決行の朝
別れ際、明日はここへ来ないよう、可憐に告げた。暴動がいつ起きるかわからないし、巻き込みたくなかったからだ。別れはもう済ませた。短い夢を見られただけでいい。これはきっと神様がくれた奇跡なのだから。その夜はよく眠れた。後悔はある、心残りはある。それでも前を向いて歩ける勇気を持てた。目覚めは日の出と同時だった。カーテンを開き、朱色の空を見る。もう違和感はない。シャワーを浴びて朝食を取り、その時を待つ。不意に鳴ったインターホンに反応してドアを開ければ、そこにいたのは可憐だった。何故だと思うよりも先に言葉が出る。
「なんで!どうして来た!」
「お別れは、あそこでしたいからっ!」
そう言い、胸に飛び込んできた可憐を受け止めた時だった。地響きがして施設全体が揺れる。同時に鳴り響く非常ベルに反応して多くの者が部屋から飛び出てきた。みんな鉄の網が張られた中庭側に立って上を見上げている。煙が天に昇っているのは南側の一角だった。と、北側でも爆発が起こってまた施設が揺れた。悲鳴と怒声の中で職員たちがあわただしく駆け回る中、あのへらへらした芝居をしていた男が職員と同じスーツ姿でやって来た。
「大和さん!こちらへ!急いで!」
言われた俺は咄嗟に可憐の手を握った。
「彼女も!」
その言葉に一瞬だけ困惑した顔をしたが頷き、男は廊下の奥を指差した。そこにいたのはあの医者のじいさんだ。
「先生のところへ・・・」
そう言いかけた瞬間、じいさんの背後、数メートルで爆発が起こった。爆風で投げ出されるじいさんは同じく爆風で壊れた金網を伴って中庭へと落下していった。
「先生っ!」
男が叫ぶが下でも爆発が起こる。黒煙に消えたじいさんを見る俺も可憐もガクガクと震えて動けない。
「くそ!」
男はそう言うときょろきょろとした。
「東側に職員しか使わない階段がある!そこから下へ!」
言うなり男が駆けだす。俺は震える体を何とか動かして可憐の手を引いた。
「走るしかない!」
叫びと同時に駆け出し、可憐も引っ張られる形でそれに続いた。
「何が起きてるの?これって・・・」
「規模からして予定にないことまで起こってる?」
可憐の疑問に疑問で返すことしかできないが今は走るしかない。その間もあちこちで大なり小なりの爆発が起こっていた。意味不明な言語を話す者や逃げ惑う者をかき分け、男がカードをかざして開いた壁の向こうに見える階段に向かった。そのまま一気に駆け降りる。どうやらここは無事なようで煙はない。
「降りたら右へ!地下に続く階段が!」
男が駆けおりながらも俺たちを振り返ってそう叫び、俺は頷きもせずにただ後に続いた。1階に下りれば職員たちが右往左往していた。そんな中、右側にある階段が見える。俺と可憐は目だけを合わせてそこに向かおうとした。
「なんだ、お前らは!」
俺たちに気づいた職員の1人の声に他の数名が反応する。まずいと思ったが今は走るしかない。ケンカはからきしだが、それでもタックルをかまして逃げ切る覚悟はあった。そう、相手が銃を手にするまでは。思わず立ち止まり、可憐をかばうような感じで男を睨む。
「人間もどきが!」
吐き捨てるようにそう言う職員が銃を構えたまま近寄ってくる。俺たちを先導していた男も階段の手前で銃を突きつけられていた。身動きが取れない中、必死で思考を働かすが銃による恐怖がそれを麻痺させていった。職員は全部で5人、全員が銃を携帯している。こんな事態は想定していなかった。相手が銃を所持しているなど全く頭になかった自分を笑う。異世界の住人を集めている以上、こういうこともあるだろう。地響きが断続的に続く中、俺の横にある壁にヒビが走る。この建物にいる者全てを抹殺するような爆発があちこちで起こっているのかもしれない。
