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人造肉  作者: みむめも
2/6

業界禁忌

 ―タブー


 禁忌、タブー、どのような業界にも取り扱ってはいけないものというものが存在する。


 それ自体が非合法であったり、たとえ合法であっても歴史的、社会的に区別、差別されていたモノであったりするために、おいそれと扱うことが許されない代物、タブーと呼ばれるものは確かに存在する。


 いわれのない禁忌。

 未成熟な社会のために行われた仕方のない禁忌。

 デマ、憶測、風説などによって生まれた禁忌。


 何ら根拠のないそれは長い時間をかけて、伝統、風習、因習など言葉を変えて浸透し、意識することすらなくなってしまう。


 どの業界にも、そうすべての業界にそれは存在する。


 ―打ち合わせ―


「異世界トラックを題材にした小説?」

「はい。これは、自分で言うのもなんですけど、すごい名作になる予感がするんですよ!」


 快速が止まる駅近くに立つひっそりとした喫茶店、その店の隅でともに30代手前に見える二人の男がテーブルをはさんで何かを話し込んでいた。


 平日の昼間、どちらも堅い勤め人には見えないカジュアルな格好で、何枚もの紙をテーブルに広げてコーヒーを飲みながら語り、いや、一方が話を進めるのを、もう一方がうんうんと頷きながら、相手していた。


 喫茶店は大手海外のチェーン店でも、国内の有名店でもない。ただのコーヒー好きが始めたお店であったが、そのおかげでうまいコーヒーを飲める割には人が少ない。それを存分に理解しているのか男二人は声を潜める様子もなく普通に話していた。


 都会の喧騒、騒音に敏感な都市型住民が多いこの町で自由にしゃべれる貴重な聖域、静かな時間が満足できる優良店は値千金の価値がある。


 珈琲一杯当たりの値段はそれなりだが、どちらも経費で飲んでいるのでそれを気にしない。喫茶店のオーナーがもう少し商売を学んでいれば、原価ぎりぎりのコーヒーで商売する愚かさに気づいただろうが、それも後の祭り。


 うまいコーヒーとまあまあのサイドメニューが並んだこの喫茶店はなかなか厳しい経営状況であった。


「えっと、異世界転生ということですか? ……先生が書きたいというのなら、構いませんが、他の作家さんと重なるような作品だと厳しいですよ?」

「違います。僕が考えているのは、これまでの作品と全く違う異世界に送るトラックが主役の話です!」

「異世界に送る? トラックが、……ですか?」

「はい!」


 男二人の関係は友人同士でも、他人同士でもない。あえて言えば、お仕事関係となるだろうが、雇用主と労働者という分かりやすい関係ではなく、遠い親戚よりも希薄な関係な売れない作家と編集という関係である。


 先生と呼ばれた方は過去に一度、編集者が務める出版社で賞を受賞し本を出したことがある。


 作家というのはピンキリであるがここで編集に詰め寄る男は残念ながら、ピンの方ではなくてキリの方に位置している。


 大体なんでもそうだが、後がない、先がない方は必死である。とにかく、虚勢を張って自分を大きく見せる話し方で、矢継ぎ早に設定を語り始めた。


「異世界側が仕掛けているんです。現実の人をわざと殺して異世界に呼び込んでいるんですよ! 異世界の神様がそういう風に考えていて、この世界の人を異世界に送るためにトラックがどんどんと人を」


