45 甘い雲と精霊魔法
数日後、俺はフリューに会う為に再び森へとやって来た。
「来たか」
以前出会った時の様に、フリューが森の奥から出迎えてくれる。
「それで、甘味は手に入ったかの?」
「ええ、こちらになります」
俺は馬車から引き出しと蓋のついた木箱を運んでくる。
木箱は冬でもないのにひんやりと冷えている。
それもその筈、この木箱には食材を冷やす為に氷が入った容器を入れてあるからだ。
いわゆる氷室というヤツだ。
電気の無い世界だから、冷凍庫を作る事は出来ないが、その代わりに魔法で氷を生み出す事は出来る。
その氷を使って簡易氷室を用意した訳だ。
この世界でも氷室の概念はあるが、わざわざ魔法で氷を作らせながら食材を運ぶなんて手間と金がかかる事をする人間は少ない。
それこそ道楽者の貴族か貴重な食材を扱う大商人くらいだ。
普通の食材では護衛代と氷の魔法代で足が出てしまうらしい。
寧ろ襲ってくる魔物と戦う際に魔力が足りなくなるので危険の方が大きい。
だからその場合は食材を凍らせる魔法使いは専門に雇わなければいけないみたいだ。
つっても、魔物を倒せば護衛代だけでなく、倒した魔物の素材を換金できるが、食材を凍らせるだけじゃ大した給金は貰えないから、やっぱり希少な食材を冷やす時くらいしか金にならないみたいだ。
俺は簡易冷蔵庫から冷えた料理を取りだす。
「これがフリュー様よりご依頼いただいた、今まで食べた事の無い甘味でございます」
「これがか……?」
フリューは簡易冷蔵庫から出した容器の中身を見て首をひねる。
「確かに見た事も無いが……この皿の上に載っている白いモノはなんじゃ?」
フリューは興味深そうに指で白い部分をつつこうとすると、指がズブリと突き刺さる。
「うぉ!? 何じゃこれは!? まるで水の中に指を入れたかの様に抵抗がないぞ!?」
「それはホイップクリームというものです」
「ホイップクリーム?」
そう、俺が用意した干し果物でも焼き菓子でもない物とは、ホイップクリームの事だ。
衛生観念というものの理解が浅いこの世界では、生の食材を使った料理というものは基本的に存在しない。
大半の食材は熱を通すか酢や塩のような殺菌効果のある物に漬けるのが普通だ。
事実すき焼きに生卵を付けて食べる習慣も消毒と言う概念が生まれてからの事だ。
「これは毒消しの魔法で消毒したミルクを使った料理です」
「ミルクに毒消しじゃと!? 何故そんな事を!?」
食材に毒消しの魔法を使うと言われ、フリューが驚きの声をあげる。
「食材の中には時間が経つにつれて目に見えない毒素をため込んでしまうものがあるんです。だからそういった食材に毒消しの魔法を掛ける事で保ちを良くしているんですよ」
厳密には違うが、顕微鏡もないこの世界で細菌とかウイルスとか言ってもわかんないだろうからなぁ。
そして俺も毒消しの魔法で殺菌出来ると分かってちょっとびっくりした。
出来たらいいなぁと思ってやってみたんだが、上手くいって良かったよ。
ちなみに本当に毒消しの魔法が食材に効果を発揮するのかは、馬車を襲ってきた通りすがりの盗賊達に協力して貰った。
生け捕りにした彼等に、それぞれ魔法で解毒した食材と解毒していない食材を食べさせてみたのだ。
結論として、魔法で解毒した食材を食べた方の盗賊はお腹を壊さなかった。