「ちんたらしてんじゃないよ」
聞いたことのある声と同時に銃声がこだまする。俺の背中にしがみつく可憐を気にしつつ、血を流して倒れこむ職員を見た俺がさっきとは違う震えに襲われていた時、さっきの声が階段付近でしたためにゆっくりとそっちへ目を向けた。
「にーちゃん、急げよ!」
「お、おっさん」
それは俺にあの紙をくれたあのおっさんだ。やはりそっち側の人間だったかと思うが今はどうでもいい。俺たちは階段へと走った。
「おっさん、あんたって」
「言ったろ?同じ世界から来たんだよ・・・まぁ、もう帰れないけどな。3年もこっちにいたらもう無理だ。けど、俺はこっちで成り上がる」
おっさんはそう言い、駐車場に出た俺たちを奥にあるワゴン車の方へと誘導してくれた。最初に来た男が後部座席のスライドドアを開け、そこに乗り込む。俺たちもそこに行けば運転席にはあの時いたもう1人の男が座っている。段取りはばっちりな様だ。
「急ぐぞ」
おっさんがそう言い、乗り込む。すぐに俺と可憐が乗り込んで車が急発進した。
「ゲートは?」
「強行突破だよ」
おっさんたちがそう言いながら足元からマシンガンを取り出した。まるで映画のようだという感じしかしないが、おっさんは窓を開けてゲート付近に立つ武装した男たちにそれを乱射する。車は猛スピードを維持してゲートを破壊し、一気に地上へと飛び出した。
「にーちゃんを送る。坂上小学校までは約40分だ」
おっさんがそう言い、助手席に移動した。マシンガンのマガジンを交換しながら。
「どうなってる!規模が計画以上だったぞ!」
怒声を上げる先導の男におっさんが肩をすくめた。
「言うなればテロリストに応援を要請したようなもんだ。それにな、あそこにいる連中は皆、飼い慣らされた犬なんだ。連れて出ても裏切る。にーちゃんみたいに来て一か月、記憶もないなら大丈夫だけどよ」
そう言い、疑問を顔に出していた俺におっさんが説明をしてくれた。元々吹っ飛んだじいさんはあの施設に収容されていたがその従順さとこの世界にはない知識を有していたおかげで特別待遇を受けていたそうだ。そして20年かけて反逆の機会をうかがい、仲間を増やし、異世界の住人など不要だとする者や擁護する者を懐柔して味方につけていった。そして今日、反撃ののろしをあげる計画になっていたのだ。だが、収容された人間は皆、洗脳に近い状態にあり、救い出すことは困難だとされて施設の破壊を優先したのだ。ただ1つの例外が俺で、記憶を失っていたことでこの世界の住人だと思い込ませることで処置を簡略化しようとしたようだ。つまり、洗脳を必要としない状態だった。しかも来てまだ一か月。解放するにはまだ危険だと隔離されていたが、それはまだ元の世界に戻れるチャンスがあったからだろう。じいさんは洗脳された者に対する覚醒用の薬も開発していたが、記憶中枢に刺激を与えることしか出来ない薬でしかなく、だが俺には有効としてそれをくれたのだ。そして今日、せめて俺だけでもと騒動に紛れて逃がす手はずになっていたそうだ。おっさんは精神異常者という振りをしてじいさんと接触し、3年間ずっとこの日を待っていたそうだ。
「赤い空は気持ち悪いが、まぁ、仕方がない」
おっさんはそう言って笑う。
「俺はホントに帰れるんですか?」
「勝率8割なら、まぁ、大丈夫だろうさ」
おっさんの言葉に何とも言えない気持ちになる。
「もし帰れなかったら?」
「そん時は、俺たちと同じ指名手配犯だよ。そこのねーちゃんは俺らに誘拐されたって言えばいいかも」
その言葉にホッとする。せめて可憐だけでも無事なら、そう思ったからだ。そう、この可憐だけは無事でいて欲しい。
