赤と青の境界
その日はすき焼きの味に気絶寸前まで追い込まれた可憐のおかげで大いに盛り上がった。今まで味わったことのない美味だったそうで、太るのを心配するほどの食べっぷりだった。幸せな空間がここにある。可憐がいるという両親の幸せ、俺と両親がいるという可憐の幸せが1つになっている。そんな時だった、不意にインターホンが鳴り響く。幸せの時間を止めるその無機質な音は全員の動きを止めさせた。悪いことしか頭に浮かばない。可憐を取り戻しに来た誰かか、それともこの世界の監視機関の者か。あるいは昼間のあれを見ていた近所の人か。父親がモニターを確認する。ライト機能があるため、暗い外でも来訪者の顔ははっきりと見て取れた。
「誰だ?」
戸惑いが声に出ていた。母親は可憐を取られまいと抱きしめ、俺も恐怖を押し殺してモニターを覗き込んだ。
「え?」
激しく動揺した俺の声に3人の緊張が頂点になる。モニターに映るその人物はここにいるはずのない人物だ。いや、こっちの世界のその人なのか。
「は、はい」
迷いに迷ったがインターホンに出た俺の声に反応し、その人物はにっこりと微笑んだ。
「その声、やはり無事に戻れたか」
「じいさん、なのか?」
「そうだ。あの医者のじじいだよ・・・こっちの世界のではないぞ、あの世界のな。あ、いや、元はこっちの人間だからややこしいな」
「死んだんじゃ?」
声が震える。あのじいさんは死んだはずだ。6階の高さから爆風に巻き込まれて落下した、死ななはずがない。
「まぁ、その辺のいきさつもある。入れてはもらえんか?」
「1人か?」
「2人だ。わしの友人もおるでな」
「けど・・・」
「心配ない」
「わかった」
信じたわけじゃない。だから俺はキッチンへ向かい包丁を手に取った。完全に信用などできるはずもない。あのじいさんは死んだはずだからだ。父親もゴルフクラブを用意し、可憐と母親を別室に隔離した。そして玄関に向かった俺たちはロックをかけたままで施錠を解いた。わずかな隙間だが銃でもあれば撃たれる。警戒をしつつ死角から声をかけた。
「丸腰か?」
「ああ、ほれ」
4つの手が玄関に差し出される。武器はなかった。その隙に父親が裏に回って様子を伺い、誰もいないことを確認してそっとここから出た。
「まぁ、当然の行動だな」
裏から回り込んだ父親を見てそう言ったじいさんは両手を挙げた。友人もそうして武器の所持を確認した父親の合図で玄関を開けた。2人の手は挙げたままで。
「久しぶりだな。元気そうで嬉しい」
「じいさん」
ドアを閉めてロックと鍵をする。警戒は怠らない。
「いい匂いだ。やはり食事はこっちの世界に限るよ」
じいさんはそう言い。握手を求めてきた。
「丸山宗司、医者であり、研究者であり、元大学教授だ」
「私は友人の片岡荘介。大学病院の院長です。まぁ、その他の肩書もありますが」
自己紹介をし、名刺を差し出す片岡のそれを確認した父親は俺に頷いた。有名な方だそうで、その人は世界的にも知れ渡っているらしい。
「奥に入れてもらえるかな?」
じいさんはそう言い、にこやかな笑みを浮かべて見せるのだった。
*
リビングに戻った俺たちは顔を見合わせるしかない。意外な訪問者のその訪問理由がわからないからだ。死んだはずのじいさんがここにいる。それだけでも不気味なのだ。
「昼間、君の家に行ったがいなかった。ご近所さんに聞けば、彼女さんと同棲していると。赤い目の女性・・・彼女もまたこちらに?」
その言葉に父親は固まった。テーブルの上の4つの器を見れば答えは出ている。だから俺は可憐を呼んだ。母親と抱き合ったままの可憐を見たじいさんは驚きを隠せない。だが、すぐに優しい笑みを浮かべて見せるのだった。
「わしと同じか」
「え?」
「わしらが世界の境界を越えた理由は、あの騒ぎにあったんだよ」