やってみるものだね。
「ほう、流石は行商人じゃな。その様な知識は初めて聞いたぞ。よもや食材に毒が貯まるとは……いや待てよ? 毒消しの魔法を食材に使うのなら……」
と、感心した様子だったフリューが、何かを思いついたのかブツブツを独り言を始める。
「あの、とりあえず食べませんか? なるべく冷えた状態で食べた方が良いですから」
「おお、そうであったそうであった。では頂くとしよう」
サシャから受けとったスプーンでホイップクリームを掬うとフリューはそれを自らの口に運ぶ。
「…………おお!?」
フリューが目を大きく見開いて驚きの声をあげる。
「なんじゃこれは!? フワフワとした甘いモノが口の中であっというまに溶けたぞ!? こんな触感の食べ物は食べた事が無い! 何じゃこれは!? 雲か⁉ 儂は雲を食べているのか!?」
ホイップクリームの触感に驚くフリュー。
「こんな食べ物がこの世にあったとは……」
フリューが呆けた様な顔で宙に視線を彷徨わせる。
「素晴らしい。まさかミルクからこの様な料理が出来るとは……」
ふふふ、驚いているな。
俺も色んな料理を考えたが、この世界で用意できる食材と自分の料理技術を考え、フリューが食べた事が無く、かつ自分が作れる料理を考えた結果、このホイップクリームに至った次第だ。
ホイップクリームの元の生クリームは加熱殺菌した未精製のミルクを冷暗所に放置して成分を分離させるだけで済む。
なのでサシャに頼んで魔法で氷を出してもらい、モードに簡易冷蔵庫である氷室を作ってもらったのだ。
異世界の動物のミルクなので上手くいくかだけが心配だったが、何とかうまい事成分を分離させる事が出来て何よりだ。
後はモードに頼んで作ってもらった泡立て器を使ってひたすら生クリームをかき混ぜてホイップクリームの完成だ。
厳密にはホイップクリーム単体では料理と言えないかもしれないが、フリューの望み通りの食べた事の無い甘い食べ物という依頼は達成できただろう。
あんまり難しい料理は俺も作れないしな。
「いかがでしたか? ホイップクリームのお味は」
「う、うむ。まさかこの様な料理が存在するとは思っても居なかったのじゃ。うむ、見事じゃ!」
よし、上手くいったみたいだ。
「では我々の頼みも聞いていただけますか?」
「うむ、任せるが良い。お主の済む森に害意を持つ者達が入れない様にしてやろう」
「ありがとうございます」
ふぅ、一時はどうなる事かと思ったが、上手くいって何よりだ。
◆
「ここが我々の住む森です」
フリューからの依頼をこなした俺達は、彼女を連れて壊冥の森の入口へとやって来た。
「ほう、壊冥の森に住むとはなかなか剛毅な連中よな」
「ここを馬車で出入りする時以外は木々で植物で隠れる様にしたいんですが」
「ふむ、そういうことなら簡単だ。道に迷いの術を掛けてやろう。そうすればお前達以外の者達が通っても植物達によって道を迷わされ、入り口に戻る事になる」
おお、いかにもって感じの魔法だな!
魔法使いの魔法と言うよりは。おっかない魔女の魔法って感じだが。
「ところで、壊冥の森は魔法使いの魔力を惑わすんだけど、貴方は大丈夫なの?」
とサシャがフリューに質問をする。
「あっ、そういえば!?」
そうだった、壊冥の森は魔法使い殺しと言われる森じゃないか。
もしかして頼み損!?
