7.洗脳とアイスと想い人
今日も今日とて富士くんに絡まれる。
もう最近は自分でなんでこんなに抵抗しているのかわからなくなってきた。
洗脳されているのだろうか。
「北!一緒に帰ろう。」
「荷物持つっす!」
「結構です。
私友達と帰るから。」
そう言って教室を振り返ると皆がいない。
……置いてかれたようだ。
今日はクラスメイト1人が突然転校してしまったので、それの送別会があったのだが……。
なんで置いてったんだ……。
「ねー、帰りましょうよー。」
「……今日だけだよ。」
仕方がない。
松原ちゃんもいるし、いいか。
1人だと寂しいし……。
私が諦めて2人の後ろを歩いていると、富士くんが突然立ち止まった。
思わずその背中にぶつかる。
鼻がこれ以上低くなったらどうしてくれる!
「どうしたの?」
「しまった、今日こそは体操着洗おうと思ってたんだ。そろそろ臭う季節になってきたからな……。」
「毎回洗いなよ。気持ち悪い。」
「持ってくるから待っててくれ。」
「自分取りに行きましょうか?」
「いやいい。」
富士くんは走って教室まで戻って行く。
ここで待っていればいいのだろうか。
辺りはもう既に人は少ない。
他の生徒は部活に勤しんでいるのだろう。
松原ちゃんは校庭をぼんやり眺めていた。
松原ちゃんは美人だ。
黒くて長いお下げも、垂れた目も、高い鼻も、薄い唇も全てが清らかに見える。
実際のところは悪魔のように強いのだけれど、傍からみたら天使ではないだろうか。
「松原ちゃんは、富士くんのこと好きじゃないの?」
富士くんと松原ちゃんは見た目も中身もお似合いに思えるのだけど……。
どうして付き合わないのだろうか。
付き合ってくれたら私が絡まれずに済む。
「もちろん、好きっす!尊敬してるっす!」
「そうじゃなくて、付き合ったりしないの?カップルとして。」
私の言葉に、僅かに松原ちゃんは首を傾げた。
「それは契約内容に含まれてないんで……。」
「契約内容?」
なに?お友達契約とかあるの?
今時の若者って怖いわね。
友情って契約とかそんなビジネスライクなものじゃないと思うわよ。
そんなことを考えていると、彼女は私を下から覗き込んできた。
「……北先輩は富士先輩を恋愛感情で好きにはなりませんか?」
「う、ん。ごめん。無理かな。」
「ですよねえ……。
自分は北先輩が富士先輩の彼女な方がいいなって思ったんすけど、ここまで来たらもう諦めた方がいいかなとも思うんすよ……。」
ぜひそうしてくれ。
私は松原ちゃんの言葉に首をガクガク縦に振った。
「でも富士先輩は北先輩は流されやすそうだからって……。」
……そんな風に思われてたのか……!
今の言葉を聞いて、絶対に富士くんの彼女になるものかと決意を強くする。
失礼極まりないな、あいつ。
「絶対に絶対に絶対に付き合わないから。」
「そうっすよねー……。
あ、先輩は他の人に恋慕してますか?」
レンボ、と言われてすぐに理解が出来なかった。恋慕か。古風な言葉を使うんだなあ。
恋い慕ってる人ってことか……。
「してないかな。」
現実だと。
「そうっすか……。
してたら富士先輩も諦めると思ったんすけどねー。」
「あ、してるしてる。好きな人めっちゃいる。」
「嘘くさいっす。」
「何!?誰だ!」
振り向くと富士くんがいた。
いつの間に?
「お、おかえり。」
「恋敵がいたとはな……。
誰だ?あ、大喰か!あいつはやめとけ!
お前が想像している以上に頭がおかしいぞ!」
富士くんに頭がおかしいと言われてしまうだなんて……相当なんだろうか。
「大喰くんじゃないですけど……。」
「大喰先輩はヤバイっすね。
ヘカトンケイルが子犬に感じるレベルっす。」
ヘカトンケイルって誰だよ。
2人は私に大喰はやめろ大喰はやめろと言い募ってくる。
……私からしたら大喰くんが1番まともなのだが……。
「あいつと付き合ったら四肢切断されるぞ。」
「……そんなことないと思うけどな。
大喰くん優しいし。」
たい焼きを奢ってくれた彼の姿を思い出し、思わず言い返してしまう。
私のこの言葉に2人は震え上がった。
「大変だ!洗脳されてる!」
「目頭からアイスピック刺して脳に刺激を与えて正気に戻ってもらいましょう。」
「怖い!」
どこでそんな技覚えた!
「しっかりしろ北!大喰はだな、そう、喧嘩が好きで好きで仕方がないような奴だぞ。
中学の頃からあいつのやばい噂は聞いてたんだ。しかも実際やばかった。」
「サトゥルヌスみたいな奴っすよ。」
サトゥルヌスって誰だよ。
「教師を殴り上級生の肋骨を折り同級生の内臓を破裂させた奴だぞ。
俺も何度殺されかけたことか。嫌だろ?」
「ああ……。」
想像は容易い。
彼が暴虐の限りを尽くすところは何度か見た。
私のこの薄い反応に、富士くんは絶望的な表情をした。
「……ダメだ。アイスピック刺すか。」
「仕方ないっすね。」
2人が私に近づいてきた。
まさか、冗談だよね?