そう言い、ソファに座るよう促されたじいさんが説明を始めた。向かい側のソファに可憐と母親、そして父親が座って、俺はカーペットの上に座る。
「あそこにいたのはあらゆる異世界からの来訪者だ。そして、世界の歪みを抑える機器もあった。けれど、爆発でその機器も破壊されて時空の歪みを周囲にまき散らした」
じいさんが受けた爆発がそれだったようで、吹き飛んだじいさんは空中で意識を失い、気が付けば見知らぬ田舎の神社にいたそうだ。いわばそこが向こうの世界のその施設のあった場所らしい。青い空を見て歓喜し、すぐに片岡さんに連絡を取ったそうだ。片岡さんはじいさんの友人であり、時空を超えた日にじいさんが消えるのを見ていた。だから異次元や異世界の研究をしつつ電磁波の世界的な研究者になって大学病院の院長にまで上り詰めていたのだ。人の身体に及ぼす電磁波の研究は人の病気を救う研究でもあったそうだ。けれど、彼が本当に救いたかった人は救えなかった。だけど、20年経ってその人物は還ってきたのだ。
「歪みの影響はあなた、可憐さんだったか、にも及んだ。そして彼が戻る時空の歪みに呼応し、あなたの周囲にもそれが及んで飛んだんだよ。場所もアイテムも関係なく、しいて言うなら彼という触媒を得て世界を越えた」
「願ったからかな?一緒にいたいって」
「人の想いは何よりも強い」
じいさんはそう言い、にこやかに微笑んだ。
「君があの小学校に行かない限り、彼女は飛べん。まぁ、世界のどこかに彼女だけの場所があるんだろうが予兆があるからな、それが理解出来ている限り大丈夫だろう」
その言葉に母親が反応した。
「じゃぁ、可憐はもう消えない?」
「99%、な」
「ですが色々検査はしたいのです。時空の歪みの影響が残っている可能性もあるので」
片岡さんの言葉に両親は顔を見合わせた。けれど可憐は快く返事をする。可憐にとってもこの世界こそが生きていく世界なのだから。
「食事の邪魔をしてすみませんでした」
頭を下げる片岡さんに続いてじいさんも頭を下げる。
「せっかくの一家団欒だったのに、タイミングが悪かったね」
「い、いえ・・・具材はまだまだあります!ぜひ、ぜひご一緒に」
「俺からもお願いします」
「私からも」
可憐にもそう言われ2人は苦笑した。
「まるでご馳走されに来たようで、なんか申し訳ない」
*
賑わう食卓、飛び交う専門用語。父親はじいさんたちと話をし、可憐は自分にべったりな母親と楽しく会話を交わす。俺はそんな様子を見ながら幸せをかみしめていた。いや、この幸せをくれるために神様があの世界に飛ばしてくれたのかもしれない。タイミング的にも、場所的にも。
「そ、そんなことが可能なのですか?」
声を荒げた父親の声に可憐と母親の会話も止まった。
「可能です。時間は掛かりますが、戸籍は大丈夫」
「わしは失踪願いが出ていたので、戸籍はある。住まいはもうないけど、まぁ、片岡のおかげでどうにかなったよ」
「なに?」
会話に加わった俺の方を見た片岡さんが説明をしてくれた。戸籍は闇のルートで買うことが可能だそうだ。もちろん色々と手を回す必要があるので一か月は最低でもかかるらしい。可憐の存在も遠縁の従妹にすれば問題なく、名前も見た目も偶然で押し通せると言ってくれた。あとは両親の接し方次第で、このべったりな状態を一か月で少し他人行儀にすればいいとのことだ。
「幸い、目の色が赤いのがよかった。個性的な部分ですので、説得力はある」
「まぁ、どうにか一か月でそういう風にしてみせます。娘が戻った、それだけで奇跡なんですから」
父親の言葉に母親も頷く。どうやら可憐がもう消えないと聞いて安心したせいか、かなり冷静になれたようだ。
「私は勉強しなきゃ。ひらがなにカタカナ、漢字・・・・この世界の日本語って難しいよ」