だがフリューは慌てる事無く自信ありげな笑みを浮かべている。
「ふっふっふっ、甘いな小娘。ホイップクリームの様に甘いぞ」
本当にホイップクリームが気に入ったんだな。
「儂の精霊魔法は人間が使う魔法とは訳が違う! 故に、人間の魔法使いの様に森の波動に術を阻害されると言う事は無いのじゃ!」
「成程、貴方の使う魔法の正体は精霊魔法だったのね。確かに精霊魔法なら術を長期間発動させ続ける事が出来るというのも道理だわ」
なんか二人でわかり合ってる。
俺はどういう事か分かる? とメーネを見るが、メーネもサッパリと言った様子で首を横に振った。
良かった、分からないのは俺だけじゃなかった。
「ええと、分かり合っている所悪いが、精霊魔法って何なんだ? 普通の魔法とは違うのか?」
「うむ、精霊魔法とは、精霊の力を借りて世界に働きかける魔法じゃ」
「対して、私達人間の使う魔法は術式と呼ばれ、世界の法則に直接働きかける魔法よ」
やっぱりよく分かんないです。
「精霊とは意志を持った自然そのものじゃ。故に火の精霊にあの木を燃やしてくれと頼めば、その木が燃え尽きるまで燃やし続けてくれる」
「逆に術式は火を短時間発生させて木を燃やすから、発生した後は消えちゃうのよね。汎用性があるけどすぐに効果が無くなるのが術式魔法で、出来る事の汎用性は多くないけど、効果の高さや持続時間が長いのが精霊魔法よ」
成る程、そういう違いなのか。
「という訳で、さっそくお主達の頼みを解決するとしようか」
フリューが森の中へと続く道の前に立つ。
『植物達よ、この者達が自分達の家に帰れる様に道を開けておくれ』
聞いた事もない、だが不思議とその内容が理解できる言葉でフリューが森に向かって語り掛ける。
すると森の入り口の木々が風も吹いていないのに激しくざわめいたと思ったら木々や草が左右に分かれ文字通りの道が出来上がった。
「おおっ!?」
「これでお主達の家への道が出来たぞ。そして……」
『ここに居る我等以外の者達がこの道を通れない様にしておくれ』
フリューの言葉に答える様に、森の木々が再びざわめく。
「成功したぞ」
「はやっ!? え? もう終わったんですか?」
「うむ、これでもうこの道にお前達以外が入る事は出来なくなった。道を外れて入ろうとしても、この周辺なら精霊達が纏めて追い返してくれるぞ」
「おお、ありがとうございます!」
よかった。これで心配事は解決だな。
ああでも、ちょっと気になる事もあるか。
「ええと、実は私の店の従業員達が別の場所に居るんですが、彼等も必要な時には通れるようにしたいんですが」
自由に行き来されると困るが、森の中に逃げ込む時には連れていける体制を整えておきたい。
「ああ、心配はいらぬ。お主等といっしょに入る者なら纏めて入れば仲間として認識される。儂の仕事にミスはないのじゃ」
やだ、この子有能!
「どうもありがとうございました」
「うむ、これでホイップクリームの分の仕事は済んだの!」
よーっし、これで安心して森の中を行き来できるぜ!
「ではさっそく家に行くのじゃ。これからは森の精霊達が道を作ってくれるから行き帰りも楽々じゃぞ」
「ええ、わかりました」
俺達は馬車に乗り込むと、森の中へと馬を進ませる。
「おお、木々が馬車の移動に合わせて分かれていく」
こりゃあ凄い。
動かない筈の植物が目の前で左右に分かれるなんて光景は、それこそフィクションの映像でしかお目に掛かれない光景だ。
「ショウジさん、後ろも凄いですよ! 私達が通った後の木々が元の位置に戻っていきます!」
後ろを見れば確かに木々が元通りの位置へと戻っていく光景が見える。
「こりゃ本当に凄いな。ホイップクリームがここまでの仕事をしてくれるとは」
「はっはっはっ、それだけ儂にとってホイップクリームは素晴らしい価値を持つ品であったと言う事じゃ」
「なるほど、そういう事ですか」
「うむ!」
「「はっはっはっ」」
俺達の笑いが綺麗にハモる。
「……あの、ところで何でフリューさんが一緒に居るんですか?」
「え?」
メーネの疑問に何を言っているんだと思いながら横を見ると、そこにはさっき分かれたと思ったフリューの姿があった。
