8.仲悪しこよし
ジョジョの奇妙な冒険第6部の話が出てきます。重要なネタバレは無いですが、事前に情報を見たくない人は流してください。
三俣がギャッと叫び、私のホッペが弾かれる。
大喰くんだ。
いつの間に来たんだろう。彼は神出鬼没だ。
「お、大喰くん……。」
「毎度毎度……悪いな。」
「いやいや、助かりました。」
本当に、大喰くんが来てくれなければ私のホッペはどうなっていたことやら。
今の倍は伸びていたかもしれない。
「ゲッ!大喰じゃないか!
おい、北!逃げろ!」
「傍観してた富士くんよりも助けてくれた大喰くんの側にいることにするよ。」
「傍観してたんじゃない。
ただ、すごい変顔だなって思ってただけだ。」
それを傍観という。
私は倒れている三俣を避けながら、大喰くんの後ろに立った。
「……大丈夫か?赤くなってるな。」
「平気だよ。
それより大喰くんどうしてここに?」
「通りが騒がしいと思って見てたら見覚えのある顔触れだったからな……。
三俣が動けないうちに家に帰れよ。また巻き込まれるぞ。」
それもそうだ。
しかしそれより前に三俣には私のアイスの弁償をしてもらわなくては……。
そう思い三俣のズボンのポケットに手を伸ばした時だった。
サーティーワンのドアが開き、美少女が堂々と歩いて出てくる。
アサヨだ。
手には大納言小豆のアイスを持っている。
「見て、お揃い。」
アサヨは富士くんにニッコリ笑いかけた。
しかしその笑顔は何かを見ると、片方の口角を上げまるで嘲笑うかのような表情へと変わっていった。
「……アサヨ、なんでお前がここにいんだ。」
「それはこっちのセリフなんですけどー?」
大喰くんもアサヨと面識があるようだ。
そして、あまり仲は良くないらしい。
一触即発のピリピリした空気に辺りは包まれる。
「なんでここにいんだか知んねえが、とっとと失せな。」
「ハア?どうして指図されなきゃいけないわけ?」
ヤンキーVSギャル!
なんとも恐ろしい図式だ。
アサヨは憎々しげに大喰くんを睨みながら大納言小豆を食べる。
溶けちゃうもんね。
「私は芙蓉くんと話してるの。
あんたは関係ないでしょ。さっさと三俣くんと穂高連れてあの荒れ果てた学校行けば?」
「次の狙いは富士ってわけか?この阿婆擦れが。」
あ、阿婆擦れ……。
すごい言葉が飛び出して来た。
怖い。怖くてたまらん。
しかしこの怖さを全く意に介さない男がいた。
三俣だ。
「アサヨ!
なんで俺のことは苗字で呼ぶんだ!俺のことも蓮華って呼んで!」
「はいはいはいはいはいはい。
今こいつと話してるから邪魔しないで。」
「大喰と話終わったら俺の相手してくれる!?」
「いやしませんけど。」
……ここまで一方通行なのも珍しい。
本当に付き合っていたんだろうか?
私は三俣とアサヨのやり取りをぼんやり眺めていたが、これでは埒があかないと大喰くんの袖を引く。
「あの、私そろそろ帰るね。」
「ん。
気を付けて帰れよ。」
「富士くんと帰るから大丈夫のはず……あ……いや……どうかな……。」
「そこは大丈夫って言い切れよ……。心配になるだろ……。」
言い切れないから富士くんなのだ。
これはもう仕方がない。
私は大喰くんと涸沢に目礼し、富士くんと松原ちゃんの元に行く。
変なことに巻き込まれてしまったよ……。
「ん?
そういえばあなたは一体……?」
しまった。
迂闊に動いたことで、アサヨの目に止まってしまったようだ。
「私は……」
「お前には関係ないだろ。」
「あんたに聞いてないけど。
もしかして、富士の女ってあなた?」
げ、富士の女というあだ名彼女にまで知れ渡っているのか……。
そういえば彼女と同じ高校に通う塩見も知っていた。
ここら一帯に知れ渡っているということ?
「ち、違います!
松原ちゃんの友達で、富士くんとはただの同級生です!」
「ああ、俺が恋人になるよう説得してるところだ。」
富士くん……!お前……!
こんなことこの女に言ったら私殺される……!ギャルの力を持って殺される……!
しかし、彼女は意外にも「脈ナシって感じだね?」と笑っていた。
あれ?怒ってない?
「名前は……確か北さんだよね?
聞いたことある。」
名前まで知れ渡っているの……!?逃げ道ないじゃない!
「そう……です。
北 白嶺です。」
「白嶺ちゃん。変わった名前だね。
私の名前は大喰 アサヨ。
よろしくね。」
彼女はニッコリ笑いながら大納言小豆を食べていた。
……大喰 アサヨ?
大喰?
