第1話「友達になってください、天気さん」3
「もう少し寄って。この傘、あまり大きくはないから」
「あっ、いえ、雨は慣れてるので」
「もう一度漫画喫茶のシャワーを浴びたいなら止めないけれど」
「……失礼します」
雨以上に冷ややかな言葉を浴び、恐る恐る天気さんに一歩近付いた。
土砂降りの雨の中、何故か僕に傘を差し出してくれた天気さんは、何故か僕を漫画喫茶に連れて行き、何故か替えの服を買ってきてくれて、何故か着替えている間にコインランドリーにも行ってきてくれて、何故かこうして同じ傘に入ってどこかへ向かっている。
何故が多すぎて正直頭が追いついていないのだが、それをいちいち尋ねるのも恐ろしい。
何しろ、隣にいるのはあの天気さんだ。難攻不落、前人未到、高嶺の花の、明日天気だ。僕のような一般生徒がおいそれと声をかけられる相手ではない。ましてや昨日あれだけ玉砕した身ともなると、話しかけづらさはさらに跳ね上がる。
しかし天気さんの言う通り、傘がない状態でこの雨の中を歩けば、漫画喫茶へ逆戻りだ。
僕に残された選択肢はただ一つ。美少女との相合傘という本来ならありがたいはずのイベントを、針の筵に座らされた思いで突破することのみだ。
「……ちなみに、その、今はどこへ」
「私の行きつけの喫茶店よ。そこで暫く雨宿りするわ。コインランドリーに預けた服もまだ乾かないようだし」
天気さんの行きつけの喫茶店。どう考えてもファミレスとは格が違うようだが、僕のような奴が行ってもいいところなのだろうか。
天気さんの行きつけというだけで何だか高級そうな予感がするし、天気さんが選んでくれた服──白いパーカーに黒のコーチジャケット、薄茶のズボンに靴下、スニーカー──は僕よりもずっとセンスがいいが、高級な店に入れるかどうかといえばそれはまた別の話だ。
そもそも、どうして天気さんが僕のためにそこまでしてくれるのだろう。お代を払うと何度言っても頑なに聞き入れてくれなかったのもよく分からない。様々飛び交う天気さんに関する噂の中で、いいところのお嬢様だというものも確かにあったし、他の学生よりも金銭的に余裕があると言われれば納得できるが、それはわざわざ僕の世話を焼いてくれる理由にはならないはずだ。
一体どういうわけなのだろう。恩を売るならこんな貧乏学生などではなく、もう少し売り甲斐のある相手にすると思うのだが、隣を歩く美少女の横顔を見つめてみてもその疑問の答えが返ってくることはなく──と、そんなことを考えていると、不意に彼女の顔がこちらへ向けられた。
「何?」
「えっ⁉︎ あっ、いえ、え〜と……せ、制服以外の服装、新鮮だなと思いまして……」
苦し紛れに捻り出した言葉に嘘はない。
青と白のストライプシャツに、紺色で丈の長いカーディガン、黒いスキニーパンツにローファーというシンプルな装いだが、天気さん自身のスタイルの良さも相まって、まるでファッション誌の一面を見ているようだ。
靴や服の一つ一つに注目してみても、例えば靴はヒールの部分に金色の細かい細工がされていて、シンプルだが丁寧な作りのものだと分かる。襟に金のカラーチップがあしらわれた服やゴミ一つついていないズボンも、僕のように格安チェーン店で買い揃えたものではないのだろう。
「……それはお互い様」
「ですね……」
流石の天気さんも濡れ鼠のクラスメイトの姿を見るのは様々な意味で新鮮だったようで、やや間を置いてそう答えた。
「着いたわ」
天気さんの言葉で顔を上げると、そこにはアンティークな雰囲気の喫茶店があった。
赤茶色の煉瓦造りの建物で、窓際に鉢植えが置いてあるのが何ともそれらしい、隠れ家的な店という表現がしっくりくるような佇まいの店だ。お洒落な雰囲気だが気取った感じはなく、居心地の良さそうな店である。目の高さよりも少し上にぶら下がっている看板には「喫茶日月」の文字が。
「喫茶……ひづき……あ、たちづきですかね」
「あれでたちもりと読むそうよ。この喫茶店のマスターの名字ね」
「日月さんって言うんですか……珍しい名字ですね」
「私たちも大概だと思うわ」
「た、確かに……」
明日に今日。同じクラスどころか同じ学校に二人といない名字な気がする。家族以外に同じ名字の人に出会ったこともないし、天気さんが言うようにかなり珍しい名字なのだろう。
そうこうしている間に天気さんは傘立てに傘を置き、店内に足を踏み入れる。軽く身支度を整えてから天気さんの後を追うと、店内からはほのかにコーヒーの香りが漂ってきた。