後編
バグケラスという名前は、小野寺も聞いたことがある。ゴルゴラ星人の食料だが、史上最も凶暴な食べ物と呼ばれている。普通は冬眠状態で運搬するのだが、何かのはずみで目覚めてしまったらしい。
ゴスッという音がし、箱を突き破ってカギ爪の生えた手が出てきた。黄色いスーツの常成が小野寺をかばうように前に回り込んだ。
『すまん、小野寺くん。こいつはおれたちで取り押さえる。とりあえず下に降りてくれ!』
「は、はい」
大急ぎで階段を駆け下りた。会社の誰かに知らせた方がいいのか、警察に通報した方がいいのか、迷っていると、ドスンという大きな音とともに、目の前にバグケラスを腕に抱えた常成が落ちて来た。
小野寺は初めてバグケラスの実物を見たが、痛そうなトゲがいっぱい生えた小型の肉食恐竜のような姿をしている。
天井の穴から室谷が顔を出し、『小野寺くん、逃げるんじゃ!』と叫んだ。
入れ違いに、青いスーツの定村がバグケラスめがけて飛び蹴りを仕掛けた。が、間一髪外れてしまい、ボゴッという音がして、床にメリ込んでしまった。
小野寺はパニック状態で足がすくんでいた。
バグケラスが常成の腕を振りほどいたのを見て、反射的に逃げ出したが、気が動転していたため、出口とは反対側に走った。
後ろから、ガリガリという足音が追って来る。
「うわーっ、かんべんしてくれ。こんなところで、死にたくないよ!」
小野寺の正面に、ハイパースーツ用のロッカーが見えた。
あの中に入った方が安全に違いない。そう思って扉を開けたが、中には黒いハイパースーツが入っていて、小野寺が入れるすき間がない。
「どどど、どうしよう。あっ、そうだ」
小野寺はくるりと振り返り、バグケラスを見ないよう目をつむって、「装着!」と叫んだ。
ふわりと包み込まれる感覚があり、すぐに耳元で《緊急事態のため、フルオートモードで対処します。全身の力を抜いてください》という人工音声が響いた。
言われるがまま脱力し、薄目を開けた小野寺の視界に、牙をむき出したバグケラスの顔が迫って来た。
「うわっ!」
次の瞬間、小野寺の右前蹴りがバグケラスの顔面に炸裂した。
だが、弾き飛ばされながらも、バグケラスは空中で態勢を立て直し、猛獣のような咆哮を上げると再び襲いかかってきた。
「ひえーっ!」
ビビる小野寺本人にかまわず、黒いスーツの左右の腕が次々に高速パンチを繰り出した。
さらに、回し蹴り、ヒジ打ち、飛びヒザ蹴り、相手の動きが止まったところを両手でつかみ、脳天逆落としにした。
さすがに悲鳴のような鳴き声を上げ、バグケラスはうずくまって大人しくなった。
『よし、今じゃ、常ちゃん!』
呆然としている小野寺の前に、大きな透明のケースを持った常成が現れ、バグケラスにそれをかぶせた。反射的に飛び上がったところを、ガシャッと音がしてケースの下部が閉じた。
『確保したぞ!』
常成の横に、赤いスーツの室谷が並んだ。
『温度設定を4度以下にするんじゃ。それでバグケラスは冬眠状態になる』
『おお、そうか』
常成がケースについているダイヤルを回すと、バグケラスの動きが完全に止まった。
『おーい、こっちも助けろ!』
叫んだのは定村だ。なかなか床から抜け出せないようだ。すると、小野寺のスーツが勝手に動き、定村の青いスーツを床から引っ張り出した。
それが済むと、また、小野寺の耳元で人工音声が響いた。
《緊急事態終了。マニュアルモードに戻ります》
途端に、小野寺の動きがぎこちなくなった。老人三人の安心したような笑い声がし、常成が右手を差し出した。
『小野寺くん、ありがとう。きみのおかげで大事にならずにすんだ』
『いやあ、ぼくじゃありません。この黒いハイパースーツの力です。これ、すごくないですか?』
常成と握手を交わすと、室谷もそこに手を重ねた。
《おまえさんが装着したのは、所長さん用のオールマイティタイプじゃよ。もっとも、所長さんは女の人じゃから、かねがね管理職に専念したいと言っておる。頼めば、喜んで譲ってくれるじゃろう。どうじゃね、明日、面接に来るかね。それとも、今日の騒動で、懲りたかの?』
『あ、それはもう、ぜひ、お願いします。なんか、やりがいがありそうです』
定村も手を乗せた。
『決まりだな』
『ありがとうございます。ところで』
小野寺は少し恥ずかしそうに、こう付け加えた。
『ぼくもパンツ一丁じゃなきゃ、ダメですか?』
全員大声で笑った。