「確かに」
「基本的には文字と色に関するルールだけだ。算数やら計算は同じだった」
じいさんがそう言うならそうなのだろう。なんせ駐在年数が20年のベテランだ。
「あのおっさんも生きてるかな?」
「難しいな・・・撃たれてしまっては世界を越えても・・・・」
じいさんの声が曇る。おっさんの死体はこっちに来ていなかった。ニュースになっていない、つまりはそういうことなのだろう。落胆するが仕方がない。これは運命だったのだから。
「では明後日、使いを寄越します。滞在は一週間ほどですがホテルの手配をしておきます。勿論、ご両親と如月君も一緒に」
「色々、本当にありがとうございます」
「お礼は全てが終わってから。それにこちらの研究にも役立ちますので」
片岡さんはそう言った。別に可憐をモルモットにする気はない。あくまで世界を越えてやって来たその影響に関する研究材料にしたいだけのことらしい。
「20年、向こうにいた知識もある。侵略を食い止める研究もせにゃならんしな」
じいさんはやる気満々だ。戻れた嬉しさと生きる気力を得たのだろう。あっちで見たよりも若々しい。その後、2人は帰って行った。俺も今日はここに泊まる。もちろん可憐は両親と一緒に眠る。長い月日を越えて、世界すら越えてここに一家が揃ったのだ。だから俺は思う。どこかの世界では俺の両親も俺も、可憐の両親も可憐も、みんながいて幸せに暮らしている世界があるのだと。いや、きっとあると信じられた。
*
女の子というのは記念日というのをやたらと重視する生き物だ。それはどんな世界でも共通らしい。付き合って何か月だの、誕生日にバレンタイン、クリスマス。そしてここにきて1年の記念日とか。可憐、あ、いや、今ではカレンとなった可憐も記念日にはこだわっている。特に、今日は。
「ぼーっとしないの!」
「してない」
「してた!」
ふて腐れる顔も可愛いと思う。今日は俺が戻って、可憐がやって来て1年の記念日だ。髪を伸ばし始めたせいか、肩よりも下にある茶色い髪が風に揺れた。赤い瞳をくりっとさせ、目の前に置かれたクリームソーダを口にする。
「これってさ、飲み物?食べ物?」
「飲み物だろ?」
「でも美味しいよねぇ・・・こういう発想はなかったなぁ」
相変わらず食べ物に感動する。時にとんでもなゲテモノすら食べたがるのが怖い。テレビで見た何かの幼虫やら、虫やらサソリやら。
「でも凄いよな、1年で文字は完璧だ」
「ふふん、もっと褒めてよ!」
「信号はまだあぶなっかしいけどな」
「咄嗟のときだけね」
「こないだ、誰かの運転で死にかけたけどな」
「対向車、上手くかわしてくれたよねぇ」
「信号無視だったけどな」
「対向車様々!」
運転免許自体はすんなりと取得していた。けれど、実際の運転で咄嗟の時には青で止まり赤で発進する。同乗している俺としては寿命が縮む思いだ。
「就職祝いもしないとね」
「まだあと1年は学生だけどな」
「片岡先生のコネだもん、凄いよね、」
そう、俺は片岡先生とじいさんの呼びかけで彼らの研究機関で働くことが決まっている。世界を越えた経験を生かすとかなんとかで、おかげで今から専門分野の勉強に大忙しだ。
「でも意外とすんなり受け入れられたのは意外だったかなぁ」
この1年を思い返しているのか、可憐はクリームソーダをストローでゆっくりかき混ぜながらそう呟く。実際、松本カレンという戸籍を手に入れた可憐は死んだ可憐の遠縁の従妹であり、たまたまそっくりでたまたま名前が一緒だったという漫画みたいな設定で松本家に居候している設定だ。髪の色と目の色が違うせいか、可憐の友人たちは驚きながらもその偶然を喜び、亡き可憐にカレンを重ねて優しく接してくれていた。細かい部分は違っているらしいが、友人たちやその思い出も可憐にとっては同じらしい。