いや、わからない。この2人のことがわからない。
どこまで本気なのかさっぱりだ。
「わ、私5時に夢中!見るんで!」
2人の間をすり抜け廊下を駆け抜ける。
逃げなくては。
*
駅の方まで駆けたとき、腕を掴まれた。
また涸沢か!?
「今急いでるから離して!」
「何急いでんだ?」
……大喰くんだ。
ちょっとホッとする。
彼ならアイスピック刺して来ようとしないだろうし、拉致した挙句放置してパズドラしないだろう。
「また三俣か?」
「いや、富士くんと松原ちゃんが私にアイスピック刺して来ようと……冗談かわからなくて……。」
「冗談じゃなかったらヤベェだろ。
……多分。」
なんで多分と付け足した。
背筋がゾワっとする。
後ろから松原ちゃんの声が聞こえてくる。
「せーんぱーい!」
「ヒッ!」
「……松原か。やっぱり足早いな。」
松原ちゃんはあっという間にこちらまで駆け寄ると、突然立ち止まり呆然と私を見た。
「松原ちゃん!?」
「ダメだ……先輩の内臓が食べられる……。」
「ハア?」
内臓食べるとはなんと恐ろしいレクター博士。
私が戦々恐々としていると、富士くんもこちらにやって来た。
「大喰に捕まってる……!
待て、大喰!食べるな!北を離せ!」
言われて、大喰くんの手が腕を掴んだままだと気付く。
離れようとするが、それより前に大喰くんに抱き寄せられた。
「……そういうことか。
楽しそうなこと言ってんじゃねえか。」
どういうことなのかわかったの?
理解力半端ないね。
「……大喰くん?」
彼は私を見つめて悪どい笑みを浮かべた。
悪役でもこんな顔しない。
「どうしようか。
白嶺はこのまま攫って行っちまおうか?」
「北!もうわかっただろ!
そいつは優しくなんかないって!」
富士くんは拳を振って力強く叫んだ。
そうだね、ユーモアもあることがわかったよ。
「なんだお前、俺のこと優しいって言ったのか?」
「……まあ。」
本人にそう言うのはちょっと恥ずかしいので、小さく頷く。
大喰くんは驚いた顔をした後、嘲笑った。
「……へえ。」
彼は私の頭に顎を乗せた。
「なあ富士、お前が俺を止められずにこのままこいつを攫ったらどうする?」
「お前の勇姿は目に焼き付けておくからな。」
なんだそれは。
「松原は?」
「先輩の遺言はご遺族にお伝えしておきます。
さあ、遺言をどうぞ。」
死んだことにされた。
……というか2人とも、あれだけ強いんだから「絶対にそんなことさせない!」くらい言っても良いんじゃないかな。無理かな。
大喰くんは私の頭に顎を乗せるのをやめて、ゲラゲラ笑った。
「なあ白嶺。
俺が優しいんじゃなくて、周りがクソなんだよ。」
「……そうかな、大喰くんは優しいと思うけど。」
「相対的に俺が優しく感じるだけだ。
さて、茶番は終わり。
あの2人に送ってもらえ。」
大喰くんは私の背中を押した。
え、でもあの2人、私の目頭からアイスピックを刺して来ようと……。
「先輩、大丈夫っすか?」
「よく生きて帰ってきた。
洗脳はもう解けたよな?アイスピックはいらないよな?」
助けを求めようと大喰くんの方を振り返ったが、彼の姿はもうなかった。
……何がしたかったんだろう。大喰くんも謎だ。
ただ、この2人ほどではない。
アイスピックが手元にないとの理由で指で目頭を突かれた。
二度とこの2人の前で大喰くんを褒めるものか。
*
大喰くんに捕らえられてから、2人は一緒に下校することを強行してくるようになった。
お陰でアイカツも出来ない。
ただヤンキーから絡まれることもほとんどなくなったのでそこは良かった。
「今日サーティーワン寄って行きません?」
「いいね!
私ポッピングシャワー!」
「さすが北!凡庸だな!」
殴りてえ。
私たち3人はガードレールに寄りかかってアイスを食べる。
美味しい。やはりポッピングシャワーは天才の食べ物。
「芙蓉くん?」
顔を上げると、絶世の美女がそこに立っていた。
富士くんはアイスに夢中になっていたので慌てて肘でつつく。
「富士くん!呼ばれてるよ!」
「え……?
……ああ、アサヨか。」
「久しぶり。」
アサヨと呼ばれた美女は微笑んだ。
麓高校の制服を着ているということは、高校生……?
背が高いし、顔も大人っぽいのでとても高校生には見えない。
しかし、なんだか見たことがある気がする。誰かに似ているのかな。
それに、アサヨという名前も。
「なんだ、お前もアイス食いにきたのか?」
「今日31日だし。」
「アハ、違うよ。
芙蓉くんに会いにきたの。」
「何の用だ?」
「んー、お喋り?」
ニコニコと美女は笑う。
これは……お邪魔かな。
私は松原ちゃんの腕を引いて離れる。
「先輩?どうしたんすか?」
「邪魔しちゃ悪いでしょ。」
「邪魔?」
松原ちゃんってば鈍いんだから……。
「あのアサヨって子は富士くんのことが好きなんでしょ?