「つけてくる車はない」
横に座っていた男が一番後ろの席に移動してそう言い、警戒を続けた。
「ビルが・・・」
男を追って後ろを見れば、黒煙に覆われた施設があった。消防車や救急車がひっきりなしにすれ違うものの、この車を止めるような車両は1台もない。
「国内各地でこうなってる」
そう言い、男がタブレットのようなものを見せてきた。ニュースの映像がそこにあり、あちこちで多発テロが起こっているとキャスターが告げている。
「お前らはじっとしてろよ」
おっさんはそういうと両耳にイヤホンのようなものを取り付ける。運転手も、後部の男も同じようにした。それが何を意味するのかはわからないが今は言うとおりにするしかない。俺はまだ震えている可憐の手をそっと握り、指を絡めた。そうするのは久しぶりだと思う。
「可憐はきっと大丈夫だ」
「かな?」
不安そうな顔をしているが赤い瞳はまっすぐに俺を見つめている。だから俺はそっと可憐の頬に手を添えた。
「俺の世界の可憐は黒い瞳に黒い髪をしていた。髪型は同じだけれどね」
髪と瞳の色を変えた可憐をそこに重ね、俺は知らず知らずのうちに涙を流していた。そのままぎゅっと可憐を抱き寄せる。
「匂いも、感触も同じなのに・・・違うんなんてな・・・・でも、会えて嬉しかった」
「ううん、嬉しかったのは私の方だよ。だって、死んだ大和にまた会えた。瞳も髪の色も違うけど、大和だった」
そう、この世界の俺は死んでいる。可憐にとって俺との再会は奇跡なのだろう。けど、俺にとっては逆だ。この可憐に会えたことが奇跡なのだから。
「俺の世界ではね、死んだのは可憐なんだよ」
その言葉に可憐の体に力が入るのがわかった。だから俺は可憐を離し、手を握ってその赤い瞳を見つめた。ここにいるのは可憐であって可憐ではない。俺の彼女だった可憐はもういないのだから。
「事故で死んだ。酔っ払いの車に轢かれて。8か月前のことだ。だから俺も死のうと思ったよ。でも出来なかった。臆病者だ」
そう、この世界に飛ばされた時、死んだ可憐が目の前にいた。だから俺はパニックになったのだ。ありえない現実に困惑し、歓喜と恐怖に思考が麻痺したのだ。何よりその赤い瞳が怖かった。
「俺は可憐を追った。死ぬって意味じゃない、思い出を追ったんだ。だからまず出会った小学校に行った。校門に手を掛けた時、突然目の前がグルグル回って立っていられなくなった。気を失う感覚が襲ったと思ったら、ここに来ていたんだ」
「こっちでは大和が死んで、あっちでは私が死んだ?」
「だからさ、記憶が戻った時に思った。これは神様がくれた最後のチャンスなんだって。ちゃんとお別れを言うために、気持ちに整理をつけるために」
「一緒にはいられない、よね?」
「ホントはね、残る気だった。でも、今のこの状況で残っても可憐に危険が及ぶ」
「私はかまわない!」
「もうイヤなんだ。君が死ぬのも、俺が死んで悲しませるのも。生きていて欲しい、それが俺の願いだ。失ったから理解できる。死んだらだめだ。君は生きてくれ。それだけで、俺は生きていけるから」
ふるふると首を横に振る可憐を見るのは辛い。この世界では可憐は1人ぼっちだ。両親も俺もいない、たった1人の世界。
「俺も両親を亡くしている。半年前にね・・・だからこれ以上親しい人の死には耐えられない。2度も可憐を失うなんて体験はもうしたくない。君にもさせたくない。この世界はもう、俺には危険だ」
本音だった。今なら可憐は被害者でいられるだろう。けれど俺はお尋ね者になる可能性が濃厚だ。