私の、いや私たちの視線は大喰くんに集まった。
もしかして……。
「大喰!お前アサヨと結婚したのか!?」
「ンなわけあるか!テメエの脳みそ腐ってんのかよ!?」
大喰くんは長い足を使って三俣の尻に蹴りを入れる。
「兄妹ってことか?
あれ?でも、東雲 アサヨだったよな?」
富士くんがキョトンとした顔でアサヨと大喰くんの顔を見比べる。
「親が再婚したんだよ。
俺たちが生まれてから離婚して、また再婚。」
「そういうことー。
だからまたこっち戻って来たの。
穂高は知ってたけど、芙蓉くんは知らなかったよね。」
なるほど、確かに大喰くんと彼女はちょっと似ている。
顔の造詣もだが、なんというか、恐ろしいオーラも……。
「つまりお義兄さんということか。」
三俣は立ち上がり、髪をかきあげフッと笑った。
さっき尻蹴られてた割りには元気だこと。
バカなことを言って再び尻を蹴られていた。
痔になっちゃうよ。
「ってかなんで黙ってたんだよ!」
「あのな、こんなクソ女と血が繋がってるだなんて公言したくないに決まってんだろ。」
「ハア?クソはどっちよ。」
「ああ、阿婆擦れのが良かったか?」
「頭湧いてんのか屑野郎。」
ダメだ。この兄妹仲が悪い。口も悪い。
兄妹って普通仲が良いものじゃないのだろうか?
少なくとも私と兄はここまでじゃない。
「お、落ち、落ち着いて、大喰くん。」
サーティーワンの前で血みどろ戦争が始まったら営業妨害どころじゃない。
私は恐る恐る大喰くんの腕を引き、アサヨから離す。
「そ、そうだ。
私アイス買おうと思うんだけど、大喰くんも一緒に食べよ?ね?」
「…………悪かったよ。」
大喰くんはため息をつくと、アサヨから体ごと背いた。
少し冷静になったようだ。
「白嶺ちゃんって猛獣使い?
てっきり芙蓉くんのことが好きだと思ったんだけど……。」
「私の好きな人は2次元の壁を越えないと会えないんで……。
安心して富士くんと付き合ってください。」
「アハ、やだなー。
確かに芙蓉くんのこと好きだけどそういうんじゃないよ。
大体私彼氏いるし。」
「えっ?」
アサヨが彼氏いる、と言った瞬間三俣がすっ飛んで来た。
「誰だ誰だ誰だ誰だ。」
「こわ……。
三俣さん、そういう余裕のない行動するから嫌われるんですよ。」
「……へ、へえ、彼氏?どんな奴?」
アサヨは眉を顰めていたが、面倒そうに携帯を取り出すと「はい」と見せてきた。
そこには仲良く頬を付けて笑う男女が写っていた。
……この男、見覚えがある。
「……塩見?」
「え、鹿塩のこと知ってるの?」
「幼馴染……。」
まさかそんな。
桜並木を見たら千本桜と叫んでいた塩見が、カカシ先生の千鳥の印を真似して指を攣っていた塩見が、特価交換と言いながら人の給食を奪っていた塩見が、こんな美人と付き合っているというのか?
「えー!そうなんだ!
世間って狭いねー!」
本当に狭い。
クラスメイトの富士くんに因縁をつけていた三俣の元カノであり、三俣の友人の大喰くんの妹が、私の幼馴染と付き合っているのだから。
……若干遠いし無関係な気もするけれど。
「鹿塩の卒アルの写真とか見たいなー!
持ってたりする?」
持っている。もちろん持っているとも。
しかしあれは……あれはいけない。
10000年と2000年前からの恋だって冷めるレベルで太っていたもの……!
「えーと、親が漬物石代わりに使ってて……。臭いからやめたほうがいいよ。」
「漬物石代わりに……そ、そっか……。
もし臭わなかったら見せてね……。」
さすがの美少女も漬物石の臭いは嫌だったのだろう。
なんとか誤魔化せた。
塩見、あなたの名誉は守りましたよ……。
そんな感じに、私はすっかり塩見を守った気でいた。
三俣が「塩見 鹿塩か……。」とボソリ呟いていたことなど知らずに。
*
「なあ、ニジゲンの壁ってなんだ。」
帰り道、大喰くんが眉間にシワを深く刻みながら聞いてきた。
結局彼が家まで送ってくれることとなった訳だが、まさか大喰くんの口からそんな言葉が出てくるだなんて。
「……えっと、どこでそんな言葉を覚えてしまったの?」
「あんたが言ってただろ。
好きな人はニジゲンの壁を越えないと会えないって。」
……よく覚えていたものだ。
「あ、うーん、そんなこと言ったかもね。
うんうん。」
「……ベルリンの壁みてえなもんか。」
「ベルリンの壁のように壊れることはないものなんだよ。」
「嘆きの壁か?」
「ある意味では嘆きの壁だね。」
越えられないという嘆き。
「そこ越えないと会えないのか。」
しみじみ言われ、なんだか恥ずかしくなってくる。
そうなんだけど……。2次元の壁ってまず現実には存在しないというか……そもそも私の好きな人は現実にいない……。
「……顔真っ赤だな。」
「……恥ずかしくて……。」
「へえ……。」
大喰くんはまるで咎めるかのように鋭く私を睨んできた。
いや、わかっている。
私が現実と向き合えない弱い人間だから、二次元越しに恋をしてしまったんだ。
「大変なんだな。ニジゲンの壁。」
しかし、彼のこの勘違いと向き合わねば。
いずれ恥をかかせてしまうだろう。
それは忍びない……!