「って何で居るんだ!?」
「そりゃ儂もこれからお主等といっしょに住むからに決まっておろう」
しれっととんでもない事をいうフリュー。
「はぁ!?」
「当然じゃろう。ホイップクリームを作れるのはお主だけなのじゃから。儂がホイップクリームを食べる為にはお主の傍で暮らすのが至極当然というものよ」
「は、はぁぁぁぁぁっ!?」
「ほれ、モードのヤツもお主の所で働いておるのじゃろう? だったら儂もお主の所で働けば問題なかろう? なに、高い給金を寄越せとは言わん。代わりに三食ホイップクリームつきの食事を用意してくれ」
「いや働くって言われても……」
あとその食事は体に凄く悪いと思うぞ。
「儂の精霊魔法は人間の魔法よりも長持ちするが、それでも永遠に効果がある訳ではない。たまに術を掛けなおさんといかんからな」
「え? そうなの?」
「うむ、モードから聞いておらなんだか?」
聞いてないです。
俺は馬車の中に居たサシャに視線を送る。
「精霊魔法は専門外だから、詳しい事は分からないわ」
そうですか。
「なに、深く考えるな。儂はお主の為に森に術を掛け続ける。代わりに儂は食事にホイップクリームを付けて貰う。どうじゃ? 良い取引じゃろ? あとお主は商人なのじゃから、なんぞ甘い物が手に入ったら譲ってくれれば良い。その甘味を対価に別の仕事も請け負ってやろう。どうじゃ? 儂を雇う事を考えれば、破格の条件じゃぞ?」
「ええと……」
どうしたもんか、コレ……
「良いんじゃないかしら? どのみち定期的に術を掛け直して貰うのなら、うちに取り込んだ方が楽だと思うわよ。手間もお金もね」
とサシャが進言してくる。
確かに、侵入者対策を身内で出来ると言うのは魅力的だ。
イメージとしては外注の警備会社に高い金を支払って仕事を頼むか、自社に警備部門を設立するかだな。
そう考えると、金銭的にも安全面でも自社内で警備部門を設立した方が安心だろう。
契約魔法で情報漏洩やらを警戒しないといけない様な世界だし、なるべく信頼できる相手に仕事を頼みたい。
「分かりまし……いや、分かった。フリュー、君をウチの術師として雇おう。給料や契約については後ほど詳しく詰める事にする」
「うむ、よろしく頼むぞ主殿。なぁに、エルフの長い寿命なら人間に雇われている間くらい安い給料でも文句は言わんよ。ホイップクリームさえ提供してくれればの」
どんだけホイップクリームが気に入ったんだよアンタ。
こうして、俺の店に新たな従業員が押しかけ全開で入社する事になったのだった。
◆
「壊冥の森へと入っていったか」
俺達はある方からの命令でとある人間の商人を追っていた。
依頼内容はその商人の正体を探る事だ。
たかが商人の調査と聞いて内心ガッカリしたが、壊冥の森に入る姿を見てその考えを改めた。
「人食いの森に入る人間の商人など怪し過ぎる」
長く緑と共に生きてきた我等エルフにとってもこの森は危険な場所だ。
我等は警戒を強めつつ森へと進入する。
そして気が付いたら森の入り口に戻っていた。
「な、何が起きた!? 確かに我等は森の中へと進んでいた筈!?」
我々は再び森の中へと駆け出すが、何度入ってもすぐに森の入り口に戻ってきてしまった。
「なんなのだコレは、我等は森の精霊にでも化かされているのか!?」
「もしや迷いの術が掛けられているのでは?」
部下がそんな事を言ってくるが私は強く否定する。
「バカ者! 我等は術避けの符を持っているのだぞ! 生半可な術者の使用した術など障害にもならん。もしこの符を無効化できる者が居るとすれば、宮廷術師並みかそれ以上の術者の仕業という事になるぞ!」
そんな力を持った術者が得体のしれない商人に力を貸す訳が無い。
「だがこれではどうしようもない。一旦報告に戻るしかないな」
万策尽きた私達は止むを得ず撤退を選択する。
後で上司から叱責受ける事を考えると、憂鬱だ……
だが、不思議な事に我々の失敗は咎められる事は無かった。
代わりにあの商人には手を出すな、寧ろ手を出す者が居ないか見張れと言う正反対の任務を受ける事になって困惑する事になるのであった。