第0話 Until rain of time clears 中
キックコック邸 AM2:55
「ロック、ここの警備はいつも入り口にたむろしている。ここからなら音を立てても気づかれないとは思うが、なるべく用心しろ」
「もちろん、わかってる」
キックコック邸の玄関口の絢爛さとは何処へやら、裏手は木々に囲まれて閑散としていた。塀はそれなりに高いが登れなさそうな程度ではない。事前に調査していたポイントから軽々侵入できた。
「ここから3階のテラスまで壁を伝って内部に侵入する。キックコックの自室兼研究室はそこから左手に2つ数えた先だ。まぁ、相当の大きさらしいから一目でわかるだろう」
「鍵が電子ロックならいいんだがな……。旧式のタイプだと強引になるぞ」
地面のぬかるみに足を取られないよう、慎重に近づく。アーリー調の壁面にはツタが伝っていた。
「こりゃ、神がオレ達に味方してるぞ。これを使って3階まで登ろう」
「滑って落ちるなよ。ぬかるみは当然として、雨と仮面のせいで視界が遮られている。ドジっ娘はライラだけで十分だ」
「――おい聞いたか、レッドがライラを萌え萌え天然ドジっ娘キャラだとよ」
『レッド、ひどい……』
「そこまでは言ってない」
無事テラスまでたどり着いた。簡易的なプールが設置されていたが、豪雨のせいであられもない状態になっていた。なぜ金持ちは使いもしないプールを構えるのだろうか。
ロックが窓に近づいた。そのままガシャガシャと解錠を試みる。
「やっぱり、電磁場界の第一人者。こりゃ電磁鎖錠だな」
「ロック、頼む」
「おまかせあれ」
調子の良い返事とともに、ロックが窓に手をやった。刹那、その右手に黄色い繭のようなものが見えた。
それはライザー特有の現象だった。方術使用時に手や目が発光する。ロックの場合は若干特殊で、発光というよりも周囲の光を一手に集めているように見える。
特殊というならさらにロックの方術は異端とも言えた。彼のTTPはギリギリ150に届くかと言った具合で、まともに方術を扱うことができない。そして致命的なのが、ライザーの要とも言える電気の放出ができないのだ。その為、もはやアウター同然の彼は、ハル同様にぞんざいな扱いを受けてきた。
そんな彼の才は意外な状況下で開花した。彼の手にかかればどんな電子機器でもたちまち故障してしまうのだ。一見、デメリットにしか考えられないこの特技も泥棒稼業に紐付ければ最適とも言えた。おそらく彼の意思とは別に、電子を不安定にさせる力が働いてしまうのだろう。電気をうまく扱えないのもそれに起因しているように思えた。
鈍い音とともに窓がスライドした。我先にと雨風が邸内に吹き込む。
「お見事、この調子で研究室も頼む」
称賛の声にロックが鼻をこすった。
「おやすいご用だ」
♢
なるべく音を立てないよう慎重に足を運ぶ。内装はさすがに豪華絢爛といった様子で、一定間隔ごとにシャンデリアが浮かんでいた。そのおかげで明るさが保たれているのは幸運だった。
無事邸内に侵入できたからなのか、緊張の糸が切れたようにロックが伸びをした。
「にしてもよう、キックコックがお偉い研究者だったとは言え、どっからこんな成金城を建てるカネが湧いたんだ?」
「彼は研究者の顔とは別に、若い頃は術者としての評価も受けていた。一時期は選手としてWEC(World ESPK Classic)にも出場出来るくらいにね。その領域まで達すれば国からの特別補助金も眼を見張るほど出るそうだ」
ハルの説明にロックは衝撃を受けたように仰け反った。
「あの老いぼれがそんなに凄かったとはな……」
「全盛期の彼のTTPは700を超えていたらしい」
「はぁ!? 700!? 本物のバケモノじゃねえか!」
「彼が普段からあまり警護をつけないのも、自分の能力を信頼しているからだろう。とはいえ、肝心の本人がいなければ問題ない。俺は大広間まで行って様子を見てくる。研究室に向かってくれ。そして鍵を開けたら一旦戻ってくるんだ」
「り、了解……。ちょっと目眩がしてきたぜ」
ロックと別れ大広間を目指す。事前に手に入れた間取りだと大広間は吹き抜けになっていて、そこから一階まで見下ろせる構造だった。召集された警備人たちは玄関付近にたむろしているハズなので、動向も確認出来るかもしれない。万が一、異変に気づかれたとしても咄嗟に反応できる好位置だった。
それにしても……。
なんとなく気分が滅入る。張り詰めすぎていたのだろうか。誰かに見られている気配を感じるのだ。
それだけではない。ロックは気づかなかっただろうが、先程のライラと通信、僅かにだがノイズが走った。二人は未だ外で待機しているので、雨音と混じったのだろうと最初は気に留めなかったが、今になって気にかかり始めた。
キックコックは電磁場の専門家……。
漠然とした不安を抱えながら大広間へ着いた。見渡す限り悪趣味な絵画と剥製が飾ってあるばかりで、特に異変は感じない。そのまま細心の注意を払って階下を覗き込む。
いた……!
早速のお出ましに一瞬心臓がどきりと鳴ったが、すぐに気を取り戻した。ざっと観察する。
警備のうち一人は職務を全うしているかのようで、正面玄関を向いて立っていた。もう一人は魂が抜けたかのように椅子に座り込んでいる。これでは上から入ってくださいと言わんばかりだった。
やはり、気休め程度の存在……。
しかし次の瞬間、ハルは思わず声を上げそうになった。座っていた警備の横顔がちらりと見えたからだった。
間違いない。あれは人形だ。
ともすれば、顔の見えないもう一人も実際は無機質な傀儡なのだろうか?得体も知れぬ不気味さにハルは身震いした。
キックコックは一体何故玄関に人形を配置したのか。留守を任せる番人ですら気を許せず、それならと見せかけだけの見張りをつけたのだろうか。そんな事に意味があるとはとても思えない。
暗雲が立ち込めた。ここまで問題は発生していないものの、それすら罠のように思える。
いや、考えすぎだ。ハルはかぶりを振った。仮に何か仕掛けられていたとしても、未だに自由に動けるのはこちらが一枚上手だという事に他ならない。
見えない恐怖と戦っていると、ロックがこちらに向かってきたのが見えた。何やら浮かない表情をしている。
「ロック、伝えたいことがあるがまずは一刻も早く仕事を済ませよう。鍵は開けられたな?」
「いやそれが……」
「どうした?まさか、錠前があるタイプだったのか?」
「そうじゃなくて」
「研究室がどこにも見当たらないんだよ」
その時、耳を裂くような警報が鳴り響いた。