「あの、ね、その……なんていうか……。」
「なんだよ。」
大喰くんはいつもより低い声で返事をした。
ハッキリ喋らない私にイラついているんだろう。
「……見せるね。」
「……ハ?」
「私の好きな人。」
「なんでそうなんだよ。」
「見た方が手っ取り早いから……。」
大喰くんは納得いかないのか「見たくねえからしまえ」と言っていたがその言葉を無視してポケットから携帯を取り出し、カメラロールを漁る。
いや漁ることもなく、彼の画像はすぐに出てくるのだけど……。
「……この人……。」
私は大喰くんに携帯の画面を見せた。
手が震える。
大喰くんはどう思ってしまうんだろう。
「…………あ?
漫画?」
「そう……。ジョジョの奇妙な冒険第6部のウェザー・リポート……。」
「……ジョ……?」
「彼は記憶がなくて、最初不思議ちゃんオーラがすごいんだけど、でも話を追うごとに強さとか、過去とか、そういうものがわかってきて……。
そう、彼はすごく辛い過去を背負っていてそれが記憶喪失やラスボスに繋がってるんだけど、ネタバレになっちゃうから黙っておくね。
何が好きって、いざという時の強さ、かな。徐倫を守ってくれるし、あのヤドクガエルの雨は……鳥肌たったよね。それからあのFFとの共闘!もう本当に」
「おい、待て。」
大喰くんに頬を軽く叩かれ正気に返る。
いけないいけない。マシンガントークをやっちまった。
「あっ、ご、ごめん。気持ち悪かったよね……。」
「じゃなくて、好きな人って漫画のキャラ?」
「そう。そうなの。
ニジゲンって2次元のこと。我々が住む次元は立体の3次元、漫画やアニメは平面の2次元のこと。
だからどう足掻いても越えられないんだ……2次元の壁は……。」
この壁さえ越えられたら……。
ウェザーに会いに行けるし、もしかしたら私もスタンド能力に目覚めちゃうかも……!
ただ、私のことだ。
2次元にいけたところで巻き込まれて死ぬ可能性が高い。
特にこのジョジョの奇妙な冒険の世界では犬にも厳しいし……。
「命が惜しいし、今のままでも良いかもしれないね……。」
「何言ってんだ……?
……もしかしてお前、俺のことからかってんのか?」
「え?」
「だってねえだろ。」
大喰くんの言いたいことがわかった。
漫画のキャラを本気で好きになるなんて無い、ということだ。
この気持ちは恐らく彼には理解できないだろう。
何故なら彼は2次元の壁という言葉すら知らない健全な人種なのだから。
仕方がないこと、とわかっていてもモヤモヤする。
「……かっこいいもん。ウェザー・リポート。
スタンドだって……天気操るし……強いし……変な帽子被ってるけど……ヤドクガエル降らせるし……気圧だって……。」
私がブツブツ呟いていると、大喰くんは私の肩をポンポンと叩いた。
「悪かった、泣くなよ。」
「泣いてないから、いじけてるだけだから。」
「ん。そうかよ。
……なあ現実にはいねえの?好きな奴。」
現実……。
それは3次元ということ……?
それなら田中圭とか、妻夫木聡とか、色々いるけれど……。
「妻夫木……」
「芸能人じゃなくてだな。
もっと身近な、付き合いたいとか思う奴。」
「ああ、そういう……。
今はいないねえ。」
私だって生まれつき2次元にしか恋しなかったわけではない。
幼稚園の時だって、小学校の時だって、中学校の時だっていた。
どれも実らずだが。
「それどころじゃないし。
毎日毎日何かしらの面倒に巻き込まれてるから……。」
「あー、それもそうだな。」
事の発端は富士くん。あいつさえいなければ……。
「ファミチキ奢ってやるから元気出せよ。」
「えっ、いいの!?」
「ああ。
また三俣が暴走したからな。」
ただ、富士くんが私を巻き込まなければ今頃こうして大喰くんにファミチキを奢ってもらうことはなかっただろう。
その点だけは富士くんに少しだけ感謝……かもしれない。
注1:ウェザー・リポート/ジョジョの奇妙な冒険第6部の登場人物。39歳。