「施設の人に言われたの。この大和は死んだ大和だと、そう思えって。生きて帰ってきた、それでいいって。だからそう思うことにした。でもね、似てるけど違う。目も髪の色も・・・でも、大和だった」
可憐もまた葛藤していたのだろう。俺は記憶を失くしていた。でも可憐は一か月も俺と一緒だったのだ。別人だけと別人じゃない俺と。
「私も一緒に行けたらいいのにね?でも、校門を触っても何も起きなかった・・・」
一縷の望みもこれで消えた。もしかしたらって思っていた。もしかしたら可憐もまた同じように飛べるんじゃないかって。でも、無理だろう。
「また行っちゃうんだね・・・私は1人に・・・」
涙を流す可憐をそっと抱きしめる。生きていてくれればいい、そう思う。ただ生きてくれていれば、俺はまた頑張れる。たとえ違う世界でも可憐が生きている、それが知れたから。
「可憐に会えて良かった」
「私もだよ」
そう言い、子供のように泣きじゃくる可憐の頭を撫で続けた。
*
この日、大規模なテロが同時多発的に起こった。狙われたのは異世界に関わる施設であり、やがて侵略すべく準備していた組織などが狙われたのだった。この世界から半年に一度だけゲートを開くことができ、半年蓄えた莫大なエネルギーを消費して異世界との扉を開く。そこに渡って一か月ほど、そいつがある特殊な機器を用いてその世界を浸食するそうだ。それを百年繰り返すことでその世界の法則が異世界のものを浸食して塗り替えられていくらしい。わかりやすく言えば青い空が赤く染まる、そんな感じだそうだ。そうなればエネルギーの消費は最小限で2つの世界を行き来できるらしい。つまり、国ではなく星どころか宇宙を2つ手に入れるような感じだろう。浸食された世界の住人はその法則に対応できず死滅し、侵略者がその世界の住人となる。恐ろしい計画だ。だから犯行組織も存在し、異世界から来た反逆者たちもそれに加担する。元々、この世界の資源などは俺のいた世界とは違って潤沢でなかったらしい。それを不満に思う者、異世界に活路を見出す者など思想も様々だったようだ。元々、この世界は他の世界との境界線が不安定であり、いくつもの並行世界とつながることが多かったようだ。来ることはできてもこちらからは行けない、そんな一方通行な情勢も不満になっていたそうだ。資源が弱いのに人口は増えるのだから。しかし反対勢力は力を増し、今日の決行に至った。異世界関係の施設を襲撃、破壊する。俺がいた施設も最初は爆発を起こしてそこを乗っ取る計画だったそうだ。なのに過激な連中が施設そのものの破壊と飼い慣らされた異世界人も抹殺することにしたのだ。施設にいながら組織の一員になっていたおっさんの個人的な助力で俺は逃げ出せたが、政府機関が調査すれば脱走したのがバレ、追われることになるだろう。つまりは俺もテロリストなのだ。だから可憐と一緒にはいられない。可憐は人質だ。そう、被害者なのだから不問になるだろう。そういう風におっさんが手を回すと言っていた。なんだかんだで反対勢力の上層部と強いつながりがあるらしい。今回の施設破壊もその上層部は認可しておらず現場の判断だったそうだ。つまり、医者のじいさんが死んだもイレギュラーだそうだ。俺は根気よく可憐を説得し、可憐も渋々ながらそれを了承してくれた。この世界のこの国は変わるだろう。へたをすれば内戦になるそうだ。だから可憐には生きて欲しいと願う。おっさんたちの手引きがあれば比較的安全な場所に行けるらしい。今はそれを信じよう。俺の彼女だった可憐はもういない。瞳の赤い可憐の元彼氏の俺もまたもういない。けれど可憐も俺もここにいる。たとえ世界は違っても、存在している。ならば、また別の世界では俺たちが幸せに暮らしている世界もあるだろう。そう信じたい。