 語り手、作家の方にはおそらくは頭の中で壮大で、緻密な物語が描かれているのだろう。世界観というか、考え込まれた設定が次々に披露される。


 興が乗るという言葉があるが、語るに任せて作家の口から一方的に言葉が発せられた。それは先ほど自ら傑作と評した言葉を信じているから出せる熱が込められたものであった。


 熱は力である。


 それは物理的、歴史的に証明されている。しかし、熱とは結局のところ、伝わらなくては意味がない。


「落ち着いてください。わかりました。わかりましたから、……トラックが人を殺して回るという話を書くのですか?」

「え? ああ、まぁ、そうですね、」


 編集と作家の間には、テーブル一つ挟んだ隔絶が生まれていた。せっかくの灼熱の熱源が沸騰させた蒸気を隔絶の向こう側は一切受け取らなかった。


 作家の言葉、設定を拾上げ、少し間を開けて確認をするように編集は言葉を発する。ちょうどそれは沸き立つ鍋にほんの少しの水を入れるような作業であった。


 吹きこぼれるはずのお湯はそれによってわずかな猶予を得た。


 仕切り直し。


 ここでまた、作家の方から話をまた再開すればいいのだが、作家はそこで別に気になることを見つけた。


 編集の目線、意識が自分の方ではなく、テーブルの隅、広げられた紙ではなく自分の飲みかけのコーヒーカップに向けられていることに気づいた。


 釣られるようにそちらに自分の意識も動いていた。


 厚ぼったい白磁のコーヒーカップには大体その半分ほど冷めきったコーヒーが残されていた。自然とそのコーヒーカップに手が伸びた。


 大切な書きかけのプロトを汚さないようにテーブルの端よけられたそれをそっと口元に寄せる。冷めたそれは先ほどまでのものと全く違う味がした。そのままカップを垂直になるような角度を向ける。


 作家がそう動いた瞬間に編集は別の言葉を口にした。


「それは、つまり世界の謎を解くようなミステリーということですか? それとも、秘密を知ってしまった人に迫る恐怖を描くようなホラーということですか?」


 絶妙なタイミングの言葉であった。


 すぐに言葉を返そうと、手に持ったカップを机の上に置くこともできずに作家は口を開いた。


「い、いや、ファンタジーですよ。異世界モノを書くというファンタジーで、」

「現実でトラックが人をひき殺しまくる話が異世界ファンタジーになるんですか?」

「……メタコメディ、みたいな」


 編集の言葉で作家の方の勢いは完全に止まってしまった。


 垂れ落ちる雫もないカップを力なく机の上に置き、すっかり黙り込んでしまった作家に編集は慣れたような様子でさらに言葉をつづけた。


「コメディでもいいですけど、その内容で十万字書けますか? 話を聞く限り、一発ネタにしかならないような気がしますが、」

「……疲れていたんです。次は、もっといいネタを考えますよ」


 それは完全な敗北宣言であった。


 か細い声が絞り出され、意欲とも、負け惜しみともいえるような言葉がつぶやかれた。


「ええ、大丈夫ですよ。きちんとお待ちしております。異世界モノというのはいいと思いますよ」


 編集は作家に向けて気休めのような言葉をかける。そして、笑顔を向けてさらに続ける。


「楽しい異世界を書いてください。現実がバカらしく見えるような作品が一番いいんですよ。それが一番売れるんですから、人が死んでしまうことにフォーカスする作品をうちも(・・・)求めていませんから」


 その後、テーブルを挟んで話す二人の男の会話はこれからの作品の方向性、展開についてであった。


 どのような作品を書いてほしいのか、どういった作品ならば書けそうなのか、どのくらいで出来そうなのか、次に会う日の約束をして作家と編集は席を立った。


「では、支払いしておきますから、早めにできそうなら連絡をお願いします」

「分かりました。では」


 編集はレジでマスターにレシートではなく、領収書をいただいて喫茶店を後にした。外に出て一番に会社に一報を入れる。


「今、打ち合わせ終わりました。普通の異世界モノを書いてもらえるように話しましたので、たぶん大丈夫だと思います」

「……」

「え? はい、ただの思い付きみたいですから、大丈夫ですよ。たぶん」

「……」


 編集は決して若手というわけではないが、会社という組織では報連相はどうしたって必須である。


「トラックについて書くことはないと思いますよ」


 その言葉を最後に彼は電話を切って、会社に戻るため、駅に向かった。


 彼は先輩から、先輩はそのまた先輩から、先輩は、いつの頃からそうなったのか、業界全体、いつの間にかそういった仕来りが出来上がっていた。


 彼はそれをただただ面白くないからだと納得させていた。他の者はまた別の理由で納得させた。誰もその本当の理由を知らない。


「異世界トラックの正体は書いてはいけない」


 それは、その業界の常識(タブー)であった。


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