「でも意外だね」
「何が?さっきの話?」
「ううん」
「ん?」
「これ!」
そう言い、右手の薬指をかざして見せた。ピンクのガラス玉が入った安い指輪は可憐が戸籍を手に入れた際に俺が贈ったものだ。だから俺も右手の薬指を見る。簡素なシルバーリングがそこにあった。たとえ世界が違っても繋がっているという証、万が一また離れ離れになっても必ず出会うという願いを込めたペアリングだ。想いを込めた物は惹かれあい、世界すら越える。理想論だと笑っていたが、じいさんの言葉が俺を動かした結果だった。
「私の知ってる大和はこういうの、絶対くれなかった。だからちょっと嫉妬したよ、こっちの可憐に」
「向こうの大和はこっちの可憐に急かされる前の俺だな」
死んだ可憐は共通の物を持ちたがって、やたらとペア物を勧めてきたのだ。だから元々そういうのが苦手だった俺も折れてそれを受け入れた結果がこのペアリングにつながっている。
「でも幸せ」
嬉しそうに微笑む可憐に俺も笑った。以前とは少し違う可憐だが、それでも同じだ。向こうにしてもそうなのだろうが、違和感にすらならない。
「ディナーが楽しみなんだよねぇ」
クリームをスプーンですくいながらそう言う可憐が頬に手を添えて幸せそうな顔をする。今日はじいさんと片岡先生の計らいで豪華なディナーが予約されているのだ。可憐の中に残っていた世界の境界を越えたエネルギーは研究に大いに役立っているそうで、そのお礼も兼ねてのディナーだ。
「しかし、あと1時間半でそのディナーなのに、食えるの?」
こっちの世界に来てからの可憐はよく食べる。美味しい食事が止まらないらしいが、その割には太らないしダイエットもしていない。体質らしいが、歳を取ってから反動が出そうで怖いよ。
「うふふ~・・・大丈夫!」
根拠のない自信だろうが、その自信が本物だと分かっているだけに何も言えなかった。そんな可憐が俺の後方やや上を見つめて優しい笑みを浮かべた。だから俺も振り返り、同じ景色を見て小さく微笑んだ。
「私、この世界が好き。青い空も青い海も・・・・でも、一番好きなのはこれかなぁ」
そう言った可憐が見つめているのは夕焼けだ。赤い空と青い空が混ざり合った、まるで今の2人を表しているようなその2つの色合いを持つ空は幻想的で、そして世界の境界を表しているように見えた。
「赤い空は懐かしいって思い出させてくれる。青い空はここにいてもいいんだって思わせてくれる。だから私は夕焼けが好き」
「そう考えたら、この世界は曖昧なのかもね」
「2つの世界の境界にあるから、みたいな?」
「そう。境界線が夕焼け」
「だから出会えた」
「1つになったんだよ」
「1つ?」
「可憐と俺、死人と今の俺たちは1つになった。夕焼けの、あの境界の向こうで」
「詩人だ」
「ロマンチストって言ってくれ」
「くっさい台詞~」
そう言って笑う可憐の赤い瞳が少し潤んだ。だから俺はそっと可憐の手に自分の手を重ねる。
「どの世界でも、俺の見てる風景に可憐がいるんだ」
「お互いに、だね」
「ああ」
指を絡ませたその手に力がこもる。そのままでもう一度夕焼けを振り返った。いつでも思い出せるあの赤い空の世界。可憐がいた世界、俺が行った異世界。それは奇跡をくれた世界であり、そして限りない可能性を証明してくれた世界でもある。だから俺は可憐と歩いていける。赤い瞳の可憐と一緒に、ずっと、未来まで、世界を越えて。
最終話の更新が遅れに遅れましたが、これにて完結です。
よくある異世界ものとは違う物語にしてみました。
ある種、実験的な作品です。
本当は別々の世界で、あの校門の前で見えないお互いを感じあうラストでしたが、そこはハッピーエンドにしたくてあのラストにしたものです。
読んでいただき、ありがとうございました。