかを尋ねる意味合いでそう声をかけるも、帽子の彼は振り返らないまま大通りを逸れて脇道に入った。依然として説明はないままだが、どうやら闇雲に走っているわけではないらしい。目的地へ向かって走っているのだとしたら、彼の目的は最初からこの状況だったということになる。見ず知らずの人間をどこかへ誘い込むために校門で待ち伏せていたのだとしたら、僕はこのまま素直についていくべきなのだろうか。──考えるまでもなく、答えは明白だ。


「待ってください!」


 予告もなしに立ち止まると、帽子の彼は不意を突かれたようにバランスを崩す。しかし僕の腕から手を離すまではいかず、何をするのかというようにこちらに顔を向けた。身長は僕と変わらないくらいだろうか。先ほど見た限りでは背が高いように見えたが、こうして見ると案外小柄である。彼に絡んでいた女子二人とは違い、彼を見下ろす形で立っている僕の目からは、彼の顔は帽子のつばに隠れて見ることは叶わない。


「……助けてもらっておいて何ですけど、せめてどこに行くのかくらい教えてくれませんか」


 帽子の彼は答えない。掴まれた腕に力が籠るのが分かった。


「……貴方は、僕を知ってるんですか?」


 返答次第で、僕は今すぐこの腕を振り解いて逃げなければならないかもしれないのだ。いつでも振り解けるよう、知り合いから教わった護身術のようなものを頭に思い浮かべながら返答を待っていると、帽子の彼は短く答える。


「……てっきり、気付いているものと思っていたのだけれど」


「え?」


 思っていたよりもずっと高い声に拍子抜けする間も無く、帽子を被った人物は僕の腕からするりと手を離し、再び目的地へ向かって歩きだした。


 相変わらず何が起こっているやら分からないが、今の一言でますます深まった疑問を放置するわけにもいかず、大人しくその背中を追いかける。帽子の人物は時折何かを確かめるようにこちらを振り返りはするものの、決して足を止めることはせずに人通りの少ない脇道を歩き続けた。


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