なら2人きりにしないと。」
「でも富士先輩はアサヨのこと好きじゃないっすよ。」
「富士くんが人間を好きになるとは思ってないけどね。」
2人は楽しく話しているように見える。
いや、富士くんはいつも楽しそうだからなあ……。わからない。
「おい、今日サーティーワン安いぞ!」
「あー、31日ですね。」
ん……?このバカでかい声は。
通りを見るとやはり三俣と涸沢だった。
後ろに大喰くんもいる。
ヤンキーの癖にアイス食べやがって。
見つかると面倒なので松原ちゃんの背中に隠れる。
「あ!富士!!」
三俣は目ざとく富士くんを見つけた。
そうか、富士くんが見つかるんじゃ隠れた意味がないのか。
喧嘩になっては困るので仕方なく松原ちゃんと駆け寄る。
呼ばれた富士くんとアサヨガールは三俣の方を向いた。
瞬間、三俣が固まった。
「あ、アサヨさん……?」
「やっほー、穂高。」
「あれ……?」
涸沢は不思議そうに首を傾げていた。
どうしたんだろうか。
「……どうして。」
三俣はいつもの元気さはどこへやら、ただ苦しそうに呻いた。
「……三俣くんも久しぶりだね。」
アサヨは嘲笑うように三俣を見ていた。
……どうも見覚えがある、気がする。
「アサヨッ、俺は……!」
「あー、まだ好きとか?そういうのは大丈夫です。」
彼女は三俣から一歩引くと、バッサリ言い捨てた。
そうか、アサヨって三俣の元カノか。
以前そんな話をしていたのを思い出した。
「……すごい辛辣だね。」
「いつもあんな感じっす。」
いつも……?それなのに三俣は彼女が好きなのか……。
それってつまり……マゾヒスト……。
三俣も案外生きづらいんだな。
「芙蓉くんは何味食べてるの?」
「大納言小豆だ。」
「アハ、さすが芙蓉くん。渋いね。
私も同じのにしようっと。」
アサヨはひらりと身を翻すとサーティーワンに入っていった。
三俣はただサーティーワンを見つめ、それを涸沢が不安そうに見ている。
未練タラタラだ。
「……富士、お前なんでアサヨを振ったんだよ。」
「なんでって言われてもな。
需要と供給が合わなかったんだ。」
ビジネスかな?
「ならソイツは合うっていうのかよ!?
アサヨよりも!?ソレが!?」
三俣は私をビシッと指差した。
薄々気付いてはいたけど、三俣って私のこと嫌いだよね……。
私もだよ……両思いだね……。
「ああ。需要と供給があってるな。」
「供給したつもりはないんですけど?」
「アサヨのが五億倍可愛いだろ!!」
「可愛さは求めてないからなあ……。」
富士くんってば最低ね。わかってたけど。
同情したのか、松原ちゃんが見たこともない色のアイスを私に分けてくれた。
ありがとう。
「っていうか、三俣、くんからしたら富士くんとアサヨ……ちゃん?はくっつかない方がいいんじゃないの?」
「それはそうだ。
けどなんか、アサヨがダメでお前は良いっていうのが納得がいかない。」
「私もそんなことで喧嘩に巻き込まれてたら納得いかないんだけど……。」
「うるせー!
大体なんだよ大納言小豆って!そこはポッピングシャワーパチキャンMAXだろ!
なんでアサヨは大納言小豆にすんだよ!」
三俣は苛立ったように私の手からアイスを取り上げると、ムシャムシャ食べ始めた。
こいつ頭おかしいんじゃないか?
「三俣さん、俺買ってきますから何もソイツの食べなくても……」
「今俺はこいつに迷惑かけたい気分なんだ。」
「三俣くんは存在するだけで迷惑だよ。」
彼はこちらをキッと睨むと、食べ終わったカップを私に押し付けてきた。
ゴミを渡すなよ。
「お前も、富士も、松原も腹立つんだよ!
特に富士がな!」
「俺が何した。」
「アサヨがお前を好きなことが腹立つ。」
「人の感情は人間にはどうすることもできない。
お前の言ってることは横暴だぞ。」
「わかってても腹が立つんだよ!
男心理解しろ!」
私は呆れて三俣を見た。
しょうもない男だ。そりゃアサヨも好きにならないだろう。
「そんな目で俺を見るのはやめろ!
俺だってわかってんだよ!こんなこと無意味だって!
でもそれでもアサヨのこと諦めきれなくて、だからお前らにイラつく!」
彼は魂から叫んだ。
叫びながら私のホッペをグイグイ伸ばした。
やめろ!これは頬袋じゃない!ちょっと丸顔なだけで……!
「無関係な奴を巻き込むのやめろって何万回言わせる気だお前は。」
低い、地獄からの声がした。